来日全外国人レスラー名鑑 (テ2)
テキサス・アウトロー
THE
TEXAS OUTLAW
●187センチ、115キロ ●1947年2月23日 カナダ・ノバスコシア州ダートマス出身 ●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、USタッグ(アラバマ版)、カナダ・タッグ(バンクーバー版) |
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54 6(国) ビッグ・サマー・S | |
バス四兄弟の一人であるクレイジー・ボビー・バスの変身。典型的な三流レスラーだったがバトル・ロイヤルなどでは絶妙な立ち回りを披露していた。 詳細はクレイジー・ボビー・バスの項を参照。 |
テキサス・マッケンジー
TEXAS McKENZIE 2回 ●西部の暴れん坊 ●202センチ、128キロ ●1931年 米・テキサス州出身 2002年5月31日没 ●ブルドッキング・ヘッドロック ●カナディアン・オープン・タッグ(トロント版)、カナディアン・タッグ(カルガリー版)、NWA世界タッグ(シスコ版)、ウエスタンステーツ・ヘビー、ミッドウエスト・ヘビー、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、アメリカン・タッグ |
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35 10(日) 日米就航百年記念・春の国際試合、49 3(国) チャレンジ・S | |
本名はフランク・ヒュー・マッケンジー。全米一の人気レスラーと言う触れ込みで力道山時代に初来日するも、空手チョップをくらい戦意喪失するという木偶の坊ぶりで力道山を激怒させた。しばらく消息を絶っていたが昭和49年に国際プロレスの招聘で来日。この時もエース級の扱いだったが実力の方は相変わらずだった。その後、アメリカではミル・マスカラスがエースだったIWAに参加し、TVコメンテーターを務めるかたわら、オックス・ベーカーとの抗争で人気を呼んだ。2002年5月31日に死亡。 |
テキサス・レッド
TEXAS RED ●静かなる殺人鬼 ●185センチ、118キロ ●生年月日不明 カナダ・ケベック州モントリオール出身(テネシー州出身説もあり) ●セントラルステーツTV |
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60 6(全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ、62 5(全) 87 スーパー・パワー・S | |
新日本プロレスに来日した経験のあるフランス系カナダ人ジン・ルイスが正体のテキサス・レッドで、レッド・バスチェン版のようなマスクマンではなかった。 ジン・ルイスも見よ。 |
テキサス・レッド
TEXAS RED ●赤い恐怖 ●183センチ、108キロ ●1932年2月19日 アイダホ州ボイス出身(カナダ・マニトバ州ウィペッグ出身説もあり) ●フライング・ヘッドシザース ●アメリカス・ヘビー |
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52 12(全) 世界オープン・タッグ選手権大会 | |
ロス地区に登場したマスクマンで、すぐにアメリカス選手権を獲得した実力派。正体はレッド・バスチェンで当時ロスで活躍したメンバーの顔ぶれからすると強いのもうなずけた。昭和52年の暮れにデストロイヤーの指名でオープンタッグ選手権に来日、最終戦で仲間割れをおこしたがその後の発展はなかった。その後も素顔には戻らずテキサス・レッドでファイトし、MSGで猪木の世界マーシャルアーツ選手権に挑戦している。 レッド・バスチェンの項も見よ。 |
ザ・デストロイヤー THE INTERIGENSE
SENSATIONAL THE DESTROYER 24回 ●白覆面の魔王 ●183センチ、110キロ ●1931年7月11日 米・ニューヨーク州バッファロー出身 ●足4の字固め ●WWA世界ヘビー(ロス版)、パシフィックノースウエスト・ヘビー、NWA世界タッグ(テキサス版)、AWA世界ヘビー、北米ヘビー(ハワイ版)、USヘビー(ハワイ版)、PWF認定USヘビー、インターナショナル・ヘビー(モントリオール版) |
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38 5(日) 世界選手権シリーズ、38 11(日) インター選手権・S、39 10(日)WWA世界選手権シリーズ、40 2(日)【特】新春国際試合、40 5(日) ゴールデン・S、42 4(日) 第9回ワールドリーグ戦、44 2(日)【特】 ダイナミック・S、44 9(日) ダイヤモンド・S、46 3(日) 第13回ワールドリーグ戦、47 12(全) ジャイアント・S第2弾、48 3(日) 第1回チャンピオン・カーニバル、55 5(全) スーパー・パワーS、55 8(全) 第2次サマー・アクション・S、56 5(全) スーパー・パワー・S、57 1(全)【特】 新春ジャイアント・S、57 8(全) スーパー・パワー・S、58 5(全) グランド・チャンピオン・力ーニバルU、59 5(全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルU、60 5(全) 【特】85激震!サンダー・ウォーズ、60 6(全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ、61 7(全) 86 サマーアクションS、62 1(全) 【特】87 新春ジャイアント・S、62 7(全) 87 サマー・アクション・S、63 7(全) 88 サマー・アクション・S | ||||
おそらく日本で最も知名度の高い覆面レスラーで、力道山の最後の宿敵として日本のプロレス史にその名を刻まれた強豪。正体はニューヨーク出身のディック・ベイヤーで、デビュー当時は東部地区で素顔でファイトしていたが、覆面を被りロスに出現、ブラッシーからWWA世界選手権を獲得しリングネームの通り、ファンにセンセーションを与えた。昭和38年の初来日以降日本プロレスの常連となり、崩壊後は親友の馬場をバックアップするため全日本プロレスに日本陣営として参加するが、その後のバラエティ路線は彼の全盛期を知るファンからは批判を浴びた。現在も小学校で体育を教える傍ら東京スポーツにレポートを寄せるなど健在である。必殺技の足4の字固めは彼の代名詞となった。 サイン |
テッド・オーツ
TED OATES
2回 ●カンサスの暴れん坊 ●190センチ、115キロ ●1947年11月21日 米・ジョージア州アトランタ ●パイルドライバー ●セントラルステーツ・ヘビー、セントラルステーツ・タッグ、アジア・タッグ(全日本プロレス) |
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50 8(全) 第2次サマー・アクション・S、51 9(全) ジャイアント・S | ||
中西部で活躍したレスラーで、兄のジェリーとのコンビで活躍、同地区ではファンク兄弟のライバルであった。兄に比べるとやや小柄で、ビッグタイトルには恵まれなかった。中西部地区で活躍したレスラーに多い地味なラフ・アンド・テクニックを主体としたファイト振りを見せ、来日時にはジェリーとのコンビで極道コンビからアジア・タッグ選手権を獲得している。 |
テッド・デビアス
TED
DIBIASE 15回 ●鋼鉄男2世 ●195センチ、115キロ ●1951年1月18日 米・オクラホマ州ウッドワード(ネブラスカ州オマハ説もあり) ●パワースラム ●北米ヘビー(トライステート版、ミッドサウス版)、セントラルステーツ・ヘビー、ミズーリ・ヘビー、インターナショナル・ヘビー(アマリロ版)、ナショナル・タッグ、ナショナル・ヘビー、WWF北米ヘビー、UNヘビー、PWF世界タッグ、WWF世界タッグ |
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51 8(全) ブラックパワー・S、53 3(全) 第6回チャンピオン・カーニバル、55 3(全) 第8回チャンピオン・カー二バル、57 3(全) 第10回チャンピオン・カーニバル、57 4(全) グランド・チャンピオン・S(残留)、58 3(全)【特】 グランド・チャンピオン・カーニバルT、58 9(全) ジャイアント・S、59 3(全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT、60 3(全) 【特】85激烈!スーパー・パワー・ウォーズ、60 8(全)【特】85決戦ダイナマイト・ウォーズ、60 11(全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦、61 3(全) チャンピオン・カーニバル86、61 7(全) 86 サマーアクションS、61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦、62 3(全) 87 チャンピオン・カーニバル、62 7(全) 87 サマー・アクション・S | |||
本名はセオドア・マーヴィン・ディビアシ。マイク・デビアスの息子として紹介されているが、実際はマイクの結婚相手の連れ子でマイクと血は繋がっていない。アマリロでデビュー。ファンク一家の優等生で、関係者筋では必ずNWA世界王者になる男といわれたが、結局一度も王者になる事が出来ず、ぐれてしまったのかミリオンダラーマンというギミックに身を投じる。日本でもそれほど活躍できなかったが、ミリオンダラーマンから本名に戻りスタン・ハンセンとコンビを組んだ時に初めてエース外人としての活躍をしたといえるのではないか。ニューヨーク時代には猪木のNWF選手権に挑戦表明したが、全日本プロレスとの兼ね合いで猪木が見送った事もあった。息子のテッド・ジュニア、ブレッド、マイケルもレスラーとしてデビューしている。現在は伝道士をしているという。 サイン |
デニー・ブラウン
DENNY BROWN 1回 ●180センチ、102キロ ●1962年 米・ハワイ州ホノルル出身 ●GCWジュニアヘビー、NWA世界ジュニアヘビー |
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62 7(全) 87 サマー・アクション・S | |
ハワイ出身のレスラーで、ダスティ・ローデスに弟子入りし1982年にフロリダでデビュー。その後ノースカロライナ地区に転戦し、デビュー2年目でマイク・デービスからNWA世界ジュニアヘビー級選手権を獲得。米国修行中の武藤敬司の挑戦も受けている。来日時はタイトルに挑戦することもなく、中堅相手の試合に甘んじた。アメリカではデニス・ブラウンのリングネームでファイトしていた。 |
デニス・スタンプ DENNIS STAMP 1回 ●イリノイの暴れ馬 ●188センチ、108キロ ●1946年 米・イリノイ州出身 ●USタッグ(トライステート版)、カリフォルニアTV、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、ブラスナックル王座(アマリロ版) |
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47 10(国) ビッグ・ウインター・S | |
「イリノイの暴れ馬」のニックネームを持つレスラーで、バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。1971年のAWAの新人王を獲得。翌年には国際プロレスの「ビッグウィンター・シリーズ」に初来日し、まずまずの成績を残した。アメリカでも中堅クラスのレスラーだったが、ロスではカリフォルニアTV王者になっている。持病の腰痛が元でなかなかブレイクできぬままレフェリーに転向した。 |
デニス・ホール
DENNIS HALL
2回 ●蛇男 ●180センチ、120キロ ●1938年 米・インディアナ州インディアナポリス出身 ●ジャイアント・スウィング ●ガルフコースト・タッグ、南部タッグ、NWA世界タッグ、USタッグ(いずれもミッドサウス版)、テネシー・タッグ |
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42 7(国) パイオニア・サマー・S、48 7(新) サマー・ファイト・S | |
高校時代からアマレス、フットボールで活躍し1960年にシカゴでプロレス入り。昭和42国際プロレスの「パイオニア・サマー・シリーズ」ではヒロ・マツダと本格派のレスリングを展開したが、マスコミの注目は浴びず。当時は一緒に来日したロジャーカービーとのコンビで売り出していた。昭和48年に新日本プロレスに参加した際はすっかりベテランの風格と身に着けていたが、さほどの活躍をできずに終わる。アメリカでは特定地区に定着することなく頻繁に各地をサーキットしていたようである。マスクを被ってタウルスを名乗ったこともあったようだ。 |
デニス・ミッチェル
DENNIS
MITCHELL1回 ●黄金の男 ●180センチ、110キロ ●イギリス・ブラッドフォード出身 ●大英帝国ヘビー |
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50 5(新) ゴールデン・ファイト・S | |
イギリス出身の選手で、1958年にまだ権威のあった大英帝国ヘビー級選手権の第6代王者になっている実力者。蛇の穴時代の縁でカール・ゴッチとは親友であったという。晩年は甥のジョン・ミッチェルとのコンビでミッチェル・ファミリーズとして活躍。来日時もジョンを帯同していたが、これといった活躍はできずに終わっている。来日するのが10年遅かったか。 |
テネシー・ドル TENNESSE DOLL 1回 | |
30 12(旧全) 日米対抗厚生大臣賞争奪試合 | |
キングストン・ケリー、ウィルソン・ドルらと来日。ウィルソン・ドルの弟。アマレスを2年経験していたので兄ウィルソンと違いテクニシャンであった。兄とのタッグで山口利夫を苦しめた。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様) |
テネシー・レベル
TENNESSE REVEL
1回 ●テネシーの反逆者 ●180センチ、110キロ ●1929年 米・オハイオ州スチューベンビル出身 2002年9月9日没 ●セントラルステーツ・ヘビー、アメリカン・タッグ |
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43 2(日) ダイナミック・S | ||
昭和43年に一度だけ来日した覆面レスラーで、正体は日本にインタータッグを持ち込んだ「重戦車」ことマイク・パドーシスであった。素顔の時よりも悪どい反則を見せていたようだ。 マイク・パドーシスの項も参照の事。 |
デビッド・サンマルチノ
DAVID
SAMMARTINO 3回 ●人間発電所2世 ●179センチ、109キロ ●1960年9月26日 米・ペンシルバニア州ピッツバーグ出身 |
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55 7(全) サマー・アクション・S、59 3(全) グランド・チャンピオン・カーニバルT、63 7(全) 88 サマー・アクション・S | ||
本名はデビッド・ルゴゴ・サンマルチノ。「人間発電所」ことブルーノ・サンマルチノの息子。ドリー・ファンクのコーチを受けてデビューする。父が設立したIWFなる独立団体のエースとして孤軍奮闘した。IWF崩壊後にはWWF入りするがいかんせん体が小さく、ファイト・スタイルもほとんどアピールする物がなかったため、トップクラスに混じって活躍することは出来なかった。父親が偉大すぎたということか。サイン |
デビッド・シュルツ(ダビッド・ショルツ*)
DAVID SHULZ
3回 ●雷神 ●197センチ、128キロ ●1950年 米・テネシー州マディソンカントリー出身 ●デビルズハング ●ミッドアメリカ・タッグ、北米ヘビー(マリタイム版、カルガリー版)、IWAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版) |
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53 9(国) ダイナマイト・S*、59 6(新) サマー・ファイト・S、60 3(新) ビッグ・ファイト・S 第1弾 | |
テネシー出身のレスラーでジェリー・ローラー軍団の一員としてテネシー、カナダ、ガルフコースト地区で活躍。特にテネシーではウェイン・ファリスとのコンビで活躍した。1983年にWWFにスカウトされるが、ABCのアナウンサーに暴行を働き、WWFを追放される。日本でも古館アナを負傷させている。私生活でも素行が悪かったようだ。後にバウンサー(賞金稼ぎ)に転職し、日本では殺されたとの報道があったが、それは同姓同名の別人であった。(補足:TMKID氏) |
デビッド・ディートン
DAVID DEATON
1回 ●中南部の若駒 ●183センチ、107キロ ●1955年 米・テキサス州出身 |
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63 10(全) 88 ジャイアント・S | |
ジョー・ディートンの兄でアメリカではホス・ディートンと名乗っていた。ジョーに説得されてネルソン・ロイヤルのコーチを受けてプロレス入り。ジョージア地区で兄弟タッグ「ニュー・テキサス・アウトローズ」で売り出す。後にジョーのパートナーがビリー・ブラックに変わった所をみると、やはりしょっぱかったのでは?(情報提供 :TMKID氏、JOE HOOKER SR氏)) |
デビッド・フォン・エリック → ダビッド・フォン・エリックを見よ。
デビッドソン兄弟 → ジョン・デビッドソン、リック・ダビッドソンを見よ。
デビル・ブッチャー
DEVIL BUTCHER ●186センチ、120キロ ●1936年 ニュージーランド・ウェリントン出身 ●ニュージーランド・ヘビー、英連邦ヘビー(ニュージーランド版)、オーストラアジア・ヘビー |
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46 1(国) 新春パイオニア・S | |
ニュージーランドのトップレスラーであるスティーブ・リッカードが正体の白覆面レスラー。ノースカロライナに突然現れて、ブルート・バーナードを血祭りにあげたとのふれこみだったが、真偽のほどは不明である。 スティーブ・リッカードも見よ。 |
デューク・ケオムカ → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。
デューク・サベージ DUKE SAVAGE (ザ・サベージ*)
2回 ●188センチ、115キロ ●1938年 チリ・チャチャポヤス(ペルー出身説、メキシコ出身説もあり) |
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42 1(日)【特】 新春・S*、50 5(国) ビッグ・チャレンジ・S | |
リングネームからも解るようにもともとは野人ギミックのレスラーであったが、見かけ倒しの典型のレスラーで、実力は全くなく、当時のマスコミに「幽霊男」と評された。8年後に来日するが、実力アップの片鱗も見ることは出来なかった。カルガリー地区では主にマネージャーをやっていたようだ。アパッチ・グリンゴのリングネームで活躍していた事もある。 |
デューク・ホフマン
DUKE HOFFMAN 1回
●黒獅子 ●186センチ、113キロ ●1932年 米・ニューヨーク州バッファロー出身 ●AWA世界タッグ |
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37 4(日) 第4回ワールド大リーグ戦、37 5(日) プロレス選抜戦(残留) | |
テクニシャン・タイプのレスラーで、ペドロ・マルチネスにスカウトされてプロレス入り。その試合振りがクリーンな事から「デューク(伯爵)」というニックネームが付けられたという。リーグ戦ではミスター・アトミック、フレッド・ブラッシーといったトップ・クラスから白星を挙げており、実力はなかなかのものであった。アメリカでは1962年にラリー・ヘニングとのコンビでAWA世界タッグ選手権を獲得している。 |
デューク・ホワード
DUKE HOWARD ●暴力教師 ●180センチ、105キロ ●1928年 米・カリフォルニア州サンディエゴ出身(テネシー州出身説もあり) |
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40 7(日) サマー・S | |
太平洋岸で連敗記録を持っていたドン・サベージの変名。本職は教師で、プロレスは夏休み限定のアルバイトだった。 詳細はドン・サベージの項参照。 |
デューク・マイヤース DUKE MYERS 1回
●190センチ、126キロ ●1950年 米・テネシー州出身 ●USタッグ(トライステーツ版)、ミッドアメリカ・タッグ、サウスイースタン・タッグ、ガルフコースト・ヘビー、北米ヘビー(カルガリー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版) |
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59 8(新) ブラディ・ファイト・S | |
カルガリー地区で売り出し、故郷のテネシーではジェリー・ローラー、デビッド・シュルツらと共にローラー軍団を結成して人気を呼んだ。来日が待望されていたが、あまりに長く待たせた割にはその後の活躍がなかったので、来日時にはほとんど話題にならなかった。日本でのファイトぶりは全くインパクトを残さず、帰国後フェイドアウト。来日するのが遅かった。(情報提供:JOE HOOKER SR.) |
テリー・ガービン
TERRY GARVIN
1回 ●金髪の狩人 ●185センチ、120キロ ●1935年 カナダ・ケベック州モントリオール ●南部タッグ(ガルフコースト版)、NWA世界タッグ(フロリダ版)、ミシシッピ・ヘビー、ミッドアメリカ・タッグ、ジョージア・タッグ、テネシー・タッグ |
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46 1(日) 新春チャンピオン・S | |
本名はテリー・ジョイヤル。「弟」のロニーとのガービン・ブラザースとして活躍したタッグの名手。初来日時も弟とのコンビで来日し、中堅当たりを相手に好勝負を展開し、評判は良かったようだが、その後一度も来日していない。どうやらロニーとはビジネス・ブラザーだったようだ。ファビュラス・フリー・バーズとして活躍したジム・ガービンの父親だという説もある。引退後はWWFのフロントに入るが、セクハラ禍に巻き込まれ解雇されている。 |
テリー・ギッブス
TERRY GIBBS
1回 ●192センチ、115キロ ●1953年 フロリダ州タンパ出身 ●ICWサウスイースタン・ヘビー、セントラルステーツ・タッグ、トライステート・ヘビー、WWC北米タッグ、カリビアン・タッグ、プエルトリカン・ヘビー |
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56 7(国) ビッグ・サマー・S | |
本名はマニュエル・セイン。国際プロレス最後のシリーズに来日したレスラーで、ボブ・ループのコーチを受けてフロリダでデビュー。来日当時はミズリー、オクラホマ、アーカンソーの各州が認定する初代トライステーツ王者となり、ミスター・ポーゴとの抗争で名を上げた。昭和56年8月8日根室でジェリー・オーツとのコンビで井上、原組の保持していたIWA世界タッグに挑戦しているが、これが最後のIWA世界タッグ選手権となった。アメリカの中西部がメインテリトリーだったが、プエルトリコでも活躍。バディ・ランデルとのコンビでタッグ戦線の主役となる。WWFにも登場しているが、TVマッチの負け役(ジョバー)であった。当時の雑誌にはアラバマ州モービル出身とあるが、来日時のインタビューで本人がタンパ出身と明言している。サイン (写真撮影:HARU1番様) |
テリー・ゴーディ
TERRY GORDY
15回 ●人間魚雷 ●195センチ、140キロ ●1961年4月23日 米・テネシー州ロアビル出身 2001年7月16日没 ●パワーボム ●ミシシッピ・ヘビー、ミッドアメリカ・タッグ、ルイジアナ・ヘビー、ミッドサウス・タッグ、ナショナル・タッグ、サウスイースタン・ヘビー、アラバマ・ヘビー、アメリカン・タッグ、アメリカン・ヘビー、UWF世界ヘビー、世界タッグ(全日本プロレス)、3冠ヘビー(全日本プロレス) |
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58 8(全)【特】 スーパー・パワー・S、59 1(全) 新春ジャイアント・S、59 10(全) ジャイアント・S、60 5(全) 85激震!サンダー・ウォーズ、60 8(全) 85決戦!ダイナマイト・ウォーズ、60 10(全) ワールド・チャンピオン・カーニバル、60 11(ジ) ニューウェーブ・イン・ジャパン(残留)、、61 2(全) エキサイティング・ウォーズ 86、61 5(全)【特】スーパー・パワー・S、61 8(全)【特】 86 サマーアクション・SU、61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦、62 2(全) 87 エキサイト・S、62 10(全) 87 ジャイアント・S、62 11(全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦、63 2(全) 88 エキサイト・S、63 7(全) 88 サマー・アクション・S、63 11(全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦 | |
マイク・ボイエッチにスカウトされ13歳でプロレス入りしたといわれており、同じくボイエッチにスカウトされたマイケル・ヘイズと意気投合し、ファビュラス・フリーバーズをテネシーで結成。テネシー周辺の対つろを総なめに死、ハリウッド・ブロンドスのバディ・ロバーツをマネージャーにし、ダラスに転戦してから大ブレイク。全米的なスターとなる。フリーバーズを抜けた後は日本に頻繁に来日し、テリー・ファンクの引退試合の相手を勤めるなど、馬場の信頼を得る。後にスティーブ・ウィリアムスとコンビを結成。このコンビは日本で暴れた外国人タッグの中でも屈指の強さを誇っていた。2001年死去。 |
テリー・ファンク TERRY FUNK 31回 ●テキサスの荒馬 ●188センチ、118キロ ●1944年6月30日 米・インディアナ州ハモンド出身 ●ローリング・クレイドル、スピニング・トーホールド ●NWA世界ヘビー、NWA世界タッグ(テキサス版)、ウエスタンステート・ヘビー、フロリダ・ヘビー、フロリダ・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、インターナショナル・タッグ(日本プロレス)、ミズーリ・ヘビー、アメリカス・ヘビー、USヘビー(ミッドアトランティック版)、WWC世界タッグ、WWF世界タッグ(ロス版)、ECW世界ヘビー、WCWハードコア、WCW・USヘビー |
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45 7(日)NWAチャンピオンS、46 11(日)【特】 ワールド・チャンピオン・S、47 10(全)【特】旗揚げジャイアント・S、48 10(全)【特】創立1周年記念ジャイアント・S、49 1(全)【特】新春NWA・S、49 8(全)【特】サマー・アクション・S第2弾、50 2(全)【特】エキサイト・S、51 5(全)【特】NWAチャンピオン・S、52 12(全) 世界オープン・タッグ選手権大会、53 7(全)【特】第1次サマー・アクション・S、53 12(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、54 7(全)【特】サマー・アクション・S、54 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、55 3(全) 第8回チャンピオン・カー二バル、55 10(全)【特】 ジャイアント・S、55 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、56 4(全) 【特】インター・チャンピオン・S、56 10(全) ジャイアント・S、56 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、57 4(全) グランド・チャンピオン・S、57 8(全) スーパー・パワー・S、57 11(全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦、58 3(全) グランド・チャンピオン・カーニバルT、58 7(全) グランド・チャンピオン・カー二バルV、58 8(全)【特】 スーパー・パワー・S、59 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、60 8(全) 【特】85決戦!ダイナマイト・ウォーズ、60 10(全)【特】ワールド・チャンピオン・カーニバル、61 10(全)【特】 86 ジャイアント・S、61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦、62 11(全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦 | |||
本名はテレンス・ファンク。昭和50年代日本では一番人気のあったレスラーで、女性ファン集団がついた最初のレスラーではないか? しかし一方ではあまりの人気に嫉妬してか、彼のことをあまり好まないファンも多いのは事実であった。しかし日本で一時代を築いた数少ないレスラーのひとりである。特にアブドーラ・ザ・ブッチャーとの抗争はファンを釘付けにした。昭和58年に引退を宣言し惜しまれつつ引退したものの、翌年にはあっさりと復活し、女性ファンはもとよりプロレス・ファンのヒンシュクを買った。近年はパンチドランカーのような症状が出て、試合後は記憶をなくすこともあるという。しかし今なお現役で活躍中というからすごい。 サイン |
テリー・マーチン TEREY MARTIN 1回 ●178センチ、110キロ ●生年月日不明 カナダ・ノーバスコシア州出身 ●北米タッグ(セントラルステーツ版)、インターナショナル・タッグ(マリタイム版、カルガリー版)、セントラルステーツ・ヘビー、カナディアンTV(トロント版) |
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51 2(全) エキサイト・S | ||
本名はロメオ・コルミアー。カナダで有名なマーチン4兄弟の四男。兄はザ・ビーストとレオ・バーク。テリー・マーチンはカンサスでのリングネームで、兄のレオ・バーグ(トミー・マーチン)とのタッグで活躍していた。カンサス時代の昭和51年に全日本プロレスに登場したのが唯一の来日。なかなかのテクニシャンだったが小柄だったのが致命傷であった。大西洋岸地区ではテリー・ケイ、カルガリーではボビー・バーク、地元ではボビー・ケイと名乗った。 |
テリー・ラザン
TERRY LATHAN 1回 ●南部の暴れん坊 ●178センチ、103キロ ●アラバマ州モービル出身 ●中南部タッグ、ガルフコースト・タッグ |
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56 4(国) ビッグ・チャレンジ・S | ||
崩壊寸前の国際プロレスの「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」に来日し、ポール・エラリングとのコンビで浜口&井上組からIWA世界タッグを見事に獲得する活躍をしたが、月刊ゴングの選手紹介に「正直なところ、どんなファイトをするのか見当もつかない」と書かれたほど知名度の低い選手だった。崩壊寸前の国際プロレスだったからこその活躍だったといえよう。結局は井上&原の新コンビに破れ王座転落。中。ただタッグ・プレーヤーとしては光るものがあった。 追加情報:昭和51年1月号の月刊プロレスに「76年のスター候補」としてグラビアで紹介されていた。当時はオクラホマで活躍していたようだ。サイン |
テリー・ルージ
TERRY
RUDGE ( テリー・ロッチ*)
4回 ●英国の魔豹 ●185センチ、98キロ ●生年月日不明 イギリス・ロンドン出身 ●スープレックス |
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48 10(新) 闘魂シリーズ第2弾、48 12(新) ワールドタイトル・チャレンジS(残留)、51 8(新) 闘魂S、52 4(新) ゴールデン・ファイト・S、60 1(旧U)サンライズ・ウイークス* | |||
昭和48年、新日本プロレスの闘魂シリーズ第2弾にに初来日、ビリー・ライレー・ジム出身ということで注目を集め、しぶとい試合振りで玄人ファンをうならせ、特に同じような体格の木戸修とは手があった。テリー・ロッジとも表記された。デーブ・モーガンの実弟ということだが、なるほど良く似ている。 |
テリー・ロッヂ
TERRY
RUDGE ●英国の魔豹 ●185センチ、98キロ ●生年月日不明 イギリス・ロンドン出身 ●スープレックス |
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60 1(旧U)サンライズ・ウイークス | ||
テリー・ルージの変名。詳細はテリー・ルージの項参照。 |
ザ・テンペスト
THE
TEMPEST ●暴風仮面 ●184センチ、116キロ ●1956年9月26日 カナダ・ケベック州モントリオール出身 ●インターナショナル・タッグ(モントリオール版) |
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51 9(国) ビッグ・ゴールデン・S | ||
カナダのカルガリーで暴れていた「暴風仮面」のニックネームがあったマスクマンで、国際プロレスの昭和51年「ゴールデン・シリーズ」に来日。ラフファイターではなくテクニシャンだったそうだ。正体はディック(=リチャード)・チャーランドだといわれている。
リチャード・チャーランドの項も見よ。 |