来日全外国人レスラー名鑑 ク(2)
ザ・クルーザー
THE CRUISER ●快速船 ●183センチ、115キロ ●1939年12月14日 米・インディアナ州インディアナポリス ●ネックブリーカー・ドロップ ●NWA世界ジュニアヘビー、セントラルステーツ・ヘビー、パシフィックノースウエスト・ヘビー、WWA世界タッグ(インディアナ版) |
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55 8(全) 第2次サマー・アクション・S | |
「第2次サマー・アクション・シリーズ」で行われたPWF杯争奪タッグトーナメントにデストロイヤーのパートナーとして参加したマスクマンで、デストロイヤーとうりふたつの体型をしていた。なかなかの実力者で決勝まで進出し、マスカラス兄弟と優勝を争っている。正体は野生児二世といわれたロジャー・カービーだから、この活躍も当然の事であろう。サイン ロジャー・カービーの項も見よ。 |
ザ・クルセイダー
1号 THE
CRUSADERS # 1 ●仮面の十字軍 ●190センチ、108センチ ●1925年 カナダ・オンタリオ州ダンダス出身 ●インターナショナル・タッグ(デトロイト・トロント地区) |
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52 1(全) 新春ジャイアント・S | |
十字軍を名乗る謎の覆面コンビで、来日前はインタータッグを狙っての来日といわれていたが、結局は高千穂、サムソン・クツワダの保持するアジア・タッグに挑戦するも惜敗している。正体はビリー・レッド・ライオン。 ビリー・レッド・ライオンの項も見よ。 |
ザ・クルセイダー
2号 1回 THE CRUSADERS # 2 ●仮面の十字軍 ●189センチ、116キロ ●1943年2月28日 カナダ・オンタリオ州ハミルトン ●インターナショナル・タッグ(デトロイト・トロント地区) |
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52 1(全) 新春ジャイアント・S | |
トロント地区で活躍していたマスクマン・コンビという触れ込みでの来日だったが、現地では素顔でファイトしていたといわれる。この2号の正体はディウィ・ロバートソン。ロバートソンは後にミッシング・リンクに変身してブレイク。平成に入ってからリンクとしても来日している。ディウィ・ロバートソンとしても知名度は高かったが、素顔では一度も来日していない。 未来日外人レスラー名鑑のディウィ・ロバートソンの項も見よ。 |
クルト・フォン・スタイガー KURT VON STEIGER
3回 ●177センチ、104キロ ●1931年ドイツ・ハンブルグ出身 ●スープレックス ●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、USタッグ(シスコ版)、パシフィックノースウエスト・タッグ、IWA世界タッグ(オーストラリア版) |
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44 5(日) ゴールデン・S、48 2(日) ダイナミック・S、51 8(新) 闘魂S | |
本名はアーノルド・パストリック。「弟」のカールとのスタイガー兄弟でカナダや太平洋岸地区で活躍。カールとはビジネス上の兄弟で血のつながりはない。カールより一回り小さく、シングルではそれほどでもなかったが、タッグになるとしぶとい強さを発揮、日本でも兄弟コンビで絶妙のコンビネーションを披露した。昭和48年の来日ではキラー・カール・クラップとのコンビで吉村の引退で空位になったアジア・タッグ王座決定戦に出場したが、小鹿、松岡組に惜敗している。 |
クルト・フォン・ストロハイム KURT VON STOHEIM 3回
●ナチの残虐者 ●188センチ、112キロ ●1929年ドイツ・ベルリン出身 1985年没 ●ニードロップ ●WWA世界タッグ(ロス版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、ヨーロッパ・ヘビー、NWA世界タッグ(テネシー版) |
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39 10(日)【特】 プロレス秋の陣、39 12(日) WWA世界選手権S(残留)、44 5(日) ゴールデン・S、52 10(新) 闘魂S第2弾 | |
本名はウィリー・ラトゴスキー。元ナチスのギミックで売ったレスラーで、1950〜60年代にカールとのストロハイム兄弟で活躍した古豪。体格的にもなかなかの大型であった。1960年代中盤からはテネシー一帯で2代目クルト・フォン・ブラウナーとなり、カール・フォン・ブラウナーと2代目ブラウナー兄弟として暴れた。最後の来日ではさすがベテランという巧さを見せパット・パターソンとのコンビで北米タッグ王座への挑戦権を与えられたが、直前に負傷し挑戦権をスティーブ・ライトに譲っている。 |
カール・フォン・ブラウナー → ミスター・ゼロの項、および未来日外国人選手名鑑を見よ
クルト・フォン・ヘス
KURT VON HESS
6回 ●ナチの亡霊 ●193センチ、114キロ ●1944年 カナダ・ケベック州モントリオール出身 1999年3月没 ●クロー攻撃 ●NWF世界タッグ、IWA世界タッグ(国際版、モントリオール版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー地区)、世界タッグ(デトロイト版)、ガルフコースト・ヘビー |
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49 5(新) ゴールデン・ファイト・S、52 2(国) 第6回IWA・ワールド・S、53 4(国) スーパー・ファイト・S、54 1(新) 新春黄金・S、55 8(全) 第2次サマー・アクション・S、57 5(全) エキサイト・S | |
本名はビル・テリー。カール・フォン・ショッツとのコンビでNWF世界タッグ王者として来日するはずだったが、来てみればNWAの北米タッグ王者だった。タッグの名人でショッツとのタッグのほかにも、ボブ・ループとのコンビで北米タッグに挑戦、国際プロレスではビッグ・ジョン・クインとのコンビでIWA世界タッグ王座決定トーナメントに優勝するなどの実績を持つ。晩年はT・J・シンの参謀役として全日本プロレスにも登場した。タッグ・マッチにおける司令塔としての才能は抜群であった。1999年3月に心臓発作で逝去。 |
クレイトン・トムソン
CLAYTON THOMSON 2回
●英国の鋼鉄男 ●180センチ、102キロ ●1944年 スコットランド・グラスゴー出身 ●大英帝国ヘビーミドル級 |
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48 9(新) 闘魂S、50 8(新) 闘魂S | |
レスラーになる以前は、丸太投げチャンピオンにもなった事があるという怪力の持ち主で英国博覧会の丸太投げのデモンストレーションに参加するため来日したこともある。イギリス・マットを中心にヨーロッパで活躍した中量級のレスラーで、2度目の来日時は大英帝国ヘビー・ミドル級選手権を保持していた。地味だが堅実なレスリングでマニアを唸らせた。リングネームはトムソンではなくトンプソン(THOMPSON)が正しいようである。 |
クレージー・アラブ
CRAZY ARAB ●恐怖の気違い酋長 ●186センチ、110キロ ●1944年米・カリフォルニア州オークランド出身 |
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54 3(国) スーパー・ファイト・S | |
日本プロレスに初来日したマスクマンのゲーリー・モンティの変身。元々ボディ・ビルの出身でモンティ時代はスピードを生かした大技もこなす正統派レスラーとして注目を集めたが、突然アラビア系を名乗るクレージー・ファイターに転向した。アラブとしての来日では、まずまずのそつのない試合振りを見せていた。 ゲーリー・モンティの項も参照のこと。 |
クレージー・セーラー・ホワイト → セーラー・ホワイトを見よ
クレージー・ボビー・バス CRAZY BOBBY BASS
(テキサス・アウトロー*) 2回 ●187センチ、115キロ ●1947年2月23日 カナダ・ノバスコシア州ダートマス出身 ●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、USタッグ(アラバマ版)、カナダ・タッグ(バンクーバー版) |
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51 5 (国) ビッグ・チャレンジ・S、54 6 (国) ビッグ・サマー・S * | |
本名はデニス・バルドック。バス4兄弟(フレッド、ドン、ロン)の末弟と言う触れ込みでデビューしたが、これは当然ビジネス・ブラザーであり血のつながりはなかった。学生時代はボクシングに励みアマのカナダ王者になったが、拳をいためプロレスに転向したところをロン・バスに認められ、ボビー・バスとしてアメリカ本土に進出、アラバマやフロリダでロン・バスとのコンビでUSタッグ、世界タッグを獲得している。実力的には3流だったが、なかなか器用なレスラーであった。 |
クレージー・レロイ・ブラウン
CRAZY
LEROY BROWN (エリージャー・アキム*
)3回 ●黒い起重機 ●199センチ、160キロ ●1950年11月30日 米・イリノイ州シカゴ出身 1989年没 ●ヘッドバット ●テキサス・タッグ、アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、AWA南部タッグ |
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54 6 (新) サマー・ファイト・S、59 4 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾*、60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第1弾 | ||
本名はロナルド・ダニエルズ。プロフットボールの「ニューヨーク・ジェッツ」で活躍していたが1977年にプロレス入り。すぐに頭角をあらわしテキサス、ロスでトップを取った大型黒人レスラー。初来日ではブッチャー2世として期待され開幕戦で小林をKO、しかし試合前のデモで頭でビール瓶を割ろうとしたが、ブラウンの額が割れて大流血。このシリーズでは坂口の北米選手権にも挑戦したが、マサ斎藤が乱入し反則負けを取られる。ヘッドバット一本槍の単純なレスラーだった。後にエリージャー・アキムに改名し、ムハマッド・カリム (レイ・キャンディ)とのザンビア・エキスプレスで来日している。アメリカではバッド・バッド・レロイ・ブラウンとも名乗った。1989年に狭心症で死亡。サイン |
グレート・アントニオ GREAT ANTONIO 2回 ●密林男 ●193センチ、210キロ ●1925年10月10日 ユーゴスラビア出身(カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身説もあり) 2003年9月7日没 ●ボディプレス |
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36 4(日) 第3回ワールドリーグ戦、52 10(新)【特】闘魂S第2弾 | |
本名はアントニオ・バリチェビッチ。日本での知名度は高いが、実際はカナダの一部でしか活躍していなかったローカル・レスラーで、アメリカではほとんど無名に近いといえる。2度来日しているが、2回ともシリーズ途中で対戦レスラーの反感を買いリンチを受けての途中帰国となっている。かなりの虚言癖があり、ほとんどのレスラー仲間から嫌われていたようだ。2度目の来日でもアンドレ・ザ・ジャイアントの怒りを買いリンチを受け、猪木にも無残にKOされている。しかしマネージャーにチェーンでひかれてリングに登場したり、バスを引っ張ったりというパフォーマンスは昭和のファンに強烈な印象を残した。晩年は恵まれず、2003年9月に故人となった。(写真提供:HARU一番様)サイン |
グレート・イゴール GREAT IGOR 1回 ●岩石男 ●186センチ、120キロ ●1944年 ポーランド出身(ミシガン州デトロイト出身説もあり) 2002年1月7日没 ●ヘッドバット、ベアハッグ ●AWA世界ヘビー、ネブラスカ・ヘビー、ミシガン・ヘビー、ミッドウエスト・ヘビー、プエルトリコ・ヘビー |
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46 7(日) サマー・ビッグ・S | |
本名はリチャード・ジョセフ・ガルザ。生まれ故郷のポーランドから1963年にカナダに移住したところをイワン・カルミコフにスカウトされてプロレス入り。AWA地区で活躍した怪力レスラーでイゴール・ボディックの名でも知られ、主に子供に人気があったレスラー。AWA世界王者にもなっており、まだ見ぬ強豪の一人に数えられていたが、昭和46年に日本プロレスに最初で最後の来日を果たす。しかしこれが全くの期待外れで、「これが本当に世界王者になった男か!」と酷評を受けた。以後一度も来日がないのはもちろん、来日の噂も立たなかった。2002年1月に心臓発作のため逝去。 |
グレート・キマラ
GREAT
KAMARA ●ウガンダの大魔神 ●205センチ、160キロ ●1950年5月28日 米・ミシシッピー州ジャクソン出身 ●AWA南部ヘビー、USWA世界ヘビー、ミシシッピ・ヘビー |
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60 11(ジ) ニューウェーブ・イン・ジャパン | |
本名はジェームス・ハリス。アメリカではフライデーという覆面マネージャーをつけて人気を獲得したレスラー。最後の怪奇派といっても良かろう。ジャイアント・キマラの変名。 ジャイアント・キマラの項参照。 |
ザ・グレート・コキーナ
GREAT KOKINA 1回 ●サモアの巨象 ●193センチ、158キロ ●1966年10月2日東サモア(米・カリフォルニア州サンフランシスコ説もあり) 2000年10月22日没 ●ボディプレス ● WWF世界ヘビー、WWF世界タッグ |
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63 8(新) 88 戦国S | |
本名はロドニー・アノアイ。サモア出身の超巨漢レスラーで、アファ、シカのアノアイ兄弟の甥にあたる。さまざまなインディー団体を渡り歩いて力を付けた。特異なキャラクターが買われ、ジャン・レノ主演の「暴風神父」フライ・トルメンタをモデルにした映画「グラン・マスクの男」にも出演している。後にWWFに移籍しヨコズナとして売り出し、WWF世界王者にもなっているが、2000年10月22日肥満が原因の狭心症の発作で死亡。 |
グレート・スヌーカ GREAT SNUKA ●鬼神 ●183センチ、105キロ ●1945年5月18日フィジー出身 ●フライング・ヘッドバット ●パシフィックノースウエスト・ヘビー |
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46 9(日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦、 49 11(全) NWAチャンピオン・S | ||
ジミー・スヌーカの前身で、デビュー1年目で初来日。初来日当時は写真左のようなインディアン・スタイルだった。来日前はグレート・シアヌークとして紹介されていた。 詳細はジミー・スヌーカの項参照。 |
グレート東郷 → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。
グレート・マーシャルボーグ GREAT MARSHALBORG 1回 ●恐怖の殺人機械 ●190センチ、155キロ ●米・ハワイ州出身 ●南部ヘビー(テネシー版) |
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56 7(全) サマー・アクション・S | |
本名はタラス・ブルバ。落ち目のキラー・トーア・カマタが連れてきたとんでもない食わせ物。来日前は「全米マーシャル・アーツ王者だったが、対戦相手を死亡させマーシャル・アーツ界を追われた・・・」という宣伝文句でかなり人気を煽ったが、蓋を開けてみると、これが全くの木偶の坊。落ち目のカマタをさらにどん底に突き落としたのだった。後にこの男が猪木の格闘技史上最低の対戦相手といわれたミスター・Xだと言う噂が流れ、ファンは大きく首を縦に振って納得したものである。しかしどうやらミスターXとは別人だと思われる。またブッダ・カーンのリングネームでテネシー版南部選手権をジェリー・ローラーから獲得している。サイン |
グレート・マレンコ
GREAT BORIS
MARENCO 5回 ●デスマッチの鬼 ●185センチ、108キロ ●1933年1月28日 フロリダ州タンパ出身 1994年8月27日没 ●キャメルクラッチ、葉巻攻撃 ●テキサス・ヘビー、AWA世界タッグ、ネブラスカ・ヘビー、南部ヘビー(フロリダ版)、ブラスナックル・ヘビー(フロリダ版) |
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40 2(日) 【特】新春国際試合、48 5(全) ブラック・パワー・S、49 10(新) 闘魂S第2弾、53 3(新) ビッグ・ファイト・S、54 1(新) 新春黄金・S | ||||
本名はローレンス・ボリス・サイモン。正式にはグレート・ボリス・マレンコといい、AWA圏ではドイツ人ギミックのオットー・フォン・クラップ名義でボブ・ガイゲルとのコンビでAWA世界タッグを獲得している。今でこそシュートの達人と言う評価を受けているがふざけたファイトが多かったようで、当時の雑誌では酷評されている。全盛期はチェーン・デスマッチの名人としてフロリダあたりで悪名を轟かせた。晩年はボブ・ループやマスクド・スーパースターのマネージャーとして来日し葉巻で猪木の目を焼くなどしてファンの憎悪をかった悪役マネージャーとしての印象が強い。ジョーとディーンのマレンコ兄弟の父親である。1994年血液ガンのため死亡。ロシア・ウクライナ出身といわれていたが、これはギミックであった。サイン |
グレート・ムルンバ
GREAT
MURUMBA ●186センチ、120キロ ●生年月日不明 トリニダートドバコ出身 ●ヘッドバット |
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55 11(国) デビリッシュ・ファイト・S | |
新日本プロレスに来日経験のあるブルータス・ムルンバの変名。国際プロレスでは準エース級の扱いを受けた。試合前のデモンストレーション・ダンスが印象に残る。 ブルータス・ムルンバの項も見よ。 |
グレート・メフィスト GREAT MEPHISTO
1回 ●アラビアの妖鬼 ●183センチ、110キロ ●1936年 オハイオ州コロンバス出身 ●キャメルクラッチ ●テキサス・ヘビー、USヘビー(シスコ版)、アリゾナ・ヘビー、フロリダTV、ミッドアメリカ・ヘビー |
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55 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦 | |
「プロレス&ボクシング」の昭和40年7月号ではドイツ出身で本名はレッド・シュタインケと紹介されているが、本当の(?)本名はフランキー・ケイン。サンフランシスコや北西部、中西部地区を主戦場としていた選手で、インフェルノスのメンバーだったこともあるといわれている。アブドーラ・ザ・ブッチャーと仲間割れしたザ・シークのパートナーとして初来日。小柄な割にはパワーもあったが、肝心のザ・シークがまともな試合をする気がなくリーグ戦はほとんどが反則負けであった。日本では印象が薄いが、カール・ゴッチが高く評価した実力者。 |
グレッグ・ガニア
GREG GAGNE
3回 ●帝王二世 ●183センチ、100キロ ●1948年7月27日 米・ミネソタ州ミネアポリス出身 ●ドロップキック ●AWA世界タッグ、AWAインターナショナルTV |
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48 9(国) 第5回lWA・ワールド・S、57 5(全) 【特】エキサイト・S、59 3(全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT | ||
AWAの帝王 バーン・ガニアの息子で現役中は常に「親の七光り」というレッテルがついて廻った。ジム・ブランゼルとのハイ・フライヤーズで何度もAWA世界タッグを保持。一時ブランゼルとコンビを解消して、単身WWFに転戦した時期もあり、藤波のジュニア選手権に挑戦するという計画が持上がった事もあった。これが実現していれば、なかなかの名勝負になったであろう。AWA末期にはランボー・スタイルに変身するなどしたが、シングル・プレーヤーとしては最後まで大成しなかった。 |
グレッグ・バレンタイン GREG VALENTINE 5回 ●金髪のジェット機 ●185センチ、113キロ ●1951年9月10日 米・ワシントン州シアトル出身 ●エルボードロップ ●NWF世界タッグ、アメリカス・ヘビー、ミッドアトランティック・ヘビー、WWF世界タッグ、インターコンチネンタル・ヘビー、カリビアン・ヘビー |
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50 5(新) ゴールデン・ファイト・S、50 10(新)【特】闘魂S第2弾、54 10(新)【特】闘魂S、57 7(新) 第2次サマー・ファイト・S、59 8(新)【特】ブラディ・ファイト・S | ||
本名はジョン・ウィスニスキー・ジュニア。「金髪のジェット機」といわれたジョニー・バレンタインの実子でデビュー当時はジョニー・バレンタイン・ジュニアを名乗って試合をしていたが、ジョニーが実子であるを否定したため「ジョニーの息子ではない偽者」と報道された事もある。西海岸でジャッキー・ファーゴの弟として活躍。NWF地区で世界タッグを獲得した後、コンビを解消してロスへ転戦しジョニーの弟を名乗り、グレッグ・バレンタインに改名。新日本プロレスの常連レスラーとなる。昭和54年の来日では減量して藤波のジュニア王座に挑戦し、藤波を大いに苦しめた。アメリカでもボブ・バックランド、リック・フレアーあたりと抗争を展開していた実力派である。WWFでは髪を黒く染めてザ・ハンマーのニックネームで活躍。日本では過小評価されたといえる。得意技は父譲りのエルボードロップ。 |
グレッグ・ピーターソン
GREG PETERSON
1回 ●フロリダの毒蛇 ●180センチ、110キロ ●米・オハイオ州コロンバス出身 ●ブラスナックル選手権(ジョージア地区) |
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47 11(新) ニュー・ダイヤモンド・S | |
ジョージアやフロリダ一帯を主戦場としていたレスラーで、グレート・マレンコとのチェーンデスマッチはドル箱カードだったといわれている。得意技はスリーパー・ホールドと各種のクロー攻撃。写真を見てのとおり、なかなかの美男子で、アメリカでは女性ファンの人気があったようだ。当時の海外熱戦譜にも名前が登場、専門誌でも特集が組まれていたが、日本での成績はさっぱり。 |
グレッグ・ブラウン GERG BROWN 1回 ●185センチ、101キロ ●1966年 米・オクラホマ州タルサ出身 |
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63 10(全) 88 ジャイアント・S | |
ジェリー・オーツのスカウトでプロレス入り。可もなく不可もないといった特徴のないレスラー。当時から黒人レスラーは減少傾向にあり希少価値はあった。ダイビング・ボディ・アタックのような大技も器用にこなしたが、その後一度も来日していない。 |
黒潮太郎 → 外国人留学生名鑑を見よ
クロンダイク・ビル
KLONDYKE BILL
(ミスター・ブルート *) 2回 ●人非人 ●180センチ、159キロ ●1931年12月1日 カナダ・アルバータ州カルガリー出身 2000年10月没 ●フライング・ソーセージ ●アジア・タッグ、セントラルツテーツ・タッグ、ハワイ・ヘビー、ジョージアTV |
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38 1 (日)【特】春の国際大試合*、43 7(日) 第一次サマー・S | |
本名はビル・ソロウェイコ。アメリカで活躍したオリジナルのクロンダイク・ビルで初来日ではミスター・ブルートを名乗る。エースとして来日するが、力道山との三本勝負の一本目でバック・ドロップを浴び失神、二本目を試合放棄。空手チョップを観衆に魅せられなかったとして力道山を大いに怒らせた。2度目の来日時にはシングルでジャイアント馬場からフォール勝ちを収めたりアジア・タッグを奪取したりと大活躍の汚名挽回。アマレスで活躍した実績を持つ野獣派であったが小柄だった為、二流の域を脱する事が出来なかった様だ。 |
クロンダイク・ビル
KLONDYKE BILL
1回 ●人間空母 ●181センチ、210キロ ●1942年 イギリス・ヨークシャー出身 ●フライング・ソーセージ |
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48 11(国) ビッグ・ウインター・S | |
こちらはイギリス版のクロンダイク・ビル。本家とはスペルが一文字違う。弟を名乗るクロンダイク・ジャック(ジェイクとする説もあり)とのクロンダイク・ブラザーズを名乗ってタッグで暴れていた。想像の通りの木偶の坊で、なんと浜口、大磯を相手にしたハンデイ・マッチでフォール負けを喫するという体たらく。こういった野獣レスラーは見かけ倒しが多く、一流レスラーには歯が立たない場合がほとんどのようである。 |