未来日外国人レスラー名鑑 ラ、

 

ラ・ムエルテ LA MUERTE
死神仮面としてゴング誌で紹介されたメキシコの怪奇派レスラー。ムエルテとは地獄の意味で、当時はラ・ミューテとして紹介されていた。彼の試合前には、その信者が奇怪な衣装を着けて祈りの歌を歌ったという。タイツには全身どくろの模様がプリントされている。ラ・パルカのオリジナルと考えて頂ければよいか? 1978年頃にはロス・エルマノス・ムエルテというコンビも登場しており、1号の正体は新日本プロレスに登場したサングレ・フリアであった。

 

ラウル・レイエス RAUL REYES
●178センチ、103キロ
●1939年 メキシコシティ出身 2000年没
●ナショナル・ヘビー、アメリカス・タッグ、パシフィックコースト・ヘビー(ロス版)
1960〜70年代に活躍したメキシコのレスラー。1965年にレイ・メンドーサからナショナル・ライトヘビー級を1968年にロスでエル・ゴリアスからナショナル・ヘビー級選手権を獲得してメキシコのトップに。1973年頃から本格的にロスに進出。レイ・メンドーサ、ビクター・リベラ、ルーベン・ファーレスとのコンビでアメリカス・タッグを3回獲得、1974年にはサンフランシスコに足を延ばしている。日本にはザ・スコーピオンズ2号として国際プロレスに来日している。1980年にロスに現れたエル・メディコの正体とも言われたが真相は不明。

 

ラモーン・トーレス RAMON TORRES
●181センチ、110キロ
●1932年1月13日 米・カリフォルニア州サンタアナ出身
●NWA世界タッグ(サンフランシスコ版、フロリダ版、ジョージア版)、パシフィックコースト・タッグ(サンフランシスコ版)、パシフィックコースト・ヘビー(サンフランシスコ版)、インターナショナルTVタッグ(ロス版)、WWA世界タッグ(ロス版)、ガルフコースト・ヘビー、南部タッグ(ガルフコースト版、ジョージア版)、ジョージア・タッグ、USタッグ(トライステート版)、AWAミッドウエスト・ヘビー、NWA世界ジュニア・ヘビー
有名なトーレス3兄弟の次男(長男=エンリケ、三男=アルバート)。1950年代はサンフランシスコでテキサス・マッケンジー、サイクロン・アナヤ、ディック・ワレン(ニック・ボックウィンクル)らとパートナーを変えながら同地区世界タッグを6度獲得、1960年代にはアルバートとのコンビで各地区のタッグ選手権を獲得。1970年にアルバートがオックス・ベーカーとの試合で死亡してからは、ベーカーとの抗争で名を挙げた。1971年にはロジャー・カービーからNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権を獲得。日本とは不思議と縁がなかった。

 

ラニー・ポッフォ LANNY POFFO 
●182センチ、103キロ
●1954年12月28日 米・イリノイ州ダウナーズグローブ出身
●NWA世界タッグ(デトロイト版)、ガルフコースト・タッグ、ミッドアメリカ・ヘビー、インターナショナル・ヘビー(マリタイム版)、ICW世界ヘビー、ICW世界タッグ
アンジェロ・ポッフォの次男で、ランディ・サベージの弟。テネシーなどで活躍したのに兄と共に独立団体ICWの設立に参加したため、日本での知名度は低かった。しかし1980年代末にWWFに登場、「ジーニアス」を名乗り、父譲りのインテリ・ギミックでブレイク、マネージャーとしても手腕を振るった。やや器用貧乏な感じがあったことは否めない。

 

ランジェ・ブラン L'ANGE BLANC 
●白い天使
●スペイン・マドリッド出身
本名はアンジェロ・ピノス。フランスで活躍した白覆面の人気レスラーだが、出身はスペイン。エル・サントばりのいでたちで登場し絶大なる人気を誇った。マスクを脱いでからは素顔でリングに登場していたようだ。

 

ランディ・サベージ RANDY SAVAGE 
●吸血蛇 ●185センチ、106キロ
●1953年11月15日 米・イリノイ州ダウナーズグローブ出身 ●ダイビング・エルボードロップ
●ガルフコースト・タッグ、ミッドアメリカ・ヘビー、インターナショナル・ヘビー(マリタイム版)、ICW世界ヘビー、CWAヘビー、AWA南部ヘビー、WWFインターコンチネンタル・ヘビー、WWF世界ヘビー
本名はランディ・ポッフォ。アンジェロ・ポッフォの長男で、プロレス入り前は大リーグでピッチャーとして活躍し、カージナルズ、レッズ、ホワイトソックスに在籍した。しかし腕を負傷して父のコーチを受けてプロレスに転向。ジョージア、デトロイトで活躍したが、1978年にボブ・オートン・ジュニアらとICWを設立し、メインストリームから外れてしまう。1983年にICWを解散してテネシーに転戦してジェリー・ローラーとの抗争で名を上げ、さらにWWFに登場して大ブレイク。昭和時代には縁がなかったが、平成に入ってから数度来日している。

 

ザ・ランバージャックス → ユーコン・ランバージャック、ピエール・ランバージャックの項を見よ

 

リー・ウォング LEE WONG
WWWF地区で前座として活躍していたレスラーで、香港出身のカラテの達人というギミックだったが、我々日本人からみると、アジア人でないことはあきらか。恐らくメキシカンかプエルトリカン、もしくはハワイあたりの出身であろう。東京12チャンネルで放送された「プロレス・アワー」に何度か登場している。

 

リー・フィールズ LEE FIELDS 
米・テネシー州ディレスバーグ出身 2000年6月4日没
●ガルフコースト・ヘビー、ガルフコースト・タッグ、南部タッグ(ガルフコースト版、フロリダ版)、NWA世界タッグ(テネシー版)
本名はリー・ハットフィールド。南東部で活躍したフィールズ三兄弟の一人。主にボビーとのコンビで南東部地区のタッグ王座を多く獲得した記録が残っているが、日本ではまったくといっていいほど無名であった。2000年6月4日没。

 

リッキー・スター RICKI STARR
流れ星 ●174センチ、90キロ
米・ミズーリ州セントルイス ソバット
●テキサス・タッグ、NWA世界タッグ(テキサス版)、ウエスタンステーツ・タッグ
本名はバーナード・ハーマン。学生時代はバレーとボクシングに専念。大学時代にレスリングには熱中し17州の選手権を獲得。卒業後1953年にプロレス入り。バレーシューズをはいて登場し、相手を小ばかにしたようなコミカルな試合で人気を博した。どちらかといえばゲイ的なファイトの際物レスラーだったといってよかろう。晩年はイギリスで活躍した。

 

リッキー・リッカード RICKY RICKARD
荒波戦士 178センチ、86キロ
●1958年4月3日 ニュージーランド・ネピア出身
ウェールズ・ジュニアヘビー
南海の獣人と呼ばれたスティーブ・リッカードの長男。弟のトニーとともに父親のあとを追ってプロレス入り。1979年に父親とのタッグでデビュー。2年後には父親のライバルでもあったラリー・オディからウェールズ・ジュニアヘビー級選手権を獲得。その後はブルース・ハートとの抗争でブレイク。ニュージーランド・マット界ではジュニア・ヘビー級最強の男といわれたが、未来日に終わる。

 

リッチー・マグネット RICHIE MAGNETT
ナパーム弾 175センチ、104キロ
●1966年 米・オレゴン州ポートランド出身
高校時代はアマレスで多くのタイトルを取った実力派。卒業後にプロレス入りを地元のプロモーターであるドン・オーエンに願い出たが、背が低いということで断られる。しかしそれでもあきらめずにボディビル、柔道で身体を鍛え、1983年にハワイでプロモーターをしていたラーズ・アンダーソンにプロレス入りを志願。今度は認められてハワイでプロレスラーとしてデビュー。翌年NBCアリーナでザ・コブラが保持していたWWFジュニア・ヘビー級選手権に挑戦する大抜擢を受け、日本のテレビでも紹介された。その後はハワイのプロモーションの閉鎖もありリングから姿を消した。

 

リン・デントン LIN DENTON
●184センチ、118キロ
●1958年8月25日 米・テキサス州出身
●パシフィックノースウエスト・ヘビー、AWA南部タッグ(テネシー版)、セントラルステーツ・タッグ
ソニー・アンソニーとのダーティ・ホワイト・ボーイズで活躍した選手だが、マスクを被ってのザ・グラップラーとしてのほうが有名。新日本プロレスにもザ・グラップラーとして登場。藤波に奪われたPNW選手権を奪い返しにやってきたが、返り討ちにあっている。

「来日外国人レスラー名鑑」のザ・グラップラーの項も見よ。

 

リンゴ・メンドーサ RINGO MENDOZA 
野生の混血児 170センチ、91キロ
1949年9月19日 メキシコ・ハリスコ州出身
NWA世界ミドル、同ライトヘビー、ナショナル・ミドル、同タッグ
1970年代から1980年代にかけてEMLL系で国民的人気を獲得したインディオの血を濃く引くレスラー。レイ・メンドーサの甥として売り出したが血縁関係は全くない。ペロ・アグアヨ、エル・ファラオン、トニー・サラサーらとの抗争で人気をえた。1978年2月にはロスに登場したことがあるのでロスに定着していれば藤波への挑戦者として来日した可能性はある。1985年頃から第一線を退きプロレス学校のコーチとなる。平成にはいって来日したが来るのが遅すぎた。