来日全外国人レスラー名鑑 イ

 

イアン・キャンベル IAN CAMPBELL 2回
●スコットランドの悪魔 ●190センチ、135キロ
●1924年スコットランド出身 ●フルネルソン
●スコットランドヘビー、大英帝国ヘビー、北米ヘビー(カルガリー版)
43 6(国) ビッグ・サマー・S、43 8(国)ワールド・サマー・S(残留)、44 10 (国) IWA世界タッグS
スコットランド出身の大型ファイターで、長くスコットランド・ヘビー級の王者として君臨した強豪。イギリスのジョイント・プロのブッキングで国際プロレスに来日。得意のフルネルソンで日本勢を苦しめた。よほど日本が気に入ったのか、1シリーズでは帰国せず次のシリーズにも残留参加している。滞在中に豊登&杉山組の保持するTWWA世界タッグに4回、草津の英国西部、南部両ヘビー級に1回挑戦しているが、いずれも惜敗している。父は牧師で自らは獣医からプロレスラーに転向したという変り種。趣味はバグパイプ演奏。

 

イゴール・ボディック → グレート・イゴールを見よ。

 

イタリアン・スタリオン ITALIAN STALLION 1回
●イタリアの種馬 ●185センチ、118キロ
●1957年10月24日 米・ノースカロライナ州シャーロッテ出身
●PWF世界ヘビー(ノースカロライナ版)
64 1(新) 89 新春黄金S
本名はゲーリー・サボーグ。リングネームは映画「ロッキー」の中での主人公のニックネームに由来する。米国移住後、高校・大学とアマレスで活躍(ソ連レスラーとの対戦への抜擢は、この実績を買ったものと思われる)。スポットを浴びることは少なかったが、クロケット・プロ時代のNWAで中堅として活躍し、新日本でも同じようなポジションで重宝されたようである。平成にはいって「イタリアン」を名乗りながらアメリカ代表として「日米ソ三国対抗戦」にでていた。(解説:黒い一羽鷹氏)

 

イリオ・デ・パオロ Illio Dipaolo 1回
●イタリアの虎鮫 ●188センチ、115キロ
●1928年 イタリア・アブラッツィ出身 ●エアプレーンスピン
●オハイオ州ヘビー
38 9(日) 秋の国際試合、38 10(日) インター選手権S(残留)
アマレスのほかに水泳、重量挙げなどスポーツ万能で1952年にプロレス入りし1954年に渡米し、アメリカではNYのバッファロー地区を主戦場としていた。イタリア人特有の精悍なファイトの持ち主で絶対「ギブアップ」はしない男として知られている。大きな脚から繰り出すキックを最大の武器にしている。バディ・オースティンとのコンビでアジア・タッグに挑戦したが惜敗。

 

イワン・カマロフ IVAN KAMAROFF
●185センチ 110キロ
●1920年 ロシア出身
47 3(新) 旗揚げオープニング・S
専門誌の年表ではイワン・カルミコフの変身で昭和40年に来日したイワン・カメロフとは別人だと記載されていたが、その後の調査でイワン・カメロフと同一人物であることが判明した。新日本プロレス参加時はかなりのロートル(52歳)で、旗揚げ戦以外はほぼ全敗だった。(情報提供:ルーター電子レンジ様、XXの異常な愛情様)

 

イワン・カメロフ IVAN KAMAROFF (イワン・カマロフ*)2回
●185センチ 110キロ
●1920年 ロシア出身 ●ハングマンズ・ホールド
40 1(日)【特】新春国際試合、47 3(新) 旗揚げオープニング・S*
ソルダ・ゴーリキーとのコザック・コンビでアジアタッグ選手権に連続挑戦しているが連敗。各社が出している「プロレス××年史」の来日外人リストでは新日本プロレスに来日したイワン・カマロフとは別人と記載されており、当研究室でもその説を支持していたが、その後の調査で同一人物であることが判明した。シカゴでは(2代目?)ボリス・ボルコフを名乗って初代ニコリ・ボルコフとコンビを組んでいたこともある。

 

イワン・カラマゾフ IVAN KARAMAZOFF 1回
●ロシアの亡霊男 ●187センチ 115キロ
●ロシア出身 ●南部タッグ(ルイジアナ地区)
50 10(新) 闘魂S 第2弾
「ロシアの亡霊男」なるニックネームで来日したが、これといって特徴のない大型のラフ・ファイターだった。ルイジアナ地区を主戦場としていたようで、イワン・ポトスキー(リック・フェララ)とのコンビで南部タッグ選手権を獲得した経験があるが、それ以外にはこれと言った輝かしい経歴はない。ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」になどらえてつけたリングネームか?

 

イワン・ゴメス → 外国人留学生名鑑を見よ

 

イワン・コロフ IVAN KOLOFF(レッド・マクナッティ*)7回
●ロシアの快豪  ●183センチ 113キロ
●1936年8月25日 カナダ・アルバータ州出身(モントリオール州ケベック、オンタリオ州説もあり) ●カナディアン・バックブリーカー
●WWWF世界ヘビー、ミッドアトランティック・ヘビー、IWAインターナショナル・ヘビー(カナダ版)、南部ヘビー(フロリダ版)、フロリダ・タッグ、ジョージア・タッグ
42 9(日) ダイヤモンド・S 2*、 46 5(日) ゴールデン・S 、48 4(国) ダイナマイト・S 、 50 10(新)【特】闘魂S第2弾 、51 8(新) 【特】闘魂S 、51 11(新)【特】闘魂S第2弾 、 53 3(新) ビッグ・ファイト・S
本名はイワン・ロスタニエスキー(ジム・ペラス説もあり)。ロシア系カナダ人でレッド・マクナッティというリングネームでデビューしたがパッとせず、辣腕マネージャーのトニー・アンジェロのアイデアでロシア人に変身。1971年にサンマルチノを破りWWWF世界チャンピオンになるが、常に2流のレッテルが付きまとった。WWWF特有の典型的なパワーファイターだが、その強靭な肉体は説得力があった。しかし昭和53年の来日では何を血迷ったかウェイトを絞ったのが裏目にでて絶不調。敵前逃亡したカネックの代わりにダブル・ヘッダーを行ない藤波の飛竜固めで首を負傷し評判を落とした。アメリカではトップクラスで長く活躍した。海外の専門誌ではIVANでなくYVANと表記される。(写真提供HARU一番様)

 

イワン・ストロゴフ IVAN STROGOFF 2回
●188センチ 115キロ
●1935年ベルギー出身
●ベルギー・ヘビー、オーストリア・ヘビー
45 3(国) 第2回IWAワールド・S、48 1(国) 新春パイオ二ア・S
パリで行われたIWA世界タッグ争奪トーナメントに、モンスター・ロシモフとのコンビで決勝進出し、豊登、ストロング小林組に敗れた。この時ジェーン・フェレと名乗っていたアンドレをロシモフに改名させたのはこの男。このあとIWAワールド・シリーズにも参加している大型ラフ・ファイター。イワン・コロフと良く似ているが、このキャラクターはストロゴフの方が古い。昭和59年8月の新日本プロレス「ブラディ・ファイト・シリーズ」に参加が予定されていたが、これはキャンセルとなった。

 

イワン・バイテン IVAN BUYTEN 2回
●ベルギーのまむし男 ●185センチ 112キロ
●1938年べルギー・ブリュッセル出身 ●ツームストンドライバー
●ベルギー・タッグ
46 1(国) 新春パイオニア・S、47 3(国) 第4回IWAワールド・S、47 5 (国) 第4回IWAワールド選抜シリーズ(残留)
ベルギー出身のレスラーで「ベルギーのまむし男」と呼ばれたように、しつこい試合ぶりで日本陣営に嫌われた。写真からも解るように非常にキザな男で、「第4回IWAワールド・シリーズ」では反りの合わないモンスター・ロシモフと何度となく仲間割れを起こしているが、帰国後は意気投合し、フランスではコンビを組んでいたという。ヨーロッパのレスラーにしては客を楽しませるテクニックに長けていた。息子はサッカーのベルギー代表選手ファン・ブイテン。

 

イワン・バルコフ IVAN VOLKOFF (ダニー・バビッチ*) 2回
●荒法師 ●183センチ、115キロ
●ユーゴスラビア出身
●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
49 6(国) ビッグ・サマー・S 53 9(国) ダイナマイト・S*
レジー・パークスの推薦で来日した男で、カルガリーではマイク・マーテルとのコンビでインターナショナル・タッグを獲得している。ジン・キニスキーのスカウトによりプロレス入り、これといったテクニックはなく、殴る蹴る専門のラフファイターであった。イワン・コロフとニコリ・ボルコフをミックスしたようなリングネームがチープである。本人はロシア出身を自称していたが、実際はユーゴスラビアの出身。

 

イワン・プトスキー IVAN PUTSKI
岩石男 173センチ、105キロ
1944年7月5日 フランス・ディジョン出身 1996年没 逆エビ固め
南部タッグ(テキサス版)、ミッドサウス・タッグ
49 5(新) ゴールデン・ファイト・S

リック・フェララが正体のAWAやテキサスで活躍したイワン・プトスキーでWWFで活躍した同名選手とは別人。こちらが初代プトスキーであるとの説もある。イゴール・プトスキーと名乗っていた地区もあるようだ。イワン・プトスキーとはポーランドの童話の主人公で、日本で言う金太郎のようなものらしい。

リック・フェララの項参照。

 

イワン・ブレストン IVAN BRESTON 1回
ジャンボ・ブルドーザー 193センチ、155キロ
1932年 ベルギー出身 ブロックバスター
ベルギー・タッグ
46 1(国) 新春パイオニア・S
ゼブラ・キッドにスカウトされてプロレス入り。ゼブラ・キッドとのコンビでベルギー・タッグを獲得、キッドとのコンビ解散後はイワン・バイテンとのコンビでも同選手権を獲得している。「ジャンボ・ブルドーザー」のニックネームで恐れられた大型選手だが、体に似合わずパワー・スラム風のブロック・バスターなども器用にこなした。このシリーズでは来日が中止になったKOコックス(ボブ・スイータン)の代打として、サンダー杉山のIWA世界選手権に挑戦して大いに杉山を苦しめた。

 

インカ・ペルアーノ INCA PERUANO
●インカの殺し屋 ●187センチ、110キロ
●ペルー出身
47 3(新) 旗揚げオープニング・S
東部地区で活躍していたジョー・ソトが新日本プロレスに参加する際に使った偽名。これは日本プロレスからの招聘妨害を阻止する手段であった。

ジョー・ソトの項参照。

 

ジ・インターンズ 1号、2号 THE INTERNS # 1 & 2
●死神医師団 ●1号 188センチ、115キロ、2号 178センチ、115キロ
●1号 カナダ出身、2号 1938年米・テキサス州出身
●中西部タッグ
50 3(国) ダイナマイト・S
当時中西部地区で活躍していた覆面コンビでドクター・ケン・ラメイをマネージャーに中西部タッグを獲得している。1号(写真左)がトム・アンドリュースで、2号(写真右)がジェリー・クリスティの変身といわれていたが、2号は当時のファイト写真から判断するにその胸毛はオリジナルメンバーのジム・スターと見て間違えなさそう。日本ではIWA世界タッグ選手権に挑戦したが、完敗を喫している。(写真提供:花園えびす様)

 

インファーノス1号 THE INFERNOS No1 1回
地獄の野郎ども ●182センチ、110キロ
●米・ジョージア州出身?
欧州タッグ、南部タッグ
46 8 (日) サマー・ミステリー・S
悪徳マネージャーD・C・ダイクスのコントロールする覆面コンビの片割れ。。1962年頃イギリスに出現、ヨーロッパ・タッグ選手権と獲得、その後アメリカに逆上陸し、ジョージア、テネシーなどのマットを荒した。ロスに転戦してからはコンビ解消。正体はユーボン・ロバート・ジュニアだといわれているが、昭和46年当時のプロフィールには来日経験があると書かれているのでロバート説は間違いだと思われる。アメリカのファンが運営するブログでは、ロッキー・スミスがその正体ではないかとの事。また、1975年にインフェルノス2、3号が日本に遠征している間にロスに1号を名乗るマスクマンが登場したが、その時の正体はカール・フォン・ブラウナーであった。

 

インファーノス2号 THE INFERNOS No2
地獄の野郎ども ●186センチ、108キロ
●米・ジョージア州出身?

欧州タッグ、南部タッグ
46 8 (日) サマー・ミステリー・S
1号とのコンビで全米を荒らしまわった男で、コンビ解消後は3号との新コンビで活躍(インフェルノスの項参照)。正体はカーティス・スミス(ロッキー・スミスの弟)で、インファーノスは兄弟コンビだったようだ。日本では悪党マネージャーのJ・C・ダイクスが彼らの試合を裁き、暴走を制止するという珍場面も見られた。来日前の宣伝写真に写っていたのはカーティス・スミスとは別人。(未来日外国人レスラー名鑑「ブルー・インファーノス2号」を見よ)

インフェルノス2号の項も見よ。

 

ジ・インフェルノ THE INFERNO 1回
●178センチ、97キロ
●1954年カナダ・ケベック州モントリオール出身 ●ダイビングボディプレス
51 4 (国) ダイナマイト・S
ジ・アンダーテイカーのパートナーとして来日したが、最終戦でマスクを剥ぎ取られる。正体はティト・アレクサンドロ・プレセンザ・・・後のホセ・ベンチュラというのが通説だが、実際はベンチュラの弟で昭和53年の「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」に来日が予定されていたがキャンセルとなったティト・サンザであった。当時の国際プロレスはインターンズに代表されるように即席の覆面レスラーを呼ぶのを得意としていた。

 

ジ・インフェルノス2号 THE INFARNOS #2 (インファーノス2号*、マイティ・ヤンキース2号**、ジ・エクスキュースナー#)4回
●地獄仮面  ●186センチ、108キロ
●米・ジョージア州出身?
●アメリカス・タッグ、アメリカスヘビー
46 8(日)サマー・ビッグ・S*、48 1(日)新春チャンピオン・S**、51 1(新)新春黄金・S、53 10(新) 闘魂S#
1970年代初頭にロスを席捲したJ・C・ダイクスが操るタッグ・チームのリーダー。正体はマイティ・ヤンキース2号、ジ・エクスキュースナーとして来日したウィリー(ビリー)・ギャレット=カーティス・スミスである。タッグ・プレーヤーとしては一流だったといえるが、シングル・プレーヤーとしては2流以下のレスラーであった。素顔での来日は果たしていない。

【2011/5/2追加情報】正体はカーティス・スミスだが、スミスとギャレットとは別人との情報を流智美様経由でY様から頂きました。日本で定説だったウィリー・ギャレット説は間違いであることが判明した訳です・・・。

 

ジ・インフェルノス3号 THE INFARNOS #3 1回
●地獄仮面 ●190センチ、120キロ
●アメリカス・タッグ
51 1(新) 新春黄金・S
1970年代初頭にロスを席捲したJ・C・ダイクスが操るタッグ・チーム。このコンビでは昭和51年「新春黄金シリーズ」に来日したが、来日直前にロスで黄金コンビに完敗し味噌を付け、日本では中堅相手に負ける事もしばしばであった。この3号は正体不明。体つきはボビー・ジャガースに似ているが、ロスで活躍していた時期にジャガースは日本遠征していたため明らかに別人である。

 

インディオ・ゴカール INDIO GUACAUL 1回
●黒い復讐鬼 ●184センチ、112キロ
●1938年 コロンビア出身
51 7(国) ビッグ・サマー・S
本名はロドリゲス・テノリオ。南米コロンビア出身の大型黒人レスラーで、ヨーロッパを中心に活躍していたため、日本での知名度は低いが、ヨーロッパのトーナメントでは何度となく上位入選を果たしている実力者。日本でもそつのない試合振りを見せた。インディオ・ジャガーロのリングネームでも活躍していた。

 

ジ・インベーダー THE INVADER
侵略仮面 191センチ、125キロ
1937年7月28日 カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身
アジア・ヘビー、インターナショナル・タッグ(ジョージア版、カルガリー版)、ミッドアメリカ・タッグ
49 4(新) 第1回ワールド・リーグ戦
新日本プロの第1回ワールド・リーグ戦になんと「覆面代表」として来日。予選では6勝2敗の好成績をあげるも、決勝リーグでは2勝5敗と振るわなかったが、決勝の猪木・坂口戦に乱入するなどシリーズを盛り上げた。正体は何度も来日経験のあるビル・ドロモ。公式サイト http://www.georgiawrestlinghistory.com/host/billdromo/home.html

ビル・ドロモの項も参照のこと。

 

ジ・インベーター THE INVADER
178センチ、107キロ
1948年 プエルトリコ・サンファン出身 ダイビング・ボディアタック
アラバマ・ヘビー、コンチネンタル・ヘビー、サウスイースタン・タッグ(ジョージア版)、カリビアン・ヘビー、WWC世界タッグ
56 1 (国) 新春パイオニアS
こちらのインベーダーはプエルトリカンのロベルト・ソト。マスカラスそっくりのマスクがいんちきくさい印象を与えた。プエルトリコではメインエベンターとして活躍。アブドーラ・ザ・ブッチャーとカリビアン・ヘビー級選手権をめぐる抗争を繰り広げた。

ロベルト・ソトの項も見よ。

 

ジ・インベーダー1号 THE INVADER #1
178センチ、110キロ
1949年 ベネズエラ出身
●パシフィックノースウエスト・タッグ、プエルトリカン・ヘビー、WWC世界タッグ、カリビアン・ヘビー、北米タッグ(プエルトリコ版)、北米ヘビー(プエルトリコ版)、カリビアン・タッグ
62 7(全) 87 サマー・アクション・S
プエルトリコから来襲したマスクマンで、正体はホセ・ゴンザレス。MSGにも2号とのタッグで出場している。プエルト・リコでは押しも押されもせぬ大スターであった。プエルトリコでは素顔でもインベーダーと名乗っていた。(情報提供:黒い一羽鷹氏)

ホセ・ゴンザレスの項も見よ。

 

ジ・インベーダー 3号 THE INVADER #3
●178センチ、110キロ
●プエルトリコ
出身
61 8(全) 86サマーアクション・SU
インベーダー1号と同じくプエルトリコから来日したマスクマンで、正体はダニエル・カステロ(ヒューラカン・カステロ・ジュニア)、ジョン・リベラなど諸説あるが、ジョン・リベラ説が有力なようだ。

ジョン・リベラの項も見よ。