未来日外国人レスラー名鑑 

 

ザ・ビースト THE BEAST
野獣 178センチ、118キロ
イタリア・シシリー島出身 1986年没 ベアハッグ
USヘビー(トロント版)
本名はジョン・ヤチェッティ。デビュー当時はイタリア語のラ・ベスチャと名乗っていた。全日本プロレスに同名のレスラーが来日しているが、あちらはマリタイム地区やアマリロで活躍した2代目で、こちらがオリジナルのザ・ビースト。全身剛毛に覆われ、毛皮のトランクスに裸足という典型的な原始人キャラで 1960年代南部や東部地区で活躍。ファイト内容はパワーにものを言わせた直線的なもので、ベアハッグや逆エビ固めのような技を得意とした。

 

ザ・ビースト THE BEAST
●187センチ、115キロ
●米・アリゾナ州タスコン
●ミシシッピ・ヘビー、モービルシティ・ヘビー、ガルフコースト・ヘビー、ガルフコースト・タッグ、USタッグ(ガルフコースト版)
1973年にロサンゼルスに登場したザ・ビーストで、正体は国際プロレスに登場したマイク・ボイエッティである。ラウル・マタあたりとの試合に出場しているが、タイトル戦線には無縁だったようだ。

「来日全外国人レスラー名鑑」のマイク・ボイエッティの項も見よ。

 

ピーター・ザッカス PETER SZAKACS
ティボール・ザッカスの弟で、ウェルター級のレスラーだったようだ。兄とのタッグでも活躍。経歴などの詳細は不明。

 

ピート・サンチェス PETE SANCHEZ
流れ星 181センチ、108キロ
米・ニューヨーク州出身
1960〜70年代にWWWF地区で活躍したプエルト・リコ系の中堅レスラー。当時提携していた全日本プロあたりに参加してもおかしくはなかったが、結局は未来日。テレビマッチ要員だった為、これといったタイトル歴はない。ただし海外の熱戦譜などでは良く名前を見ることが出来た。

 

ピート・ドハティ PETE DOHERTY
怪人伯爵 ●185センチ、120キロ
●米・マサチューセッツ州ボストン出身
1970年代にWWWF地区で前座要員として試合に出ていたレスラー。主にニューイングランドあたりで試合に出場していたようだ。1978年にはルー・アルバーノのマネージメントで金色尽くめの「ゴールデン・テラー」に変身して小ブレイク。全日本プロレスへの参加も決定していたが、直前のMSG定期戦でマスカラスにマスクをはがされ、来日も中止となった。これが彼のプロレス人生のハイライトであろう。

ゴールデン・テラーの項も見よ。

 

ピエール・ランバージャック PIERRE LUMBERJACK
●192センチ、120キロ
●1939年2月13日 カナダ・ケベック州モントリオール出身 ●コブラクラッチ
●ミッドアメリカン・ヘビー、テネシー・ヘビー、WWWFタッグ、WWA世界タッグ(インディアナ版)、カナディアン・ヘビー(バクーバー版)
1978年6月にエリック・ランバージャック(スコット・アーウィン)とのユーコン・ランバージャクスでWWWF世界タッグ選手権を獲得したレスラーで、正体は国際プロレスに登場経験のあるバッファロー・ザリノフ。王座は同年11月にトニー・ガレアとラリー・ズビスコに奪われ短命に終わった。

来日全外国人レスラー名鑑のバッファロー・ザリノフの項も見よ。

 

ビック・フォークナー VIC FAULKNER
●1944年7月14日 ●イギリス出身

1960年代にバート・ロイヤルとのザ・ロイヤルズでタッグ戦線をかき回したレスラー。体格的にはウェルター級と小柄ではあるが、ロープ最上段からのドロップキックなどのダイナミックな技を得意とした。国際プロレスが呼んでほしかったタッグチームであった。バート・ロイヤルとはまったく似ていないが、実の兄弟だという。父親のヴィック・ヘッスルもレスラーであった。

 

ビッグ・ウィズ THE BIG WHIZ
188センチ、180キロ
1978年にインディアナポリスのWWAに出現した巨漢レスラー。ベアハッグが唯一の武器でその後の消息は聞かない。

 

ビッグ・ダディ THE BIG DADDY
195センチ、158キロ
●1930年11月14日 英・ヨークシャーハリファックス出身 1997年12月2日没
英国ヘビー、ヨーロッパ・ヘビー
本名はシャーリー・クラブツリー。イギリスでは誰もが知っているという国民的英雄。得意技はフライング・ボディプレスだが、この技でマル・カーク(キングコング・コジャック)を含む3人のレスラーを死に追いやり、一般新聞よりバッシングを受けた苦い経験も持つ。しかしそれもみ特に子供を中心に人気は根強く、かなり晩年まで現役を続けた。

 

ビッグ・ダディ・リプスコンブ BIGDADDY LIPSCOMB
●黒い台風 ●190センチ、120キロ
●1931年8月9日 米・ミシガン州デトロイト出身 1963年5月10日没
本名はユージーン・リプスコンブ。1930年デトロイト出身で、1960年にルー・テーズとのコンビでキラー・コワルスキー、ドン・レオ・ジョナサン組を相手にデビュー。史上最強の黒人といわれ、アメフト時代に身につけた殺人タックルで無敗の快進撃を続け、次期世界王者候補の呼び声も高かった。しかしKKKの迫害を受け。さらに暗黒街に足を踏み入れ、麻薬に溺れ、1963年に狂いまわりながら死んだといわれている。

 

ビッグ・バッド・ジョン BIG BAD JOHN
赤鬼 192センチ、120キロ
米・テキサス州出身
●NWA世界タッグ(ミッドアメリカ版)、ジョージアTV、メイコン・タッグ、フロリダ・タッグ、ミシシッピ・ヘビー、ガルフコースト・タッグ、ミドアメリカ・ヘビー
本名はウィリアム・グッドマン。1960年代後半にジョージアに出現した2代目のビッグ・バッド・ジョン。ドリー・ファンク・ジュニアを血祭りに上げ一躍有名に。長くジョージアで活躍するが、その後オーストラリアでワルドー・フォン・エリック、サムソン・クツワダのマネージャーとして活躍。最後はロス地区で活躍したがその後の経歴は不明。赤いタイツにシャツを着ていたため赤鬼などと呼ばれた。新日本プロレスあたりに来日してもおかしくなかったが結局未来日。

 

ビューティフル・ヒッピー BEAUTIFUL HIPPIE
●187センチ、115キロ
●米・アリゾナ州タスコン
●ミシシッピ・ヘビー、モービルシティ・ヘビー、ガルフコースト・ヘビー、ガルフコースト・タッグ、USタッグ(ガルフコースト版)

国際プロレスに来日経験のあるマイク・ボイエッティの変身。主にルイジアナで活躍し「カリフォルニア・ヒッピー」とも名乗った。このボイエッティは、ザ・ビーストを名乗ったり、ペイントをしたりとかなりの変身マニアである。

来日全外国人レスラー名鑑のマイク・ボイエッティ、未来日外国人レスラー名鑑のザ・ビーストの項も見よ。

 

ビューティフル・ブルース・スウェイズ BEAUTIFUL BRUCE SWAYZ
●176センチ、100キロ
●1940年4月7日 カナダ・オンタリオ州カークランドレイク出身
●北米タッグ(プエルトリコ版)
本名はブルース・スウェイズ。カナダ、五大湖地区や大西洋岸で活躍した小兵レスラーで、リップ・ホークのパートナーとして活躍。NWF地区ではマスクを被ってブラック・バロンと名乗ったこともある。プエルトリコではジム・ダルトンとのコンビで北米タッグを獲得している。ホークとのコンビではIWAにも参加しており、ミル・マスカラストのシングル戦がビデオで残っている。IWA解散後はカナダでレジナルド・ラブと新ラブ・ブラザーズとして活躍したようである。

 

ビューティフル・ボビー BEAUTIFUL BOBBY
●190センチ、110キロ
●オハイオ州シンシナティ出身
本名はジュリアス・ボビー・ハドソン。1971〜72年頃ニューヨークに出現し人気をさらったゲイ・ギミックのレスラーで、リングにはマネージャーのグラン・ウィザードの先導で、ピンクのガウンにピンクのタイツにピンクのマニキュアをいうケバケバシイ姿で登場した。ジミー・バリアントとのタッグでしばらく活躍していたが1,2年で突然姿を消した。当時の雑誌では割と頻繁に紹介されていた。もしかしたら有名レスラーかマスクマンの前身かもしれない。

 

ヒューマン・ビースト HUMAN BEAST
●185センチ、100キロ 
1968年にフランスに登場した怪奇派レスラー。当時のフランスでは特にテレビ中継で人気を得ていたようで、ゴング誌にも寄稿していた、ミッシェル・ビゼーが「レスリング・レビュー」にレポートを寄せている。写真が不鮮明で分かりにくいが、顔が黒く見えるのは彼が黒人ではなく、奇抜なマスクのためである。ラグビー選手からの転向のようだ。

 

ビリー・スピアーズ BILLY SPEARS
188センチ、115キロ
米・フロリダ州ジャクソンビル
●モービル・ヘビー、ガルフコースト・タッグ、ガルフコースト・ヘビー、アラバマ・ヘビー
本名はビリー・スペアーマン。日本にはマイティ・ヤンキーズ1号として来日。アメリカではジョージアを中心とした南部地区で活躍していた悪役レスラーで、凶器攻撃が得意だった。風貌がそっくりのケン・ラッセルとのコンビでも暴れた。ファンに襲われて左目を失明。引退後はマネージャーとして活躍している。2004年11月に死亡。

 

ビリー・ハインツ BILLY HEINS
170センチ、93キロ
南部タッグ(テネシー版)、USジュニア・ヘビー
1960年代末〜1970年代初頭にアラバマやテネシーでジミーとのザ・ハインツ・ボーイズ活躍したレスラー。レスラー転向前はプロボクサーとして鳴らした。非常に小柄でプロモーターのニック・グラスと並んで写っている写真はまるでこどものようである。テネシーにはなぜかこのような小柄な選手が揃った。

 

ビリー・バルガ BILLY VARGA
●伯爵 ●183センチ、103キロ
●1918年 米・オハイオ州(カリフォルニア州説もあり)
●NWA世界ライト・ヘビー、MWA世界ジュニア・ヘビー、ハワイ・ヘビー、ハワイ・タッグ、WWAアメリカン・ヘビー(ロス版)、インターナショナルTV(ロス版)
1940〜50年代に太平洋岸で活躍したレスラーで、ハンガリーの旧貴族出身と名乗り、自ら「カウント(伯爵)」と名乗った。得意技はコブラツイストでバルガ・ストレッチと呼ばれた。父のジョー・バルガもレスラーだった。力道山時代に来日の可能性があったと思われるが、ファイトスタイルが合わなかったのか、来日の噂も立たず。

 

ビリー・ロジャース BILLY RODGERS

1971年にロサンゼルスに登場したレスラー。前座で活躍していたようである。経歴など詳細は不明。

 

ビル・ダンディ BILL DUNDEE
●178センチ、115キロ
●1943年10月24日 テオーストラリア・メルボルン出身
●NWA世界タッグ(ミッドアメリカ版)、南部ヘビー(ミッドアメリカ版)、AWA南部タッグ、CWA世界ヘビー、CWAインターナショナル・ヘビー(テネシー版)、セントラルステーツ・ヘビー、AWA世界タッグ
本名はウイリアム・クロックシャンクス。テネシーではジェリー・ローラーとともにヒーロー的存在だった選手でほとんどテネシーから出たことはなかった。大学卒業後にプロモーターのジェリー・ジャレット、ニック・グラスにスカウトされてプロレス入りしたとされているが、実際はオーストラリア出身でオーストラリアでレスラーとしてデビューしている。エルビス・プレスリーばりのリングコスチュームで人気を博した。ジェリー・ローラーとは犬猿の中で長年抗争を続けたが、一時的に和解してコンビを結成しAWA世界タッグを獲得したこともある。極度の遠征嫌いで昭和時代には未来日に終わったが平成4年に来日ベテランらしい味のあるファイトを見せた。