未来日外国人レスラー名鑑 マ
マーク・マンソン MARK MANSON ●恐怖の悪魔博士 ●190センチ、140キロ ●米・インディアナ州出身 |
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本名はマーク・クロール。1970年代前半にインディアナ版WWAに登場したプレイング・マネージャーで、アンジェロ・ポッフォのマネージャーとして手腕を振るった。ユタ州立大学では哲学を専攻し、黒魔術をマスターしたという怪人で、シャロン・テート惨殺事件で有名なチャールズ・マンソンの実兄であると自称していた。 |
マイク・ガラガー MIKE GALLAGHER |
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東京12チャンネルの「プロレス・アワー」にレギュラーのように登場していた、ガラガー兄弟の「弟」の方。テレビには出まくっていたが、なぜか雑誌などではあまり紹介されていなかった。 |
マイク・クランシー MIKE CLANCY ●アイルランドの鉄人 ●178センチ、101キロ ●米・ボストン出身 ●NWA世界ジュニア・ヘビー |
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アイルランド系アメリカ人で、東海岸や中西部を中心に活躍。1957年にリトルトックでマイク・デビアスを破りNWA世界ジュニアヘビー級王者となる。翌年、アンジェロ・ザボルディに敗れるまで王座を守った。引退後は故郷でシェリフをやっていたというが、1988年に逝去。日本のリングとはまったく縁がなかった。 |
マイク・スナイダー MIKE SNYDER ●原爆男2世 ●188センチ、100キロ ●アメリカ出身 |
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1974年にデトロイトやインディアナポリス版WWAに登場した新鋭レスラーで、名前から分かるようにウィルバー・スナイダーの息子。WWAのドンでもあった父親の七光りで成績は良かったようだが、するにリングから姿を消した。息子だと思って顔を見れば、なるほどよく似ている。 |
マイク・ザ・ビッガム MIKE THE BIG'UM ●人間空母2世 ●190センチ、272キロ ●米・ジョージア州グリーンウッド出身 |
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トラック運転手をしていた1978年にジム・バーネットにスカウトされてプロレス入り。ハイスクール時代には一応レスリングと空手をやっていたという。カルホーンに負けぬ大食いで朝は食パン10枚、ベーコン1キロ、ゆで卵5個、夜はパンを4斤、肉を1キロを食ったという。1979年ごろにはサンアントニオ地区で活躍し、1981年にはT・ジョン・ティビドーのリングネームでサンフランシスコに登場している。 |
マイク・ペッパズ MIKE PAPPAS ●175センチ、102キロ |
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経歴など詳細は不明であるが、1960年代後半にはテネシー近辺で活躍、1971年にMSGにリングに上がった小型レスラー。小さい体を生かした空中殺法が得意だった。1974年ごろからは、フロリダを主戦場としていたが、前座での試合が多かったようである。 |
マイク・マッコード MIKE McCORD ●南部の荒獅子 ●187センチ、110キロ ●1951年10月26日 米・ネバダ州ラスベガス(フロリダ出身説もあり) ●オーストロアジアン・タッグ |
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オースチン・アイドルの前身。フロリダを中心に活躍、1973年7月のMSG定期戦にも出場、オーストラリアにも遠征している。将来が嘱望されていたものの、1975年に移動中に乗った飛行機が墜落し重傷を負った。同乗していたボビー・シェーンは死亡している。この事故の後、オースチン・アイドルに改名してジョージアでブレイクした。 「来日全外国人レスラー名鑑」のオースチン・アイドルの項も見よ。 |
マイク・ヨーク MIKE YORK ●190センチ、112キロ ●1941年3月24日 米・カリフォルニア州サンフランシスコ出身 ●アメリカン・タッグ、USタッグ(ガルフコースト版)、フロリダ・タッグ、テキサス・タッグ |
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本名はマイク・オレアリー。ジェイ・ヨーク(ジ・アラスカンとして来日)との、アラスカンズで人気を博した大型ファイター。ジェイとのコンビ解散後は、フランク・モンティとの新アラスカンズを結成して暴れた。大型なので全日本プロレスあたりに参加すれば面白かったかもしれない。 |
マイティ・ジャンボー MIGHTY JUMBO ●超ウルトラ怪物 ●187センチ、271キロ ●1923年6月25日 米・アイオワ州デスモイネス出身 1974年9月3日没 |
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本名はサミュエル・トーマス・ヘッサー。1960年代末に怪奇派レスラーとして何度となく紹介されていた超巨漢選手。テキサスを中心とする南部で活躍したレスラーで、得意のボディプレスでクルト・フォン・ブラウナーを病院送りにしたという。デビュー当時はマンマウンテン・ディーン・ジュニアというリングネームも使っていたようである。 |
マイティ・チャン MIGHTY CHANG ●185センチ、140キロ ●1917年4月19日 インド・ボンベイ出身 1982年没 |
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本名はミルトン・リード。中国の関東州生まれで、当時の北ベトナムで育ったといわれる。フランスで活躍したが、パリで行われている「地下プロレス」で本領を発揮したといわれている。拳法の達人で、その強靭な肉体を駆使した冷酷な試合振りを見たファンの間で「チャンは人間ではなく、改造人間ではないか?」という噂が広まった。日本ではこのような物騒な経歴で紹介されたが、イギリスでは映画俳優として活躍。007シリーズの「ドクター・ノオ」「私を愛したスパイ」をはじめ、数多くの映画に出演している。 |
マグナムTA → テリー・アレンの項を見よ
マサンブラ MASAMBRA ●マウマウ団の殺し屋 ●176センチ、104キロ ●1930年 ガンビア出身 |
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1970年代初めにイギリスに出現した黒人レスラーで、ケニアのキクユ族の出身。1950年代にケニアに実在したという秘密結社「マウマウ団」のメンバーで、ケニアを統治していたイギリス人を次々と暗殺したという。マウマウ団解散後に「合法的に白人を痛めつけることが出来る」プロレスに転向した。ヒョウの頭つきの毛皮を来て入場するなど怪奇派としてのムードは充分であった。1971〜72年ごろのイギリスのレーティングスではライト・ヘビー級の上位にランクされていた。 |
マスカラ・アニョ・ドスミル MASCARA ANO 2000 ●紀元2000年仮面 ●179センチ、97キロ ●1958年3月10日 メキシコ・ハリスコ州出身 ●NWA世界ライト・ヘビー、ナショナル・タッグ、IWC世界ヘビー |
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シェン・カラスの実弟で本名はヘスス・レイエス・ゴンザレス。兄を追って1977年にデビュー。1982年にデビッド・モーガンからNWA世界ライト・ヘビー級を座を奪って一流の仲間入りをはたす。1985年にはルードに転向し、兄とのコンビでナショナル・タッグを獲得。1991年には弟のウニベルソ・ドスミルを加えてナショナル・トリオ王座を獲得したが、1993年にペロ・アグアーヨに敗れてマスクを脱ぐ。昭和時代にはEMLLとルートのあった国際プロレスか、全日本プロレスに来日の可能性はあった。 |
マスクド・アウトロー1&2 MASKED OUTLAWS 1&2 ●1号 190センチ、120キロ、●2号 188センチ、125キロ |
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昭和55年の全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」に参加が予定されていたが、来日しなかった覆面コンビ。アラバマ、ミシシッピー、ルイジアナ各州を暴れていたという。パンフには「1号はベテラン、2号は脂の乗り切った働き盛り」とあるが、正体は不明。 |
マスクド・アサシン MASKED ASSASSIN ●暗殺仮面 ●187センチ、115キロ |
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1960年代末にトロントに出現したマスクマン。テキサス・デスマッチを得意とし、ブルドッグ・ブラワーとライバル関係にあったようだ。正体はガイ・ミッチェルで1971年7月にザ・シークにマスクをはがされている。(情報提供:クライベイビー様) 来日全外国人レスラー名鑑のガイ・ミッチェルの項も見よ。 |
マスクド・ストラングラー MASKED STRANGLER ●豪腕仮面 ●187センチ、115キロ |
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1972年頃にセントルイスやインディアナポリスで活躍したマスクマンで、ディック・ザ・ブルーザーと抗争を繰り広げていた。正体はこれまたガイ・ミッチェルで、ディック・ザ・ブルーザーとチェーン・デスマッチを行い試合中にマスクを引き裂かれている。 来日全外国人レスラー名鑑のガイ・ミッチェルの項も見よ。 |
マスクド・カナディアン MASKED CANADIAN | |
マスクド・カナディアンといえばロディ・パイパーが同じリングネームで来日しているが、こちらは1975年にロスに出現した初代のカナディアンである。ドクター・デスとのコンビで活躍した。 |
マスクド・マーベル MASKED MARVEL ●緑の悪魔 ●184センチ、110キロ ●1921年 米・フロリダ州出身 |
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何代目かのマスクト・マーベルで1971年にノース&サウスカロライナに出現している。全身緑色のタイツとマスクで身を包んだ大型マスクマンだが正体は不明。右腕に2箇所大きな刺青があるのが正体を暴くポイントと思われるが、はたして・・・。 その後の調査で、ミスター・ゼロ=クルト・フォン・ブラウナーであることが判明した。 来日全外国人レスラーのミスター・ゼロ、未来日外国人レスラー名鑑のクルト・フォン・ブラウナーの項も見よ。 |
ザ・マフィア1号&2号 THE MAFIA | |
1977年3月20日アメリカのグリーンズボロで、アメリカ遠征中のジャンボ鶴田と天龍源一郎が対戦した覆面コンビ。日本ではテレビでも雑誌でも「ザ・マフィア」と紹介されていたが、現地のプログラムでは「ザ・グラディエーターズ」として紹介されていた。正体は一人がダン・ミラーであることは判明している。 |
マラビア・ペルアナ MARAVIA PERUANA ●ペルーの魔王 ●180センチ、118キロ |
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1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。メキシコ版デストロイヤーといわれ、変形足4の字固めが得意だったという。 |
マリオ・ガレント MARIO GALENTO ●狼男 ●182センチ、105キロ ●1915年6月17日 米・テネシー州出身 1989年1月6日没 ●ハングマンズ・ホールド ●南部タッグ(ガルフコースト版、ジョージア版)、ガルフコースト・ヘビー、NWA世界タッグ(ミッドアメリカ版)、ジョージア・ヘビー、USジュニアヘビー(ジョージア版) |
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本名はボニー・リー・ボイエッティ。テネシー出身のイタリア系アメリカ人(イギリス出身説もあり)で、ハリウッドでスタントマンをしていたところをフレッド・ブラッシーにスカウトされてプロレス入り。リング上で生肉を食うパフォーマンスで狼男の異名を取った。試合振りが非常に荒いため、対戦相手がなくなり引退。引退後はブルー・ディモンズのマネージャーを経て、ジョージアで農夫となった。1989年に死亡。 |
マル・カーク・コジャック MAL KIRK KOJAK ●悪の大帝王 ●190センチ、133キロ ●1935年12月18日 イギリス・ヨークシャー出身 1987年8月24日没 |
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高校時代にはラグビーで身体を鍛え、卒業後は炭鉱夫として働いていたが喧嘩っ早く職場を転々としていた。1967年に思いっきりケンカができるということでプロレス入り。しかしその荒っぽい試合振りはイギリスのマットには合わず限界を感じ、カナダに遠征。ここで悪党ファイトで開花しドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界選手権にも挑戦している。1975年からドイツ、オーストリアに遠征しトーナメントを荒らしまわった。結局イギリスマットに戻ることはなかったという。日本へは国際プロレスのルー・テーズ杯争奪戦にキングコング・コジャック名義で参加が発表されていたがキャンセルしている。1987年8月にビッグ・ダディのボディプレスを受けリング上でに死亡。 |
ザ・マンチュリアン THE MANCHURIAN ●ヘビ男 ●182センチ、96キロ |
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満州人を名乗るレスラーであるが、アジア人の血が混じったアメリカ人レスラーのような気がする。東部地区、ハワイ、オーストラリアで活躍したレスラーで、身体が柔らかくデストロイヤーの足4の字固めから抜け出したといわれている。日本には来日の噂すら立たなかった。 |
マンド・ロペス MANDO LOPEZ ●178センチ、101キロ ●メキシコ出身 |
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1972年ごろからロサンゼルスの登場したメキシコ人レスラー。1973年のバトルロイヤルにも出場しているが、前座要員のレスラーでタイトル戦線にはからんでいなかったようである。 |