来日全外国人レスラー名鑑 ム、メ、モ
ムース・ショーラック MOOSE CHOLAK 4回 ●狂った大鹿 ●193センチ、138キロ ●1930年3月17日 米・イリノイ州シカゴ出身 2002年10月30日没 ●フライング・ソーセージ ●IWA世界ヘビー(シカゴ版)、WWA世界タッグ(インディアナ版)、NWF北米ヘビー、USタッグ(オハイオ版)、NWA世界タッグ(デトロイト版) |
|
37 9 (日) 秋のプロレス国際試合、45 7 (日) 第二次ゴールデン・S、45 7(日) NWAワールド・チャンピオンS(残留)、47 6 (日) 第2次ゴールデン・S、48 9 (国) 第5回lWA・ワールド・S | |
本名はエドワード・ショーラック。プロレス入り前はアマレスでならし、AAU、全海軍のチャンピオンになった経験があるという。初来日時はヘッドギアを付けた異様な井手達で登場、力道山の肩を得意のボディプレスで脱臼させるなどの暴れっぷりを見せ、その後の来日でもエース格の扱いを受けた。昭和48年の国際プロレスの「IWAワールド・シリーズ」へ参加した時は生彩を欠いた。デトロイトやトロント地区では55歳を過ぎても現役で活躍していた。アメリカではムース(大鹿)の剥製を被って登場するギミックで話題となったが、日本では一度も見る事はなかった。ちなみにムースとはウスノロの陰語でもあるそうだ。2002年10月30日に病死。 |
ムース・モロウスキー MOOSE MOROWSKI (スタン・ザ・ムース
*、ドクター・デス **、ジ・アベンジャー
***) 13回 ●カナダの暴れ鹿 ●193センチ、125キロ ●1935年7月6日 カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身 ●パイルドライバー ●ウエスタンステーツ・ヘビー、オーストラアジアン・ヘビー、カナディアン・ヘビー(バンクーバー版)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版) |
|||
44 7 (国) ビッグ・サマー・S *、 45 7 (国) ビッグ・サマー・S **、 46 3 (国) 第3回IWAワールド・S **、47 12 (全) ジャイアント・S第2弾、48 3 (全) 第1回チャンピオン・カーニバル、48 10 (全) 創立1周年記念ジャイアント・S、49 5 (全) MSG・シリーズ、49 9 (全) ジャイアント・S ***、53 8 (全) 第2次サマー・アクション・S、54 7 (全) サマー・アクション・S、55 10 (全) ジャイアント・S ***、56 3 (全) 第9回チャンピオン・カーニバル ***、56 4 (全) インター・チャンピオン・S *** | |||
スタン・ザ・ムース、ムース・モロウスキーと名乗った素顔での実績よりも、ドクター・デスやジ・アベンジャーなどのマスクマンとしての方が日本での実績は高い。ビル・イーディー(=マスクド・スーパースター)のように素顔を隠したほうが実力を発揮するタイプのようだ。特にドクター・デスでは大阪でラッシャー木村と日本初の金網デスマッチを公開するなど、日本プロレス史に名を残している。晩年はヨーロッパでトーナメント荒らしとして恐れられた。 |
ムース・モンロー
MOOSE MONROE 1回 ●186センチ、120キロ ●1944年 プエルトリコ出身 |
||
53 8 (全) 第2次サマー・アクション・S | ||
プエルト・リコ出身のレスラーで、WWWF地区を主戦場としていた時期に全日本プロレスにブッキングされたが、帰国後の活躍は聞かれなかった。来日当時で10年のキャリアがあったというがTVマッチ専門のレスラーだったのではないか? |
ムーン・ミッチェル MOON MICHELLE 1回 | ||
35 7 (日) プロレス夏の国際試合 | ||
昭和35年に来日した覆面レスラーだがアメリカでは素顔で活躍していたようだ。当時は話題集めのために外人レスラーに覆面を付けさせる事は多かった。 |
ムーンドッグ・モレッティ → エド・モレッティを見よ
ムーンドッグ・ロニー・メイン → ロニー・メインを見よ
ザ・ムーンドッグス → スポット・ムーンドッグ、スパイク・ムーンドッグ、セーラー・ホワイト、ランディ・コーレイの項を見よ。
ムハマッド・カリム
MUHAMMAD
KARIMU ●黒い殺人戦車 ●195センチ、155キロ ●1951年12月3日 米・ジョージア州アトランタ出身 ●ジョージア・タッグ、ウエスタンステーツ・ヘビー、ミッドアメリカ・タッグ、ルイジアナ・タッグ、USタッグ(トライステーツ版、フロリダ版)、ジョージアTV、インターナショナル・タッグ(全日本プロレス版)、サウスイースタン・ヘビー、ルイジアナ・ヘビー、AWA南部タッグ、フロリダ・ヘビー、プエルトリコ・ヘビー |
||
59 4 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾 | ||
レイ・キャンディの変身。このゲリラ・ギミックではジム・ホリディをマネージャーとして、フロリダやテネシー地区でエリージャー・アキム(=バッド・バッド・レロイ・ブラウン)とのザンビア・エキスプレスで活躍した。 レイ・キャンディの項も参照の事。 |
メッサーシュミット
MESSERSCHUMITZ
1回 ●戦闘機 ●182センチ、120キロ ●1929年 ドイツ・ハノーバー出身 |
||
45 9 (国) ダイナマイト・S | ||
日本プロの妨害により来日中止となったスパイロス・アリオンの代打として緊急来日したドイツ人レスラーで、正体は後に幻のIWGPヨーロッパ代表になったクラウス・カーロフ。トラックの運転手をしていたところを清美川にスカウトされてレスラーになった。日本ではインパクトを与えるために吉原社長がドイツの爆撃機の名を日本向けのリングネームに付けた。アメリカには一度も渡らず、引退までヨーロッパで活躍したが、すでに引退。 |
ザ・メディコ1号
(ラギット・ラシアンズB*) THE MEDICO #1 2回 ●殺人医師 ●181センチ、110キロ ●1920年10月19日 チリ出身 1981年11月11日没 |
||
43 9 (日) ダイヤモンド・S、47 4 (新) オープニング・S第2弾* | ||
来日前はメキシコ系の強豪といわれたが、実際来日したこの男の正体はベテランのペドロ・ゴドイであった。本人曰く彼こそがメディコを名のる覆面レスラーの元祖で、黄金のギリシャ人 ジム・ロンドスの愛弟子であったという。1940年代後半〜1950年代中盤にかけては世界ランキングに顔を出す事もしばしばあったという。非常に息の長いレスラーで、1970年代初頭には赤覆面のラギッド・ラシアンズとしてゴッチ、ゴルト組のWWWFタッグ選手権にも挑戦、ゴッチのブッキングで新日本プロレスにも来日している。 |
ザ・メディコ2号
LOS MEDICOS #2 ●殺人医師団 ●183センチ、125キロ ●1939年 メキシコシティ出身 ●メキシカン・バックブリーカー ●テキサス・ヘビー、WWA世界タッグ(ロス版)、アメリカス・タッグ |
||
44 4 (日) 第11回ワールドリーグ戦 | ||
こちらはロスで活躍したメディコスで、2号の正体は日本で客死たルイス・ヘルナンデスである。タッグ専門チームのため、シングルのリーグ戦には不向きであった。坂口征二の凱旋帰国第1戦の相手も勤めた。 ルイス・ヘルナンデスの項も見よ。 |
ザ・メディコ3号
LOS MEDICOS #3 1回 ●殺人医師団 ●182センチ、108キロ ●メキシコ出身 ●ドロップキック ●WWA世界タッグ(ロス版)、アメリカス・タッグ |
|||
44 4 (日) 第11回ワールドリーグ戦 | |||
1968年ごろにロサンゼルスに登場してWWA世界タッグ、アメリカス・タッグとタッグタイトルを総なめにしたロス・メディコスの片割れで、3号の正体はメキシカンのトニー・ゴンザレス(初来日)である。もともとはドン・ローディとのコンビでジョージアでメディコスとして暴れていた。ジョージア時代にファンに刺された傷が元で正体がばれてしまった。 未来日外国人レスラー名鑑のトニー・ゴンザレスの項も見よ。 |
メヒコ・グランデ
MEXICO GRANDE ●メキシコの怪覆面 ●176センチ、106キロ ●1931年5月24日 米・カリフォルニア州サンベルナルディオ出身 ●北米タッグ(アマリロ版)、WWA世界タッグ(ロス版)、カリフォルニア・ヘビー、北米ヘビー(アマリロ版)、ロッキーマウンテン・ヘビー、NWA世界タッグ(テキサス版)、ウエスタン・ヘビー(アマリロ版)、ウエスタン・タッグ(アマリロ版)、セントラルステーツ・タッグ |
||
48 1 (全) 新春ジャイアント・S、49 10 (全) ジャイアント・S第2弾、52 6 (全)【特】NWAチャンピオン・S | ||
メキシコから来た怪覆面・・・という触れ込みだったが、正体はアマリロで人気のあったリッキー・ロメロ。ヤングブラッド3兄弟の父親である。このメヒコ・グランデはどうやら日本限定のギミックだった様である。昭和52年の来日では天龍の凱旋帰国の相手も勤めた。 リッキー・ロメロの項も見よ。 |
モーリス・バション・ジュニア MAURICE VACHON JR.
1回 ●狂犬2世 ●180センチ、105キロ ●生年月日不明 カナダ・ケベック州モントリオール出身 ●パイルドライバー |
||
52 6 (国) ビッグ・チャレンジ・S | ||
「狂犬」マッドドッグ・モーリス・バションの息子で、モントリオールでデビューした。当初は留学生として来日の予定だったが、1シリーズのみの参加に終わった。父親と同じく噛み付きやかきむしりなどの狂乱ファイトを売り物にしていたが、父親には足元にも及ばなかった。大成することなく引退してしまった。 |
モハン・シン MOHAN SINGH 1回 ●190センチ、108キロ ●生年月日不明 インド・パンジャブ州出身 ●インド・ヘビー |
||
52 6 (新) アジア・チャンピオン・S | ||
インド パンジャブ州ジュルンズール出身。グレート・ガマの伝統を引くインド・レスリングのNo1で、ダラ・シンからインド選手権を強奪した実力者と言う触れ込みで来日したが、インドから一歩も出た経験の無さがたたり、実力は今一つであった。 |
ザ・モンゴリアン THE MONGOLIAN ●175センチ、120キロ ●生年月日不明 米・テキサス州エルパソ ●USタッグ(デトロイト版)、オクラホマ・タッグ |
||
53 4 (国) スーパー・ファイト・S | ||
新日本プロレスに来日経験のあるサパタ・マルチネスの変身。 詳細はサパタ・マルチネスの項参照。 |
ザ・モンゴリアン THE MONGOLIAN ●185センチ、118キロ ●生年月日不明 カナダ・ケベック州モントリオール出身(テネシー州出身説もあり) ●セントラルステーツTV |
||
58 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦 | ||
こちらは新日本プロレスに来日経験のあるジン・ルイスの変身。ザ・モンゴリアンとしてはダラス地区で活躍していたようだ。鶴見五郎との即席コンビでリーグ戦に参加したが、成績は振るわず。 詳細はジン・ルイスの項を見よ。 |
モンゴリアン・ストンパー(ザ・ストンパー *) 5回 ●踏み潰し野郎 ●190センチ、120キロ ●1944年11月2日 カナダ・オンタリオ州 ●ストンピング ●USヘビー(セントラルステーツ地区)、セントラルステーツ・ヘビー、北米ヘビー(カルガリー版、マリタイム地区、セントラルステーツ地区)、AWA南部ヘビー、ナショナル・ヘビー、CWAインターナショナル・ヘビー、プエルトリコ・ヘビー |
||||
46 1(日) 新春チャンピオン・S*、47 11(日) インター選手権・S*、54 11 (国) デビリッシュ・ファイト・S、 55 2 (国) スーパー・ファイト・S、57 3 (全) 第10回チャンピオン・カーニバル、57 4 (全) グランド・チャンピオン・S(残留) | ||||
「踏みつぶし屋」の異名どおり相手をひたすら蹴りまくり、ダウンしたところを踏みまくるというブル・ファイター。幻の強豪と呼ばれていた頃はキラー・カーンのように口髭に弁髪というモンゴル人スタイルであった。意外にもジャイアント馬場が苦手にしており、昭和46年のインター選手権で両者リングアウトの引き分け、昭和57年のチャンピオン・カーニバル開幕戦でも両者反則の痛み分けに持ち込んでいる。修行時代のアントニオ猪木のパートナーを勤め、新日本プロレスとパイプのあったカルガリーを長らく主戦場としていたにもかかわらず新日本プロレスにはなぜか一度も来日しなかった。本名アーチバルト・ゴルディ。サイン |
ザ・モンゴリアンズ1号
THE MONGOLIANS (タプー・サモア*)2回 ●180センチ、115キロ ●サモア諸島出身 |
||
54 6 (国) ビッグ・サマー・S、59 10(旧U)ストロング・ウイークス | ||
パーシー・プリングルス3世(=ポール・ベアラー)が連れてきた「モンゴル人」コンビだがサモア系のレスラーだった。正体はザ・サモアンズのタプー・サモアであった。このサモアンズはアファとシカのアノアイ兄弟とは別のコンビで、先代のレノ・トゥーフリの後釜として加入した。それ以前はプリンス・タプーというリングネームでテキサスで活躍している。モンゴリアンズ解散後はタプー・サモアに戻り旧UWFに登場している。 タプー・サモアの項も見よ。 |
ザ・モンゴリアンズ2号
THE MONGOLIANS 1回 ●178センチ、112キロ ●サモア諸島出身 |
||
54 6 (国) ビッグ・サマー・S | ||
パーシー・プリングルス3世(=ポール・ベアラー)が連れてきた「モンゴル人」コンビだが、写真を見ればサモア系であることは一目瞭然。正体はザ・サモアンズののティオ・サモアであった。このサモアンズはアファとシカのアノアイ兄弟とは別で、パートナーは初代がレノ・トゥーフリ(=未来日外国人レスラー名鑑を見よ)で、後にタプー・サモア(モンゴリアンズ1号)に交代している。かなり荒っぽい試合をしたが、アファとシカのザ・サモアンズより一回り小さく、彼らのような実績は残せなかった。 |
ザ・モンゴル
THE MONGOL 1回 ●狂える蒙古人 ●180センチ、111キロ ●出身地不明 |
||
39 10 (日)【特】プロレス秋の陣 | ||
このザ・モンゴルも「踏みつぶし野郎」といわれたようだが、アーチ・ゴルディとは全くの別人。レスリングはほとんどせず、殴る、蹴るを中心とした試合で、場外乱闘とベアハッグが得意だったという。初代にコリ・ボルコフがモンゴルのアルタイ山脈の奥地で発見したと言うふれこみだったが、彼がモンゴル人ではないことは間違いない。アメリカではテキサス、オクラホマ、シカゴで活躍したようだ。 |
ザ・モンゴルズ → ジート・モンゴル、ベポ・モンゴル、ボロ・モンゴルの項を見よ。
モンスター・ロシモフ MONSTER ROUSIMOFF ●大巨人 ●223センチ、230キロ ●1946年5月19日フランス・カンタブリア出身 1993年1月27日没 ●18文キック、ヒッププッシュ ●IWA世界タッグ |
||
45 1 (国) 新春チャレンジ・S、46 3 (国) 第3回IWAワールド・S、47 3 (国) 第4回IWAワールド・S、47 3 (国)第4回IWAワールド選抜S(残留) | ||
本名 ジーン・フェレ。後のアンドレ・ザ・ジャイアントである。エンリケ・エドに連れられてきた初来日の頃は気が弱く、ただの大型レスラーの域を出なかったが、来る毎に単なる大型レスラーではなくなっていった。アメリカ、カナダをサーキットする事によって自信をつかんだのであろう。 アンドレ・ザ・ジャイアントも項も見よ。 |