未来日外国人レスラー名鑑 

 

ドク・ガラガー DOC GALLAGHER
177.5センチ、103.5キロ
1922年(?) 米・ニュージャージー州バヨンヌ出身
ノースウエスト・タッグ(バンクーバー版)、南部タッグ(ミッドアトランティック版)、NWA世界タッグ(ミネアポリス版、ミッドアメリカ版)、カナディアン・タッグ(トロント版)、オハイオ・タッグ、AWA世界タッグ(インディアナ版)、USタッグ(オハイオ版)

1950年代にミネアポリス、オハイオあたりで活躍したガラガー兄弟の片割れ。弟のマイク(ビジネス上のものと思われる)とのコンビで活躍。日本では東京12チャンネルの「プロレス・アワー」にレギュラーのように登場し、彼らに強烈な印象を持っているファンは多い。しかし彼らの経歴などに関する情報は非常に少ない。日本にはほとんど情報が入ってこなかったが、そのタッグ戦術は衝撃的だったという。(情報提供:JUMBO AOKI氏、そらきち氏)

 

ドクター・デス DR. DEATH
●死の医師 ●178センチ、100キロ
●イギリス出身
国際プロに来日したムース・モロウスキーのドクター・デスはコピーで、オリジナルのドクター・デスはイギリスを主戦場に活躍したこの男。非常に凶悪なレスラーで、靴底に鉛を仕込んだり、ドクターらしく手術用のメスを隠し持って、対戦相手の額を切り刻んだという。ぜひ国際プロレスに呼んで欲しかった英国系レスラーの一人。写真から巨漢レスラーを想像していたが、ファンと写真を見るとかなり小柄であることが分かる。

 

ドクター・デス DR. DEATH
●殺人医師 ●186センチ、110キロ 
1974〜75年にロスに登場した覆面レスラー。ドクター・デスとかいた薬箱に凶器を忍ばせるという古典的な悪役だった。正体はドン・アーノルド。このアーノルドはジョン・ビューリックと同一人物ではという疑いがあり。

 

トニー・アンソニー TONY ANTHONY
●不良小僧 ●180センチ、104キロ
●1960年4月12日 米・テネシー州出身
マスクを被ってザ・グラップラー2号を名乗り、リン・デントンとのザ・グラップラーズでテネシーで活躍したあと、素顔に戻って同じくデントンとのダーティ・ホワイト・ボーイズを名乗る。エディ・ギルバートをマネージャーにつけ、テネシーだけではなくハワイまで遠征し、ロッキー・ジョンソン、リッキー・ジョンソン組との抗争で人気を集めた。

 

トニー・ガレント TONY GALENTO
●猛獣殺し ●185センチ、112キロ
●1910年3月12日 米・ニュージャージー州出身 1979年7月22日没
ボクシングから転向した男で、ボクサー時代の1939年には世界王者のジョー・ルイスに挑戦した実績も持つ。レスラーに転向してからは人間ではなく、熊やゴリラ、ライオンといった猛獣と対決。遂には80キロもあるタコと水槽で戦ったこともある。映画にも出演してたようだ。1979年に心臓発作のため逝去。

 

トニー・ゴンザレス TONY GONZALEZ 
●182センチ、108キロ ●メキシコ出身
●WWA世界タッグ、アメリカス・タッグ
ロスに登場したメディコ3号の正体であるメキシコ系のレスラーで、メディコ3号として昭和44年に来日している。ルイス・ヘルナンデスと分かれた後もパートナーを変えてメディコを名乗っていたようだが、テキサスあたりでは素顔でリングに上がっていたが、前座レスラー扱いだったようである。

 

トニー・サラサー TONY SALAZAR 
●メキシコの猛虎 ●175センチ、93キロ
●1952年1月15日 メキシコシティ出身
●NWA世界ミドル、NWA世界ライト・ヘビー
1973年にプロレス入り、1978年にリンゴ・メンドーサからNWA世界ミドル級選手権を獲得。当時メキシコに遠征していたサトル・サヤマとはライバル関係にあった。サングレ・チカナとの悪党コンビで活躍したが仲間割れしリンピオに転向。リンゴ、カチャーロのメンドーサ兄弟とコンビを結成したが1993年に引退。56年に国際プロレスのチャレンジ・シリーズへの参加が決定していたが直前に負傷したためキャンセルしている。本名はアントニオ・サラサール・ゴメス。

 

トニー・ボーン TONY BORNE
●ゴリラ男 ●178センチ、110キロ
●1926年 米・テキサス州出身 ●ニードロップ
●パシフィックノースウエウト・タッグ、テキサス・タッグ、パシフィックノースウエウト・ヘビー、NWA世界タッグ(テキサス版、シスコ版、バンクーバー版)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)
本名はアンソニー・ウエイン・オズボーン。ゴリラ男といわれたブル・ファイターでマット・ボーンの父。サンフランシスコでロニー・メインとのコンビで長く活躍した。体が非常に頑丈で大流血試合でも試合後にはほとんどダメージが残らなかったという。何度も来日の噂がありハワイを主戦場にしていた時期もあったが、なぜかやってこなかった。

 

トニー・リッカード TONY RICKARD
●南海の若武者 ●183センチ、90キロ
●1959年10月24日 ニュージーランド・ウェリントン出身
●オーストラリア・アジアン・タッグ(シンガポール版)
本名はアンソニー・バート。南海の獣人と呼ばれたスティーブ・リッカードの次男。兄のリッキーとともに父親のあとを追ってプロレス入り。デビュー後は兄とのタッグで活躍。オーストラリア、ニュージーランドを転戦した後、シンガポールでジェリー・モローと組んでハート兄弟(ブルース&キース)からオーストラリア・アジアン・タッグを獲得した。アメリカ本土上陸も目論んでいたが、体格のなさに泣いた。

 

トニー・ルッソー TONY RUSSO
●181センチ、110キロ ●イタリア・シシリー島出身
本名はジョージ・グーリヴァス。ロスやWWFエリア、ミッドアトランティックなどで活躍した前座レスラー。1978年2月のMSG定期戦で藤波辰巳が保持していたWWFジュニア・ヘビー級選手権に挑戦しているが、6分足らずで完敗している。WWFジュニア・ヘビー級史上でも最弱の挑戦者といってもいいだろう。どう見てもジュニアヘビーとはいえない体であった。昭和54年の全日本プロレス「ブラック・パワー・シリーズ」に参加が決定していたが、来日は中止になっている。

 

トミー・シーグラー TOMY SEIGLER
●186センチ、110キロ
●米・カリフォルニア州出身
●メイコン・タッグ、フロリダTV、英連邦ヘビー(ニュージーランド版)
大西洋岸地区で活躍した中堅レスラー。ボディビル出身であるが、それほどのマッチョマンではなく、バランスの取れた体格であった。日本では「若き狼」なるニックネームで紹介されていた。ほとんど来日の候補には上がらなかったようだ。

 

ドン・アーノルド DON ARNOLD
●殺人医師 ●186センチ、110キロ
●イースタンステーツ・ヘビー、AWA世界ヘビー(オハイオ版)、ウエスタンステーツ・ヘビー、アメリカス・タッグ
1970年代にカリフォルニアでマスクを被ってドクター・デスを名乗っていたレスラー。アーノルド名義ではローカル・レスラーの域を出なかった。しかし、デストロイヤーのホームページでは、「デストロイヤーにレスリングを教えた男たち」の一人として紹介されている。1974年にロスに登場したジョン・ブリックはアーノルドの変名ではないか?

 

ドン・イーグル DON EAGLE
●荒鷲酋長 ●180センチ、100キロ
●1925年 カナダ・ケベック州カナワケ出身 1966年3月17日没
●AWA世界ヘビー(ボストン版)
ケベックのインディアン保護区の出身で、父親もドン・イーグルの名前でレスラーとして活躍した。学生時代はボクサーを目指していたが、父の意思をついでプロレス入り。独特のインディアン・デスロックを武器に正統派人気を獲得する。1966年に人権運動に行き詰まりを感じ自殺したというのが定説だが、白人の妻に射殺されたという説もある。

 

ドン・カーチス DON CURTIS
●落雷男 ●186センチ、120キロ
●1927年5月22日 米・ニューヨーク州バッファロー ●スリーパーホールド
●サウスウエスト・タッグ、北米ヘビー(アマリロ版)、USタッグ(NY地区)、南部ヘビー(フロリダ版)、南部タッグ(フロリダ版)、イースタンステーツ・ヘビー、NWA世界タッグ(フロリダ版、ジョージア版)

本名はドン・バイテルマンだが、リングネームの・ドンカーチスに改名した。バッファロー大学でレスリングをやり、大学を訪れたルー・テーズとエキジビション・マッチを行い、その実力を認められてエド・ストラングラー・ルイスにスカウトされてプロレス入り。マーク・ルーインとのコンビで東部地区一帯で暴れ、エディとジェリーのグラハム兄弟との抗争で人気を獲得した。ドン・ルーインと混同されがちだが、まったくの別人であることは言うまでもない。

 

ドン・グリーン DON GREENE
●悪魔帝王 ●184センチ、118キロ
●米・テネシー州出身
●NWA世界タッグ(ミッドアメリカ版)、南部ジュニア・ヘビー(ミッドアメリカ版)、南部タッグ(ミッドアメリカ版、ガルフコースト版)、USジュニアヘビー(ミッドアメリカ版)、テネシー・タッグ、ミッドアメリカ・タッグ
実兄アルとのグリーン兄弟でテネシー地区を中心に活躍した悪党レスラー。兄のアルは「第7回ワールド・リーグ戦」に参加しているが、兄の成績が悪かったためか、弟のドンには来日のチャンスは巡ってこなかった。「NWAタッグ・リーグ戦」あたりに呼べば面白かったのでは?

 

ドン・コルレオーネ DON CORLEONE
マフィア仮面 178センチ、108キロ
1944年 イタリア・アグラッツィ出身
1982年にメキシコに出現したマスクマンで、正体はトニー・ロコ。カネックのUWA世界ヘビー級選手権にも挑戦したが、原爆固めで敗退した。

 

ドン・ダイヤモンド  DON DIAMOND
フロリダとニューヨークMSGで2度に渡り藤波のWWFジュニア・ヘビー級選手権に挑戦したジュニアヘビー級の強豪。藤波相手になかなかの名勝負を繰り広げたが、なぜか日本上陸は実現しなかった。当時来日したクリス・アダムスあたりに良く似たタイプのレスラーだった。

 

ドン・ファーゴ  DON FARGO
●182センチ、115キロ
●1930年10月3日 米・フロリダ州ペンサコーラ出身
●オハイオ・タッグ、NWA世界タッグ(NY地区、ミッドアメリカ版、ジョージア版、シカゴ版、テキサス版)、テキサス・ヘビー、テキサス・タッグ、パシフィックノースウエスト・タッグ、ジョージア・ヘビー、USタッグ(ガルフコースト版)、ルイジアナ・ヘビー、ミシシッピ・ヘビー、ガルフコースト・ヘビー、NWF世界タッグ、ウエスタンステーツ・タッグ、ミッドアメリカ・ヘビー、AWA南部ヘビー、カリフォルニアTV
本名はドナルド・ヴィンセント・カルト。ジャッキー・ファーゴとのファビュラス・ファーゴ・ブラザーズで売り出すが喧嘩別れ。その後もダルトン兄弟(ジャック・ダルトン)、チェーン・ギャング(ジャック・デリンジャー)に変身、ファーゴ名義ではレーン・ゴルトとのレジオナリーズ、グレッグ・バレンタインとのニュー・ファーゴ・ブラザーズなどタッグで活躍するが、あまりにも変人であったため、何れもパートナーに逃げられている。麻薬不法所持で逮捕されるなど素行が悪く来日ははたせす。

 

ドン・フィールズ DON FIELDS 
米・テネシー州ディレスバーグ出身 2000年6月4日没
●アラバマ・ヘビー、南部タッグ(ガルフコースト版)、NWA世界タッグ(テネシー版)
本名はドン・ハットフィールド。南東部で活躍したフィールズ三兄弟の一人。ボビー、リーと同じく、日本ではまったくといっていいほど無名であった。息子はヴァージル・ハットフィールドといい、レフェリーとしてリングに上がっていたらしい。。


ドン・マクラリティ DON McCLARITY
●無頼漢 ●193センチ、114キロ
●米・ニューヨーク州ニューヨーク出身 ●コブラツイスト
●USタッグ(NY地区)
アイスホッケー、フットボールとへてプロレス入り。1964年に来日したロイ・マクラリティの息子とも弟とも言われている。元々はテクニシャンだが悪党ファイトも無難にこなしたという。主戦場はおもに南部一帯だったようだ。ニューヨークではアルゼンチン・アポロとのコンビでUSタッグ王座を保持していたこともある。