未来日外国人レスラー名鑑 

 

バート・ロイヤル BURT ROYAL
●182センチ、80キロ
●1929年12月5日 イギリス・ボウルトン出身 ●スープレックス
●大英帝国ミドル
本名はハーバート・フォークナー。父親はヴィック・へセルといい世界タイトルを保持していたこともあるという。子供の頃からYMCAでレスリングをはじめ18歳でプロレスラーとなる。弟のヴィック・フォークナーとのザ・ロイヤルズで人気を獲得、エイドリアン・ストリート、ボビー・バーンズのヘルス・エンジェルスとの抗争で人気を得た。上背はあったが、体重が軽くジュニアヘビー級が認知されていない当時の日本から声はかからなかった。

 

バーナード・ビグナル BERNARD VIGNAL 
●183センチ、110キロ
●フランス・パリ出身 ●FCLAインターナショナル・ヘビー
1960年代末〜1970年代初めにフランスで活躍したレスラー。高校時代はアマレスのフランス選手権を獲得。これに目を付けた後のIWA会長ロジャー・デラポルトにスカウトされてプロレス入り。1968年にはFCLA認定のインター選手権を獲得している。ファイトぶりはパワー・ファイター型でヘラクレス・コーテッツの再来といわれていたという。昭和47年の国際プロレス「ダイナマイト・シリーズ」への参加が決定していたが、直前にキャンセルとなっている。

 

ザ・バイキング THE VIKING
●大海賊 ●190センチ、128キロ
●セントラルステーツ・ヘビー、セントラルステーツ・タッグ
本名はボブ・モーゼ。1959年にオレゴンに突然現れ、トニー・ボーンを血祭りに上げて一躍有名に。非常に残忍なファイトを得意とし、形勢が不利になると角の生えたバイキング特有のヘルメットで相手を滅多打ちにしたという。その後ははカンサスに登場して暴れ、1966年にはロン・リード(バディ・コルト)からセントラルステート王座を獲得している。ボブ・ガイゲル、ジャック・ドノバン、ボブ・エリスらと北米タッグを獲得した。古くから怪奇派レスラーとしてよく紹介されていたが、一度も来日せずに終わってしまった。

 

ハインツ・ボーイズ → ビリー・ハインツ、ジミー・ハインツの項を見よ

 

バギラ BAGIRA
ゴング誌が「地上最大の怪奇男」とした紹介してレスラーで、なんとマレーシアで黒豹に育てられた男がマスクを被ったものだという。シンガポールのプロモーターであるランジッド・シンが興行師から紹介されてスカウトしたのがバギラであった。バギラとは「ジャングルブック」に登場する黒豹の名前。1971年7月にスチーブ・リッカードを相手にデビューし、これを半殺しにしたという。しかしこの写真はホラー映画に登場する怪物の特殊メイクであることが判明。バギラの存在自体も怪しくなってしまった。

 

バッド・サモアン THE BAD SAMOAN
183センチ、115キロ
1947年サモア諸島 ●サモア・ヘビー
本名はアロ・レラニ。昭和51年の国際プロレス「スーパー・ファイト・シリーズ」に参加が決定していたが、直前にキャンセルとなった。1966年に18歳でプロレス入りしあっという間にサモア選手権を獲得。1972年ごろにアメリカに進出しテネシー、カンサス、アラバマを転戦。1975年にはカナダにおり国際プロレスから声がかかったというわけ。ピーター・メイビアの再来といわれていたというが・・・。

 

パット・バレット PAT BARRETT
●182センチ、105キロ
●アイルランド出身
●カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、オーストラアジアン・タッグ、WWWFタッグ、ミッドアメリカン・タッグ、アメリカス・ヘビー
アイリッシュ・パット・バレットと呼ばれ人気のあったレスラー。ニックネームの通りアイルランド人で、1960年代後半にアメリカへ移住。各地を転戦するが、最初に注目を浴びたのは、当時ドン・デヌーチとのコンビでWWWFタッグを保持していたビクター・リベラがIWAへ移籍したため、リベラの代役に指名されタッグ選手権者となった時であろう。その後、オクラホマに定着し、NWA世界ジュニア・ヘビー級タイトル戦の常連となり、1980年にはロスでもアメリカス王座を獲得している。来日の噂はなかった。

 

パット・マクギネス PAT MCGUINNES
●181センチ、120キロ
●米・マサチューセッツ州出身 ●CWA世界ヘビー
昭和51年の第4回チャンピオン・カーニバルに参加が決定していながらキャンセルとなった選手。高校時代にアマレス、フットボール、重量挙げで活躍し、卒業と同時にプロレス入り。スパイロス・アリオンの再来と呼ばれ期待を集めた。1977年にはフロリダにおいてアンジェロ・ポッフォとのコンビで遠征中の馬場&天龍組と対戦し、日本でもテレビ中継された。1980年代にはテネシー地区に転戦。メンフィスのジャレット派で活躍し、ヘクター・ゲレロとの王座決定戦に勝ちCWA世界ヘビー級の初代王者にもなっている。

 

ザ・バットマン THE BATMAN
●コウモリ男 ●180センチ、104キロ
人気キャラクターをギミックにしたもので、何人かのバットマンが出現したが、これは東海岸で活躍したバットマン。正体はトニー・マリノであった。原作者からクレームがついてこのギミックには終止符が打たれた。いかにもアメリカ的な最後である。

来日全外国人レスラー名鑑のトニー・マリノの項も見よ。

 

ハッピー・ハンフリー HAPPY HUMPHREY
●史上最高のデブ ●185センチ、360キロ
●1926年7月16日 米・ミズーリ州セントルイス出身 1989年3月14日没
本名はウイリアム・J・コッブ。プロレス史上最も体重が重かったレスラーとして有名で、全盛期には361キロもあったという。本名はウィリアム・コップ。デビュー当時のハーリー・レイスはハンフリーの末弟というギミックで売り出したことでも有名。同じ巨漢型のヘイスタック・カルホーンとの試合ではあまりの重さにリングが壊れたという。1963年に引退。引退後はジョージア歯科大学のダイエット研究科の実験台となって3年間で570ポンド(約256.5キロ)の減量に成功したという。

 

バディ・ウェイン BUDDY WAYNE
●銀狼 ●178センチ、109キロ
日本では無名に近いが、今やテキサスで「バディ・ウェーン」の名前を聞いただけでふるえあがる男が50人はいるといわれるほどの暴れ者。普段は温和な顔をしているが、いったん荒れ狂ったらまったく手におえなくなる。最近はカナダあたりまで転戦。(月刊ゴング昭和44年12月号「まだ見ぬ強豪88人写真名鑑」より)
ケン・ウェインは弟。

 

バディ・フラー BUDDY FULLER
●181センチ、103キロ
●1925年3月24日 米・フロリダ州出身 1996年1月15日没
●南部タッグ(ミッドアメリカ版、ジョージア版、フロリダ版)、IWA世界ヘビー(シカゴ版)、ジョージア・ヘビー、南部ヘビー(ジョージア版)、テネシー・タッグ、NWA世界タッグ(ジョージア版)、ジョージア・タッグ、サウスイースタン・タッグ
本名はエドワード・ウェルチ。ロン・フラー、ロバート・フラーの父親である。フロリダやジョージアなど南部一帯で活躍した正統派。1970年ごろにはロスに登場してミル・マスカラスとも対戦している。日本のリングには全く縁がなかった

 

バディ・ロジャース BUDDY RODGERS
●野生児 ●180センチ、110キロ
●1921年2月20日 米・ニュージャージー州ケムデン出身 1992年6月26日没
●テキサス・タッグ、テキサス・ヘビー、IWAエンターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、AWA世界ヘビー(オハイオ版)、ミッドウエスト・ヘビー、イースタンステーツ・ヘビー、USヘビー(シカゴ版)、USタッグ(NY版)、NWA世界ヘビー、WWWF世界ヘビー
本名はハーマン・ロード。ニュー・ジャージー州の出身で学生時代はアマレスの州チャンピオンになった実績を持つ。1939年にプロ・デビューするがなかなか芽が出ず、初タイトルのテキサス州選手権を獲得するまで7年かかっている。しかしその後はアメリカ、カナダ各地でタイトルを獲得、1961年には遂にパット・オコーナーからNWA世界選手権を獲得、第43代世界王者となり、MSGをホームグラウンドに3年間保持したが1963年に王座転落。同年に設立されたWWWFの初代世界王者に認定されたもののブルーノ・サンマルチノに48秒で敗れ王座転落。その後もローカルエリアと転戦するが、心臓病が原因で引退した。ネイチャー・ボーイの異名通り、ワイルドかつキザなハンサム・ボーイというギミックはリック・フレアーなどに引き継がれる。ボクシング世界王者のジョー・ウォルコットとの異種格闘技戦を行なったことでも有名。未来日レスラーの中でも超大物の存在。

 

バリー・オートン BARRY ORTON
●185センチ、105キロ
●1958年5月28日 米・テキサス州アマリロ出身
●アメリカス・タッグ、ICWサウスイースタン・ヘビー
本名はランドール・バリー・オートン。ボブ・オートンの次男。1977年ごろにテキサスでデビュー。兄に比べてやや線が細く、WWFで前座要員としてくすぶっていたが、カナダではマスクマンのザ・ゾディアックに変身して活躍した。1990年代初頭に、WWFのフロントの某元レスラーからセクハラを受けていたことを告発し、プロレス界から追われていった。賢兄愚弟の典型といえば言いすぎか?

 

ハリー・ダマト HARRY D'AMATO
1978年ごろにテネシーもしくはミッドアトランティック地区に登場したレスラーだと思われるが、経歴などの詳細は不明。

 

バロン・マイケル・レオーネ BARON MICHELLE LEONE
●男爵 ●186センチ、120キロ
●1909年1月8日 イタリア・アブラッツィ出身 1988年11月26日没
●世界ヘビー(ロス版)、NWA世界ジュニアヘビー

イタリア系アメリカ人で1930〜60年代初めまで活躍した非常に息の長い選手。1950年代初めにロサンゼルス版の世界ヘビー級王者に君臨していたが、1952年にルー・テーズに破れ王座を失う。その後は太平洋岸ヘビー級王者として太平洋岸の王者として君臨した。1956年にはNWA世界ジュニア・ヘビー級王者にもなっている。1960年には52歳でルー・テーズの世界王者に挑戦したが、1961年に引退。引退後はサンフランシスコに住み、カウパレスなどに特別ゲストとして顔を見せている。

 

ザ・ハングマン THE HANGMAN
●首吊り男 ●183センチ、103キロ
ネール・グアイのハングマンではなく、1960年代にロスのWWAに登場した初代ザ・ハングマン。正体はジン・ラーベルだった。全身赤のタイツに身を包んだスタイルは異様であった。

来日全外国人レスラー名鑑のジン・ラーベルの項も見よ。

 

ハンス・モーティア HANS MORTIER
鋼鉄怪人●186センチ、115キロ
●1926年 ミシガン州出身(オランダ出身説もあり) ●フルネルソン
●ヨーロッパ・ヘビー、ハワイ・タッグ、フロリダ・ヘビー、オールスター・ヘビー(モントリオール版)
本名はジャック・ロッブ。日本へはターザン・ゾロ、ドクター・Xといずれもマスクをつけての登場はあったが、素顔での来日はなかった。アメリカでは1964年、1968年の2度にわたりヨーロッパ・ヘビー級王者を名乗ってWWWFエリアで活躍、MSGでブルーノ・サンマルチノに挑戦している。テキサスではロード・チャールス・モンタギューを名乗っていた。元ボディビルダーでブリジッド・バルドーのボディガードを自称していたがこれは眉唾。得意技はフルネルソン。

 

パンテラ・ネグラ LA PANTERA NEGRA
メキシコの黒豹 185センチ、108キロ
メキシコ出身
ナショナル・ヘビー、アメリカス・タッグ、UNヘビー

大型メキシカンでミル・マスカラス以前にロサンゼルス地区で人気を獲得していた。なんとエル・サント、ブラック・グスマンの弟に当たる。日本プロレスとパイプのあるロス地区を主戦場としながら、なぜか一度も来日していない。昭和44年頃には来日がほぼ確定したこともあるが、来日は実現せず。ロスではデール・ルイスを破って第3代UN選手権者となっている。ロスのほかにテキサスでも活躍した。