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来日全外国人レスラー名鑑 ミ

 

ミーン・マイク・マスターズ MEAN MIKE MASTERS (ロッキー・ジョーンズ *) 2回
●メキシカン・キラー ●183センチ、109キロ
●1956年 米・オレゴン州出身
●アメリカス・ヘビー
56 5 (新) 第4回MSG・シリーズ、58 1 (全) 新春ジャイアント・S *

落ち目のロス地区でトップを張ったレスラーで来日前にはドス・カラスあたりと抗争を繰り広げていたが、リーグ戦では全敗。このレベルのレスラーがトップだったのだから当時のロス地区の状況が窺い知れる。帰国後ロスを離れブルーノ・サンマルチノの興したIWFに参加、ロッキー・ジョーンズに改名。全日本プロレスでは大仁田のNWAインター・ジュニアに挑戦するなど、なかなかの待遇で迎えられた。地元のオレゴンでレスリングスクールを開校しているという。サイン

 

ミグエル・ペレス MIGUEL PEREZ 1回
●熱き旋風 ●177センチ、102キロ
●1937年4月7日 プエルトリコ・ポンセ出身 ●ドロップキック
●NWA世界タッグ(ニューヨーク版)、WWC北米タッグ、プエルトリコ・ヘビー
54 4 (全) NWAチャンピオン・S
プエルト・リコ出身のレスターで、アントニオ・ロッカとのコンビで1950〜60年代初頭にかけてのMSGの花形スターであったがロッカが旗揚げしたCWAに参戦したために干され、生活苦のあまり強盗事件を働き、アメリカのプロレス界を追われたといわれている。しかし日本では完全に過去の人になっていた昭和54年に、全日本プロレスに来日を果たしファンを驚かせた。当時は故郷のプエルトリコのリングで活躍していたようである。

 

ミグエル・ペレス・ジュニア MIGUEL PEREZ JUNIOR 1回
●核弾頭 ●183センチ、118キロ
●1960年5月22日 プエルトリコ・カロライナ出身(米・ペンシルバニア州フィラデルフィア説もあり)
●WWC北米タッグ、WWC北米ヘビー、プエルトリカン・ヘビー、カリビアン・ヘビー、カリビアン・タッグ、WWC世界タッグ、IWA世界タッグ(プエルトリコ版)
60 8 (全) 85決戦!ダイナマイト・ウォーズ
ミグエル・ペレスの息子。父は小柄だったがジュニアは理想的な改革に恵まれていた。プエルト・リコ、中西部地区をサーキット。父譲りのばねを生かしたドロップキックなどを使いこなし将来有望と期待を集めた。メキシコを経て故郷のプエルトリコに定着し主要なタイトルを総なめにしている。

 

ミスター・] MR.X
●183センチ、106キロ
●1921年 イギリス出身(1924年説もあり) ●レッグストレッチ
●太平洋岸地区世界タッグ
36 1 (日) プロレス春の国際試合
日本にやってきたミスターXの第1号は、後のPWF会長 ロード・ブレアースがその正体だった。おそらく日本限定のマスクマン変身であろう。この3ヵ月後、ビル・ミラーのミスターXが滞日している。

ロード・ブレアースの項も見よ。

 

ミスター・] MR.X
●196センチ、140キロ
●1927年6月5日 米・オハイオ州フレモント出身 ●ネックハンギング、アルゼンチン・バックブリーカー
●AWA世界ヘビー(ミネソタ版、オハイオ版、オマハ版)、ミッドウエスト・ヘビー、イースタンステーツ・ヘビー、オハイオ・ヘビー、AWA・USヘビー、WWA世界タッグ、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、WWWF・USタッグ(NY地区)、IWA世界ヘビー(国際プロレス)
36 4 (日) 第3回ワールドリーグ戦、36 6 (日) プロレス夏の選抜戦(残留)
アメリカではドクターX、ミスターMなどと名乗ったビッグ・ビル・ミラーが正体のミスターXで、来日した4人のミスターXの中では、このミラー版のミスターXが実力・実績ともにナンバー・ワンであるが、2度ともリング上で覆面を剥がされている。アメリカでバディ・ロジャースをリンチしたのと同様、日本でもグレート・アントニオに鉄拳制裁を加えた。

ビル・ミラーの項も参照のこと。

 

ミスター・] MR.X
181センチ、105キロ
1933年 米 ・オクラホマ州タルサ出身 殺人パンチ
NWA世界ジュニアヘビー
48 1 (日) 新春チャンピオン・S
ジム・オズボーンが正体のミスター・XでNWA世界ジュニア選手権も獲得している実力者。日本では来日早々に坂口征二が保持していたUN選手権に挑戦しているが、1−2で敗退している。帰国後、自動車事故に遭い死亡と伝えられたが、これは別のミスターXであった。

ジム・オズボーンの項も参照のこと。

 

ミスター・] MR.X
●197センチ、125キロ
●1942年 カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身 ●パイルドライバー
●南部ヘビー(ジョージア版)、セントラルステーツ・ヘビー、WWA世界タッグ(インディアナ版)、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)
50 10 (新) 闘魂S第2弾
来日する度に名前を変えていたガイ・ミッチェルが正体で、アメリカではWWA地区でディック・ザ・ブルーザーと抗争を繰り広げた事もあり、実力はなかなかの物であった。この時は四の字固めを武器に猪木、坂口を苦しめたが、膝を負傷し途中帰国している。

ガイ・ミッチェルの項も参照のこと。

 

ミスター・] MR.X
●183センチ、112キロ
●1947年 米・ウエストバージニア州チャールストン出身
●アメリカス・タッグ
54 7 (全) サマー・アクション・S
こちらのミスター・Xはニューヨークを主戦場にしていたジャック・エバンス が正体。MSGでバーン・ガニアとも対戦しとことがあるという。ファイト内容から専門誌では直ぐに正体を暴かれていた。

ジャック・エバンスの項も参照の事。

 

ミスター・アトミック MR.ATMIC 5回
●赤仮面の怪人 ●183センチ、113キロ
●1924年 米・カリフォルニア州出身 ●凶器入りヘッドバット、ネックブリーカードロップ
●インターナショナルTVタッグ(ロス版)
34 3 (日) プロレス春の国際試合、34 5(日) 第1回ワールドリーグ戦(残留)、34 8(日) 夏の国際選抜戦(残留)、37 2 (日)春の国際試合 、42 1 (日) 新春・S、44 9 (日) ダイヤモンド・S、45 8 (日) サマー・S

日本のプロレス界に覆面ブームを呼んだマスクマン。正体はドイツ系のクライド・スチーブス(写真右)で、本名はカール・スティーフ。昭和30年代に来日した頃の暴れっぷりは凄まじかったが、ワールドリーグ戦では準決勝で力道山に反則勝ちを収めるも、流血により試合放棄するというアクシデントに見舞われた。昭和40年代に入るとザ・デストロイヤーやミル・マスカラスの人気に押され生彩を欠いた。アメリカではマスクド・プリーチャー、ゴールデン・テラー、ザ・シャドーなどの名前を使い分けた。第2次プロレスブームを巻き起こす起爆剤となった功労者。

 

ミスター・オリンピア MR.OLYMPIA (ア・シーク*) 2回
五輪仮面 ●186センチ、112キロ
●1952年 
米・ジョージア州アトランタ出身
●ミシシッピ・ヘビー、ルイジアナ・ヘビー、USジュニア・ヘビー(サウスイースタン版)、サウスイースタン・タッグ、NWA世界ジュニアヘビー、アラバマ・ヘビー、サウスイースタン・ヘビー、コンチネンタル・ヘビー(サウスイースタン版)
61 10 (全)ジャイアント・S、62 1 (全)87 新春ジャイアント・S*
ジョージアやMSWA地区で人気を呼んだマスクマンで日本の雑誌でも大きく扱われた事があったマスクマンで、正体はア・シークとして来日したジェリー・スタッブスであった。MSWA地区ではタイトルを総なめにし、ミスター・レスリングの再来とまで言われた。日本ではヒロ斎藤の保持するNWAインター・ジュニア選手権の挑戦をかけて小林邦明と戦ったが、残念ながら敗退。

 

ミスター・ギロチン MR.GUILOTINE 1回
斬首仮面 187センチ、101キロ
1946年10月19日 イギリス・ストークオントレント出身
●WWA世界ヘビー(UK版)、英国ヘビー
43 9 (国) ダイナマイト・S
イギリスのマット界で暴れ、日本でも有名だったイギリス版のケンドー・ナガサキの変身で、正体はピーター・ソーンリーというレスラーだといわれている。イギリスでは胴着を着けて登場したが、日本ではなぜかこのギミックを使わず、ミスター・ギロチンと名乗った。1955年にサウジアラビアでジャン・アベベなるレスラーを脳天チョップで即死させたというのが宣伝文句であった。日本でもまずまずの活躍をみせ、草津の英国西部選手権に挑戦している。

 

ミスター・シビリアン MR CIVILIAN 1回
39 1 (日)【特】新春国際試合
力道山死後の4幹部体制初のシリーズで参加予定だったブル・ベドウがグレート東郷の妨害で来日不能になった為、急遽来日が決定した選手で、アメリカ(ハワイ)ではカウボーイ・キャシディのリングネームで暴れた。安定した実力はなかったが、しばしば「大物食い」をする事で有名であった。

 

ミスター・ジュニア・アメリカ MR. JUNIOR AMERICA 1回
30 10 (旧全)プロレス国際大試合、30 12 (旧全)日米対抗厚生大臣賞争奪試合(残留)
山口利夫の旧・全日本プロレスがシリーズに参加させたドイツ系イギリス人。しかしなぜかリングネームはアメリカ・・・。ボディ・ビルで少々の実績があったらしい。すでにアメリカ南部で力を持ち始めていたP・Y・チャン(=トージョー・ヤマモト)のブッキングで来日。(追加情報:JOE HOOKER SR氏)

 

ミスター・ゼロ MR ZERO 1回
●193センチ、121キロ
●1925年1月19日 米・フロリダ州出身 2004年6月4日没
●南部ヘビー(ジョージア版)、インターナショナル・タッグ(ジョージア版)、NWA世界タッグ(ミッドアメリカ版、フロリダ版、テキサス版、ジョージア版)、AWA世界タッグ(インディアナ版)
38 7 (日) 夏の国際試合
1960年代初頭にカールとのフォン・ブラウナーズで活躍していたクルト・フォン・ブラウナー(=ジャック・ウィルソン)が正体のマスクマン。来日の2年後の1965年に正式にコンビは解消していたようだ。来日時はアメリカでもマスクト・マーベルとしてマスクを被っていたことがある。2004年6月4日に逝去。

未来日外国人レスラー名鑑のクルト・フォン・ブラウナー、マスクト・マーベルの項も見よ。

 

ミスター・タイガー MR TIGER (ミスター・ブラウン*)1回
●黄金の虎 ●183センチ、120キロ
●1943年7月29日 オーストラリア・シドニー出身
●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、ファーイースト・ヘビー(シンガポール版)
45 8 (国) 【特】 ビッグ・サマー・S*、45 9 (国) ダイナマイト・S(残留)、45 11 (国) ビッグ・ウィンター・S(残留)
昭和45年8月に来日したミスター・ブラウンの変身で、昭和44年の日本プロレスの東南アジア遠征の時に参戦したミスターXと同一人物。本名はフランク・アール・ブラック(写真右)といい、全身に刻まれた刺青が不気味なレスラーだった。来日当時の主戦場はオーストラリア、東南アジア。このミスター・タイガーは当時TVで放映されていたタイガーマスクの人気にあやかったギミックではないだろうか? なかなかのテクニシャンだったようだ。日本プロレスに参加していたジン・キニスキーにスカウトされてカナダに渡り、1971年にはカルガリーでジョー・トマソとのコンビで同地区のインターナショナル・タッグを獲得している。

 

ミスター・ダイヤモンド MR. DIAMOND 1回
カナダの虎 ●188センチ、105キロ
●1935年10月24日 カナダ・オンタリオ州トロント出身 ●ニードロップ
40 7 (日) サマー・S

本名はポール・レーマン。高校時代にアイスホッケーの選手として活躍したあと、フットボールを経てプロレス入り。アメリカでは女性ファンに圧倒的な人気を持っていたレスラーだが、レスリングの方はさっぱり振るわず、期待外れに終わった。ルックスの良さと筋肉美だけが売り物だった。本国ではポール・ダイアモンドとも名乗った。

 

ミスター・ダンラージ MR. DANRAGE 1回
●ガマの再来 ●173センチ、95キロ
●インド・パンジャブ出身 ●
エアプレーン・スピン
46 1 (国) 新春パイオニア・S
「グレート・ガマの再来」といわれたというインド人レスラー。体は小さかったが、「ガマの再来」という触れ込みに恥じない実力は持っていたようだ。首四の字をかけられたまま立ち上がるという怪力の持ち主でもあった。豪快なボディスラムと、エアプレーンスピンが得意だった。

 

ミスター・フー MR. WHO
●謎の赤覆面 ●183センチ、110キロ
●1929年 米・ミズーリ州セントルイス ●フライングタックル
●南部タッグ(ミッドアトランティック版)、USヘビー(セントラルステーツ版)、南部ヘビー(フロリダ版)、フロリダ・タッグ、フロリダ・ヘビー、イースタンステーツ・ヘビー、アメリカン・タッグ、アメリカン・ヘビー
36 11 (日)プロレス冬の国際試合
マスクマンとして来日したが、客席にいたゼブラ・キッドの「おまえたちの正体はわかっているぞ」という野次に怒り、試合前に自ら赤いマスクを脱いで正体を曝した。初代アサシンズとして有名なロッキー・ハミルトン(=ラリー・ハミルトン、ミズリー・モウラー) が正体だった。

詳細はラリー・ハミルトンの項参照。

 

ミスター・フジ → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。

 

ミスター・ブラウン MR.BROWN
●183センチ、120キロ
●1943年7月29日 オーストラリア・シドニー出身
●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、ファーイースト・ヘビー(シンガポール版)
45 8 (国) 【特】 ビッグ・サマー・S
国際プロレス昭和45年の「ビッグ・サマー・シリーズ」に突然やってきた謎のレスラー。次のシリーズから覆面をつけてミスター・タイガーに変身するのだが、このシリーズではなぜか素顔で登場。売り物である刺青を隠すために長袖のTシャツを着用していた。本名はブラックだが、なぜかブラウンと名乗っている。

ミスター・タイガーの項も見よ。

 

ミスター・ブルート MR.BRUIT
人非人 180センチ、159キロ
1931年12月1日 カナダ・アルバータ州カルガリー出身 2000年10月没 ●フライング・ソーセージ
アジア・タッグ、セントラルツテーツ・タッグ、ハワイ・ヘビー、ジョージアTV
38 1 (日)【特】春の国際大試合
アメリカではクロンダイク・ビルの名で活躍した野獣派レスラーだが、力道山とのメインエベントの3本勝負で1本目にバックドロップを食らって失神。力道山を大いに激怒させ「乞食野郎!」と罵倒された。

詳細はクロンダイク・ビルの項参照。

 

ミスター・モト → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。

 

ミスター・レスリング MR.WRESTLING
悪の白覆面 190センチ、105キロ
1937年3月27日 カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身 スープレックス
アメリカス・タッグ
47 5 (日) 第一次ゴールデン・S
日本に最初にやってきたミスター・レスリングの正体はアマレス出身の実力者ゴードン・ネルソンだった。ネルソンはアメリカでもミスター・レスリングを名乗りヒールとして活躍、ロス地区ではパク・ソンとのコンビでアメリカスタッグ選手権も獲得している。日本でも勝率は高く、大木のアジア・ヘビーに挑戦している。

ゴードン・ネルソンの項も参照の事。

 

ミスター・レスリング MR.WRESTLING 4回
正義の白覆面 188センチ、120キロ
1934年7月28日 米・ニューヨーク州ウティカ出身(ジョージア州説、ノースカロライナ説もあり) 2002年10月30日没 倒立式エビ固め
●AWA世界ヘビー(オマハ版)、ネブラスカ・ヘビー、アメリカン・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、フロリダ・タッグ、フロリダ・ヘビー、ジョージア・タッグ、NWA世界タッグ(ミッドアトランティック版)、ミッドアトランティックTV、USヘビー(ミッドアトランティック版)
49 4 (全) 第2回チャンピオン・カー二バル、50 4 (全) 第3回チャンピオン・カーニバル、50 12 (全) オープン選手権大会、 54 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦

こちらが本家のミスター・レスリングで、正体はご存知のようにアマレス出身のティミー・ウッズ(本名:ジョージ・ブラメル・ウッディン)。ジョージア地区では英雄的存在。初来日のチャンピオン・カーニバルでは、前評判を裏切らず決勝に進出するも、ジャイアント馬場に敗れいさぎよくマスクを脱ぎ、勝者の馬場に手渡した。しかし来日前にはティミー・ウッズとして参加が予定されていたため、多くのファンは正体がウッズであることを最初から知っていたのである。当時は彼のシューター振りを堪能する土壌があるはずもなく、マスクマンとしては地味なこともあり日本では今ひとつ人気が出なかった。2002年10月30日に心臓発作のため死去。(素顔写真提供HARU一番様) サイン

 

ミステリアス・アサシン MYSTERIOUS ASSASIN
●覆面の重戦車 ●188センチ、122キロ
●1948年1月8日 米・テネシー州ノックスビル出身
●ウエスタンステーツ・タッグ(アリゾナ版)、ウエスタンステーツ・ヘビー、トライステート・ブラスナックル、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、フロリダ・ヘビー、フロリダ・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、WWC北米ヘビー、パシフィックノースウエスト・ヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ、カリビアン・ヘビー
55 3 (全) 第8回チャンピオン・カー二バル
昭和55年のチャンピオン・カーニバルにやってきた大型マスクマンで、正体はボビー・ジャガース。開幕戦でジャイアント馬場と公式戦で当たり、アブドーラ・ザ・ブッチャーのインターフェアがあったものの馬場からリングアウト勝ちを収めた。サイン

ボビー・ジャガースの項も見よ。

 

ミステリアス・メディコ MYSTERIOUS MEDICO
●謎の医師 ●181センチ、120キロ
●1918年 カナダ出身 2001年3月没
●ハワイ・タッグ
41 12 (東) チャンピオン・S
若きアントニオ猪木が設立した東京プロレスに来日した覆面レスラーで、シリーズ中は猪木の保持していたUS選手権にも挑戦しているが惨敗。正体は昭和29年に太平洋岸選手権者として来日していたルー・ニューマンであった。昭和41年にはすでに48歳の大ベテランであった。2001年3月に心臓発作のため急死。

ルー・ニューマンの項も見よ。

 

ミステリー・ザ・オレゴン MYSTERY THE OREGON 1回
●赤い影法師 ●183センチ、118キロ
●米・テキサス州サンアントニオ
45 8 (日) サマー・S
西海岸で活躍した覆面レスラーでオレゴン・ランバージャックとして名が通っていた。サンバナディーノで坂口征二と熱戦を演じ話題を呼んだが、来日した時は完全に期待外れに終わった。正体はリッキー・ロメロの実弟、マイク・ロメロであった。

 

ミズリー・モーラー → ラリー・ハミルトンの項を見よ。

 

ミツ荒川 → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。

 

ミッキー・ドイル MICKY DOYLE 1回
●180センチ、108キロ
●生年月日不明 米・デトロイト州出身
48 11 (全) ジャイアント・S第2弾
アイルランド系のレスラーで赤毛がトレードマークだった。プロレスラーになる前はデトロイトで舞台役者をしていたという変わり種でレスラーのマイク・ローレンに喧嘩を売り、その噂を聞いたザ・シークによってスカウトされたといわれている。マイク・ボイエッティとのザ・ヒッピーズで活躍した。昭和50年12月19日には猪木、坂口組のセコンドを勤めるためにフロリダのゴッチ道場からロスに駆けつけた藤波とオリンピック・オーデトリアム対戦している。その後はアル・コステロとのコンビで何代目かのザ・カンガルーズとして活躍。現在もインディー団体のリングに上がっているようだ。

 

ミッシェル・シュナイダー MICHAEL SCHNEIDER 1回
●サンボの鬼 ●185センチ、125キロ
●1949年11月 ウクライナ・オデッサ出身
60 5 (旧U) 格闘技オリンピア
旧ソビエトのウクライナ出身。学生時代からサンボ、柔道で身体を鍛え26歳の時に旧西ドイツに亡命しサンボの道場を開く。ここでローラン・ボックに認められプロレスラーとなる。デビュー当時はファントムのリングネームで活躍、1980年代に入ると頭角をあらわし、ミュンスター・トーナメントで準優勝したこともある。来日時はUWFスタイルになじめず、成績は芳しくなかった。

 

ミッシェル・ナドール MICHELE NADOR
●蛇男 ●190センチ、112キロ
●1932年 ハンガリー出身 ●サイドスープレックス
●ハンガリー・ヘビー、IWA世界タッグ(国際プロレス版)
56 7 (新)【特】 サマー・ファイト・S
ローラン・ボックのパートナーとして新日本プロレスが招聘した欧州系のレスラーで、国際プロレスに2度来日経験のあるマイケル・ネイダーの変名。このときの来日では第1戦で長州力をサイドスープレックス一発であっさりフォールしたが、その後TV出演はなかった。サイン

詳細はマイケル・ネイダーの項参照。

 

ミッチー・スノー MITCH SNOW 1回
183センチ、102キロ
1967年 米・バージニア州ニューポート出身
63 7 (全) 88 サマー・アクション・S
高校時代は地元のアマレス王者になったこともある実力者。ネルソン・ロイヤルの弟子で、修行中の輪島大士のスパーリング・パートナーを務めた。全日本プロレスへの来日はその時の見返りだった?アメリカではカンサス地区やAWA圏で活躍した。

 

ミッドナイト・ソルジャー MIDNIGHT SOLDER 1回
●粉砕戦士 ●200センチ、133キロ
●1964年4月14日 米・ハワイ州出身 2007年8月13日没
63 2 (新) 88 ビッグ・ファイト・S
低迷期の新日本に来日した大型マスクマンで、正体は新日本に留学経験のあるブライアン・アダムスであった。新日本プロレスのフロントの期待に反し全く人気が出ないまま帰国。

ブライアン・アダムスの項も見よ。

 

ミル・マスカラス MIL MASCARAS 22回
●悪魔仮面 ●180センチ、105キロ
●1942年7月15日 メキシコ・サンルイスポトシ出身 ●ドロップキック、ダイビング・ボディアタック
●ナショナル・ライトヘビー、アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、テキサス・タッグ、アメリカン・タッグ、IWA世界ヘビー(アメリカ版)、USヘビー(全日本プロレス版)、EMLL世界ヘビー、ALLL世界ヘビー、WWA世界ヘビー(メキシコ版)
46 2 (日) ダイナミック・ビッグ・S、46 8 (日) サマー・ミステリー・S、47 5 (日) 第一次ゴールデン・S、47 7 (日) サマー・ビッグ・S、48 10 (全)【特】創立1周年記念ジャイアント・S、49 7 (全) サマー・アクション・S第1弾、51 1 (全)【特】新春ジャイアント・S、52 2 (全) エキサイト・S、52 8 (全) 【特】第2弾サマー・アクション・S、53 8 (全) 第2次サマー・アクション・S、54 8 (全) ブラック・パワー・S、54 8 8・26夢のオールスター戦、54 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、55 8 (全) 第2次サマー・アクション・S、56 8 (全) スーパー・アイドル・S、56 10 (全) 【特】ジャイアント・S、 57 1 (全)【特】新春ジャイアント・S、57 7 (全) サマー・アクション・S、58 1 (全)【特】新春ジャイアント・S、58 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、60 10 (全)【特】ワールド・チャンピオン・カーニバル、61 1 (全【特】ニューイヤー・ウォーズ・スーパーバトル86、61 5 (全)【特】スーパー・パワー・S
                 
1965年にデビュー、1967年にはナショナル・ライトヘビー級選手権を獲得。1968年にはロスに登場し独特の空中殺法で人気を呼ぶ。日本でも当時創刊されたばかりのゴング誌が強力にプッシュし知名度を上げた。一時はロス名物(?)の陰謀に巻き込まれロスを去るが1970年に復帰し、翌年待望の初来日を果たした。日本でも人気は高かったが、爆発的人気を呼んだのは「スカイ・ハイ」を入場テーマにした昭和51年頃からであろう。アメリカ本土でも成功した数少ないメキシカンである。正体に関してはミゲル・モラレス説が有力だったが、現在ではアレン・ロドリゲス説が定着している。 サイン

 

ミレ・ツルノ MILE ZRNO (シルバー・ハリケーン *) 4回
●ユーゴの鷹 ●180センチ、95キロ
●1955年 ユーゴスラビア・スーイカ出身 ●スープレックス
●WWU世界ジュニアヘビー
54 4 (国) ビッグ・チャレンジ・S、57 10 (新)【特】 闘魂S*、 58 3 (新) ビッグ・ファイト・S第1弾、60 2 (旧U) パンクラチオン・ロード
「ユーゴの鷹」と言われ、WWU世界ジュニア王座として国際プロレスに初来日。阿修羅原の挑戦を受けたがブロック・バスターに沈み王座から転落。国際崩壊後は新日本プロに来日、労働ビザがおりずにマスクを被ってシルバー・ハリケーンと名乗ってファイトした事もある。試合は上手かったがいかんせん線が細かった。ヨーロッパでは各地のトーナメントで上位入賞を果たしている実力者。