未来日外国人レスラー名鑑 ア、イ、ウ

 

アーン・アンダーソン ARN ANDERSON
185センチ、115キロ
1958920日 米・ミネソタ州ミネアポリス出身
●サウスイースタン・タッグ、
ナショナル・タッグ、NWA世界TV、NWA世界タッグ、WWF世界タッグ

本名はマーティン・ランドル。アンダーソン兄弟の四男として叔父(といわれている)のオレイ・アンダーソンとのコンビでデビュー。ジョージア地区で頭角をあらわした後、タリー・ブランチャードとのコンビ「ザ・ブレンバスターズ」でNWA、WWF両世界タッグ王座を獲得。平成に入ってから新日本プロレスに来日し、職人的なレスリングを見せた。

 

アクラム・ペールワン AKRAM PEHLWAN
●パキスタンの帝王 ●178センチ、120キロ
1929年 パキスタン出身 1987年没

1976年12月12日、カラチのナショナルスタジアムで猪木と対戦したことで知られるパキスタンの英雄。パキスタンで由緒のあるボロ6兄弟の5男で、猪木と対戦した時点で47歳であった。若い頃の写真を見ると素晴らしい肉体を誇っていたが、猪木と対戦した際には腹が出ており肉体的なピークはすぎていたようである。猪木との試合では猪木のアームロックにギブアップせず左肩を脱臼させられるという悲惨な結果に終わり、1987年に自殺したといわれていたが、「1976年のアントニオ猪木」(柳澤健著)では、糖尿病で死亡とある。

 

ジ・アサシン THE ASSASIN
●暗殺仮面 ●185センチ、108キロ
1945年 米 ・カリフォルニア州

1980年8月8日にオリンピック・オーデトリアムでロン・スターとのコンビで坂口、長州の北米タッグに挑戦したマスクマンだが、日本組に狙い撃ちにされて完敗を喫している。普段はジョン・トロスやロン・スターのマネージャーも兼任していたようだ。正体はジョニー・マンテルだとの説があるが、マンテルは同時期にザ・フッドを名乗っていたので、別人の可能性が高い。

 

アストロ・レイ ASTORO REY
●惑星仮面 ●178センチ、100キロ
●1950年6月18日 メキシコシティ出身
●ナショナル・ライトヘビー、UWA世界トリオ

本名アルベルト・レオネス・エルナンデス・ロペス。1975年にデビューした当時はリンピオ(ベビーフェイス)だったが、1978年ごろからルード(ヒール)に転向。同期のドス・カラス打倒に執念を燃やし、1979年4月にドス・カラスを倒してナショナル・ライト・ヘビー級王座を獲得するが、翌週にマスカラ・コントラ・マスカラでドスに敗れマスクをはがされた。その後、カオスとしてマスクを被り再出発するが、1995年にショッカーに敗れて再びマスクを脱いだ。カオスとして平成3年以来日。

カオスの項も見よ

 

アドラブレ・ルビ ADORABLE RUBI
●ばら色の剣闘士 ●170センチ、96キロ
●1943年12月31日 メキシコシティ出身 ●メキシカンストレッチ
●ナショナル・ミドル、NWA世界ライトヘビー、ナショナル・クルーザー

本名はルーベン・ルバルカバ・ロペス。1966年にプロレス入りしその年の最優秀新人賞を獲得。ピンクの衣装に身を包んだスタイルでリングに登場。メキシコにおけるおかまギミックの元祖だといわれている。その見てくれとは逆に実力は相当なもので、1976年のNWA世界ライトヘビー級選手権をはじめ、多くのタイトルを獲得した経験を持つ。しかし日本のマットとは縁のないままに終わる。

 

アブドーラ・ザ・グレート ABDULLAH THE GREAT
●呪術師二世 ●190センチ、130キロ

1982年の夏にインディアナポリスのWWAに登場した。黒人レスラー。その風貌、コスチュームもアブドーラ・ザ・ブッチャーそっくり。その後の活躍は聞かないので、すぐに引退したのか? それとも別のギミックに変身したのか・・・なぞのレスラーである。

 

アブドーラ・ザター ABDULLAH ZATER 

1976年にカルガリーに出現したアラビアン・ギミックのレスラーで、試合前のお祈りやコスチュームなどザ・シークをまんまコピーしたレスラー。フィニッシュもキャメルクラッチであった。

 

アブドル・カーン ABDUL KAHN

1960〜70年代にヨーロッパで活躍していたレスラーで、写真を見る限りではモンゴル人と中国人をごちゃ混ぜにしたようなギミックだ。西洋人であることは間違いなかろう。体型はトーア・カマタのようなアンコ型。

 

アメリカ・エル・サルバヘ AMERICA EL SALVAJE
●大陸仮面 ●178センチ、87キロ
●メキシコ・グアダラハラ出身

本名はホセ・エスコベド。1977年にデビューしたレスラーで、プロレス転向前はサッカー選手として活躍した。サッカー時代に鍛えた脚で繰り出すキックが得意で、脚に5万ペソの保険をかけていたという。デビューした年の暮れにはUWA世界ジュニア・ライト・へビー級王座決定トーナメントで決勝まで進んだ。1981年にウルトラマンにマスクをはがされた。

 

アリババ ALI BABA

1971年にデトロイト地区に現れた中東系のレスラー。2メートル近い巨人で、マンマウンテン・カノンがメネージメントを務めた。スタンプホールドを得意としたが、大勢はしなかった。

 

アル・トムコ AL TOMKO
●狂った暴れ馬 ●186センチ、110キロ
●カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身
カナダで暴れていた大型レスラーで、日本ではクレージーレッグ・ホースとして紹介されていた、このリングネームは「足癖の悪い馬」という意味で、荒れ出すと目の前に居るものをだれ彼かまわず蹴りまくると紹介されていたが、実際にはHORSEではなくHIRSCHで「馬」ではない。1970年代からはウィニペッグの興業権を取得し、AWA系のプロモーターとして手腕を振るった。2009年8月5日永眠。

 

アルベルト・ムニョス ALBERTO MUNOZ
●西部の貴公子 ●168センチ、85キロ
●1943年 メキシコ・ハリスコ州出身
●ナショナル・ミドル、ナショナル・ライトヘビー、NWA世界ウェルター

本名はイスマイル・ムニョス・ロペス。1971年にデル・ガーディ(デーブ・モーガン)からNWA世界ライト・ヘビー級選手権を獲得したと日本では報じられていたが、王座の系譜にはなく、誤報の可能性もあり。1965年にナショナル・ライト級、1966年にナショナル・ウェルター級、1968年にナショナル・ミドル級王座を獲得して3階級制覇。1971年にはカーロフ・ラガルデからNWA世界ウェルター級王座を獲得している。1978年にはブラックマンのパートナー、ホワイトマンに変身したが1982年に引退した。アルフォンソ・ダンテスとは義兄弟。

ホワイトマンの項も見よ。

 

アンジェロ・サボルディ ANGELO SAVOLDI
●吸血鬼 ●178センチ、95キロ
●1914年4月21日 米・ニュージャージー州ホボーケン出身
●NWA世界ジュニアヘビー、

本名はマリオ・フォーニニ。2代目ジョー・サボルディの父親で、初代ジョー・サボルディとコンビを組むこともあったが血縁関係はない。3回に渡りNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を獲得。晩年はWWWFに登場したが、1984年にICW(ポッフォのICWとは別)を設立し息子のジョー、トム、ジョセフをエースに活動した。

 

アンディ・ロビン ANDY ROBINS
●人間機関車 ●178センチ、99キロ
●スコットランド出身

丸太投げの名人からプロレス入り。腕力の強さはずば抜け、ベアハッグが一八番。欧州時代のカール・ゴッチと45分フルタイム闘った記録も持つという。現在はイギリスでレスリングベアーとのショーでイギリス全国を巡業。「ムツゴロウさんと愉快な仲間たち」でも紹介されていた。国際プロレスやノーテレビ時代の新日本プロレスあたりに登場してもおかしくない選手だった。

 

イワン・プトスキー IVAN PUTSKY
●岩石男 ●175センチ、110キロ
●1941年1月21日 ポーランド・ボスナン出身 ●ポーリッシュ・ハンマー
●アメリカン・タッグ、テキサス・タッグ、WWF世界タッグ、NWA世界タッグ(フロリダ版)

本名はジョセフ・ベドナルスキー。1970年頃にテキサスにイゴール・ボディックのコピー・ギミックのマイティ・イゴールとして登場。1973年頃、本家のイゴール・ボディックが抜けたAWAにイワン・プトスキーと名乗って転戦。ここで、ビリー・グラハムとの抗争で名を挙げた。日本ではこのプトスキーの方が初代として通っているが、実際はリック・フェララ転ずるプトスキーの方がオリジナルで、このプトスキーは2代目のようだ。1975年にはWWWFに移籍。サンマルチノの欠場中はエースとして活躍。1980年代に入ると肉体改造を行ない、ムキムキのマッチョマンに変身した。長年来日が待望され、第1回MSGタッグシリーズに来日が決定したこともあるが、直前でキャンセルしている。

 

インカ・ウィラコーチャ INCA WIRACOCHA

1960年代末にフランスを中心としたヨーロッパに登場した選手で。ブロマイドにはペルー・チャンピオンと書かれている。アンヘロ・ブランコによく似ているが、別人であることは間違いない。

 

インファーノス2号(オリジナル) BLUE INFERNOS 2
●NWA世界タッグ(テネシー版、テキサス版)、テネシー・タッグ
ブルー・インファーノスは日本プロレスに来日しているが、そのときは2号はウィリー・ギャレットに変わっていた。こちらの来日前によく使われていた写真の2号はギャレットとは別人。中身は頻繁に入れ替わっていたようで、テリー・ガービン、ジム・ダルトンらがマスクを被っていたといわれている。

 

インベーダーズ THE INVADERS
●侵略仮面 ●NWA世界タッグ(サンフランシスコ版)

インベーダーを名乗るマスクマンは多いが、これは1975年にサンフランシスコに出現し世界タッグを獲得したコンビ。正体はロッキー・モンテロ(日本プロレスに来日)とカール・フォン・ブラウナー(未来日)だといわれている。

来日全外国人レスラーのロッキー・モンテロ、未来日外国人レスラー名鑑のカール・フォン・ブラウナーの項も見よ。

 

ウッディ・ストロード WOODY STRODE
●190センチ、109キロ
●1914年7月25日 米・カリフォルニア州ロサンゼルス出身 1994年12月31日没

ノースカロライナあたりでリングに上がっていたレスラーだが、プロレスラーとしてより映画俳優として有名。「リバティ・バランスを撃った男」「コットンクラブ」のような大作に多数出演しており、1960年には「スパルタカス」でゴールデングローブ賞の助演男優賞候補にノミネートされている。1994年に肺がんの為に死亡。