未来日外国人レスラー名鑑 

 

ポール・クリスティー PAUL CHRISTY
ゴールデンボーイ 176センチ、106キロ
1939年3月20日 米・イリノイ州シカゴ出身
●南部タッグ(ガルフコースト版)、ガルフコースト・タッグ、WWA世界タッグ(インディ版)、ICW・USヘビー、ICW世界ヘビー

本名はポール・クリスターソン。中西部で主に活躍したレスラーで、デビュー当時はクリス・ルーカスの名前でファイトしていた。1978年にはインディアナポリスのWWAでスパイク・ヒューバーとのコンビで活躍。しかし仲間割れを起こして抗争を繰り広げる。バニー・ラブという女性マネージャーをつけていたが、エンフォーサが連れてきた女性マネージャーとは別人。当時の招聘ルートを考えると国際プロレスに登場のチャンスはあったかも。

 

ポール・デュプレ PAUL DUPRE
●亡霊男 ●179センチ、108キロ
●米・オレゴン州ポートランド
●NWA世界タッグ(デトロイト版)、WWA世界タッグ、テキサス・タッグ、ウエスタンステート・タッグ(アリゾナ版)、ミシシッピ・ヘビー、ミッドアメリカ・ヘビー、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)

本名はチャールズ・ハリス。クリス・コルトのデビュー当時のリングネーム。元々はマイク・アルペンという選手とデュプレ兄弟を結成。その後エミールとの新デュプレ兄弟を結成し、カナダのケベックやシカゴ、デトロイトなどで活躍した。もちろんマイク、エミールとは本物の兄弟ではない。後にジム・デリンジャーを名乗り、ライバルだったチェーンギャングのメンバーになっている。

クリス・コルトの項も見よ。

 

ボアヘッド・ジョーンズ BOAHEAD JONES
187センチ、117キロ
1950年 米・アラバマ州バーミンガム出身

ルーファス・ジョーンズの実弟で、兄と違ってテクニシャンタイプだったという。1979年の全日本プロレス「79ジャイアント・シリーズ」二酸化が決定していたが、来日は中止になっている。

 

ホイッパー・ビリー・ワトソン WHIPPER BILLY WATSON
鞭打ち野郎 177センチ、105キロ
1917年7月25日 カナダ・オンタリオ州イーストヨーク出身 1990年2月4日没 アイリッシュホイップ
カナダ・ヘビー、英連邦ヘビー(トロント版、バンクーバー版)、NWA世界ヘビー、カナディアン・オープン・タッグ(トロント版)、パシフィックコースト・タッグ(バンクーバー版)、インターナショナル・タッグ(トロント版)
ルー・テーズがもっとも苦手としたといわれるカナダの英雄。1947年と1956年の2度NWA世界王者に輝いた実績を持つ。177センチ、105キロと小柄であったが、ホイッパーの由来であるアイリッシュ・ホイップで自分より2回りも大きい巨漢レスラーを投げ飛ばしたという。また、不死身の男ともいわれ全身を68ヶ所も骨折しながら1960年代後半まで現役を続けたことでも有名。日本へ招聘の話は持ちあがらなかった。

 

ホイッパー・ビリー・ワトソン・ジュニア WHIPPER BILLY WATSON JR
鞭打ち野郎2世 178センチ、100キロ
1947年 カナダ・オンタリオ州トロント出身 英国ミドル級
ホイッパー・ビリー・ワトソンの実子で、本名はマイケル・ワトソン。地元のトロントと五大湖地区で活躍したが、アメリカでデビューする前にはイギリスに留学し、マンチェスターのレスリング学校で所業を積み、英国ミドル級王座を獲得したといわれている。ドリー・ファンク・ジュニア以上の逸材とも言われ、1979年ごろにはハワイで活躍したようだが、アメリカ本土での活躍は聞かれなかった。

 

ボストン・ストラングラー THE BOSTON STRANGLER

1979年末にロサンゼルスに現れたマスクマン。褐色の肌をしておりメキシコ系、もしくはプエルトリコ系の選手の変身である可能性が強い。背中の右側に大きなあざがある。これが正体解明の手がかりになると思われるのだが・・・。

 

ホセ・トーレス JOSE TORRES
キズだらけの闘牛士 181センチ、105キロ
スペイン・バスク地方出身
ゴング誌の「続・まだいる怪奇男シリーズ」で紹介されたレスラー。額の大きな傷は闘牛師時代に牛に額を角で突き刺されて出来たもの。この時のケガが元で一時は廃人になったが、ある日ギターを聞いて暴れ出し、取り押さえようとした男が角材で頭を殴ると、トーレスは正気に戻ったという。これに目を付けた興行師がプロレスにスカウト。試合前には鉄棒で頭を叩いて正気を取り戻させ、試合中にはフラメンコを演奏してトーレスを興奮させたという。これが本当なら日本でも見たかった!

 

ボビー・イートン BOBBY EATON
アラバマの若鷲 181センチ、100キロ
1958年8月14日 米・アラバマ州ハンツビツ出身
ミッドアメリカ・タッグ、NWA世界6人タッグ(ミッドアメリカ版)、ミッドアメリカ・ヘビー、CWA世界ヘビー(テネシー版)、ナショナルTV、AWA南部タッグ、アメリカン・タッグ、NWA・USタッグ、NWA世界タッグ
本名はロバート・リー・イートン。高校時代にアマレスのアラバマ州代表となり、卒業後の1976年に17歳でテネシーでデビュー。アラバマ、ジョージア、フロリダなど南部一帯を転戦して力をつけ、1984年にデニス・コンドリーとのミッド・ナイトエキスプレスで人気を獲得した。その後パートナーをスタン・レーンにかえエキスプレスを継続している。NWAがWCWとなってからは味わいのあるベテランとして活躍、英国紳士になりすましスティーブン・リーガルとのブルー・ブラッズでも活躍した。1979年9月の国際プロレス「ダイナマイト・シリーズ」に参加が決定していたが、負傷のため来日は中止になり、その後日本とは縁がなかったが、平成元年にWCWと提携していた新日本プロレスに登場し、試合巧者ぶりを見せつけた。

 

ボビー・ハント  BOBBY HANT
黒いカール・ゴッチ 180センチ、103キロ
1935年 米・ペンシルバニア州出身
ミシガン州立大学でフットボールの名選手として鳴らし、卒業後はデトロイト・ライオンズに入団して5年間活躍。1963年にプロレスに転向。デビュー半年でルー・テーズに挑戦したが、バックドロップで失神KOされた。いわばアメリカ版グレート草津である。ハントはその後テーズに教えを乞い、バックドロップをマスター。ポートランドの試合ではドン・レオ・ジョナサンをバックドロップでKOしたといわれている。しかしあまりにもショーマンシップに欠け「黒いカール・ゴッチ」と呼ばれ、人気が出ぬまま終わってしまったという。


ボビー・フィールズ  BOBBY FIELDS
米・テネシー州ディレスバーグ出身
●AWA南部タッグ、ガルフコースト・ヘビー、ガルフコースト・タッグ、USタッグ(ガルフコースト版、フロリダ版)、USタッグ(ガルフコースト版)、ミシシッピ・ヘビー、ミシシッピ・タッグ、フロリダ・タッグ、ルイジアナ・ヘビー、NWA世界タッグ(テネシー版)
テネシー〜ガルフ・コースト一帯で勢力を誇っていたウェルシュ一家の親戚に当たる。リー、ドンとのフィールズ三兄弟で、南東部地区のタッグ王座を荒らしまくっていたようだが、日本ではほとんど無名。息子のリッキー・フィールズが国際プロレスに来日したことがあったが、それ以外日本とはほとんど接点はなかったようである。

 

ボブ・アドニス  BOB ADONIS
1980年のロサンゼルス新春恒例バトルロイヤルに、ジャック・エバンスの代打として出場して注目を浴びた選手。バトルの翌週にはチャボ・ゲレロが保持していたアメリカス選手権に挑戦し、ゴング誌でもカラーで紹介されたが、その後の活躍はほとんどなし。来日の話も出なかった。

 

ボブ・スタンレー  BOB STANLEE
198センチ、130キロ
●NWA世界タッグ(シスコ版、ミッドアメリカ版)
本名はボブ・メリル。ジーンとスティーブのスタンレー兄弟の末弟としてデビューしたが、血縁はなかった。ムース・エバンスとのコンビでマスクを被りマイティ・ヤンキースを名乗り暴れたこともあったた。改名魔で、グレート・チャールズ、スカイハイ・クルーガー、ジャイアント・エバンス、マイク・レーン、ボブ・クラーク、リップ・ミラーなどの名前を使い分けた。WWFにもマイティ・ジョー・サンダーのリングネームで登場している。カール・ハイジンガーと同一人物との説もあったがこれは間違い。

 

ホワイトマン WHITEMAN
●白忍者 ●168センチ、85キロ
●1943年 メキシコ・ハリスコ州出身
●ナショナル・ミドル、ナショナル・ライトヘビー、NWA世界ウェルター

1978年にブラックマンのパートナーとして登場した白尽くめのマスクマン。ブラックマンとおなじようにコーナーマットに逆立ちして見せるなど身軽なところも見せたが、テクニックもブラックマン以上にしっかりしていた。それもそのはず正体はNWA世界ウェルター級王座も獲得したアルベルト・ムニョスであった。

アルベルト・ムニョスの項も見よ。

 

ボリス・コスロフ  BORIS KOSLOFF
ミッドアトランティック、クリーブランド、カンサス、ミシシッピなど、広範囲にわたって活躍したロシア人ギミックのレスラーだが、日本での知名度は低い。ミシシッピではイワン・コスロフなるレスラーとのコンビで、同地区のUSタッグを獲得したこともある。

 

ボリス・ボルコフ  BORIS VOLKOFF
ロシアの殺人狂 177センチ、111キロ
●1927年5月9日 米・イリノイ州出身 
2003年10月13日
●NWA世界タッグ(シカゴ版、インディアナ版)
本名はフランス・エドワード・ゼラ。1950〜60年代前半に初代ニコリ・ボルコフ(日本プロレスに来日)のパートナーとして活躍していた選手。力道山時代の選手だが、シカゴやデトロイトで活躍していたこともあり、ルートが弱かった為か来日していない。凶器攻撃が得意だったようだ。2003年10月13日に心臓病の為死亡。イワン・カメロフがボリス・ボルコフを名乗っていたこともある。