来日全外国人レスラー名鑑 タ(1)

 

ターザン・ジャコブス TARZAN JACOBS 1回
●鋼鉄の筋肉 ●190センチ、115キロ
●1933年 南アフリカ・ヨハネスブルグ ●変形さそり固め
48 7(新) サマー・ファイト・S
新日本プロレスに一度だけ来日したレスラーで、鎖を体中に巻きつけて入場し痛みは一切感じないというギミックで売った怪奇派レスラー。体格は普通のレスラーと替わらないにもかかわらず、主に若手レスラーとのハンディキャップ・マッチに出場していた。このハンディキャップ・マッチでも負け知らずの快進撃を続け、遂には猪木との一騎打ちにまで持ち込んだが、あっさり完敗。坂口征二が南アフリカに遠征した際にも対戦している。

 

ターザン・ゾロ TARZAN ZORO ( ドクター・X *) 2回
鋼鉄仮面、鋼鉄怪人 ●186センチ、115キロ
●1926年 ミシガン州出身(オランダ出身説もあり) ●フルネルソン
●ヨーロッパ・ヘビー、ハワイ・タッグ、フロリダ・ヘビー、オールスター・ヘビー(モントリオール版)
41 11(日) ウインター・S、46 9(国) ダイナマイト・S *
本名はジェイコブ・ロッブ。昭和41年に来日し、エディ・モレア(ジャック・クレイボーン)とのコンビで馬場の返上により空位になったアジア・タッグ選手権を大木、吉村組と争った大型マスクマンで、正体はニューヨーク一帯で活躍していたハンス・モーティアことジャック・ロブであった。目と口の部分しか穴が空いていないマスクが不気味である。後にドクター・Xとしてふたたびマスクを付けて来日しているが、素顔のハンス・モーティアとしての来日経験はない。

未来日外国人レスラー名鑑のハンス・モーティアの項も見よ。

 

ターザン・タイラー TARZAN TYLER 5回
●密林王 ●185センチ、120キロ
●1929年 カナダ・ケベック州モントリオール(フランス出身説もあり) 1985年12月20日 ●ブレンバスター
●セントラルステーツ・ヘビー、ジョージア地区世界ヘビー、南部ヘビー(フロリダ版)、インターナショナル・タッグ(日本プロレス)、ジョージア・ヘビー、フロリダ・ヘビー、ミッドウエスト・ヘビー
42 9(日) ダイヤモンド・S、43 4(日) 第10回ワールドリーグ戦、45 4(日) 第12回ワールドリーグ戦、48 4(国) ダイナマイト・S、51 1(全) 新春ジャイアント・S
本名はカミール・トゥービル。生肉を食うゴリラ男として一世を風靡したラフ・ファイターで、試合中に暴れ過ぎたためリング上で警察官に手錠をかけられて連行されるという前代未聞の不祥事を起こした事で、世界中に名を知らしめた。初来日ではビル・ワットとのコンビでインター・タッグを獲得するなどの活躍を見せるが、カナダでアンドレ・ザ・ジャイアントのツームストン・パイルドライバーで頚椎損傷の大ケガを負ってからは生彩を欠いた。1985年12月20日に交通事故で死亡。サイン

 

ターザン・バクスター TARZAN BAXTER ( レオン・バクスター *) 2回
●密林王 ●178センチ、108キロ
●1938年6月4日 米・アラバマ州ドゥーサン出身
●北米ヘビー(トライステート版)、USタッグ(トライステート版、ガルフコースト版)、ガルフコースト・ヘビー、ガルフコースト・タッグ、アラバマ・ヘビー
46 5(日) ゴールデン・S、 47 7 (新) ニュー・サマー・S*
本名はエドワード・レオン・バクスター。主に東部地区で活躍した中堅のベテラン・レスラー。典型的なローカル・レスラーだが、1970年にはホーマー・オーデル大佐のマネージメントでミズーリ州スプリングフィールドでドリー・ファンク・ジュニアに挑戦し、陰謀がらみとは言え幻の世界王者になったこともある。オクラホマでは、ダニー・ホッジとライバル関係にあったという。ガルフコーストでは白覆面のレスリング・プロとして活躍、また、テネシーでは新日本プロレスに一緒に来日したディック・ダンとマスクド・スーパースターズを結成していた。

公式サイトはこちら http://wrestlingpro.8m.com

 

ザ・ターミネーター THE TERMINATER 1回
●破壊軍師 ●188センチ、110キロ
●1964年 米・ミネソタ州ミネアポリス出身
●PWFタッグ(フロリダ版)、IWFタッグ(フロリダ版)
62 11(全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦
本名はマーク・ラリナイダス。トム・ジンクとのコンビで世界最強タッグに参加したペイントレスラーで、アニマル・ウォリアーとジョニー・エースの弟。ノースカロライナ地区でリング屋をしながらネルソン・ロイヤル・ジムに通いレスラーになったという努力家。兄のジョニー・エースが「アニマルの弟」というイメージを払拭し一流レスラーになったのとは対照的にターミネーターは終始兄の七光りに悩みつづけ、大成することなく引退していった。

 

ターロック・シン TARLOK SINGH 1回
●インドの巨人 ●198センチ、136キロ
●1926年 インド・パンジャブ出身
●インド・ヘビー、西南アジア・タッグ
34 5(日) 第1回ワールドリーグ戦
インド・レスリングの王者であったと言われる198センチの巨人。記念すべき第1回ワールド・リーグ戦にインド代表として参加したが、ダラ・シンのような活躍は出来ず、白星配給係に甘んじた。私生活は豪快で「節制」を知らず豪遊と続けたが、象狩りに出かけたまま行方不明になり、発見された時は足が不自由になっており、その後は乞食同然の生活を送ったといわれている。

 

ダイアモンド・ベア DIAMOND BEAR 1回
31 9(亜) 国際プロレス試合
東亜プロレス31年926日大阪府立体育館で白頭山に0−2で敗れたという記録がある。素性は不明。(解説:JOE HOOKER SR氏)

 

ザ・タイガー THE TIGER
猛虎仮面 ●180センチ、110キロ
●1944年10月21日 ニュージーランド・オークランド出身
●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、パシフィックノースウエスト・タッグ、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)
48 1(新) 新春バッファロー・S
まだテレビのついていない新日本プロレスにエースとして来日した覆面レスラーで、特に子供に人気を博した。しかしレスリングもなかなかの腕前で中堅どころは軽く料理していたようだ。正体はなんと後にスイート・ウィリアムスとのキウィズ、シープハーターズなどで活躍したボブ・ミラーである。

ボブ・ミラーの項も見よ。

 

タイガー・ジェット・シン TIGER JEET SINGH 47回
インドの猛虎 ●190センチ、120キロ
●1944年 インド・パンジャブ州出身 ●コブラクロー、ブレンバスター
●USヘビー(トロント版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、インターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、NWF世界ヘビー、NWF北米ヘビー、アジア・ヘビー(新日本プロレス)、NWA北米タッグ、UWA世界ヘビー、インターナショナル・タッグ(全日本プロレス)
48 5(新)【特】 ゴールデン・ファイト・S、 48 10(新) 闘魂シリーズ第2弾、49 5(新) 【特】ゴールデン・ファイト・S、50 2(新) ビッグ・ファイト・S、50 5(新)【特】ゴールデン・ファイト・S、 51 1(新) 新春黄金・S、 51 7(新) アジア・リーグ戦、 52 1(新) 新春黄金・S、52 4(新)【特】第4回ワールド・リーグ戦、52 6(新) アジア・チャンピオン・S、 53 1(新) 新春黄金S、53 8(新) ゴールデン・ファイト・S、54 2(新) ビッグ・ファイト・S、 54 6(新)【特】サマー・ファイト・S、54 8 8・27夢のオールスター戦、54 8(新) ブラディ・ファイト・S(残留)、 5410(新)【特】闘魂S、 55 6(新) サマー・ファイト・S、5510(新) 闘魂S、5511(新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦、56 1(新)【特】新春黄金S、56 3(新)【特】 WWFビッグ・ファイト・S、56 4(新)【特】 WWFビッグ・ファイト・S第2弾、56 5(新)【特】第4回MSG・シリーズ、56 7(全) サマー・アクション・S、 5610(全)【特】 ジャイアント・S、5611(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、57 5(全) エキサイト・S、57 7(全) サマー・アクション・S、 58 1(全)【特】新春ジャイアント・S、 58 2(全) エキサイト・S、58 7(全) グランド・チャンピオン・カー二バルV、 5811(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、59 5(全) グランド・チャンピオン・カーニバルU、 5911(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、 60 1(全) 85激突!オールスター・ウォーズ、60 5(全) 85激震!サンダー・ウォーズ、60 8(全) 85決戦!ダイナマイト・ウォーズ、61 2(全) エキサイティング・ウォーズ 86、61 5(全)【特】 スーパー・パワー・S、61 8(全)【特】86 サマーアクション・SU、6110(全) 86 ジャイアント・S、62 1(全) 87 新春ジャイアント・S、 62 5(全) 87 スーパー・パワー・S、6210(全) 87 ジャイアント・S、63 3(全) 【特】88 チャンピオン・カーニバル、63 5(全) 88 スーパー・パワー・S、6311(全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦
本名はジャグジット・シン・ハンス。正式なリングネームはタイガー・ジート・シン。日本のプロレス史上もっとも憎まれたレスラーであろう。デビュー当時はヒンズー・ハリケーンと名乗ったようだが、昭和44年12月号のゴング誌の特別付録「まだ見ぬ強豪88人」にはタイガー・ジェット・シンとして紹介されている。面白い事にこの付録の中で「一説にはアクラム・ペールワンといわれている」という解説がある。1970年頃ジョニー・バレンタインからカナダ・ヘビー級選手権を獲得し、カナダではスターとなる。日本へはスティーブ・リッカードの用心棒として来日、当時はニュージーランドを主戦場としていたため、当地の実力者リッカードがつれてきたのであろう。試合中に乱入をくり返し正式参戦する。新宿伊勢丹前での猪木襲撃、大阪での腕折り事件など猪木との抗争を続けるが、スタン・ハンセンやWWF勢の台頭でトーンダウン。全日本プロレスに移籍するも、水が合わなかったか完全に生彩を欠いていた。

 

タイガー・ジャクソン TIGER JACKSON 1回
29 2 (旧全) 日米対抗プロレス試合
詳細はまったく不明。情報募集中。

 

タイガー・ジョキンダー TIGER JOGINDIR 1回
●マレーシアの虎 ●187センチ、136キロ
●1912年 マレーシア出身
●東南アジア・ヘビー、アジア・タッグ
30 11(日) アジア選手権大会
アジア選手権大会にマレーシア代表として参加したインド系マレーシア人。戦前戦後の22年間を通じて3敗しかしていないという全英選手権のバート・アズラッティを倒したという強豪だが、シングル部門のリーグ戦では全敗。しかしタッグ部門ではキング・コングとのコンビで優勝し初代アジア・タッグ選手権者となった。

 

ダイドーネ・ムッソリーニ DAIDONE MUSSOLINI 1回
●血の独裁者 ●178センチ、107キロ
●1930年 イタリア・ローマ出身
4710(国) ビッグ・ウインター・S
ホセ・アローヨのパートナーとしてスペインを主戦場にしたいたが、日本へもアローヨとともに来日。名前からもわかるようにイタリア出身のレスラーで、プロレス入りする前はボクサーを目指していたという。アメリカ、イギリス、フランスでの試合経験もあったという。ヨーロッパには珍しいラフ・ファイターだった。実力的にはたいしたことはなかった。

 

ダイナマイト・キッド DYNAMITE KID 13回
●爆弾小僧 ●180センチ、98キロ
●1958年12月5にち イギリス・ランカシャー州ゴルボーン出身 ●ダイビング・ヘッドバット
●イギリス・ライト級、イギリス・ウエルター級、英連邦ミッド・ヘビー、世界ミッドヘビー(カルガリー地区)、パシフィックノースウエスト・ヘビー、北米ヘビー(カルガリー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、WWFジュニアヘビー、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー、WWF世界タッグ
54 6(国)【特】 ビッグ・サマー・S、55 1(新) 新春黄金S、56 4(新) WWFビッグ・ファイト・S第2弾、57 1(新) 1・1三大スペシャルマッチ、57 1(新) 新春黄金・S(残留) 、57 7(新) サマー・ファイト・S第2弾、 58 4(新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、59 1(新) 新春黄金S、 59 6(新) サマー・ファイト・S、5911(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、60 1(全) 85激突!オールスター・ウォーズ、60 5(ジ) ビッグラリアート・フェスティバル、60 5(全) 85激震!サンダー・ウォーズ(残留) 、6011(全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦、64 1(全) 89 新春ジャイアント・S
本名はトム・ビリントン。1975年にイギリスでデビュー。全英、欧州の両ウエルター級王者となった後カナダ・カルガリーに渡り、ここでも英連邦ジュニア・ヘビー級王者となる。昭和54年に国際プロレスに初来日、阿修羅原のWWUジュニアヘビー級選手権に挑み引分け、帰国後カルガリーで藤波のWWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦しこれも引分け脚光を浴びる。当時はブロンドの髪を伸ばしたキザなキャラクターだったが、昭和55年の新日本プロレスへの初参加の時には丸坊主になっておりファンを驚かせた。外人には珍しい妥協のないファイト振りで多くのファンの支持を得た。後にWWFのスターとなるが、彼が輝いていたのはタイガーマスクとの一連の抗争を展開していた時であろう。現在はステロイドの副作用でやせ細っている。サイン

 

ダイナマイト・クリス DYNAMITE CHRIS 1回 (留学生時代は除く)
●空飛ぶ天馬 ●175センチ、100キロ
●1967年5月21日 カナダ・ケベック州モントリオール出身 2007年6月23日没 ●ダイビングヘッドバット
●英連邦ミッドヘビー、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
62 11(新) 87 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦
本名はクリス・ベノワ。カルガリーからの留学生として来日し、巡業について廻りながらコーチを受けた。帰国後の初来日が「ジャパン・カップ争奪リーグ戦」であった。後にマスクを被りペガサス・キッドとなり新日本プロレスのジュニア戦線の中心人物となる。ライガーに覆面を取られた後、本名のクリス・ベノワに戻りWCWに登場。WWEで大スターとなり、アメリカ・プロレス界のトップ・クラスに名を連ねていたが。2007年6月22日に妻を殺害、翌日息子も殺害し首吊り自殺を果たした。留学生当時の写真を見るとダイナマイト・キッドそっくりである。

 

タイニー・ミルズ TINY MILLS 1回
●極道 ●188センチ、125キロ
●1911年 カナダ・アルバータ州キャモース出身 没年不明
●カナディアン・タッグ(カルガリー版)、カナディアン・オープン・タッグ(トロント版)、テキサス・タッグ、NWA世界タッグ(シスコ版、セントラルステーツ版)、AWA世界タッグ、ノースダコタ・ヘビー、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
33 11(日) プロレス国際大試合
本名はヘンリー・ミトルスタット。兄のロード・アルバート・ミルズとのコンビで売り出す。AWA地区で活躍したラフファイターで、スタン・コワルスキー(ビッグK)とのコンビでAWA世界タッグを保持していた実力者。日本にもコワルスキーとのコンビで来日したが、日本では本国のような活躍が出来なかったようで、彼らが参加したシリーズは力道山が海外遠征中だったこともあり、不入りが続いたという。すでに故人。

 

ダグ・ギルバート DOUG GUILBERT (ザ・プロフェッショナル*) 3回
●赤毛の軽業士 ●185センチ、125キロ
●1932年 米・ネブラスカ州オマハ出身(イリノイ州シカゴ出身説もあり) ●サマーソルトキック
●AWA世界タッグ、ミッドウエスト・タッグ、ジョージア・ヘビー、ジョージア・タッグ、カリフォルニアTV、フロリダ・タッグ、セントラルステーツ・ヘビー
46 2(日) ダイナミック・ビッグ・S、 48 1 (国) 新春パイオ二ア・S* 、50 5 (新) ゴールデン・ファイト・S*
本名はダグ・リンゼイ。昭和46年の日本プロレス「ダイナミック・ビッグ・シリーズ」に初来日。あんこ方の体形に似合わずサマーソルト・キックなどを繰り出し、ファンを驚かせた。ミル・マスカラスとのタッグでアジア・タッグ選手権に挑戦したが狙い撃ちにされ完敗している。後にマスクを被りプロフェッショナルとして国際プロレス、新日本プロレスにそれぞれ来日している。晩年にはヒゲを生やしガスハウス・ギルバート(写真右)と名乗ってWWWF地区で活躍し、猪木のMSG出場の際の対戦候補にもなった。引退後はレフェリーに。

ザ・プロフェッショナルも見よ。

 

ダグ・サマーズ DOUG SOMERS 1回
●185センチ、105キロ
●1951年 米・ミネソタ州ミネアポリス出身
●ウエスタンステーツ・ヘビー、トライステーツ・タッグ、AWA世界タッグ
50 11(全) 第2弾ジャイアント・S
ミネソタ州の出身で1972年にバーン・ガニアのレスリング・キャンプに入門。バディ・ウォルフのコーチを受けてAWAでデビュー。昭和50年に初来日。帰国後はNWAに移籍して中西部地区をサーキットするが、これと言った活躍は出来ず、1986年に古巣のAWA地区に復帰、ここでレスリング・キャンプで同期生だったバディ・ローズとのコンビでAWA世界タッグ選手権を獲得し、ようやく陽の目を見た。しかしその後は尻すぼみでいつしかフェードアウトしてしまった。

 

タグ・ファーナス DOUG FURNAS 1回
●筋肉獣 ●181センチ、124キロ
●1962年12月11日 米・テネシー州ノックスビル
●アジア・タッグ(全日本プロレス)、USヘビー(アラバマ版)、UWA世界タッグ、ECW世界タッグ
63 10(全) 88 ジャイアント・S
本名はドウェイン・フィーリー。テネシーの出身でテネシー大学卒業後はプロフットボールのデンバー・ブロンコスで活躍。その後、重量挙げに興味を持ち1986、1987年に全米チャンピオンになり、19個の世界記録を作ったと言われている。1987年にケビン・サリバンにスカウトされてプロレス入り。中西部地区をサーキットしていた時期に全日本プロに来日。その後カルガリーでダニー・クロファットとカンナム・エキスプレスを結成。全日本プロレスの常連となり、アジア・タッグ選手権も獲得した。

 

ダシラン・シン DASHRAN SINGH 1回
●183センチ、92キロ ●生年月日出身地不明
60 5(全) 85激震!サンダー・ウォーズ
タイガー・ジェット・シンがつれてきたダメ・パートナーのうちの一人。あまりにも不甲斐なかったためかわずか2試合出場しただけで帰国している。

 

ダスティ・ローデス DUSTY ROHDES 12回
●アメリカン・ドリーム ●186センチ、135キロ
●1945年10月12日 米・テキサス州オースチン出身(アリゾナ州フェニックス出身説もあり) ●エルボードロップ
●北米ヘビー(セントラルステーツ版、ハワイ版)、セントラルステーツ・ヘビー、NWA世界タッグ(デトロイト版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、フロリダ・ヘビー、ジョージア・ヘビー、NWA世界ヘビー
46 11(国) ビック・ウインター・S、48 6(国) ビッグ・サマー・S、5011(全) 第2弾ジャイアント・S、50 12(全)オープン選手権(残留)、5410(新)【特】闘魂S、55 4(新)【特】第3回MSG・シリーズ、5511(新)【特】第1回MSGタッグ・リーグ戦、56 5(新)【特】第4回MSG・シリーズ、5611(新) 【特】第2回MSGタッグ・リーグ戦、57 1(新)【特】新春黄金・S、57 3(新)【特】第5回MSG・シリーズ、59 1(新)【特】新春黄金S
1970年代から1980年代のアメリカで最高の人気を誇ったレスラー。アウトローズ時代は本名はケニー・マードックといいディック・マードックの叔父(フランク・マードックの8人兄弟の末っ子)であるとする説もあったが、本名はバージル・ラネルズ・ジュニアであることが判明している。初来日はシングル・プレーヤーとして国際プロレスに参加、ディック・マードックとのジ・アウトローズとしては昭和48年に初来日。以後、全日本、新日本の順で移籍し、新日本プロレスで人気爆発。日本側に加わってファイトしたシリーズもあったが、猪木とはまったく手が合わなかった。技術的には疑問が残るが、人気だけを見れば超一流だったといわざるを得ない。典型的なアメリカン・ショーマンスタイル・レスラーである。(左写真提供:花園えびす様)サイン

 

ダッチ・サベージ DATCH SAVAGE 6回
●黒い殺人鬼 ●193センチ、124キロ
●1935年6月9日 米・ペンシルバニア州スクラントン出身 ●パイルドライバー
●北米ヘビー(セントラルステーツ版)、パシフィックノースウエスト・ヘビー、ハワイ・ヘビー、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)
42 5(日) ゴールデン・S、45 4(日) 第12回ワールドリーグ戦、 46 5(日) ゴールデン・S、46 6(日) 第2次ゴールデン・S(残留)、47 10(全) 旗揚げジャイアント・S、49 2(全) エキサイト・S、50 2(全) エキサイト・S
本名はフランク・スチュワート。バンク^バーやパシフィックノースウエスト地区のスターで長くパシフィックノースウエスト王座に君臨したレスラーだが、日本では来日回数が多い割にはパッとした活躍をしていない。強いてあげれば「第12回ワールド・リーグ戦」で優勝戦線に顔を出した事ぐらいか。PNW地区では最もセクシーなレスラーと評され「スーパー・フライ」という愛称で呼ばれたが、空中殺法どころかドロップキックもださなかった。ただ馬場には気に入られたようで、初期の全日本プロレスに準エース級の扱いで来日している。

オフィシャルサイトはこちら

 

ダッチ・マンテル DATCH MANTEL 2回
●アウトロー戦士 ●185センチ、105キロ
●1949年11月29日 米・カンサス州カンサスシティ
●南部ヘビー(テネシー版)、NWA世界タッグ(セントラルステート版)、ミッドアメリカ・ヘビー、WWC北米ヘビー、CWAへびー、AWA南部ヘビー
55 1(全) 新春ジャイアント・S、59 4(旧U)UWFオープニング・S
本名はウエイン・コーワン。カンサス州の出身で、地元のプロモーター、ボブ・ガイゲルにスカウトされてプロレス入り。中西部地区でロン・バスとのニュー・アウトローズで売り出したラフ・ファイターで、小柄ながら小気味のいいファイトを見せて評判が良かった。旧UWFの旗揚げシリーズにも参加。開幕戦では前田明の相手を勤めた。アメリカではテネシー地区で活躍し、ジェリー・ローラーと抗争を繰り広げた。

 

ダッチ・ムラー DUTCH MULLER 1回
32 1(日) 力道山渡米壮行プロレス大会
詳細不明。情報募集中。

 

ダッチマン DUTCHMAN 1回
36 1(日) プロレス春の国際試合
詳細不明。情報募集中。