過去のクイズ集 その1

 

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:ドン・ダイヤモンド

アメリカで二度に渡り藤波のWWFジュニア選手権に挑戦しました。海外で2度も藤波に挑戦しておきながら遂に来日は果たせず。主戦場はフロリダでヒロ・マツダのコーチを受けた本格派です。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:チン・リー

カナダを主戦場とした謎の中国人。しかし実際は純粋な中国人ではないと思われる。ゴング誌の名物企画「外人選手勤務評定」では常に2,3点でした。2度と呼んで欲しくないレスラーのランクの常連でもありました。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:レス・ウォルフ

後のバディ・ウォルフ。南部でデビューして話題になり44年頃のゴングで大きく取り上げられた。意外にも国際プロが招聘。その上、次のシリーズにも残留しマスクを被って偽ブルー・ディモンとなる。マッドドッグ・バションの妹で女子レスラーでもあるヴィヴィアンと結婚。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:ポール・デマルコ

ドリー・ファンク・ジュニアから陰謀で世界タイトルを奪ったことで有名な男。主戦場はジョージア、サンフランシスコで、特にシスコでの人気は高かった。

ずばりこの男の名前は?

答え:サー・オリバー・フンパディンク

ハリウッド・ブロンドス、ジ・アステロイド(スコット・アーウィン)などの悪徳マネとして70年代に活躍したが、知らぬ間にプロレス界から姿を消していた。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:ブル・ベドウ

何度も来日の噂はあったが、ついい来なかった幻の強豪。スペイン出身で60年代後半に渡米WWWFでサンマルチノと熱戦を展開した後、ロスやWWA(シカゴ版)で活躍した。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:ゲーリー・ハート

貴重な現役時代の勇姿。グレート・カブキはじめ多くのレスラーをスターに育て上げたらつ腕マネージャーとしてアメリカプロレス界に名を残した。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:ドン・カーソン

テキサス、ロスで活躍したB級レスラーだが、B流のくせにゴングの表紙になったという快挙を成し遂げた。晩年は各地を転々としたが、スタン・ハンセンの自叙伝で「間抜け野郎」と酷評されている。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:ジョニー・パワーズ

カツラ着用前の貴重な写真。帰国後は金髪に染め、ルー・テーズを苦しめるまでに成長したが、NWAに冷遇を受けNWFを設立。この頃にカーリーヘアのパーマを付けるようになった。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:ブラックマン

ブラック・ゴールドマンそっくり!日本にも来たがあまりにも体が小さかった。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:プリンス・カーチス・イヤウケヤ

物凄く男前!50年代頃の写真か?レスラー名鑑の写真と比べてみて下さい!

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:クロネコ

若き日のブラックキャットです。メキシコの生んだ名レスラー スギ・シトの息子であり、ルチャ界のサラブレッド。

これは誰の素顔でしょう?

答え:エル・サント

ゴング誌のスクープ写真です。しかし、これが本当にサントの素顔かどうかは不明です。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:村崎鬼三

マッハ隼人とともに国際プロの前座を沸かせた覆面レスラーデビル紫の正体です。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え : ドン・レオ・ジョナサン

現役時代から副業として潜水業の会社を経営していた。この事業は成功し、現在でも大盛況とか。

ずばりこのレスラーの名前は?

答え:ダン・ミラーとザ・レモラ

このミラー兄弟というのは正体が割れているにもかかわらず、覆面を愛用した。全日本にブルー・シャークとして来日する際の宣伝写真は、この時の写真が使われていたのだから、どこが正体不明だか・・・いいかげんなもんである。