未来日外国人レスラー名鑑 ロ
ロイ・カレンダー ROY CALLENDER ●172センチ、100キロ ●1940年8月24日 バルバドス島出身 |
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プロレスラーとしての知名度は低いが、ボディビルダーとしてはかなり有名な選手のようである。体も小さく、プロレスではたいした活躍は出来なかったようである。 |
ロイ・ヘファナン ROY HEFFERNAN ●重圧男 ●179センチ、109キロ ●1925年 オーストラリア出身 1992年9月24日没 ●USタッグ(NY版、フロリダ版)、インターナショナル・タッグ(日本プロレス版)、WWA世界タッグ(ロス版)、TWWA世界ヘビー |
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アル・コステロとの初代ファビュラス・カンガルーズで全米を席巻したタッグの名人。ツープラトンの合体ショルダースルーが必殺技だった。1967年ごろにはコンビを解散し、カナダでシングル・プレーヤーとして活躍していたようだ。ダニー・ホッジからTWWA世界ヘビー級選手権を獲得した事になっているが、真偽のほどは不明である。 |
ロイス・スター ROYCE STAR ●天災児 ●182センチ、106キロ ●1954年10月3日 米・ミシガン州デトロイト出身 ●ポリネシアンパシフィック・ヘビー |
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本名はマイケル・デヴィッド。オレゴン高校時代はアマレス、フットボールで身体を鍛え、卒業後にドン・オーエンにスカウトされてプロレス入り。1978年にデビューしている。いわゆるPNW地区で下積みをした後、ハワイに転戦。ここでペンとを施してヒールとして売り出し、メキメキと頭角をあらわしポリネシアン・ヘビー級選手権も獲得している。リッチー・マグネットとのコンビで活躍した。 |
ロケット・モンロー ROCET MONROE ●180センチ、110キロ ●米・ジョージア州アトランタ出身 ●アーカンソー・ヘビー、テキサス・タッグ、南部タッグ(フロリダ版)、NWA世界タッグ(フロリダ版)、ガルフコースト・ヘビー、ガルフコースト・タッグ、ミシシッピ・ヘビー、アラバマ・ヘビー、メイコン・タッグ、USタッグ(ガルフコースト版、ミッドアメリカ版)、ミッドアメリカ・タッグ |
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本名はモーリー・ハイ。スプートニク・モンローとのモンロー・ブラザーズで活躍したタッグの名手。特に南部地区で悪名を馳せた。スプートニクとコンビ別れした後は、フラッシュをスカウトし、3人目のモンロー兄弟に仕立て上げて、新コンビを結成したが、オリジナルほどの名声を得ることはなかった。 |
ロジャー・スミス RODGER SMITH | |
1970年に突然ロスに出現した大型黒人レスラーで、当時ゴング誌ではザ・コンビクトの正体か?と大きく取り上げられたが、結局はアメリカン・フットボーラーがオフ・シーズンにプロレスをかじった程度のレスラーだったようだ。しかし、メーン・エベントにも登場しており、同じアメフト出身のアーニー・ラッドとのタックル合戦で話題を呼んだという。 |
ロス・エスパント LOS ESPANTS ●亡霊仮面 1〜3号 178センチ、102キロ |
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1960年代にメキシコ活躍したタッグ・トリオで1,2,3号が全員そろいもそろって178センチ、102キロだったという。つまり全く見分けがつかなかったという訳である。しかも三人は実の兄弟。実力の方もなかなかのものだったようで、1962年度の新人王に選ばれている。1号は1966年にナショナル・ライト・ヘビー級選手権を獲得している。エル・エスパント・ジュニアは1号の息子である。 |
ロス・カラバレス LOS KARABALES | |
ゴング誌の名物特派員J・H・リンレイが紹介したメキシコ郊外の寺院の墓場をねぐらとするというメキシコの怪奇派レスラーで、正式なリングネームはロス・イルマノ・カラバレスで「どくろ修道士」という意味らしい。ふたりは実の兄弟で2号(弟)は耳と言葉が不自由であると1号(兄)がインタビューで答えている。墓場に住む前は神学校でアマレスとボクシングをやっていたらしい。覆面を被るのは60針縫ったという顔の気ぞと隠すためであったという。 |
ロス・クカラチャス1号&2号 LOS CUCARACHOS ●ゴキブリ軍団 ●170センチ、90キロ |
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1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。クカラチャとはゴキブリの意味で1号と2号のコンビで活躍した(写真は1号)。 |
ロス・クラネオス LOS KRANEOS | |||
数多いメキシコの怪奇派レスラーの中でももっともインパクトの強いコンビで、何と山奥の廃虚や洞窟を住処としていたという。ロス・クラネオスとは「どくろの幽鬼」という意味らしい。このふたりは生まれつき言葉が不自由で、非常に醜い猿のような顔をしており、子供の頃から迫害を受け、両親とも死に別れ、山奥で獣のような生活をしていたところをマネージャーのカルロス・ファンゴに発見されたのだという。 |
ロス・ビラノス LOS VILLANOS | |
1970年代後半にマリタイム地区に登場したマスクマンコンビ。もちろんメキシコのビジャーノ兄弟とは無関係。見るからに3流のマスクマンコンビである。 |
ロス・ファンタスモネス1号&2号 LOS FANTASMONES
●幽霊仮面 ●170センチ、103キロ |
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1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。ファンタスモネスとはファンタスマの複数形で「幽霊」の意味。このような怪奇レスラー・タッグはメキシコに多くいた。 |
ロス・ベンガラス1〜3号 LOS BENGALAS ●メキシコ州ライト級、メキシコ州ウエルター、メキシコ州タッグ(以上1号)、メキシコ北部タッグ、アパトラコ・タッグ(以上1号&3号) |
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1号は1950年ミチョアカン州出身で1970年にデビュー。翌年2号がデビューしてタッグ・チームとなる。アレナ・ソチミルコをホームグランドにしたラウル・レイエスのプロモーションに所属して活躍していたが、1977年に2号が交通事故で死亡。ショックを受けた1号はウルトラマンとのコンビで活躍したが、1978年に3号をスカウトして新生ロス・ベンガラスとして再出発した。 |
ロック・ハンター ROCK HUNTER ●181センチ、107キロ ●1932年 米・カリフォルニア州出身 ●北米ヘビー(アマリロ版)、NWA世界タッグ(テキサス版、シスコ版)、テキサス・ブラスナックル、サウスイースタン・ヘビー、セントラルステーツ・ヘビー、USヘビー(セントラルステーツ版) |
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学生時代にはレスリングとフットボールで活躍したという、典型的な経歴を持つ。パワー型のラフファイターで、太平洋岸ではカール・フォン・ブロックのリングネームで活躍していたようだ。引退後はフロリダを中心とした南部でマネージャーとなり憎悪を買った。 |
ロック・ライデル ROCK RIDDLE ●ミスター・ワンダフル ●182センチ、107キロ ●米・フロリダ州ウエストパームビーチ出身 |
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本名はスティーブ・ライデル。「フロリダでは女性に圧倒的な人気を持ち、ピンチになると女性ファンが対戦相手に襲い掛かる」と、別冊ゴング1975年7月号で紹介されていたレスラー。一説にはファンクラブ上がりだといわれ、1975年12月19日にロスのオリンピック・オーデトリアムで木戸と対戦したが、まだ若手の木戸に子ども扱いにされていた。ハリウッドでは映画出演も多く、シルベスタ・スタローンの「パラダイス・アレイ」にも出演している。現在は実業家として成功しているようだ。 |
ロバート・フラー ROBERT FULLER ●198センチ、115キロ ●1951年5月14日 米・テネシー州出身 ●NWA世界タッグ(ミッドアメリカ版)、ジョージア・タッグ、南部ヘビー(ミッドアメリカ版)、テネシー・タッグ、コンチネンタル・ヘビー(サウスイースタン版)、サウスイースタン・タッグ、フロリダ・タッグ |
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本名はロバーツ・ウエルチ。バディ・フラーの次男でロン・フラーの弟。1971年にデビューし、南部一帯で活躍。特にタッグでその実力を発揮した。フラー一家の血筋なのだろうか、長身ながら線が細かった。このフラー一家は知名度は高かったが、なぜか来日の噂が立たなかった(ロン・フラーが全盛期を過ぎて全日本プロレスに登場している)。1980年代には言ってからは、いとこのジミー・ゴールデンとのコンビで活躍。引退後はWCWでカーネル・ロバート・パーカーを名乗って悪役マネージャーとなった。 |
ロデオ・ジョーンズ RODEO JONES ●人造人間 ●210センチ、180キロ ●米・ケンタッキー州出身 |
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別冊ゴングの「まだいる怪奇男シリーズ」に登場したレスラーで、コーネル大学の学生でアルバイトとしてリングに上がっていたようである。ニューヨークのバッファローやオハイオ州でリングに上がっていたようだが、その後の消息は聞かれていない。 |
ロレンゾ・パレンテ LORENZO PARENTE ●蛇野郎 ●181センチ、104キロ ●1924年 イタリア・トリノ出身 ●北米ヘビー(アマリロ版)、南部タッグ(ミッドアメリカ版、フロリダ版)、NWA世界ジュニアヘビー、NWA世界タッグ(フロリダ版、ミッドアメリカ版)、USタッグ(ミッドアメリカ版)、テネシー・タッグ、NWA世界6人タッグ(ミッドアメリカ版) |
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1936年にイタリアからニューヨークに移住。学生時代はボクシングに打ち込み卒業後は沖仲士となり、ここでガイ・ブルネッティにスカウトされてプロレス入り。1947年にプロレスラーとなり、ジョー・サボルディに弟子入り。アンジェロ・サボルディとのコンビ「ゴールデン・イタリアーノ」で売り出す。その後シングルプレ一ヤーとして各地を修行のため転戦。1961年にコンビを復活しデューク・ケオムカ&タロー・ミヤケ組みを破りNY地区の世界タッグ王者となる。その後は再びシングルに転向。南部で活躍しポール・デマルコとのコンビでデューク・ケオムカ&ヒロ・マツダ組から南部タッグを獲得。ケオムカとは因縁が深い。昭和45年に来日の噂が流れたが実現せず。オリンピック・ストレッチという足技が得意だったという。猪木とテキサスでタッグを組んだブルー・アベンジャーの正体だという説もあり。テネシーではザ・スポイラーズにも変身している。(「未来日外国人レスラー名鑑」のザ・スポイラーズも見よ) |
ロン・デュプレ RON DUPREE ●ゴールデンボーイ ●176センチ、98キロ ●NWA世界タッグ(オハイオ版)、ガルフコースト・タッグ |
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本名はラッセル・グローブス。1975年頃にフロリダでクリス・コルトとの2代目ヘルス・エンジェルスで活躍した選手。179センチのクリス・コルトと同じぐらいの体格で、ジュニア・ヘビー級の体格だったようである。 |