来日全外国人レスラー名鑑 シ(3)
ジャイアント・キマラ
GIANT KAMARA
(グレート・キマラ*) 2回 ●ウガンダの大魔神 ●205センチ、160キロ ●1950年5月28日 米・ミシシッピー州ジャクソン出身 ●ボディプレス ●AWA南部ヘビー、USWA世界ヘビー、ミシシッピ・ヘビー |
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60 8(ジ) サマー・ドリーム・フェスティバル、 60 11 (ジ) ニューウェーブ・イン・ジャパン * | |
205センチ、160キロという巨体を生かして全米各地を荒らしまわった黒人ペイント・レスラー。本名はジェームス・ハリスでジム・ディロンにスカウトされてプロレス入り。シュガー・ベア・ハリス、バッドニュース・ハリスのリングネームで活躍したが、サファリ・ルックの覆面男「サンデー」をマネージャーにキマラに変身してからトップ・スターの一人となった。しかしギミックの奇抜さと恵まれた体だけが売り物で、レスラーとしての奥行きは誠に浅い印象を筆者は持つ。初来日はジャパン・プロレスで、平成になって全日本プロレスに登場しているが、現在でも常連として活躍しているのは2号のボツワナ・ビーストである。(追加情報 : 田村慎司氏) |
ジャイアント・グスタブ
GIANT GSTAB 1回
●カナダの怪物 ●206センチ、225キロ ●1961年 カナダ・ケベック州 ●ボディプレス |
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60 10(新)【特】 バーニングスピリット・イン・オータム | |
低迷期の新日本プロレスが思わず呼んでしまった三流レスラー。連日新人時代の橋本、後藤らとの変則タッグに出場したが、マネージャーのブッチャー・バションがアントニオ猪木とのシングル・マッチを「ここで負けたら傷がつくので、猪木との試合は拒否する」といったものだから、マッチメーカーの坂口の怒りを買い、坂口の命を受けた後藤と橋本にリング上でリンチを受け戦意喪失したという情けない男である。 |
ジャイアント・ヘイスタック GIANT HAYSTACKS
1回 ●お化けカボチャ ●210センチ、240キロ ●1946年 イギリス・マンチェスター出身 1998年没 ●ボディプレス ●大英帝国ヘビー、ヨーロッパ・ヘビー、インターナショナル・タッグ(カルガリー版) |
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60 1(全) 85激突!オールスター・ウォーズ | |
本名マーティン・ルウェイン(ルーク・マクマスターとする資料もある)。(210センチ、240キロという超巨漢で、1970年代後半以降の英国ジョイント・プロで活躍した通称「お化けカボチャ」「人間空母」。大英帝国・欧州の両ヘビー級王座を獲得したりブレーメン・トーナメントを制覇するなどして早くから来日が望まれていた未知の強豪だった。カルガリーに遠征した際には、ロチ・ネス・モンスターを名乗りダイナマイト・キドとのコンビで、インターナショナル・タッグを獲得した。1985年の新春ジャイアントSに際し、このシリーズから全日マットにシリーズ参戦した長州らのTV放映が不可能になった場合に備え、タイガー・ジェット・シンらと共に待望の初来日を果たした(鶴見のブッキング?)。しかし、フタをあけてみればただのデクの棒だった。1998年、胃がんにより逝去、まだ55歳だった。解説:黒い一羽鷹氏)サイン |
ジャイアント・マシン GIANT MACHINE ●巨大マシーン ●223センチ、240キロ ●1946年5月19日フランス・カンタブリア出身 1993年1月27日没 ●18文キック、ヒッププッシュ ●WWF世界ヘビー、IWA世界タッグ |
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60 8(新) チャレンジ・スピリット85 | |
プロレス史上最大の覆面レスラー。それもそのはずミスター若松が口説いてアンドレ・ザ・ジャイアントをマシーン軍団に引きずり込んだのがこのジャイアント・マシーンの正体である。これほど見た目で正体が割れてしまった覆面レスラーも少なかろう。マスクド・スーパースターが変身したスーパー・マシーンと並んで直立不動で腕を組む光景はユーモラスであった。 アンドレ・ザ・ジャイアントの項も見よ。 |
シャグ・トーマス SHAG THOMAS 1回 ●黒い牧師 ●167センチ、122キロ ●1928年8月11日 米・オハイオ州コロンバス出身 1982年7月25日没 ●ヘッドバット ●インターナショナルTV(ロス版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、パシフィックノースウエスト・ヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ |
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39 7(日)【特】 サマー・S | |
本名はジェームス・シャグ・トーマス。キング・トビー・トーマスとしても知られる黒人パワーファイター。大学時代はフットボールで体を鍛え、卒業後に母校の体育教師をしていたが、突然プロレスラーに転身。ずんぐりしたいかにも頑丈そうな体が特徴。主戦場は北部太平洋岸やカナダ。同じ黒人のルター・レンジとのコンビでPNW地区のタッグ選手権を保持していたこともある。昭和43年にはルター・レンジとともに国際プロレス「ビッグ・サマー・シリーズ」に来日が発表されたが怪我でキャンセルしている。1982年、心臓発作のため逝去。 |
ザ・ジャッカル
THE JACKAL
( ジェイソン・ザ・テリブル*、バリー・ガスパー*) 5回 ●殺人狼 ●192センチ、121キロ ●1958年 カナダ・オンタリオ州ウインザー出身 ●グランプリ・タッグ(マリタイム版)、カリビアン・ヘビー |
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61 2(新) ニューウェーブ・ダッシュ、61 10(新) 10・9 lNOKl闘魂LlVE・PARTT、61 10(新) 闘魂・S(残留 )、62 5(全) 87 スーパー・パワー・S *、63 5(新) 88 lWGPチャンピオン・S*、63 8(新) 88 戦国S * | |
本名はカール・モハット。禿頭にあごひげを蓄えたラフ・ライターで、プロレスラーになる前はアマレスとフットボールで鳴らし、カルガリー地区を主戦場にしていた。初来日では当初クリス・アダムスとのダイナミック・デュオとして藤波、木村の保持するIWGPタッグに挑戦するはずだったジノ・ヘルナンデスが来日直前に死亡した為、代打としてクリスのパートナーに抜擢されたラッキーな男である。ジェイソン・ザ・テリブルで一度は全日本プロレスに移籍したが、海賊男バリー・ガズパーとなって新日本プロレスのリングに舞い戻っている。 |
ジャッキー・カーペンティア JACKY CARPENTIER
1回 ●マットの魔術師 ●180センチ、105キロ ●フランス ・パリ出身 ●サンセットフリップ |
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49 7(新) サマー・ファイト・S | |
エドワード・カーペンティアの実弟という触れ込みで来日したが、本名はジャッキー・ウィッツでカーペンティアの甥に当たる。顔立ちも空中殺法と中心とした試合スタイルもエドワードに似ていた。プロレス入り前はレスリングと体操をやっていたという経歴もエドワードと同じ。日本では藤波をはじめとする若手には勝利を収めているが、中堅以上には歯が立たず。主戦場はカナダのモントリオール地区だったようだ。 |
ジャッキー・ファーゴ
JACKY FARGO
1回 ●南部の虎 ●179センチ、111キロ ●1929年 米・ノースカロライナ州コンコード出身(ニューヨーク州出身説もあり) ●ニークラッシャー ●NWA世界タッグ(ミッドアメリカ版・ジョージア版)、南部ジュニアヘビー(テネシー版)、南部タッグ(テネシー版)、ミッドアメリカ・ヘビー、AWA南部タッグ |
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45 8(日) サマー・S | |
本名はヘンリー・ファガット。1950年代に弟と称する(血縁関係はなし)のドンとのファビュラス・ファーゴ・ブラザーズで一世を風靡した強豪で、ラメ入りの派手な衣装とシルクハットで登場し、リングを腰を振って練り歩き、おたがいのコスチュームを脱がしあうというゲイ・ギミックで人気チームとなったが、ドンの奇行に我慢しきれずチームを解消、シングル・プレーヤーに転向する。シングル・プレイヤーとしても長くジュニア・ヘビー級レーティングスの上位にランクされ、単なるショーマン・レスラーではない事を実証した。レイ・スチーブンスの実兄といわれているが、これも怪しい。(追加情報 : JOE HOOKER SR 氏) |
ジャック・アームストロング
1回 JACK ARMSTRONG ●黒さそり ●183センチ、105キロ ●米 ・カンサス州カンサスシティー出身 |
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45 7(日) 第二次ゴールデン・S、45 7(日) NWAワールド・チャンピオンS (残留) | ||
本名はレニー・ソロモン。来日当時はWWWF地区で活躍していたレスラー。パット・オコーナーと引き分けた実績もあったという。「第2次ゴールデン・シリーズ」のパンフには短髪の写真(写真右)が紹介されていたが、来日時はヒッピースタイルの長髪であった。シリーズ終了後にはロスに定着し、昭和46年12月にロスに遠征した馬場とも対戦している。その後、ピース・ブラザーと改名しているが、クリスティ兄弟とは別人のようだ。 |
ジャック・エバンス
JACK EVANS
( ミスター・X *)2回 ●爆弾小僧 ●183センチ、112キロ ●1947年 米・ウエストバージニア州チャールストン出身 ●アメリカス・タッグ |
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50 11(全) 第2弾ジャイアント・S、54 7 (全) サマー・アクション・S* | ||
「ダイナマイト」のニックネームで1970年代初頭からニューヨーク地区で活躍したレスラー。インド系アメリカ人だが、金髪に染めてファイトすることが多く、そのときは普段とはまるで別人のような風貌になった。来日時は黒髪に口ひげだった。1978年頃にラリー・シャープとのボディシャス・ブロンドスを結成し悪党人気を集めた。インディアナポリス地区では大胆にもグレート・ガマと名乗った。現在同名の白人レスラーが存在しているが、血縁関係はないようである。 |
ジャック・クーガー JACK COOGER 1回
●はぐれ豹 ●185センチ、115キロ ●1952年 米・イリノイ州シカゴ |
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54 3(国) スーパー・ファイト・S | |
本名はジャック・クルーガー。ケンタッキーを本拠地にしていたレスラーで、高校時代はボクシングの全米ライト・ヘビー級王者になっている。卒業後は志願して海兵隊に入隊。ここでアマレスを覚え退役後の1975年にプロレス入り。ボクシング時代のパンチ力を武器にケンタッキーあたりで中堅として活躍した。クーガー(アメリカライオン)のように素早いということでこのリングネームを付けたそうだが、実際はどうしようもない三流レスラーだった。帰国後はマネージャーに転進。カナダではシーク・ハッサンとも名乗った。 |
ジャック・クレイボーン
JACK
CLAYBOURNE (エディ・モレア*)
6回 ●褐色の豹 ●178センチ、108キロ ●1936年 マルチニク島出身 ●ドロップキック ●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、北米ヘビー(ハワイ版) |
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41 11 (日) ウインター・S*、 45 7(国) ビッグ・サマー・S、45 9(国)ダイナマイト・S(残留)、46 2(国) AWAビッグ・ファイト・S、46 3(国) 第3回IWAワールド・S(残留)、46 7(国)ビッグ・サマーS(残留)、50 3(国) ダイナマイト・S、52 2(国) 第6回 IWA・ワールド・S、53 11(国) 日本リーグ争覇戦 | |
本名はエディ・エシフィア。フランス系の黒人で東南アジアを主戦場にしていたテクニシャン・タイプのレスラー。初来日のリングネーム エディ・モレア(=モロー)からも解るようにジェリー・モローこと稲妻二郎の実兄。父親もジャック・クレイボーンのリングネームで活躍したといわれている。1970年代に入りカナダのモントリオール、カルガリーに主戦場を移しジェリーとの兄弟コンビで同地区のインターナショナル・タッグを獲得している。昭和45年以降は国際プロレスの常連レスラーとなった。昭和53年の日本リーグ争覇戦にはレフェリーとして参加。フランス時代は女優のソフィア・ローレンのボディガードを勤めていたが、一説には恋人関係にあったという。(写真提供;花園えびす様)サイン |
ジャック・スヌーカ
JACK SNUKA 1回 ●褐色の狂獣 ●181センチ、108キロ ●1945年3月9日 サモア出身 2007年1月9日没 ●AWA南部ヘビー、パシフィックノースウエスト・ヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ |
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59 8(旧U)ビクトリー・ウイークス | |
本名はオノサイ・ウルアロガイア・エメリオ。ジミー・スヌーカの兄(実弟説もあり)とされたが血縁関係はなく、完全なギミックであった。ジャック・スヌーカはプエルトリコに登場した際のギミックである。1978年にテネシーでデビューし、ココ・サモアやタマ・サモアの名前で活躍。北西部地区や東南部地区を主戦場としていた。来日時もトリッキーなファイトで沸かせたが、UWFには合わなかったのが残念。帰国後も評判は聞かれなくなった。(情報提供&解説 : 黒い一羽鷹、JOE HOOKER SRの両氏) |
ジャック・ソロモン JACK SOLOMON 1回 | |
31 4(日) プロレス国際試合 | |
詳細不明。情報募集中。 |
ジャック・ダルトン
JACK DULTON
1回 ●強盗兄弟 ●183センチ、107キロ ●米・ルイジアナ州ニューオリーンズ ●南部タッグ(テネシー版) |
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46 9(日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦 | |
本名はジャック・バーガズ。実景のジム・ダルトン(ジム・バーガス)とのダルトン兄弟で主に南部を中心に活躍したタッグ専門屋。西部開拓時代に悪名を轟かせた実在のギャング「ダルトン兄弟」からリングネームを頂戴している。実力的には2流半といった所で、「NWAタッグ・リーグ戦」では最下位となった。このジャック・ダルトンは2代目で、初代ジャック・ダルトンはドン・ファーゴである。 |
ジャック・デ・ラサルテーズ
JACK D'LASARTESSE
1回 ●欧州の鉄人 ●193センチ、112キロ ●1928年1月21日 スイス・ベルン出身 ●ワンハンド・バックブリーカー ●スイス・ヘビー |
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45 7(国) ビッグ・サマー・S | |
スイスの貴族の出身でプロボクサーからレスラーに転向、スイス選手権獲得を皮切りにヨーロッパ、アフリカのタイトルを総なめにした。1960年にフリードリッヒ・フォン・クラップの名で渡米しニューヨーク地区でバディ・ロジャースのパートナーとして活躍、アントニオ・ロッカに勝ち越した実績を持つ。ヨーロッパに戻ってからも1965年から5年連続でハノーバー・トーナメントに優勝するなど実力を遺憾無く発揮する。1978年の猪木の欧州遠征では猪木と5回闘っているが、この時は4敗1引き分けという成績に終わっている。日本には1度しか来日しておらず、幻の強豪といっても良かろう。ジャック・デ・ラサルテスはフランスでのリングネームで、ドイツではレネ・ラサルテスと名乗っていた。サイン |
ジャック・ブリスコ
JACK BRISCO
8回 ●南部の麒麟児 ●188センチ、108キロ ●1941年9月21日 米・オクラホマ州タルサ出身 ●足4の字固め ●NWA世界ヘビー、ミズーリ・ヘビー、ミズーリ・ジュニアヘビー、南部ヘビー(フロリダ版)、フロリダ・ヘビー、フロリダ・タッグ、NWA世界タッグ(ミッドアトランティック版) |
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42 11(日) ウィンター・S、46 7(日) サマー・ビッグ・S、49 1(全)【特】新春NWA・S、49 11(全)【特】NWAチャンピオン・S、50 2(全)【特】エキサイト・S、51 8(全)【特】ブラックパワー・S、54 4(新)【特】第2回MSG・シリーズ、56 3(全) 第9回チャンピオン・カーニバル、 56 4(全) インター・チャンピオン・S(残留) | |||
本名はフレディー・ジョー・ブリスコ。アマレス時代の通算成績が87勝2敗という好成績で、これに目を付けたレロイ・マクガークがスカウトしてプロレス入り。早くから次期世界チャンピオンといわれ南部を中心に活躍。昭和46年の来日では猪木の保持するUN選手権に挑戦し名勝負を演じた。その2年後の1973年ハーリー・レイスから念願の世界タイトルを獲得。世界王者としての二度目の来日で馬場に1週間ではあるがタイトルを奪われている。丸腰になった昭和54年には新日本プロレスに初参加し、猪木との名勝負を再現した。晩年はフロリダでプロモーターとなるが、この権利をWWFに売却した事からNWAの崩壊が始まった事は運命のいたずらとしか言いようがない。一説にはインディアンの血が混じっているという。2010年2月1日永眠。サイン |
ジャック・ベーカー JACK BAKER 在日米兵 ●180センチ、109キロ ●米・テキサス州出身 |
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29 3(旧全)プロレス国際大試合、 29 4(旧全) 日本・在日米軍対抗プロレス試合 | |
全日本プロレスの興行に登場した在日米兵でブルドッグ・ブッチャーの同僚。以下、昭和29年4月に開催されたマナスル登山後援募金日本在日米軍対抗プロレス試合のプログラムより。「嘗てアマチュアー、ヘビー級のボクサーとして有名を轟かし、其の右ストレートは“殺人”ジャックの異名をつけられていた。一九四九年プロレスリング界に転向し持ち前のウエイトを利し驚異的なパンチでレスラーとして有名になつた文字通り新進強豪である。現在米海兵隊軍曹で、阪神飛行場第十六海兵ヘリコプター輸送兵団勤務。」原文のまま。(資料提供:トレーナー様) |
ジャック・ペセク
JACK
PESAK 2回
●ネブラスカの虎 ●190センチ、113キロ |
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40 4(日) 第7回ワールドリーグ戦、46 9(国) ダイナマイト・S | |||
「ネブラスカの虎」といわれた往年の大レスラージョン・ペセクの息子で、名門の御曹司ということで一目置かれていたというが、親の七光りは父親の知名度の低い日本では通じず、中堅クラスを相手に五分の成績を残すのが精一杯だった様だ。国際プロレスへの来日時は空港での記者会見では素顔で登場したが、試合ではドクター・Xとおそろいの覆面を着用していた。 |
ジャック・ベンス JACK VANS 1回 ●闘争の鬼 ●180センチ 119キロ ●1913年 米・テキサス州出身 |
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41 1(日) リキ・パレス・S、41 2 (日) インター決戦S(残留) | |
本名はジャック・ヴェンスキー。フランス、インド、ニュージーランド、オーストラリアなど世界の各地を転戦して実力をつけてきたベテラン・レスラー。来日を境にマットからは遠ざかり、もっぱらサイド・ビジネスに専念。テキサス版のブルーザーと呼ばれた。(月刊ゴング46年7月号「世界レスラー1000人名鑑2」 より加筆転載) |
ジャック・ルージョー
JACQUES ROUGEAU (エディー・オーガー*)
3回 ●プロレスの鬼才 ●190センチ 112キロ ●1930年 カナダ・ケベック州セントサルビス出身 ●エアプレーンスピン ●NWF世界ヘビー、NWF世界タッグ、IWAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版) |
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42 9 (日) ダイヤモンド・S 、48 10(新)【特】闘魂シリーズ第2弾、50 8(新) 闘魂S | |
フランス系のカナダ人で、主にカナダで活躍したレスラー。モントリオール地区のインターナショナル選手権、NWF世界選手権を獲得した事もある実力者である。昭和48年の来日時にはT・J・シン、ビル・ホワイトとともに伊勢丹前で猪木襲撃事件を起こしている。昭和50年の来日では息子のレイモンドを帯同して来日し、抜群のコンビネーションで日本勢を苦しめたが、レイモンドのキャリア不足で勝率は良くなかったようだ。モントリオール地区ではプロモーターも兼ねた顔役である。得意技はエアプレン・スピン。 |
ザ・ジャックナイフ
THE
JACK KNIFE ●187センチ、115キロ ●カナダ・ケベック州モントリオール出身 故人(没年不明) |
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49 1(国) 新春パイオニア・S | |
昭和49年、国際プロレスの「新春パイオニア・シリーズ」に来日した怪覆面レスラー。そのファイト振りからかなりのベテランと予想されたが、ラッシャー木村と覆面と髪の毛をかけたデスマッチで破れ覆面を脱いだ。正体は何と昭和26年に連合軍慰安の為に行われた日本の初プロレス興行に参加したオビラ・アセリンというベテラン・レスラーで、関係者を大いに驚かせた。この時の来日は23年ぶりの来日だったのである。 オビラ・アセリンの項も見よ。 |
ザ・シャドー
THE
SHADOW ●178センチ、105キロ ●1929年11月11日米・テキサス州ダラス出身 2001年6月27日没 ●パンチ攻撃 ●サウスウエスト・タッグ、南部タッグ(テネシー地区)、南部ジュニアヘビー(テネシー地区)、英連邦ヘビー(オーストラリア版) |
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52 8(全)【特】 第2弾サマー・アクション・S | |
アレックス・ペレスが変身したマスクマンで、急遽来日した為、ゴングの白黒グラビアで特集されたが、たいした活躍は出来なかった。 アレックス・ペレスの項も見よ。 |
ジャン・ウィルキンス
JAN
WELKENS 2回 ●南アフリカの帝王 ●190センチ、120キロ ●1931年 南アフリカ ・ポートエリザベス出身 ●首8字の字固め ●欧州ヘビー、英国ヘビー、ドイツ・ヘビー、EWU世界スーパーヘビー |
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44 6(国) ダイナマイト・S、48 3(新) ビッグ・ファイト・S | |
南アフリカ出身のレスラーでヨーロッパで修行を積んだ後故郷に戻り、長く南アフリカ選手権、EWU世界ヘビー級選手権を保持。国際プロレスに初来日時は逆十字固めでサンダー杉山を病院送りにしている。重量挙げの出身だけに怪力には自信があったようだ。2度目の来日は坂口が参加しテレビ中継がやっと始まった新日本プロレスのビッグ・ファイト・シリーズにエース格で参加、マヌエル・ソトとのコンビで黄金コンビと激突した。坂口とは因縁が深く、1976年の10月に坂口を南アフリカに招聘し、自らが保持する世界スーパー・ヘビー級なるタイトルを賭けて抗争を展開した。必殺技は首8字の字固め(胴締めスリーパー)だと紹介されていたが、日本では遂に公開せずに終わった。 |
ジャン・ジャンセン
JAN JANSEN
1回 ●172センチ、102キロ ●オーストラリア・シドニー出身(オランダ出身説もあり) ●オーストラリア・タッグ |
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47 8(日) 第2次サマー・ビッグ・S | |
オーストラリアのプロレスリング界を牛耳るプロモーター、ジム・バーネットが売り出しに力を入れている新鋭レスラーで、いまやオーストラリアのプロレスリング界きっての人気者。プロレスラーとしては大型ではないが、発達した上半身、下半身ともバランスがとれ、アポロ型の肉体は芸術品の感さえある。そしてそれにふさわしい抜群の腕力の持ち主で、パワー・レスリングには定評がある。引退後はボディビルダーとなる。(「サマービッグ・シリーズ」パンフより抜粋、加筆。資料提供D・L・じょな様) |
ジャン・セバスチャン
JUAN SEBASTIAN
( ラギット・ラシアンズA*
) 2回 ●殺人闘牛師 ●178センチ、104キロ ●1926年 スペイン出身 ●オハイオ・ヘビー、オハイオ・タッグ |
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44 7(日) 第一次サマー・S、44 8(日) 第二次サマー・S(残留)、47 4 (新) オープニング・S第2弾 * | |
本名はホワン・ヘルナンデス。エル・ガウチョのリングネームでも有名。世界18カ国も遠征したと豪語するベテランのラフ・ファイターで、強烈なアトミックドロップを武器にしていた。1971年頃から東部地区でニキタ・マルコビッチをマネージャーにベテランのペドロ・ゴドイとのコンビで赤覆面のザ・ラギッド・ラシアンズを結成。来日直前にはニューヨークのMSGの桧舞台を踏んだが、当時のMSGの規定で覆面の中央部を刳り貫いてファイトする事を強いられた。妻は女子レスラーのベル・スター。 |