未来日外国人レスラー名鑑 

 

J・B・サイコ J B PSYCHO
●194センチ、140キロ ●NWF北米ヘビー
本名はジョン・メディンシア。1970年代前半にカナダ、NWF、ピッツバーグあたりに登場した巨漢レスラー。1973年にはNWF北米ヘビー級選手権を獲得している。J・B・サイコに変身する前は、ザ・スカル・ブラザーズとして活躍していた。日本ではPSYCHOをローマ字読みにしたJ・B・フィチョなる表記で紹介されたこともある。

 

ジークフリード・スタンク SEIGFREID STANKE
●ナチの禿鷹 ●187センチ、125キロ
●1938年3月25日 米・テキサス州ニューブランフェルズ出身
●USタッグ(トライステート版、ガルフコースト版)、ウエスタンステーツ・ヘビー、ウエスタンステーツ・タッグ、パシフィックコースト・ヘビー(バンクーバー版)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、テキサス・ヘビー、ルイジアナ・タッグ
本名はウィリアム・レーマン。1970年代中盤から80年代にかけて登場したナチ・ギミックのレスラーで、日本では1978年にゴングの竹内記者(当時)がどの試合振りを認めてプッシュしたことがあるが、結局は来日せずに終わった。オクラホマ、テキサス、オレゴンなどなど、神出鬼没で行動範囲は広かった。現在はテキサスのLutheran大学でテニスのコーチをしているらしい。

 

ジーン・スタンレー GENE STANLEE
●ミスター・アメリカ
●1922年1月1日 米・イリノイ州シカゴ出身
●南部ヘビー(フロリダ版)、オハイオ・ヘビー
本名はユージン・スタンレー・ジゴウィツ。1950年代にニューヨークやジョージアといった東海岸一帯で「ミスター・アメリカ」と呼ばれ人気を獲得したレスラー。きらびやかな衣装で登場し、金髪を振り乱して戦うさまはバディ・ロジャースと似たタイプである。実弟のスティーブ・スタンレーが来日しているが、このジーンが活躍したのは力道山時代だったこともあり、ショーマン嫌いの力道山が彼を招聘する気配はなかった。

 

 

ジェフ・ゴルディ JEOFF GORDY
●184センチ、102キロ
1984年にカルガリーに登場した選手で、モンゴリアン・ストンパーことアーチ・ゴルディの息子。父親とのタッグでカルガリーでは人気を博したようだが、地元以外での活躍は聞かない。

 

ジェリー・グラハム JERRY GRAHAM
●催眠博士 ●181センチ、145キロ
●米・アリゾナ州フェニックス ●フライング・ボディプレス
●USタッグ(NY地区)
悪名高きグラハム4兄弟の(血縁関係はないが)長男。アリゾナ州立大学の医学部を卒業しているインテリ。1960年代催眠博士のニックネームでハンサムな風貌で爆発的な人気を博したが、アルコール中毒で一時レスラーを引退。1960年代末に末弟のビリー・グラハムとのコンビでに復帰するが、かなりの肥満体となっており別人のようになっていた。1970年代中頃までレスラーは続けていた。

 

ジェリー・ジャレット JERRY JARRETT
●金髪の弾丸児 ●181センチ、103キロ
●米・メンフィス州テネシー
●テネシー・タッグ

ジェフ・ジャレットの父親で、1960〜1970年代にテネシーで活躍していた。トージョーヤマモトとのコンビでテネシー地区の南部タッグ選手権を保持したこともある。引退後はテネシー地区のプロモーターとなり、ICWAなる団体を設立した野心家でもあった。当時テネシーのマット界とはつながりが弱かったためか来日の噂はなかった。

 

ジプシー・ロドリゲス GYPSY RODRIGEZ
昭和53年4月にはMSGで、昭和54年4月にペンシルバニアで藤波のWWWFジュニアヘビー級選手権に挑戦したプエルト・リコ出身のレスラー。WWWFでは主に前座試合に出ていたレスラーのようである。実力的には2度も挑戦権が与えられたのが不思議なほどで、来日の噂すら立たなかった。

 

ジミー・ハインツJIMMY HEINS
●173センチ、99キロ ●南部タッグ(テネシー版) 
1960年代末〜1970年代初頭にアラバマやテネシーでビリーとのザ・ハインツ・ボーイズ活躍したレスラー。決して大柄ではないが、高等なタッグ戦術でリップ・ホーク&スウェード・ハンセン組らと好勝負を展開したという。

 

ジム・ハーディ JIM HADY 
●ジェントルマン ●178センチ、106キロ
●1932年7月 米・ペンシルバニア州ピッツバーグ出身 1969年1月没
●北米ヘビー(ハワイ版)、USヘビー(ハワイ版)、ハワイ・ヘビー、ハワイ・タッグ、カナダ・タッグ
1951年にデビュー。カナダ東部、五大湖地区を主戦場としていた頃に修行中のジャイアント馬場とライバル関係にあった。1960年代に入るとハワイに転戦。ここに定住するようになり、ハワイにあるタイトルを総なめにした。1969年1月にジョニー・バレントとの試合後、心臓発作で死亡した。

 

シャザーン SHAZAM
●悪霊法師 ●181センチ、92キロ
●メキシコ出身
本名はマリオ・フエンテス。ハンナ・バーバラのアニメ「大魔王シャザーン」の主人公をモチーフにしたマスクマンで、メディコ・アセシノ・ジュニアとしてデビュー。1980年頃のメキシコでは大人気を博し、NWA、UWAの両団体の興業を掛け持ちで出場する数少ないレスラーであった。しかしタイトルには恵まれなかった。デビュー当時はカザーンと名乗っていたという。タイガーマスクとのアニメ対決が実現していれば人気を呼んだだろう。アニメ版はSHAZAANと表記する。

 

ジャッキー・パロ JACKIE PALLO
●ミスターテレビジョン ●175センチ、75キロ
●イギリス出身
●ヨーロッパTV選手権
イギリスでは「ミスター・テレビジョン」のニックネームで絶大な人気を誇り、ビッグ・ダディと共に国民的英雄だったレスラー。長くヨーロッパTV選手権を保持し、日本ではついに幻の技となってしまったパロ・スペシャルの考案者としても有名。晩年は息子のジュニアとのタッグで人気を誇った。175センチ、75キロと小柄だったため、来日せぬまま引退してしまった。

 

ジャッキー・ウェルチ JACKIE WELCH 
テネシーを中心としたミッドサウス地区で1980年ごろ活躍していた中堅選手。当時のマット事情から考えれば国際プロレスとルートがあったが、来日の話は出なかった。

 

ジャック・ダルトン(初代) → ドン・ファーゴの項を見よ。

 

ジャック・デリンジャー JACK DELLINGER
●182センチ、115キロ
●1930年10月3日 米・フロリダ州ペンサコーラ出身
●WWA世界タッグ(インディアナ版)

インディアナ版WWAで活躍したザ・チェーン・ギャングのリーダー。フランクが抜けたあとはクリス・コルトをジム・デリンジャーに改名させてヘルス・エンジェルスを継続した。正体は変身魔の異名もあるドン・ファーゴである。ファーゴはこのほかにも、ドン・スティーブンス、ジャック・ダルトン(来日したものとは別)などに名前を変えている。

ドン・ファーゴの項も見よ。

 

ジャック・ドノバン JACK DONOVAN
●殺人男爵 ●181センチ、118キロ
●1928年11月24日 米・アラバマ州モンゴメリー出身 2004年11月27日没
●南部タッグ(ガルフコースト版)、北米タッグ(カンサス版)、USヘビー(セントラルステーツ版)、USタッグ(トライステーツ版)、テネシー・タッグ、サウスイースタン・ヘビー、ガルフコースト・ヘビー

女子レスラーのバーン・ドノバンを妻に持ったことからレスラーになったという変わった経歴の持ち主。テネシーでくすぶっているところをフレッド・ブラッシーに見込まれジョージアに転戦、カウボーイ・ロン・リード(バディ・コルト)とのコンビで売り出し、南部一帯で認定されていたNWA世界タッグを獲得してスターとなる。また妻のバーンとのコンビで出場したミックスド・マッチでは高勝率を誇った。ザ・コンビクトのスタン・フレーザーを発見し、フレッド・ブラッシーに紹介したのはこの男である。2004年11月に死亡している。

 

ジャック・ベニーノ JACK VENENO
●ドミニカの帝王 ●172センチ、90キロ
●ドミニカ・サントドミンゴ出身 ●パイルドライバー
●カリビアン・ヘビー
本名はラファエル・サンチェス。1987年にドミニカ共和国に遠征したリック・フレアーに挑戦した地元の英雄。体格を見ると非常に小さくとても世界的にヘビー級として通用するとは思えない。

 

ジャック・ルージョー(ジュニア) JACK ROUGEAU Jr.
●191センチ、113キロ
●1960年6月13日 カナダ・ケベック州モントリオール出身
●サウスイースタン・ヘビー、アラバマ・ヘビー、インターナショナルタッグ(モントリオール版)、AWA南部ヘビー、インターコンチネンタル・ヘビー、WWF世界タッグ
新日本プロレスに来日したモントリオールの重鎮、ジャック・ルージョーの次男。1977年に地元モントリオールでデビュー。兄のレイモンドとのコンビで同地区のインターナショナル・タッグを獲得。1986年にファビュラス・ルージョー・ブラザーズとしてWWF入り。その後、ザ・マウンティに変身してインターコンチネンタル王座を獲得している。またピエール・ウーレットとのコンビでケベッカーズを結成し、WWF世界タッグ選手権も獲得している。平成に入ってSWSに来日しているが、すでに引退。(情報提供:亜細亜超特急氏)

 

ジャン・マドリッド JAN MADRID
●186センチ、115キロ ●スペイン出身(?)
●ガルフコースト・ヘビー、
1960〜70年代にアメリカで活躍したスペインの選手。1960年代にはアラバマ、フロリダを中心としたガルフ・コースト地区で活躍。1962年にはトーナメントを勝ち抜いて空位だったガルフコースト王者に君臨している。1970年代に入ると太平洋岸に登場し、1973年にはロサンゼルス恒例の新春バトルロイヤルに出場している。名前はよく専門誌で紹介されていたが、経歴などの詳しいデータは不明。

 

シュガーベアー・ハリス SUGERBEAR HARRIS
黒い虎 大魔神 205センチ、160キロ
1950年5月28日 米・ミシシッピー州ジャクソン出身 ●ボディプレス
●USタッグ(オフラホマ版)、サウスイースタン・ヘビー

本名はジェームス・ハリス。1979年にオクラホマでオキ・シキナ(サパタ・マルチネス=来日)とのコンビでUSタッグを保持していたレスラーで、後にジャイアント・キマラに変身して大ブレークする。

 

ジュベール・ペールワン JUBER PEHARWAN
昭和54年6月にパキスタンで猪木に挑戦してきたレスラーで、アクラム・ペールワンの甥に当たる。試合はプロレス的な動きはほとんどなく、5R引き分けに終わった。猪木戦の後、程なくして若くしてなくなったといわれている。

 

ジョー・サボルディ JOE SAVOLDI
●ジャンピング ●181センチ、101キロ
●1908年3月5日 イタリア・カスターノプリモ出身 1974年1月25日没 ●ドロップキック
●NWA世界ヘビー(シカゴ版)
ドロップキックの元祖といわれているイタリア系レスラー。イタリアからの移民でプロフットボーラーとして活躍。その当時から「ジャンピング・ジョー」と呼ばれていた。その跳躍力を活かしたドロップキックで一世を風靡した。ジム・ロンドスから旧NWA世界王座を獲得しているが、ジム・ブラウニングに敗退。ロンドスが試合の無効を訴えた為、NWA王座の系譜には残っていない。ボボ・ブラジルをコーチしたことでも知られている。

 

ジョー・サボルディ JOE SAVOLDI
●鋼鉄のサメ ●182センチ、110キロ
●1957年3月5日 米・マサチューセッツ州ボストン出身 ●ドロップキック
●WWC世界タッグ、パシフィックノースウエスト・タッグ、ICWタッグ、ICWヘビー
本名はジョセフ・フォーニニ。アンジェロ・サボルディの息子で初代のジョー・サボルディとは血縁はない。プエルトリコでアル・ペレスとのコンビで頭角をあらわし、アメリカ本土に上陸、スティーブ・シンプソンとのコンビで活躍した。その後はシングル・プレーヤーとして父親が設立したICWやUWFなどのインディー団体に参加。残念ながら来日は果たせず。

 

ジョー・ポラルディ JOE POLARDY
●ベトナム戦士 ●181センチ、96キロ
●アメリカ出身 ●NWA世界ミドル
フロリダでヒロ・マツダのコーチを受けてレスラーとなったが、体が小さい為にこれを言った活躍は出来なかったが、マツダのアドバイスで1977年9月にメキシコに遠征して開花。同年10月12日にリンゴ・メンドーサを破ってNWA世界ミドル級王座を獲得している。この王座は3度の防衛に成功するが、エル・ファラオンに敗れて王座から転落している。メキシコを終われてアメリカに戻ってからはまたもや前座生活に明け暮れた。

 

ジョージ・スコット GEORGE SCOTT
●空飛ぶ飛行士 ●185センチ、103キロ
●1929年8月27日 ●スコットランド・ダルメニー ●ドロップキック
●カナディアン・タッグ(カルガリー版)、南部タッグ(ミッドアトランティック版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版、日本プロレス版)、NWA世界タッグ(セントラルステーツ版)、AWA世界タッグ(インディアナ版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)

弟のサンディ(全日本プロレスに来日)1960年代全米タッグ・ランキングの上位に常に名を連ねていたタッグの名手。テキサスではグレート・スコットとも名乗った。日本プロレスの看板タイトルであるインターナショナル・タッグの2代目王者とされているが真偽は不明。アメリカ遠征中の馬場と何度か手を合わせており、馬場からの評価も高かった。引退後はミッドアトランティック、WWFでブッカーとして手腕を振るった。

 

ジョージ・リンゴー GEORGE RINGO
●183センチ、105キロ
1965年ごろにシカゴに出現したレスラーで、ビートルズ張りのマッシュルーム・カットでギターを片手にリングに登場したという。リングネームは説明の必要はないがジョージ・ハリスンとリンゴ・スターからとったもの。ジョン・レノンとポール・マッカートニーから名前を拝借しなかったあたりが奥ゆかしい。なぜかディック・ザ・ブルーザーに気に入られ、パートナーに起用されることが多かったという。アメリカだけではなくヨーロッパにも遠征している。

 

ジョセフ・コバックス JOSEF KOVACS
●英国の猛虎 ●180センチ、122キロ
●1931年 ハンガリー出身 ●パイルドライバー
●ヨーロッパ・ヘビー
イギリスではビル・ロビンソンのライバルとしてヨーロッパ選手権を争った。ヨーロッパだけでなくアフリカのザンビアにも足を伸ばしていたようだ。ダニー・リンチのようなアンコ型だったという。

 

ジョニー・クウォンゴ JOHNNY KWANGO
●ゴム男 ●175センチ、99キロ
●ジャマイカ出身 ●ヘッドバット

本名はジョナサン・ラグレイ。ジャマイカ出身の黒人レスラーで、レスラーに成る前はプロのダンサーだった。ラバーマンと呼ばれたが、ジョニー・ウォーカーのように関節が柔らかいのに加え、非常に弾力があり、打撃技などはすべて跳ね返したという。ヨーロッパのミッド・ヘビー級クラスでは長くトップクラスで活躍した。

 

ジョニー・ディファジオJOHNNY DEFAZIO
●人間機関車 ●180センチ、110キロ
●米・ペンシルバニア州ピッツバーグ出身 ●ドロップキック
●WWWF世界ジュニアヘビー
イタリア系のレスラーで、ボディビルから1961年にプロレスに転向。初代WWWFジュニア・ヘビー級王者として日本でも知名度は高いが、顔写真などが公開されることはあまりなかった。ニューヨーク地区だけではなく、テキサスでも活躍していた時期があるようだ。藤波がタイトルを獲得してからもローカルで現役を続けていたが、とうとう来日することはなかった。現在は政治家になっている。

公式サイトはこちら http://www.county.allegheny.pa.us/council/atlg1.asp

 

ジョニー・ヘファナンJOHNNY HEFFERNAN
●180センチ、110キロ
●1951年3月3日 カナダ・ケベック州モントリオール出身  ●ハングマンズホールド
●パシフィックノースウエスト・タッグ、北米タッグ(プエルトリコ版、フロリダ版)、WWC世界タッグ
1984年ごろにフロリダでグローバル・タッグを保持していた選手で、ドン・ケントとのニュー・ファビュラス・カンガルーズで暴れていたようである。ボブ・ダラセーラに似ているが?

その後の調査で、推測どおりボブ・ダラセーラの変身であることが判明した。ボブ・ヘファナンと名乗ることもあったようである。

 

ジョニー・ルージョー JOHNNY ROUGEAU
●185センチ、102キロ
●カナダ・ケベック州モントリオール出身
●AWAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、カナダ・ジュニアヘビー
本名はジャン・ルージョーで、来日経験のあるジャック・ルージョーの兄。叔父のエディ・オーガーのコーチを受けて1951年にデビュー。おもに地元のモントリオールで活躍。レネ・レベスク首相のボディガードを務めたこともあるという。1967年にはオールスター・レスリングを設立した。現役中からナイトクラブを経営するなどかなりのやり手だったようである。1984年に死亡。

 

ジョン・ブリック JOHN BURICH
186センチ、110キロ イギリス出身
カリフォルニアTV

イギリス出身という触れ込みで1974年頃にロサンゼルスに登場。イギリス流の正統派レスリングでカリフォルニアTV選手権と獲得するなどの活躍をした。ゴングではジョン・ビルッチ(BIRCH)と表記されていたが、これはどうやら間違いのようだ。新日本プロレスに登場する可能性はあったが未来日。ドクター・デスことドン・アーノルドの変身ではないか?

 

ジョン・ポール・ヘニング JOHN PAUL HENNING
191センチ、113キロ
1927年11月7日 カリブ海セイマン島(フロリダ州セントピータースバーグ出身説もあり) 2001年7月1日没 パイルドライバー
ハワイ・ヘビー
海軍時代に重量挙げ、レスリング、ボクシングで身体を鍛え、親友だったウィルバー・スナイダーに誘われてプロレス入り。1954年にはハワイ・ヘビー級選手権を獲得している。スキンダイビングの名手としても知られた。活躍していたエリアを考えても日本プロレスの創世期に来日してもおかしくなかった選手である。

 

ジョン・ロドック JOHN RODOC
1979年頃ロスに登場したロディー・パイパーとおなじキルトスカートを身に付けたスコットランド出身のレスラー。タイトルマッチにはあまり絡んでいなかったようで、はっきり言えば来日のチャンスのない4流レスラーだったようだ。