未来日外国人レスラー名鑑 ル、レ

 

 

ル・ブーロー LE BOURREAU
●死刑執行人 ●180センチ、105キロ
1960〜70年代にフランスで活躍したレスラー。銀行強盗が使うような覆面を被っていて、見た目はチープだがなかなかの筋肉ビを誇っている選手。日本プロレスはこの写真をレッド・デビル(ガイ・ミッチェル)の宣伝用写真につかっていた。当時はこのあたりはかなりいい加減であった。ブーローとは死刑執行人(エクスキューショナー)という意味。

 

ルージュ・フェルノ ROUGE INFERNO
赤い炎 188センチ、120キロ
1970年代にフランスで活躍した片目、片腕の怪奇派マスクマン。これは警官時代に犯人に手榴弾を投げつけられ、右目と右腕を失ったのだという。マスクは右目だけ空いており、義手は鋼鉄製であった。ファイト振りは残虐そのもので、ほとんどが鋼鉄の義手で対戦相手を血の海に叩き込んでの反則負けであった。

 

ルイ・チレ LOUIE TILLET
フランスの流血王 185センチ、105キロ
フランス スリーパーホールド
●南部タッグ(ミッドアトランティック版、ガルフコースト版、フロリダ版)、テキサス・ブラスナックル、テキサス・ジュニアヘビー、NWA世界タッグ(ジョージア版)、南部ヘビー(ジョージア版)、UDジュニアヘビー(ジョージア版)、フロリダ・ヘビー、アメリカス・タッグ、アメリカス・ヘビー
フランスの流血王と呼ばれたけんかファイター。アメリカには1960年代中頃に上陸。テキサス、フロリダ、中西部などを転戦し悪名を轟かせた。ジョーイ・ファーゴを名乗ってファーゴ兄弟に加入(?)したこともある。1975年頃に正統派としてロスに定着。マッチメーカーにも起用され、日本帰りのチャボ・ゲレロの才能を見出しロスのスターに育て上げた。しばらくして引退しレフェリーを務めた。日本ではデス・マッチの名人として紹介され、知名度は高かったが来日の噂は立たぬままに終わった。

 

ルイス・マルチネス LUIS MARTINEZ
179センチ、107キロ
1936年 メキシコシティ出身
●ウエスタンステーツ・タッグ(アリゾナ版)、WWA世界タッグ(インディアナ版)、NWF世界タッグ、NWA世界タッグ(デトロイト版)
1950年代から五大湖周辺や東部で活躍したメキシコ モンテレー出身のレスラー。本格的に人気が出たのはデトロイトでザ・シークと抗争を展開してからであるが、その後は安定した人気を持ちWWWF地区をサーキットしたり、NWF、IWAの旗揚げにも協力を依頼された。海外情報では頻繁に紹介されていたが、日本への来日の噂はほとんどなかった幻のレスラーである。

 

ルディ・ケイ RUDY KAY
●178センチ、102キロ
1942年7月24日 カナダ・ニューブランズウィック州出身
本名はジャンルイス・コルミアー。カナダで有名なザ・ビースト、レオ・バーク、トニー・マーチンからなるマーティン4兄弟の長兄。ザ・ビーストのマネージャーとしてプロレス界に入り、後にレスラー兼業となったようだ。引退後は地元のニューブランズウィックでプロモーターに。

 

レス・サッチャー LES THATCHER
●金髪の獅子 ●178センチ、102キロ
1940年10月28日 米・テネシー州(オハイオ州シンシナティ出身説もあり)
USタッグ(ミッドアメリカ版)、NWA世界タッグ(ミッドアメリカ版)、テネシー・タッグ、南部タッグ(ミッドアメリカ版)
本名はレス・マラディ。デニス・ホール、ロジャー・カービーと並んで「南部の三羽烏」として期待を集めていたという。普段はクリーンファイトを得意としていたが、一旦逆上すると流血戦にも強かったという。来日の噂は立たず。引退後はボディビルダーとして活躍していたようだ。

公式サイトはこちら http://www.lesthatcher.com/

 

レスター・ウェルチ LESTER WELCH
●金髪の虎 ●187センチ、106キロ
1939年 米・テネシー州出身 ●パイルドライバー
NWA世界タッグ(ミッドアメリカ版)、南部タッグ(ミッドアメリカ版、フロリダ版)、USタッグ(ミッドアメリカ版)、フロリダ・ヘビー、テネシー・タッグ、フロリダ・タッグ
学生時代にアマレスで体を鍛えてからプロレス入り。テネシーを主戦場としており、武者修行中の猪木とも何度か対戦したという。諸ウーマンシップに乏しく、地味なレスラーだったらしい。兄(?)のハーブ・ウェルシュとのコンビで活躍していた時期もあるらしい。フロリダではエディ・グラハムとのコンビで活躍。必殺技はパイル・ドライバー。2009年9月18日永眠。

 

レックス・アーノルド REX ARNOLD
1975年にロサンゼルスに登場したレスラー。ゴング昭和50年7月号のグラビアで紹介されたが、「経歴などは一切不明」とある。

 

レッド・シャドー THE RED SHADOW
赤影仮面 183センチ、112キロ
南部タッグ(テネシー版)、テキサス・タッグ
1968年ごろにテネシーに登場したマスクマンで、ドン・カーソン(日本プロレスに来日)とのコンビでタッグ戦線を荒らしていた。テキサスでもこのコンビで暴れていたという。正体はフリッツ・フォン・ゲーリング(日本プロレスに来日)という声が圧倒的に多いとゴング誌には掲載されているが、ディック・ダン(日本プロレス、新日本プロレスに来日)正体説が有力。

 

レッド・デビル THE RED DEVIL
赤き猛牛仮面 183センチ、120キロ
1973年ごろにJ・C・ダイクスのメネージメントで出現したアマリロに登場したマスクマン。角の生えたマスクをライガーよりも早く被っていたことに驚く。このレスラーの真骨頂はマスクマンと対戦した時に発揮され、ミスター・レスリング(ゴードン・ネルソン)と対戦した時には、そのマスクをはがし、マスクにガソリンをかけて燃やしたという。写真が不鮮明なので分かりづらいが、胸毛が濃く、口ひげを生やしているように見える。

 

レッド・メナス THE RED MENACE
リングネームは「赤の脅威」という意味。キューバからやってきた怪覆面レスラーというギミックで活躍した選手で、当時のキューバ危機に当て込んだギミックである。同名の映画も公開されている。バディ・モレノが同じギミックで活躍したこともあるらしい。

 

レナート・トーレス RENATO TORRES
ヒッピー野郎 178センチ、97キロ
●1945年10月5日 メキシコ・タンピコ出身 2009年2月5日没

本名はアンドルフォ・コントレラス・ヴァルガス。1960〜70年代に活躍したメキシコのレスラーで、1967年に新人王に輝いている。エル・ビキンゴとのザ・ヒッピーズで人気を呼んだが、親友であるエル・ソリタリオともよくタッグを組んでいたようである。

 

レノ・タフリ → レノ・ツーフリを見よ

 

レノ・ツーフリ RENO TUUFULI

1960〜70年代にティオ・サモア(ザ・モンゴリアン2号として来日)との初代ザ・サモアンズとして太平洋岸、オーストラリアなどで活躍したレスラー。当時の日本ではレノ・タフリと表記されていた。日本にはまったく縁がなく、アノアイ兄弟の2代目ザ・サモアンズの方が有名になってしまった。

 

ザ・レベル THE REVEL
反逆児 176センチ、100キロ
ゴングの昭和44年11月増刊号に紹介されているマスクマンで正体は不明。テキサスやロスで活躍し、ロスではハングマンズホールドでレイ・アンソニーを気絶させたという。反逆児だけに味方を裏切ることも朝飯前だとか。

 

レネ・グアハルド RENE GUAJARDO
北部の大帝 173センチ、90キロ
1933年1月4日 メキシコ・ビジャマイネロ出身 1992年5月11日没
NWA世界ミドル、UWA世界ミドル
本名はホワン・マヌエル・グアハルド・メホラード。日本での知名度は高くないが、メキシコでは4回にわたりMVPを獲得したカリスマ的な存在だったレスラー。1954年にデビューし、翌年新人王を獲得。1960年に世界ミドル級選手権を獲得、以後1973年までに6回にわたりどう王座を獲得した。UWAに移籍後も初代ミドル級王座を獲得。ミドル級最強のレスラーといってよいだろう。北部地区のプロモーターも勤めていたが、1992年ガンのため死亡。