未来日外国人レスラー名鑑 

 

オットー・フォン・ヘラー OTTO VON HELLER
●192センチ、120キロ
1974年にMSGに登場したナチ・ギミックのレスラー。カール・フォン・ショッツに似ているが別人らしい。MSG出場以前の経歴が全く不明といわれたレスラーで、主に前座試合に出場。同じくフレッド・ブラッシーにマネージメントされていたストロング小林とコンビを短期間組んだが、タイトル戦線に絡むことはほとんど無かったようだ。いかにもNYのファンが好みそうなパワー&ラフ・ファーターであったらしい。

 

オニ・ウィキ・ウィキ ONI WIKI WIKI
●180センチ、99キロ
●1920年4月1日 米・ハワイ出身 2008年6月23日没
●NWA世界タッグ(テネシー版、アイダホ版)、USタッグ(テネシー版)、ウエスタン・タッグ、オクラホマ・ヘビー、オクラホマ・ジュニアヘビー
本名はウォリー・ラムブ。昭和46年当時にトージョー・ヤマモトがゴング誌に連載していた「流血レポート」に登場したハワイ出身の選手。その正体は「プリンス・マイエバの弟」「ハワイを追放された殺人犯」などといわれており、細い針で相手をキズつけるという独特の反則行為を行なっていたという。1959年にはシカゴのリングにも上がっていたという記録があり、1961年にはマイク・クランシーとのコンビでテネシー版の世界タッグを獲得している。

 

オリジナル・ミスター・レスリング ORIGINAL MR. WRESTLING
1971年にフロリダに登場したマスクマン。ゴング昭和46年11月号増刊に紹介されており「初代のミスター・レスリング(ティミー・ウッズ)とは似ても似つかぬような・・・」とかかれている。ショルダークローや凶器攻撃を得意としたようである。果たしてその正体は?

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オリグ・ウィリアムス ORIG WILLIAMS
ウェールズ出身で、1950〜60年代にイギリスで活躍していた選手で、プロモーションも経営していたらしい。1976年にパキスタンで行われた、猪木VSアクラム・ペールワン戦に登場したレフェリーもオリグ・ウィリアムスという名前だった。おそらく同一人物であろうと思われる。2009年11月12日永眠。(情報提供:レス・トントン様)