グレート・アントニオのバスひっぱり!

2006.6.19update

 

昭和36年には大型バスを4台!

 

昭和52年はマイクロバス1台!

 

 

 プロレス史上、もっとも有名なパフォーマンスは、なんと言ってもグレート・アントニオによるバス引っ張りパフォーマンスであろう。昭和36年のワールド大リーグ戦に初来日し、怪物人気を決定的にしたのが、神宮外苑で行なわれた、このパフォーマンスであった。この時はファンを乗せた大型バスを4台(3台説、5台説もあり)引っ張った。バスも大スポンサーだった三菱電機のグループ会社のものを使用しているのが笑える。この時、神宮外苑に集った大勢のファンを見て、勘違いしたアントニオはビル・ミラーにリング上で制裁を受けて途中帰国するのであった。

 そして16年後、新日本プロレスに登場したグレート・アントニオは、またもや室蘭でバス引っ張りパフォーマンスを行なったが、この時はマイクロバス1台を引っ張っただけ。東京の京王プラザホテルでもこのパフォーマンスを行なおうとしたが、これは道路交通法違反ということで警視庁にストップをかけられてしまった。この時には4000人のファンが集った。またもや人気を過信したアントニオは、初来日の際にはハンディキャップマッチで軽く料理したアントニオ猪木にリング上で制裁を加えられたのであった。後にはかならず公開リンチを受けるという悲劇のパフォーマンスである。

 

 

マイティ・カランバは歯で引っ張った

  グスタブは後楽園黄色いビル前で!

 

 バスを引っ張ったのはグレート・アントニオだけではない。昭和49年の新日本プロレス「新春黄金シリーズ」に来日した南アフリカのマイティ・カランバは神宮外苑でマイクロバスにファンとレスラー(屋根に乗っているのは藤波、小沢、木村!)を乗せてなんとロープを噛んで引っ張った。しかし開幕戦で木戸をカナディアン・バックブリーカーで破ったものの、その後の試合振りはさっぱりだった。しかし木戸もカランバといい、ヘラクレス・ローンホークといい、とんでもないレスラーの来日第1戦にあてられて気の毒である。

 他にも昭和60年にやはり新日本プロレスに登場したジャイアント・グスタブも新日本プロレスの移動バスを引っ張ったが、野次馬の集り方は寂しいものだった。グスタブもまた天狗になり、坂口の極秘指令を受けた後藤、橋本といった腕に覚えのある若手とのハンディマッチで公開リンチにあっている。

 どうやらバスを引っ張りたがるレスラーはしょっぱいレスラーが多いようである。