来日全外国人レスラー名鑑 ス(2)

 

スティーブ・R・ブラックマン STEVE R BLACKMAN 1回
●185センチ、122キロ
●1963年8月28日 米・ペンシルバニア州アンヴィル出身
●スタンピードTV、WWFハードコア
63 1(新) 88 新春黄金・S
本名はスティーブ・ブラックマン。トニー・アルチモアにスカウトされ、ボストンでデビュー。空手有段者でキックボクサーとしても鳴らした。帰国後消息を断った(カナダでマーシャルアーツの道場を開いていたという)が、1997年に突然米WWFマットに登場。竹刀などを武器とした格闘スタイルで、いわゆるハードコア・マッチ路線で活躍している。(情報提供:黒い一羽鷹氏)

 

スティーブ・アームストロング STEVE ARMSTRONG 2回
●南部の若大将 ●190センチ、110キロ
●1956年3月16日 米・ジョージア州アトランタ ●ドロップキック
●南部タッグ、フロリダ・タッグ、コンチネンタル・タッグ、WCW・USタッグ
63 7(新) サマー・ファイト・S、 63 11(新) 88 ジャパンカップ・S
レスリング一家として有名なアームストロング・ファミリーの三男。地元のアラバマでデビューし、兄のブラッド、スコットとのアームストロング・ブラザーズで人気を博した。その後、修行の為にフロリダに転戦、ここでトレイシー・スマザーズとサザン・ボーイズを結成。このコンビで新日本プロレスにも参加。「ジャパンカップ・シリーズ」では、ジョージ高野を加えたコンビで出場し、フレッシュなファイト振りで人気を博した。平成に入ってからはザ・ファルコンとして全日本プロレスに参加している。

 

スティーブ・ウイリアムス STEVE WILLIAMS 6回
●殺人医師 ●197センチ、135キロ
●1960年5月14日 米・コロラド州レイクウッド ●アバランシュホールド
●ミッドサウス・タッグ、UWF世界ヘビー、NWA世界タッグ、3冠ヘビー、世界タッグ(全日本プロレス版)
61 7(新) バーニングスピリット・イン・サマー、61 10(新) 闘魂・S、62 2(新) スプリング・フレアーアップ 88、 62 10(新) 闘魂S、 63 1(新)【特】 88 新春黄金・S、63 10(新) 闘魂S
プロ・フットボーラーとして活躍している所をビル・ワットに口説かれてプロレス入り。オクラホマを中心とした新興団体UWFで主に活躍した。ダラスでアントニオ猪木と対戦し大善戦、この試合で一気に注目を集め、強烈なオクラホマ・スタンピードで日本陣営を苦しめた。平成に入ってから、全日本プロレスにレンタル出場し、そのまま定着。テリー・ゴディとのコンビで人気を博した。晩年は舌癌にかかり闘病。2009年12月29日永眠。

 

スティーブ・オルソノスキー STEEVE OLSONOSKI 2回
●AWAの若大将 ●186センチ、108キロ
●1954年7月3日 米・ミネソタ州出身 ●サイドスープレックス
●ジョージア・ジュニアヘビー、ナショナル・ヘビー、ナショナル・タッグ(ジョージア版)
56 4(国) ビッグ・チャレンジ・S、59 1(全) 新春ジャイアント・S

AWAの期待の星として国際プロレスの昭和56年「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」に初来日し、いきなり木村のIWA世界タイトルに挑戦したが、木村の秘密兵器の裏4の字固めに敗れる。この来日時にオポジションの全日本プロレスの控え室を訪れ、ジャイアント馬場に挨拶することも忘れなかったちゃっかり者。それがものを言ったか、全日本プロレス登場時にはインターナショナル選手権に挑戦する抜擢を受けた。AWAからジョージア地区に転出しナショナル・ヘビーを獲得するなどの活躍を見せる。AWAではグレッグ・ガニアとニュー・ハイフライヤーズも結成している。晩年は福岡県出身のスーパー・ニンジャなるギミックに挑戦したが、故障が多く、最終的にはひざの故障が完治せずに引退してしまった。(写真撮影:HARU1番様) サイン

 

スティーブ・カーン STEVE KEIRN 3回
●南部の虎 ●182センチ、100キロ
●1951年9月10日 米・フロリダ州タンパ出身 ●原爆固め
●USタッグ(フロリダ版)、フロリダ・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、フロリダ・ヘビー、ジョージア・ヘビー、ジョージア・タッグ、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー
50 4(全) 第3回チャンピオン・カーニバル、55 1(新) 新春黄金S、55 10(新) 闘魂S
本名はステファン・ポール・カーン。元レスラーでフロリダのプロモーター エディ・グラハムの秘蔵っ子で、全日本プロレスに初来日したころから将来が嘱望されていた。1979年サンディエゴでチャボ・ゲレロを破り、NWAインター・ジュニアヘビー級王座を獲得。翌年新日本プロレスに来日し、藤波の挑戦を受けるが、運悪くタイトルマッチ直前に指を骨折し、全力を出し切れぬまま王座転落。それまでの試合ではストロング小林や長州力からフォール勝ちを奪っていたので、実力はかなりのものであった。その後テネシーに転戦し、スタンリー・レーンとのファビュラス・ワンズで人気を博す。解散後はフロリダに戻り細々と活動していたが、突然WWFに乞食キャラのスキナーとして登場、その後もピエロのドインクに変身するなど凋落していった。しかし現在はWWEのファーム団体の代表に就任している。サイン

 

スティーブ・ケーシー STEVE CASSEY 3回
●英国の閃光 ●188センチ、105キロ
●1963年 イギリス・スコットランド出身
62 10(新) 闘魂S、63 4(新) スーパー・ファイト・S、63 10(新) 闘魂S
あの「怪僧ラスプーチン」ことワイルド・アンガスの実子。少年時代からレスリングを始め1980年にイギリスでデビュー。1984年にアメリカに渡り大西洋岸から中西部地区をサーキットした。欧州流のテクニックと、アメリカン・スタイルのラフとを兼ね備えた貴重な中堅だった。(追加情報 :黒い一羽鷹氏)

 

スティーブ・スタンレー STEVE STANLEE 1回
●180センチ、105キロ
●1920年2月29日 米・イリノイ州シカゴ出身
●オハイオ・ヘビー
41 12(東) チャンピオン・S
本名はポール・オズエワルド・ジゴウィッツ。アメリカでは人気を誇ったジーン・スタンレーの実弟。ボディビル出身で来日前は豊登との怪力合戦が期待された。しかし猪木の保持していたUS選手権に挑戦しているがストレート負け。猪木がタイトルマッチを行うことを渋ったというほど弱体であった。2010年7月2日永眠。

 

スティーブ・ストロング STEVE STRONG 1回
●鉄腕2世 ●181センチ、109キロ
●1949年6月29日 米・アリゾナ州フェニックス出身(カリフォルニア州ベニスビーチ出身説もあり) ●カナディアン・バックブリーカー
●ハワイ・ヘビー、ハワイ・タッグ
51 11(全) スーパーパワー・S
本名はスティーブ・セペロ。「鉄腕2世」と呼ばれたパワーファイターでスーパースター・ビリー・グラハムにあこがれてプロレス入り。師匠譲りの怪力殺法で人気者となる。全日本プロレスに初来日を果たすが、所詮スーパースターが師匠とあってファイトぶりも師匠譲りの力任せの大味なものだった。帰国後はマスクをかぶってジ・エンフォーサーを名乗ったこともあった。引退後はなんと画家に転身。

 

スティーブ・デサルボ STEVE DISALVO 1回
●筋肉獣 ●194センチ、132キロ
●米・マサチューセッツ州ボストン出身
●北米ヘビー(カルガリー版)、WWC世界タッグ、WWCユニバーサル・ヘビー
61 10(新) 闘魂・S
22歳のときにカナダでプロレスデビュー。バッドニュース・アレンの紹介で新日本プロレスに登場。ボディ・ビルダー上がりで当時新日本プロレスのブッカーをしていた大剛氏好みのマッチョ・レスラー。体型だけが自慢の木偶の坊だった。藤波との抗争に突入していた木村健吾に1分少々でKOされている。昭和末期の新日本プロレスを代表する一連のダメレスラーの一人。アメリカではスティーブ・ストロングを名乗った。(追加情報:TMKID氏)

 

スティーブ・トラビス STEVE TRAVIS 2回
●188センチ、104キロ
●1951年 米・バージニア州シャーロッツヒル出身
55 4(新) 第3回MSG・シリーズ、56 10(新) 闘魂S
NWAの新人王を獲得し、その後WWF地区に転戦。MSGではハリー・レイスの挑戦者に大抜擢されて名を知らしめた。「第3回MSGシリーズ」にハルク・ホーガンの代打として初来日し、成績は芳しくなかったが、活きのいいファイトで評価を得る。昭和56年「闘魂シリーズ」に再来日を果たした時にはたくましく成長し、藤波のWWFジュニア・ヘビー級選手権最後の挑戦者として後一歩まで追い込んだが、実はこの試合でトラビスの体重は100キロを超えていた。

 

スティーブ・ベイダー STEVE VIEDOR 1回
●人間ミサイル ●185センチ、110キロ
●イギリス・コールストン出身
●英国ヘビー、大英帝国ヘビー
50 2(新) ビッグ・ファイト・S
本名はアーサー・ベル。「月刊ゴング」の昭和44年12月号の「まだ見ぬ強豪88人」でスチーブ・ベイドールと紹介されていたレスラーで、185センチという小柄ながらダイナミックなフライング・ボディプレスを武器に活躍し、ビル・ロビンソンを破った実績があると紹介されている。ジェントルマン・ベイダーと呼ばれたように非常にクリーンな試合展開で、イギリスのファンを魅了した。来日時は全盛を過ぎた感があり、中堅どころと熱戦を展開するにとどまった。

 

スティーブ・ボラス STEVE BORUS 3回
●ギリシャの脅威 ●185センチ、105キロ
●生年月日不明 米・オハイオ州セントキャスリンズ出身 2002年3月23日没
●NWA世界タッグ(セントラルステーツ版)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)
43 11(日) NWAチャンピオン・S、50 2(全) エキサイト・S、58 1(全) 新春ジャイアント・S
ギリシャ出身のテクニシャン。そつの無いレスリングをこなし、強烈な印象を残すタイプではなかった。いわゆる起用貧乏といったタイプ。私生活では東洋美術に興味を持つという一面もあった。ジャイアント馬場か彼を買っていたのか? かなりロートルになってからも招聘している。目立たないが、大変息の長いレスラーだった。

 

スティーブ・ライト STEVE WRIGHT 6回
●英国の魔術師 ●185センチ、95キロ
●1952年12月12日 イギリス・ウェリントン出身 ●サイドスープレックス、ロメロスペシャル
50 1(新) 新春黄金S、51 1(新) 新春黄金・S、52 10(新) 闘魂S第2弾、57 3(新) 第5回MSG・シリーズ、58 10(新) 闘魂S、60 3(新) ビッグ・ファイト・S 第1弾
本名はステファン・ライト。ビリー・ライレー・ジムの出身で、イギリスで活躍した後にロスに遠征し脚光を浴びた。新日本プロレスの昭和52年「闘魂シリーズ第2弾」に来日した時は、パット・パターソンのパートナーに予定されていたカール・フォン・ストロハイムが負傷した為、代打として北米タッグ選手権に挑戦している。メキシコにも遠征し、NWA世界ミドル級王者のレネ・グアハルドを苦しめた。ライトが日本で真価を発揮したのはタイガーマスク登場以降で、その洗練されたテクニックで初代タイガーマスクを子ども扱いにした。息子のアレックスもWCWで活躍していた。

 

スティーブ・リーガル STEVE REGAL 2回
●ブロンド・パンサー ●187センチ、104キロ
●1955年 米・カンサス州カンサスシティ
●パシフィックノースウエスト・ヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ、NWA世界ジュニアヘビー、AWA世界タッグ、AWA世界ライトヘビー
57 7(全) サマー・アクション・S、 60 6(全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ
バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。デビュー当時はリック・フレアーもどきの長髪スタイルの悪党として活躍した。1981年頃にAWAを離れ、オレゴン、セントラルステーツなどの全米各地を転戦、1984年にAWAに戻り、世界ライトヘビー級、翌年にはジム・ガービンとのコンビで世界タッグを獲得。1986年にはジョージアに転戦し、NWA世界ジュニア・ヘビー級王者にもなっている。ガニアの弟子だけあってレスリングの出来る悪党だった。

 

スティーブ・リッカード STEVE RICKARD(デビル・ブッチャー *) 2回
●南海の獣人 ●186センチ、120キロ
●1936年 ニュージーランド・ウェリントン出身
●ニュージーランド・ヘビー、英連邦ヘビー(ニュージーランド版)、オーストラアジアン・ヘビー
44 9(日) ダイヤモンド・S、46 1 (国) 新春パイオニア・S *、48 5(新) ゴールデン・ファイト・S
本名はシドニー・マーヴィン・マット。ニュージーランド出身のレスラーで、小柄ながら荒っぽいファイトで暴れまくった。学生時代はボクシングで才能を発揮するが、右手を骨折したため断念。ロンドンに渡り1959年にプロレスラーとしてデビューする。日本へは昭和44年の初来日から2年おきに来日しており、国際プロレスへは白覆面のデビル・ブッチャーに変身して来日、創製期の新日本プロレスへはレッド・ピンパネールと共にエース格で来日しているが、強引に参加したタイガー・ジェット・シンの引き立て役に終わった。主戦場は東南アジアとニュージーランド。引退後はニュージーランドでプロモーターに。息子のトニーとリッキーもレスラーになっている。

 

スティーブン・ピットパス → スティーブン・ペティパスを見よ。

 

スティーブン・ペティパス STEPHEN PETTIPAS (シーク・アリ*)2回
181センチ、107キロ
1957年11月14日 西ドイツ出身
●インターナショナル・タッグ(マリタイム地区)、マリタイム・タッグ
59 10(旧U)ストロング・ウイークス、63 7(全) 88 サマー・アクション・S*
西ドイツ出身でカナダのニューブランズウィック州シェディアックに移住し、エミール・デュプレにスカウトされてプロレス入り。ニューブランズウィックを含むマリタイム地区では人気を博していた。UWF来日時は初戦でスウイート・ダディー・シキに負けてから11連敗、12戦目にてマッハ隼人に初勝利。スーパー・タイガーや前田明とタッグ・マッチで試合をしたと言う珍しい経験をしたレスラー。全日本プロレスにシーク・アリに変身して来日している。月刊ゴングの綴じ込み企画「カラー名鑑ベスト1000」ではドン・セラノの変身としていたが明らかに別人。スティーブン・ピットパスと表記されていたこともある。

 

ストロハイム兄弟 → カール・フォン・ストロハイム、クルト・フォン・ストロハイムを見よ

 

ストラングラー・ジョニー STRANGLER JOHNNY 1回
29 2(旧全) 日米対抗プロレス試合
詳細はまったく不明。情報募集中。

 

ストレンガー・オルソン STRANGLER ORSON (ドクター・オルソン*) 在日アメリカ人
●187.5センチ、106キロ ●米・ニューヨーク出身
29 3(旧全)プロレス国際大試合、 29 4(旧全) 日本・在日米軍対抗プロレス試合、29 8 (日) 太平洋岸タッグ選手権・S*
ブルドッグ・ブッチャーらと全日本プロレスの興行に登場したアメリカ人だが、どうやら軍人ではなかったようだ。以下、昭和29年4月に開催されたマナスル登山後援募金日本在日米軍対抗プロレス試合のプログラムより。「堂々たるプロレスラーで一九四八年ニューヨーク洲選手権者其の後足を痛め約二年間療養し現在は全く平癒、以前にもまして強豪振りを発揮している・・・粘り強く身の軽いことは米国でも賞讃の的で又早くから柔道、唐手を学んでいる研究家である。」原文のまま。(資料提供:トレーナー様)

 

ザ・ストンパー THE STOMPER
●踏み潰し野郎 ●190センチ、120キロ
●1944年11月2日 カナダ・オンタリオ州 ●ストンピング
●USヘビー(セントラルステーツ地区)、セントラルステーツ・ヘビー、北米ヘビー(カルガリー版、マリタイム地区、セントラルステーツ地区)、AWA南部ヘビー、ナショナル・ヘビー、CWAインターナショナル・ヘビー、プエルトリコ・ヘビー
46 1(日) 新春チャンピオン・S、47 11(日) インター選手権・S

カナダのアーチ・ゴルディが正体。ジャイアント馬場が大の苦手としたことで有名。初来日時に馬場のインターナショナル選手権に挑戦した試合では両者リングアウトに持ち込んでいる。アントニオ猪木のアメリカ武者修行時代のパートナーでもある。

詳細はモンゴリアン・ストンパーの項参照。

 

ザ・ストンパー THE STOMPER
●金髪の爆弾 ●197センチ、125キロ
●1942年 カナダ・オンタリオ州ハミルトン ●パイルドライバー
●南部ヘビー(ジョージア版)、セントラルステーツ・ヘビー、WWA世界タッグ(インディアナ版)、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)
47 1(日) 新春チャンピオン・S
こちらのザ・ストンパーはガイ・ミッチェルの変名。一応エース格での来日だったが、これといった活躍はできずに終わっている。

詳細はガイ・ミッチェルの項参照。

 

スニー・ワー・クラウド SUNI WAR CLOUD 1回
首吊り酋長 ●183センチ、108キロ
アメリカ出身 トマホーク・チョップ
●カリフォルニア
TV、ハワイ・タッグ
46 9(日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦
スー族の戦士がレスリングに転向したというギミックでロサンゼルス地区で売り出し、日本へは「第2回NWAタッグ・リーグ戦」にグレート・スヌーカとのコンビで参加。かなりの前評判を呼んでいたものの、チームリーダーのはずが逆にスヌーカの足を引っ張ってしまった。帰国後はメキシコに定着して活躍した。

 

スパイク・ヒューバー SPIKE HUBER 1回
鋼鉄の虎 ●183センチ、108キロ
●1955年12月 米・インディアナ州インディアナポリス出身 ●バックスラム
●WWA世界ヘビー、WWA世界タッグ(インディアナ版)、イリノイ・ヘビー
55 6(国) ビッグ・サマー・S
ディック・ザ・ブルーザーの主宰するWWAで活躍したレスラーで、ブルーザーが後継者と目をかけ「生傷男二世」として日本でも早くから紹介されていた。ブルーザーのヒューバーへの入れ込み様はかなりのもので、遂には娘婿として迎えるのであった。実はヒューバーの父親とブルーザーが大の親友だったとか。しかしブルーザーの娘と離婚してからはWWAを離れ、テネシー地区に登場したがそのままフェードアウトしてしまった。国際プロレス登場時は気の強さがモロに出た活きのいいファイトで評判を呼んだ。新日本プロレスに登場し、藤波と対戦していれば名勝負を繰り広げていただろう。(写真提供:HARU一番様)

 

スパイク・ムーンドッグ SPIKE MOONDOG 1回
●宇宙猛犬 ●190センチ、115キロ
●1957年 米・アラバマ州モービル出身
62 10(全) 87 ジャイアント・S
本名はビル・スマイザン。1987年にアラバマでテレビマッチ要員としてくすぶっていた所を、レックスと仲間割れしたスポット・ムーンドッグ(ラリー・レイザム)にスカウトされ、4匹目の宇宙犬に変身した。その年に来日を果たすが、キャリア不足の為か大した活躍は出来ずに終わっている。

 

スパイロス・アリオン SPIROS ARION 2回
●ギリシャの新星 ●190センチ、120キロ
ギリシャ・クレタ島 アトミック・ドロップ
●IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、WWWF・USタッグ、オーストラアジアン・ヘビー
46 2(日) ダイナミック・ビッグ・S、49 5(全) MSG・シリーズ
本名はアンドレス・ラブラキス。アンドレ・ボレーにスカウトされてプロレス入り。1960年代後半からニューヨーク地区で人気を獲得し、サンマルチノ後継者はこの男しかないとまでいわれた強豪で、昭和45年に国際プロレスの行なった外人レスラーの人気投票でマスカラスを押さえ1位を獲得。国際プロレスが招聘に乗り出したが来日をキャンセル。翌年マスカラスと同時に日本プロレスに待望の初来日を果たすが、無気力試合が多くファンを失望させた。ニューヨークの人気者は日本ではだめという典型的レスラー。WWFにはヒールとして再登場しサンマルチノを苦しめている。オーストラリアでは長くベビーフェイスとして人気を誇った。南アフリカ、イギリスにも遠征している。サイン

 

スパルタカス SPARTAKAS 1回
●鉄の闘士 ●188センチ、127キロ
●ドイツ・ケルン出身 ●リフトアップスラム
44 9(国) ロイヤル・S
本名はジェッキー・フェセル。15歳の時からアマレスとボディビルをはじめ、フランスでプロレスラーとなる。フランスではドゴール首相のボディガードを勤めたこともあったという。1966年にハンブルグ・トーナメントで上位入賞、1967年にはフランスでランキング入りするなどの成長を見せた。ヨーロッパで活躍していたストロング小林に刺激され、プロモーターのグステル・カイザーに直訴しての来日だった。日本ではこれといった活躍は出来ず。

 

ザ・スピリット THE SPIRIT
●執念の黒覆面 ●185センチ、120キロ
●1931年4月26日 米・ネブラスカ州オマハ(メリーランド州ボルチモア出身説もあり) ●エルボードロップ、凶器攻撃
●IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、WWA世界タッグ(ロス版)、アジア・タッグ、ジョージア・ヘビー、ブラスナックル選手権(ジョージア版、テキサス版、フロリダ版)
50 7(全)【特】サマー・アクション・S、51 11(全) スーパーパワー・S
「デトロイトを主戦場にしている正体不明の覆面レスラー」という触れこみで来日しているが、誰がどう見てもその体型やファイト振りはキラー・カール・コックスそのものであった。マスクに凶器を忍ばせての頭突きで対戦相手を血だるまにして大暴れ。昭和51年の来日時に馬場のPWF選手権に挑戦して破れ、覆面をはがれている。サイン

キラー・カール・コックスの項も見よ。

 

スプートニク・モンロー SPUTNIK MONROE 2回
●宇宙怪人 ●178センチ、104キロ
●1928年12月18日 米・カンザス州ウィチタ出身 2006年11月3日没 ●ニードロップ
●NWA世界ジュニアヘビー、テネシー・ヘビー、テキサス・ヘビー、ジョージア・ヘビー、NWA世界タッグ(フロリダ版)
42 11(日) ウィンター・S、47 2(日) ダイナミック・S

本名はロッコ・モンロー・ブランボー。前髪だけを金髪に染めたユニークなスタイルでロケットとのモンロー・ブラザーズとして活躍したタッグの名手。ロケットとのオリジナル・モンロー・ブラザーズとしては未来日だが、黒人のノーベル・オースティンをパートナーとして来日している。2度目の来日ではハーリー・レイスとのコンビでアジア・タッグに挑戦しているが、アル中状態でとてもレスラーと呼べる体ではなかった。晩年はザ・モンゴリアンズなどのマネージャーとして活躍した。

 

スーパー・マキナ SUPER MAQUINA 1回
●190センチ、113キロ ●生年月日不明 メキシコ出身
56 11(新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦
本名はホセ・トーレス。素顔でデビューした後、マサクレなるマスクマンに変身。1977年にマスクをはがされて、スペル・マキナを名乗った。メキシコには珍しい大型レスラーで「第2回MSGタッグ・リーグ戦」にカネックのパートナーとして初来日。アメフトをモチーフにしたコスチュームがユニークなレスラーだったが、見事に期待を裏切りカネックの足を引っ張った。1983年にキッスにマスクをはがされて素顔に戻った。引退後は女子プロレスラーのコーチをしたという。

 

ザ・スポイラー THE SPOILER
略奪者 193センチ、125キロ
1940年 カナダ・ニューブランズウィック州モンクトン出身 2006年12月16日没 ブレーンクロー
●カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、アメリカン・ヘビー、テキサス・ヘビー、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、北米ヘビー(プエルトリコ版)、ジョージア・ヘビー、フロリダ・ヘビー、ナショナル・ヘビー(ジョージア版)
46 8(日) サマー・ミステリー・S、48 1(日) 新春チャンピオン・S
変身男の異名を持つドン・ジャーディンことサニー・クーパーが正体。覆面レスラーが集結した昭和48年の新春チャンピオンSに参加した時は同じ変身男のガイ・ミッチェルが正体のレッド・デビルとのコンビで大木、坂口組のインター・タッグに挑戦している。このキャラクターではWWF地区で活躍し、マスカラスのMSG初登場の相手を勤めたが、マスカラスはマスクを被るのを許されたにもかかわらず、スポイラーは素顔で闘う事を強要された。

ドン・ジャーディンの項も見よ。

 

ザ・スポイラー THE SPOILER 1回
略奪者 193センチ、125キロ
カナダ・ケベック州モントリオール出身 
39 6(日) サマー・S
日本に初めて登場したスポイラーは、このビンセント・バカラのスポイラーであった。ジョニー・バレントとのコンビで、豊登、馬場組の保持するアジア・タッグに挑んだが、ストレート負けの屈辱を味わう結果となった。

 

スポット・ムーンドック SPOT MOONDOG 1回
宇宙魔犬 183センチ、112キロ
1952年1月6日 米・ルイジアナ州バトンルージュ出身
●AWA南部タッグ、ミッドアメリカ・タッグ、WWC世界タッグ、カリビアン・タッグ、WWC北米タッグ、CWA世界ヘビー、USWA世界タッグ
62 10(全) 87 ジャイアント・S
正体はテネシーでウェイン・ファリス(ホンキートンク・マン)とのニュー・ブロンド・ボンバーズで活躍したラリー・レイザム(本名はラリー・ブッカー)。このボンバーズで国際プロレスの昭和55年「ビッグ・サマー・シリーズ」に来日が決定していたが、この時は揃って負傷の為に来日をキャンセル、昭和56年の「ダイナマイト・シリーズ」にも来日が決定していたが、WWFで脱退したキング・ムーンドッグ(セーラー・ホワイト)の代わりにスポット・ムーンドッグに変身する為に再び来日をキャンセルしている。シングル・プレーヤーとしては二流だが、タッグのセンスはなかなかのレスラーであった。

 

スミス・ハート → 外国人留学生名鑑を見よ

 

スリッパー・ホーク → スーパー・ホークを見よ