来日全外国人レスラー名鑑 キ

 

キウィズ = ブッチ・ミラー、スウィート・ウィリアムスを見よ

 

キース・ハート KEITH HART 2回
●カナダの雷鳥 ●178センチ、100キロ
●1955年 カナダ・アルバータ州カルガリー
●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、世界ミッドヘビー(カルガリー版)
53 9(国) ダイナマイト・S、55 6(新) サマー・ファイト・S
カナダで有名なハート一家のひとりだが、この5兄弟は不思議な事に弟のほうがよりレスラーとしての才能があった。キースは5人兄弟の三男で、ファイト・スタイルはテクニックにラフを加味した典型的なカルガリー・スタイルだったが、ブレッドに比べやや気が弱かったのか勝負根性に欠けていた。新日本プロレスに参加した時には藤波への挑戦権を与えられるが、片手を負傷していた藤波にスモール・パッケージに丸め込まれて敗退。ハート兄弟の中では日本においての印象が薄いレスラーである。

 

キース・ハワード KEITH HOWARD 1回
59 11(旧U)イヤーエンド・スペシャル、60 7(旧U)格闘熱帯ロード
初来日時にはピート・ロバーツと好勝負を繰り広げた他、高田に1勝1敗1分け、山崎に1勝という星を残し、英国スタイルの継承者として注目された。その実績を買われ、翌年の第1回公式リーグ戦ではAリーグの招待外人選手とされたが、全敗を喫し最下位に終わった。(解説:黒い一羽鷹氏)

 

キューバン・アサシン CUBAN ASSASIN 4回
●キューバの暗殺者 ●181センチ、105キロ
●1946年7月27日 米・ワシントン州オレゴン出身
●フロリダ・ヘビー、プエルトリコ・ヘビー、パシフィックノースウエスト・ヘビー
61 5(新) 86IWGPチャンピオン・S、62 1(新) ニューイヤー・ダッシュ87、62 8(新) 戦国合戦シリーズ、63 7(新) サマー・ファイト・S
初代のキューバン・アサシンに変わって登場した2代目アサシンで、正体はオレゴン出身のデビッド・シェラ・パターソン。オレゴンではマスクを被ってザ・セイントを名乗った事もある。1987年からはフロリダに転戦し、リッキー・サンタナとキューバン・コネクションを結成して活躍した。新日本プロレスでは貴重な中堅外人として重宝された。後にオレゴンに戻り、マスクを被ってトップ・ガンを名乗って絶大な人気を獲得する。

 

キューバン・アサシン1号 CUBAN ASSASIN #1 7回
●キューバの暗殺者 ●175センチ、100キロ
●1945年1月27日 プエルトリコ・サンファン出身
●北米タッグ(カルガリー版)、ウエストバージニア・ヘビー、北米ヘビー(マリタイム版)、セントラルステーツ・タッグ
49 11(国) ワールド・チャンピオン・S、52 2(国) 第6回IWAワールド・S、52 11(国) ダイナマイト・S、52 11(国) 全軍対抗戦(残留)、54 1(国) 新春パイオニア・S、54 11(国) デビリッシュ・ファイト・S、55 4(国) 【特】ビッグ・チャレンジ・S、5910(旧U)ストロング・ウイークス
本名はアンセル・アセベド。国際プロレスの常連レスラーで文字どおりゲリラ戦法でかき回した。カナダを主戦場に活躍したが病気を患いマネージャーに転向した時期には、超D級レスラーのブルドーザー・ビッグ・ベンを帯同して来日した事もある。キューバン・アサシン2号とのコンビでIWAタッグ・トーナメントに参加し、早々と姿を消しているが、コンビネーションはなかなか見せるものがあった。旧UWFに来日しているが、前田やタイガーを相手にどんなファイトをしていたのだろうか? 

 

キューバン・アサシン2号 CUBAN ASSASIN #2 2回
●キューバの暗殺者 ●178センチ、102キロ
●プエルトリコ出身?
●北米タッグ(カルガリー版)
49 11(国) ワールド・チャンピオン・S、52 2(国) 第6回IWAワールド・S
本名はフランク・シーブランシン。カナダのカルガリーを主戦場としていた選手で、当時国際プロレスのブッカーをしていた大剛鉄之助のブッキングでキューバン・アサシンズとして国際プロレスに2度来日したが、いかんせん体が小さい為にその狂乱ファイトもエース級には通用しなかった。IWAワールド・シリーズから帰国後コンビを解消している。プエルトリコの出身ではないかと思われる。

 

ザ・キラー THE KILLER
覆面の殺し屋  ●185センチ、112キロ
●1932年1月2日 コロンビア出身 ●カロテッドクラッチ
●コロンビア・ヘビー
49 6(国) ビッグ・サマー・S、50 9(国) ビッグ・ゴールデン・S、52 9(国) スーパー・ファイト・S
ミイラ男 ザ・マミーのベンジー・ラミレスが正体。この男は知名度こそあるが、かなりの弱体レスラーで、IWA世界タッグ選手権でボブ・エリスのパートナーに指名されておきながら、浜口、草津組にねらい打ちにされ、ストレート負けを喫している。稲妻二郎(ジェリー・モロー)がマスクを付けてザ・キラーを名乗ったこともあるらしい。来日前に使用された宣伝写真(写真右)は白人で来日したザ・キラーとは明らかに別人。サイン

ベンジー・ラミレスの項も見よ。

 

ザ・キラー THE KILLER
●180センチ、107キロ
●1949年 フランス領マルチニク出身 ●ヘッドバット
●パシフィックコースト・ヘビー(バンクーバー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
【特】49 11(国) ワールド・チャンピオン・S
ベンジー・ラミレスのザー・キラーとは別人の黒人マスクマン。正体は留学生の稲妻二郎ことジェリー・モローであった。稲妻は他にもワイルド・ヌウ、ワイルド・キラー、ブラック・シャドーとしてマスクをかぶらされている。

ジェリー・モローの項も見よ

 

キラー・X KILLER X 1回
●覆面男爵 ●198センチ、118キロ
●1935年 米ニュージャージー州出身
●インターナショナル・タッグ
38 3(日) 第5回ワールドリーグ戦、38 5 (日)世界選手権シリーズ(残留)

正体はフランク・タウンゼント。イギリス代表として参加したが、父母はイギリス人だが本人はアメリカ生まれ。試合ぶりはそのリングネームとは裏腹にかなりオーバーアクションでコミカルなものであった。力道山に負けたときにマスクをはがされ、シリーズ途中から素顔でファイトしている。1967年頃に謎のピストル自殺を遂げた(ボートで事故死説もある)。

 

キラー・カール・クラップ KILLER KARL KRUPP 10回
●青銅の爪  ●193センチ、118キロ
●1934年5月13日 オランダ出身 1995年8月没 ●ブロンズ・クロー、アイ・クロー
●インターナショナル・タッグ、テキサス・ヘビー、北米ヘビー(マリタイム版、プエルトリコ版)、南部ヘビー(フロリダ版)
48 2(日) ダイナミック・S、48 4(日) アイアンクロー・S、49 4(新) 第1回ワールド・リーグ戦、50 4(新) 第2回ワールド・リーグ戦、51 4(新) 第3回ワールド・リーグ戦、52 4(新) ゴールデン・ファイト・S、 5310(新) 闘魂S、 55 1(国) 新春パイオニア・S、55 11(国) デビリッシュ・ファイト・S、56 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦

本名はジョージ・モンバーグ。ナチスギミックを演じたが、本人はオランダ出身のユダヤ人。はっきり言えば、クローとキックだけしか取り柄の無いレスラーで、彼をエースにしなければならなかった旗揚げから数年の新日本プロレスの台所事情は察するにあまりある。しかしなぜかタイトル運には恵まれており、日本プロレスでインターナショナル・タッグを2回、新日本プロレスでW杯2年連続準優勝。昭和53年の来日の時に公開した新兵器「アイ・クロー」は、何と目をつかむと言う荒技だった。昭和55年から国際プロレスに登場するが、新日本プロレスからの「払い下げ」という印象が強かった。最後は全日本プロレスに登場し、日本の4大メジャー団体を制覇した。1995年心臓麻痺(日本で感染したA型肝炎説もあり)で死亡。

 

キラー・カール・コックス KILLER KARL KOX (ザ・スピリット*) 11回
●殺人鬼 ●185センチ、120キロ
●1931年4月26日 米・ネブラスカ州オマハ(メリーランド州ボルチモア出身説もあり) ●ブレンバスター、凶器攻撃
●IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、WWA世界タッグ(ロス版)、アジア・タッグ、ジョージア・ヘビー、ブラスナックル選手権(ジョージア版、テキサス版、フロリダ版)
41 5(日) ワールド選抜・S、41 5(日)ゴールデンS(残留)、43 9(日) ダイヤモンド・S、45 5(日) 第一次ゴールデン・S、46 3(日) 第13回ワールドリーグ戦、4711(日) インター選手権・S、48 6(全) サマー・アクション・S、49 8(全) サマー・アクション・S第2弾、50 7 (全)【特】サマー・アクション・S *、51 11 (全) スーパーパワー・S*、53 7(全)【特】第1次サマー・アクション・S、56 2(全) エキサイト・S

イニシャルが同じ事からアメリカの秘密結社クー・クラックス・クランのメンバーではないか?といわれた悪役レスラー。元世界チャンピオンのエド・ダン・ジョージのコーチをうけ、デビュー当時は本名のハープ・ガーウィックでヨーロッパで活躍し、1950年にウィーンで行われたトーナメントの決勝でカール・イスタズ時代のカール・ゴッチを破るなど、レスリングの実力も一流であった。垂直落下式のブレンバスターの元祖といわれ、あまりにも危険な事から全米の各地で禁止技となった。マスクを被りザ・スピリットとなる前にもグレッグ・ジャックとともに赤覆面のアルゼンチン・ガウチョというコンビを組んで悪の限りを尽くした。アメリカでは右の義眼を凶器にするというギミックで売った時期もある。ザ・デストロイヤーと共に馬場派の外人で、最後まで他団体に参加する事なく馬場に義理を通した男気のあるレスラー。サイン

 

キラー・コワルスキー KILLER KOWALSKI 6回
●殺人狂 ●198センチ、120キロ
●1924年 カナダ・オンタリオ州ウィンザー 2008年8月30日没 ●フライング・ニードロップ
●IWAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、アメリカス・ヘビー、WWWF世界タッグ
38 4(日) 第5回ワールドリーグ戦、43 4(日) 第10回ワールドリーグ戦、46 9(日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦、47 6(日) 第2次ゴールデン・S、4811(全) ジャイアント・S第2弾、50 4(全) 第3回チャンピオン・カーニバル

本名はウラディック・コワルスキー。猪木があこがれたレスラーのひとりで、ニードロップでユーコン・エリックの耳を削ぎ落とした事件はあまりにも有名。事件以来、菜食主義に徹し風貌がまさに死神のようになってしまった。この男かなりの変人で「カツラが取れない様に・・・」という奇妙な理由で覆面を被って来日した事もある(写真右)。しかし巡業中などは常にスーツを着用するなど超一流の雰囲気を損なわなかった。晩年はエクスキューショナーズ1号としてWWF地区で活躍した。引退後はレスリング教室を開講していたが、2008年8月30日に逝去。サイン

 

キラー・ジョー・ノボ KILLER JOE NOVO (ブッチャー・ブラニガン*) 2回
●放浪の暗殺者 ●193センチ、125キロ
●1948年 米・ニュージャージー州  ●ベアハッグ
●パシフィックコースト・タッグ(バンクーバー版)
47 7(日) サマー・ビッグ・S、50 5 (国) ビッグ・チャレンジ・S *

ロスやニューヨークで活躍した大型ラフファイター。オランダ系の貧しい家庭に生まれたが、働きながら大学を卒業したという努力家。大学時代はアマレスのほかに、空手や柔道もマスターしたという。この人も顔がハンサムすぎてラフ・ファイターとしては大成せず、禿頭にしたり髭を生やしたりと何度もイメージチェンジを計ったが、ファイトスタイルがあまりにもワンパターンで、日本ではブレイクできずに終わった。2009年9月7日永眠。

 

キラー・トーア・カマタ KILLER TOR KAMATA 18回
●流血大王 ●180センチ、140キロ
●1927年3月9日 米・ハワイ州ホノルル ●ジャンピング・トーキック、フライングソーセージ
●AWA世界タッグ、WWA世界タッグ(インディアナ版)、PWFヘビー、北米ヘビー(カルガリー版)
50 5(国) ビッグ・チャレンジ・S、51 2(国) スーパー・ファイト・S、52 6(国) ビッグ・チャレンジ・S、53 5(全) スーパー・パワー・S、53 10(全) ジャイアント・S、53 12(全)【特】世界最強タッグ決定り−グ戦、54 3(全) 第7回チャンピオン・力−ニバル、54 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、55 2(全) エキサイト・S、5510(全) ジャイアント・S、55 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、56 7(全) サマー・アクション・S、57 1(全)【特】新春ジャイアント・S、57 7(全) サマー・アクション・S、58 1(全) 新春ジャイアント・S、58 8(全) スーパー・パワー・S、60 8(全) 85 決戦!ダイナマイト・ウォーズ、62 5(全) 87 スーパー・パワー・S

本名はマクドナルド・ケリー・カマカ。デビュー時代はドクター・モトを名乗りミツ荒川とAWA世界タッグを獲得。コンビ解消後カマタに改名し、MSGで暴れ余勢を駆って国際プロに来日。開幕戦からストレートの反則負けで大いに気を吐いた。木村との抗争の後、全日本プロに転出し、いきなりPWF王座を馬場から奪取するが、同じタイプのアブドーラ・ザ・ブッチャーがいた為それ以上の活躍は出来ずに終わった。いったんリングを降りると物静かな紳士で、ビーズ細工を趣味にしていたという。新日本プロレスに登場したコーア・ティキは実弟。サイン

 

キラー・バディ・オースチン → バディ・キラー・オースチンをみよ

 

キラー・M・ユシフ KILLER M. USEFF 在日トルコ人
●トルコの殺し屋 ●173センチ、90キロ
●1930年5月23日(1928年説もあり)トルコ・イスタンブール
29 2(旧全)日米対抗プロレス試合、29 3 (旧全)国際プロレス大試合、29 4(旧全)日本・在日米軍対抗プロレス試合

正体は後に日本プロレスに在籍し、レフェリーとなったユセフ・トルコ。レスラーとしてのデビューはオポジションの旧全日本プロだったところは興味深い。来日外人というよりも、もともと日本在住のトルコ人で柔拳マッチ(柔道とボクシングのミックスド・マッチ)の主力選手であった。日本マット界の陰の実力者である。以下昭和29年4月の旧全日本プロレスのパンフより「一九四四年―九四六年全トルコアマチュアーレスリングチヤンピオン小柄で技術と早業で一寸のすきも与へず攻める手はトルコの誇る選手。一九四九年プロ入りす。エジプト、イタリヤ、インド、イラン東洋各地で試合し二十勝二敗の成績、一九四八年地中海アマチュアーチヤンピオンとなる。日本で四回目の試合。」(資料提供:トレーナー様)

 

キラー・ブルックス KILLER TIM BROOKS 10回
●狂乱の問題児 ●188センチ、130キロ
●1944年 米・テキサス州ダラス ●ブレンバスター
●北米ヘビー(カルガリー版)、ナショナル・ヘビー(ジョージア版)、NWA世界タッグ(デトロイト版)
47 3(日) 第14回ワールドリーグ戦、4910(全) ジャイアント・S第2弾、52 11(国) ダイナマイト・S、52 11(国) 全軍対抗戦(残留)、53 2(国) ビッグ・チャレンジ・S、54 4(国) ビッグ・チャレンジ・S、56 3(全) 第9回チャンピオン・カーニバル、 56 4(全) インター・チャンピオン・S、58 9(全) 【特】ジャイアント・S、60 2(全) 85 激闘!エキサイティング・ウォーズ、60 8(全) 85 決戦!ダイナマイト・ウォーズ、62 5(新) 87 lWGPチャンピオン・S、

本名はティモシー・ブルックス。昭和50年代前半は国際プロレスにエースとして何度となく来日し、木村とチェーン・デスマッチも行なっているクレイジー・ファイター。国際プロレス崩壊後は全日本プロレス、新日本プロレスを渡り歩いた。葉巻をくわえ恐竜(?)の骨を振り回す入場シーンはなかなか絵になったが、殴る蹴るだけの狂乱ファイトでは日本のファンに支持されるはずもなく、2番手、3番手のレスラーに終わっている。ディック・マードックのいとこである。サイン

 

ギル・ポイソン GILLES POISSON (ピエール・レ・グラン*、バスター・マシューズ、ザ・カナディアン#)4回
●人間起重機 ●187センチ、125キロ
1946年 カナダ・ケベック州ジョンケベール出身  ●スープレックス
●インターナショナル・タッグ(モントリオール版)、GWA世界タッグ、北米ヘビー(カルガリー版)
45 7 (日) 第二次ゴールデン・S *、45 7(日)NWAワールド・チャンピオンS(残留)*、46 3 (国) 第3回IWAワールド・S 、48 4 (国) ダイナマイト・S #、50 7(新) サマー・ファイト・S

本名はチャールズ・ベルガー。ガイ・ミッチェルと同じく、来日するたびにリングネームを変えていた奇特なレスラー。フランス系のカナダ人でモントリオールあたりを主戦場としていたが、「第3回IWAワールド・S」に来日時は、前年にピエール・レ・グランで来日した時の写真が雑誌に掲載されたにもかかわらず、マスクを被ってアメリカ代表として来日している。大型で独特のスープレックスを得意としていた。カナダでは「フィッシュ(いやな奴)」のニックネームで有名。ほかにもピエール・ポイソン(AWA地区)、ルイ・シル(WWF地区)などのリングネームを使っている。昭和48年の新日本プロレス「闘魂シリーズ」に来日したレイ・グレーンもポワゾンの変身と言う説もある。

 

ギル・ヘイズ GIL HAYES 3
●復讐鬼 ●178センチ、110キロ
●1939年10月29日 カナダ・マニトバ州レンワー出身 ●パンチ攻撃
●北米ヘビー(カルガリー版、プエルトリコ版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、カリビアン・ヘビー
45 9(国) ダイナマイト・S、50 6(国) ビッグ・サマー・S、51 9(国) ビッグ・ゴールデン・S、51 10(国) 勇猛シリーズ(残留)

本名はアーウィン・ヘイズ。昭和50〜51年に国際プロレスで活躍した小型ブルファイター。学生時代はボクシングでカナダ・ミドル級のアマチュア王者になっている。体は小さいが思いっきりのいいラフ・ファイトで人気があった。典型的な国際プロレス向きのレスラーだったといえる。カナダを主戦場にしていたので知名度は低いが、味のある実力者だった。「勇猛シリーズ」でのジプシー・ジョーとのコンビは息のあった名コンビであった。ニックネームの「復讐鬼」は試合で首を負傷し再起不能といわれながらも復活し、再起不能にした相手に復讐を果たしたことからつけられた。もっと来日して欲しかった選手だ。

 

ギレス・ポイソン(ポワゾン) → ギル・ポイソンを見よ

 

キング・イヤウケア KING IAUKEA ( プリンス・イヤウケア*、カーチス・イヤウケア #)14回
●ハワイの巨象 ●193センチ、160キロ
●1936年 米・ハワイ州ホノルル出身 ●フライングソーセージ
●ハワイ・ヘビー、USヘビー(ハワイ版、シスコ版)、パシフィックノースウエスト・ヘビー、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、AWA・USヘビー、WWWFタッグ、フロリダ・ヘビー、南部ヘビー(フロリダ版)、英連邦ヘビー(ニュージーランド版)
35 10 (日) 日米就航百周年記念・春の国際試合 *、39 2 (日)【特】春の国際大会 *、43 1 (日) 新春チャンピオン・S *、45 2 (日) ダイナミック・S *、45 2 (日)アイアンクロー・S(残留)*、47 1(国)新春パイオニア・S #、48 3(全) 第1回チャンピオン・カーニバル、4810(全)【特】創立1周年記念ジャイアント・S、49 4(全) 第2回チャンピオン・カー二バル、50 8(全) 第2次サマー・アクション・S、51 4(全) 第4回チャンピオン・カーニバル、52 1(全) 新春ジャイアント・S、53 1(全) 新春ジャイアント・S、53 3(全) 第6回チャンピオン・力−ニバル、54 1(全) 新春ジャイアント・S

初来日は力道山時代だからかなりのベテラン。国際プロレスに転出した後、全日本プロレスに定着。ブル・ラモスとのタイクーンズや、マーク・ルーインとのコンビで全日本プロレスを荒らしまわった。リングを壊したり粉をばら撒いたりと言うクレイジーファイターだったが、私生活では人懐っこい好人物だったと言われる。試合で負傷した傷口からバイ菌が入り足が不自由になり、レスラー引退を余儀なくされた。顔をゆがめて奇声を上げる彼のスタイルをブルーザー・ブロディが模倣したことは有名。

 

キング・オブ・マスク KING OF MASK
●覆面の王者 ●186センチ、110キロ
●1924年 米・ミズーリ州セントジョセフ出身 1994年3月4日没
●セントラルステーツ・ヘビー、パシフィックコースト・ヘビー(サンフランシスコ版)、NWA世界タッグ(サンフランシスコ版)
36 11(日)プロレス冬の国際試合

ロニー・エチソンが正体。ミスター・フー(ロッキー・ハミルトン)との赤覆面コンビで来日したが、来日第一戦での力道山、吉村組とのタッグ・マッチの前にリングサイドで観戦していたゼブラキッドが「おまえらの正体は解っているぞ!」とやじり、これに激怒して自ら覆面を取って正体を暴露してしまったため、覆面のキング・オブ・マスクでは一度も試合をしていない。

ロニー・エチソンの項も見よ。

 

キング・クロー KING KROW 1回
●殺人烏 ●187センチ、106キロ
●1946年 カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身 ●クロスチョップ
●UNヘビー、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、北米ヘビー(カルガリー版)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)
47 5(日) 第一次ゴールデン・S

本名はドン・クロファット。ジン・キニスキーの秘蔵っ子で、デビュー当時は本名で活躍。カナダやオレゴンで活躍していたが、昭和47年に猪木が返上したUN選手権王座決定トーナメント優勝し同タイトルを獲得。ロスに進出し防衛を続けるが、坂口征二の挑戦を受け王座転落。結局、猪木から坂口に王座を移動させる為の暫定チャンピオンだった。同年5月に坂口を追って来日しているが、ストレート負けで返り討ちに遭っている。外国人の癖に十字チョップが必殺技。カルガリー地区で活躍していたので、国際プロレスや新日本プロレスに登場する可能性もあったが、再来日は果たせず。

 

キング・コブラ KING KOBRA 2回
●黒い毒蛇 ●180センチ、100キロ
●1948年3月14日 米・サウスカロライナ州グリンビル出身
●ミッドアメリカ・ヘビー、USWA世界ヘビー
60 8(ジ) サマー・ドリーム・フェスティバル、60 11(ジ) ニューウェーブ・イン・ジャパン

本名はジミー・キンブル。MSWA地区で活躍していたレスラーで、どうやら当時同地区をサーキットしていたキラー・カーンのブッキングでジャパン・プロレスに来日したようだ。小柄だったためトップ・クラスには食い込むことはできず。しかし、テネシーあたりでは人気があったようで、1989年にはUSWA世界選手権をジェリー・ローラーから奪取している。

 

キング・コング KING KONG 2回
●東南アジアの怪物 ●185センチ、181キロ
●1910年 ハンガリー・ブダペスト出身 1970年5月13日没 ●ボディプレス
●アジア・タッグ
30 11(日) アジア選手権大会、34 5(日) 第1回ワールドリーグ戦

本名はエミール・シャー(Czaja)。ハンガリー出身のレスラーで2年のアムステルダム五輪でグレコ・スタイルの銀メダリストとなる。プロ転向後に全世界を遠征した後、シンガポールに定着。東南アジア遠征をした力道山と対戦し、引き分ける。昭和30年のアジア・リーグ戦ではシングル部門では力道山に敗れるが、タッグ部門ではタイガー・ジョキンダーとのコンビで初代アジア・タッグ王者となっている。4年後のワールド・リーグ戦参加時は不調で、優勝争いに加わることはできなかった。その後もシンガポールでプロモーターとして活躍した。

 

キング・ジャック KING JACK 1回
31 4(日) プロレス国際試合

駐留軍人。東洋選手権の前座や、ユセフ・トルコと組んで力道山抜きの試合に出場。実力は阿部修に負けたほど。(解説:JOE HOOKER SR氏)

 

キング・タイガー KING TIGER 1回
●人食い虎 ●180センチ、110キロ
●1927年11月11日 コロンビア出身
50 11(国) ビッグ・ウインター・S

正体はビル・マルチネス・パティーニョ。コロンビア出身の選手で、かなり思い切った反則攻撃を得意としていた。そのファイト振りから判断するにかなりのベテランであった。主戦場のメキシコではティグレ・コロンビアーノと名乗っていたが、来日前の1974年にアニバルに破れマスクを脱いでいる。日本のほかにもアメリカ、スペインなどにも遠征している。ザ・タイガーのリングネームでオリンピック・オーデトリアムにも出場し、マンドー・ゲレロあたりと熱戦を展開していた。

 

キングコング・バンディ KINGKONG BUNDY 3回
●白鯨 ●200センチ、150キロ
●1958年11月7日 米・ニュージャージー州アトランティック・シティ  ●ボディプレス
●アメリカン・ヘビー(ダラス版)、ナショナル・タッグ(ジョージア版)、AWA南部ヘビー(テネシー版)
60 1(新) 新春黄金S、60 5(新)【特】 lWGP&WWFチャンピオン・S、60 6(新) バーニング・スピリット・イン・サマー

本名はクリストファー・ペイリーズ。フリッツ・フォン・エリックにスカウトされて1976年にプロレス入り。東海岸で下積みを経て、エリックの元に戻りでアメリカン王者となる。1982年にはF・V・エリックの引退試合の相手を勤めた。その後NWA、AWA、WWFの順で主要団体で活躍。WWFではハルク・ホーガンのライバルとして活躍した。1983年にはダラスで馬場のPWF選手権に挑戦したこともあり、全日本プロレスへの参加が噂されたが、結局はAWA地区を経て新日本プロレスに登場した。同型のベイダー、バンバン・ビガローが登場したためか、やがてフェイドアウトしてしまった。

 

キングストン・ケリー KINGSTON KELLY 1回
30 12(旧全)

ウィルソン・ドルらと来日。殺人者のふれこみであったが、見た目は人のいいオジさん。全日本プロレスのエース山口利夫にさんざん痛めつけられた。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様)

 

キンジ・渋谷 → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。