未来日外国人レスラー名鑑 ス
スーパー・スコルピオン SUPER SCORPION | |
1976年にロスに出現したマスクマンでかなりの大型選手。ミル・マスカラスとシングルで対戦して完敗を喫している。正体は不明。 |
ザ・スーパースターズ THE SUPERSTARS | |
1975年にフロリダ一帯で活躍していた覆面コンビ。日本でも有名なマスクド・スーパースターとは明らかに別人。片割れはガイ・ミッチェルに体型がよく似ている。 |
スーパー・デストロイヤー SUPER DESTROYER ●超破壊仮面 ●182センチ、115キロ ●1930年米・ミシガン州デトロイト出身 1980年10月20日没 ●ニードロップ ●NWA世界ジュニアヘビー(テネシー版)、南部ヘビー(ジョージア版)、南部タッグ(ジョージア版)、NWA世界タッグ(シカゴ版、ジョージア版、サンフランシスコ版)、インターナショナル・タッグ(モントリオール版、ウィニペッグ版)、サウスウエスト・タッグ、ロッキーマウンテン・タッグ、AWA世界タッグ(ミネアポリス版、インディアナ版)、WWAインターナショナルTVタッグ、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、南部ヘビー(ジョージア版) |
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日本へはドン・ジャーディン、ネイル・グアイのスーパー・デストロイヤーがやってきたが、アメリカで活躍したもう一人のスーパー・デストロイヤーがこの男。77年ごろにアマリロを中心とした南部地区で活躍。ミル・マスカラスとの抗争で日本にも紹介された。ジャーディン、グアイに比べればぐっと小型のこのスーパー・デストロイヤーの正体はなんとベテランのアート・ネルソンであった。 来日全レスラー名鑑のアート・ネルソンの項も見よ。 |
スーパー・デストロイヤー・マーク2 SUPER DESTROYER MARK
TWO ●196センチ、132キロ ●1948年8月27日 米・ミシガン州デトロイト出身(コネチカット州ウィルマ出身説もあり) ●コブラクラッチ ●USタッグ(トライステーツ版)、ジョージア・タッグ、AWA大英帝国ヘビー、セントラルステーツ・ヘビー、USヘビー(ミッドアトランティック版)、NWA世界タッグ(ミッドアトランティック版)、AWAアメリカス・ヘビー、WWF世界ヘビー |
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AWAエリアを中心にロード・アル・ヘイズのマネージメントで暴れた覆面レスラーで、正体は後のサージェント・スローターである。1980年6月にはミネアポリスに遠征したジャイアント馬場のPWF選手権に挑戦する抜擢を受けたが、完敗を喫している。 来日全レスラー名鑑のサージェント・スローターの項も見よ。 |
スーパーサモアン・サカリア SUPERSAMOAN SAKALIA ●180センチ、102キロ ●米・ハワイ州出身 ●フライングボディ・プレス ●ポリネシアンパシフィック・タッグ |
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スーパーフライ・チュイのコーチを受けてデビュー。チュイとのコンビでポリネシアンパシフィック・タッグ王座を保持していた。坂口&アティサノエ組みと対戦した試合は日本でも放送されたが、その試合振りは「しょっぱい」という他なかった。 |
スーパーフライ・チュイ SUPERFLY TUI ●178センチ、99キロ ●1958年9月23日 米・ハワイ州ホノルル出身 ●フライングボディ・プレス ●ポリネシアンパシフィック・タッグ、ポリネシアンパシフィック・ヘビー |
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本名はチュイ・セリガ。1980年代にハワイのメイビア派(ポリネシアンパシフィック・プロ)で活躍したレスラー。スーパー・サモアン・サカリアとのコンビでポリネシアンパシフィック・タッグ王座を保持し、メイビア派を支援していた新日本プロレスの坂口&アティサノエ組みの挑戦を受けたが、坂口に子供扱いにされた。ザ・コブラのWWFジュニア・ヘビー級選手権にも挑戦したが完敗を喫した。 |
スカルハ SKALHA ●モンマルトルの殺し屋 ●190センチ、130キロ |
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フランスのレスラーで、スカルハとはフランス語で「殺し屋」を意味する。レスラーになる前は暗黒社会に身を置いていたという。左の頬に10センチ以上の傷があった。実際、ギャングとの関係も深かったといわれる。国際プロレスが昭和45年の「ビッグ・サマー・シリーズ」に招聘したが、直前で来日をキャンセルしている。理由は不明。 |
スチュ・ハート STU HART ●1915年5月3日 カナダ・サスカチュワン州サスカチューン出身 2003年10月16日没 ●ノースウエスト・タッグ(バンクーバー版) |
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本名はスチュワート・エドワード・ハート。カナダのカルガリーでスタンピード・レスリングを主宰し、息子たちをレスラーとして育てた豪腕プロモーターとして知名度が高いが、現役時代もカナダでは「シュート野郎」としてその名をとどろかせた強豪であった。引退後は前記のように、カルガリー地区で「スタンピード・レスリング」を主宰。日本人レスラーもハートの世話になったものは多い。 |
スティーブン・リトルベア STEAVEN LITTLE BEAR ●180センチ、120キロ ●カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、ハワイ・タッグ、ノースウエスト・ヘビー(バンクーバー版)、パシフィックノースウエスト・ヘビー、ルイジアナ・タッグ、USタッグ(トライステート版) |
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本名はビンセント・ブリアニー。1978年頃にオクラホマ、ルイジアナに出現したインディアン・レスラーで、インディアン・トラップ・マッチを得意とし、ジム・スター、アサシンといったあたりと流血戦を繰り広げた。エリア的に言えば、国際プロレスに登場する可能性があった。 |
ザ・スピリット THE SPIRIT ●174センチ、88キロ ●1915年2月1日 メキシコ・ヌエボレオン州モンタレー出身 2001年3月29日没 ●NWA世界ミドル |
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1977年ごろにメキシコに登場したマスクマンで、正体はベテランのローランド・ベラ。当時は62歳だったので、老いた顔を隠す為に心機一転マスクを被ったが、その癖のあるレスリングが原因ですぐに正体がばれ、観客が「スピリット!」ではなく「ローランド・ベラ!」と声援を送るようになった為にマスクを脱いだという。スピリット・ジュニアなる選手も登場したが、実子ではない。2001年に死亡。(情報提供:Jose Felnandez様) |
ザ・スポイラーズ THE SPOILERS ●覆面の略奪者 ●NWA世界タッグ(テネシー版) |
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スポイラーを名乗ったマスクマンは多いが、これはテネシーに登場しソウル・ワインゲロフがマネージメントしていたスポイラー1号、2号のコンビ。元々はグレート・メフィスト、グレート・ダンテを名乗っていたが、1970年ごろにスポイラーズに改名した。何度かメンバーは入れ替わっていたようだが、1971年にマスクを自ら脱いだ時の正体はボビー・ハート(パトリオットとして全日本プロレスに参加)と、ロレンゾ・パレンテであった。 |
ザ・スポイラーズ(2代目) THE SPOILERS ●覆面の略奪者 ●NWA世界タッグ(テネシー版) |
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上記の初代スポイラーがテキサスに遠征した間にソウル・ワインゲロフがテネシー向けに結成した2代目のスポイラーズ。正体はコンビで日本にもやってきたダン・ミラー、トニー・アンソニー(ザ・レモラ)だといわれている。オリジナルのスポイラーズがテネシーに戻る際に消滅した。 「来日全外国人レスラー名鑑」のダン・ミラーとザ・レモラの項も見よ。 |
スマッシャー・スローン SMASHER SLOAN ●粉砕屋 ●188センチ、120キロ ●1935年7月7日 米・モンタナ州出身 ●USタッグ(NY地区)、アメリカン・タッグ(ダラス版) |
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本名はエルドン・リー・ウィットラー。1960年代にNY地区で活躍したパワー・ファイター。GIカットに黒タイツというビッグ・ビル・ミラーをほうふつとさせるスタイルでリングに登場した。バロン・シクルナとのコンビでNY地区USタッグを獲得、ダラスではスポイラー2号となり、1号とともにアメリカン・タッグを獲得している。 |