来日全外国人レスラー名鑑 フ(1)
ファーマーボーイ・イポ
FARMERBOY IPO
1回 ●サモアの怪物 ●176センチ、147キロ ●1943年2月4日 西サモア出身 ●ポリネシアン・タッグ |
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61 2 (新) ニューウェーブ・ダッシュ | |
本名はファアピピイ・イガフォ・サオレ(Fa'apipi'i Lale Igafo Sa'ole)。ハワイ・マットを主戦場にしていた農夫系キャラクターの巨漢レスラー。レロイ・ブラウン(レロイ・ロチェスター)なるレスラーとサモアン・コネクションというチームを組み、ポリネシアン・パシフィック・タッグ王座を再三獲得した。しかし木偶の坊タイプであり、日本では通用しなかった。赤ちゃんのころに健康優良児コンテストに入賞したことが自慢だというナイスガイ。(解説:黒い一羽鷹氏) |
ファザール・シン
FARTHEL
SINGH 1回 ●インドの猛豹 ●190センチ、112キロ ●インド・パンジャブ州アムリツアール出身 |
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50 4 (新) 第2回ワールド・リーグ戦 | |
タイガー・ジェット・シンの実弟という触れ込みで来日したインド人レスラーだが、2勝13敗という不甲斐ない成績を残している。ジェット・シンの実弟というのは新日本プロレスが考えたギミックであろうが、いくら話題作りとは言え、この様なダメレスラーに売り出し中のジェット・シンの弟を名乗らせるのは如何なものか? 本拠地はデトロイトやモントリオールだったらしい。 |
THE“V” THE“V” 1回 ●180センチ、110キロ ●生年月日、出身地不明 |
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63 8 (全) 88 サマー・アクション・S U | ||
日本テレビで米国の同名SFテレビシリーズを放送するにあたり、素顔で来日予定だったドン・サンダースというレスラーに急遽マスクを被らせ、話題作りを狙ったもの。例によって「ゴング」誌が煽ったが、まったく実力のないレスラーだったのが災いし、なんの反響も呼べなかった。テレビシリーズもあっさり終わってしまったが、レンタルビデオ店では今も見かける。(解説:黒い一羽鷹様) |
フィッシュマン FISHMAN 3回 ●怪魚仮面 ●173センチ、98キロ ●1951年4月6日 メキシコ・コアウィラ州トレオン出身 ●変形ロメロスペシャル ●NWA世界ウェルター、UWA世界ライトヘビー、WWFライトヘビー |
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56 3 (新) WWFビッグ・ファイト・S、59 8 (全)【特】 スーパー・パワー・S、60 10 (新) バーニングスピリット・イン・オータム | |
本名はホセ・アンヘル・ナヘラ・サンチェス。怪魚仮面のニックネームで知られるルチャドールで、エル・コバルデ、サングレ・チカナとのトライアンガラ・マスカラ(三つ巴覆面剥ぎマッチ)が日本でも話題となった。ゴリアス・レイエスのリングネームでデビューするが、マスクをかぶってタイタンに変身、さらにフィッシュマンに変身した。NWAのトップスターだったが、UWAに移籍し、ウェルター〜ミドル級で活躍。藤波のWWFジュニアヘビー級選手権に挑戦する抜擢を受けるが、体重差に泣き完敗。ウェイト・アップに専念し、ライトヘビー級に転向、ここで兄弟分だったペロ・アグアヨと仲間割れを起こし、正統派に転向。メキシコ、テキサスを股にかけての抗争を繰り広げた。また藤波の返上で空位になったWWFジュニアヘビー級選手権をタイガーマスクと争い、名勝負を繰り広げた。2000年にマスカラ・サグラーダに敗れマスクを脱いだ。奥さんは日本でも有名なローラ・ゴンザレス。 |
フィデル・カステロ FIDEL CASTILLO
(ヒューラカン・カステロ*)3回 ●キューバの暗殺者 ●185センチ、102キロ ●キューバ・サンタクララ出身(?) ●ニードロップ ●IWAインターナショナル・タッグ(モントリオール版)、北米タッグ(プエルトリコ版)、カリビアン・ヘビー、プエルトリカン・ヘビー、WWC世界タッグ、インターナショナル・タッグ(カルガリー版) |
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46 7 (日) サマー・ビッグ・S、50 10 (新)【特】闘魂S第2弾、 53 7 (全) 第1次サマー・アクション・S * | |
キューバ人を名乗っているが、実はプエルト・リコの出身というのが定説、実弟のラウルとのカステロ・ブラザーズとしてカナダ地区で活躍した。これといって特筆するところのない小悪党だが、晩年にはWWFにも前座ながら登場している。唾を天井に向かって吐いて口に戻すという意味不明なパフォーマンスが得意であった。パンフレットではカスティヨ、テレビではコステロと表記されていた。 |
フィリックス・ロペス
FELIX
LOPEZ 1回 ●冷血鮫 ●178センチ、106キロ ●1949年 プエルトリコ・サンファン出身 |
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58 9 (全) ジャイアント・S | |
プエルト・リコを主戦場とした小型のラフ・ファイターで、デビュー当時はバラバスと名乗った。ジャッキー・チェンの映画「バトル・クリーク・ブロー」に出演したこともある。昭和50年代後半の全日本プロレスとカルロス・コロンのキャピタル・プロモーションの提携によって多くのプエルト・リコ系レスラーが、全日本プロレスにやってきたが、大した活躍を見せたレスラーはほとんどいなかった。 |
フィル・ヒッカーソン PHIL HICKERSON 1回 ●爆弾戦車 ●185センチ、140キロ ●1947年 米・テネシー州ナッシュビル出身 ●南部タッグ(テネシー版)、USタッグ(テネシー版)、CWAインターナショナル・ヘビー、テキサス・ヘビー |
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63 11 (全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦 | |
元暴走族というユニークな経歴を持つ男で、長くテネシー地区で暴れていた。日本へはクラッシャー・ブラックウェルとの即席コンビで「世界最強タッグ」に参加、白星を配給した。しかしそのコミカルな動きで、ファンの評判は良かったという。馬場の提唱した「楽しく明るいプロレス」の原形がそこにあったのかもしれない。テネシーであのトージョー・ヤマモト(P・Y・チャン)とタッグを組んでた時、「P・Y・”チューハイ”」というふざけたリングネーム使っていたが、日本でチューハイを覚えたのかもしれない。(追加情報:TMKID氏) |
フィル・ラファイアー PHIL RAFIER ●弾丸児 ●186センチ、110キロ ●1961年9月16日 カナダ・ケベック州モントリオール出身 ●ドロップキック ●インターナショナル・タッグ(モントリオール版)、カリビアン・タッグ、WWC世界タッグ、アジア・タッグ |
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59 10 (旧U) ストロング・ウイークス | |
ダニー・クロファットの前身。詳細はダニー・クロファットの項参照。 |
フィル・ロブレイ
PHIL ROBLEY ●悪の仕掛け人 ●185センチ、115キロ ●1942年 米・インディアナ州インディアナポリス出身(ルイジアナ州出身説もあり) ●ウエスタンステーツ・タッグ、NWA世界タッグ(セントラルステーツ版)、セントラルステーツ・ヘビー、ルイジアナ・タッグ、USタッグ(トライステーツ版)、アラバマ・ヘビー、ミッドサウス・タッグ |
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45 2 (日) ダイナミック・S、45 2 (日)アイアンクロー・S(残留) | |
バック・ロブレイの前身。ルボックで交通事故(当て逃げ)にあい再起不能になったが、必死の努力で奇跡の復活。人柄もよくレスラー仲間からしたわれ、リハビリ中はキラー・カール・コックスがリーダーとなり、ルボックでの試合に出場した選手のギャラを10ドルづつ徴収し彼に義援金として手渡していたという。 バック・ロブレイの項も見よ。 |
ブッチ・ミラー
BUTCH MILLER ●極悪羊飼い ●180センチ、110キロ ●1944年10月21日 ニュージーランド・オークランド出身 ●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、パシフィックノースウエスト・タッグ、カナディアン・タッグ(バンクーバー版) |
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62 2 (新) スプリング・フレアーアップ 89 | |
WWFで人気を博したシープハーダーズのリーダーコミカルな印象がつよいが、実は大変な実力者である。日本へは覆面のザ・タイガーとして初来日。 詳細はボブ・ミラーの項参照。 |
ザ・ブッチャー
THE BUTCHER ●暴れ馬 ●193センチ、125キロ ●1940年 カナダ・ニューブランズウィック州モンクトン出身 2006年12月16日没 ●ブレーンクロー ●カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、アメリカン・ヘビー、テキサス・ヘビー、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、北米ヘビー(プエルトリコ版)、ジョージア・ヘビー、フロリダ・ヘビー、ナショナル・ヘビー(ジョージア版) |
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40 9 (日) 【特】ハリケーン・S、44 7 (日) 第一次サマー・S、44 8 (日) 第二次サマー・S(残留) | |
ジャイアント馬場とのインターナショナル選手権争奪戦で引分けたが交通事故により負傷し再戦をフイにしてしまったという悲劇の強豪・・・といわれているが、実はケガはたいしたことはなかったという。ひげ面のザ・ブッチャーのあと、覆面のザ・スポイラー、スーパー・デストロイヤーに変身している。 詳細はドン・ジャーディンの項参照。 |
ブッチャー・バション
BUTCHER VACHON
5回 ●アルジェの虐殺者 ●187センチ、142キロ ●1938年 カナダ・ケベック州モントリオール出身 ●ハングマンズホールド ●テキサス・タッグ、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、ハワイ・タッグ、南部タッグ(ミッドアトランティック版、ジョージア版)、南部ヘビー(ジョージア版)、ジョージア・タッグ、AWA世界タッグ、アメリカス・タッグ、カリフォルニアTV |
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42 4 (日) 第9回ワールドリーグ戦、46 2 (国) AWAビッグ・ファイト・S、49 1 (国) 新春パイオニア・S、51 4 (新) 第3回ワールド・リーグ戦、60 10(新) バーニングスピリット・イン・オータム | |
本名はポール・バション。これぞ賢兄愚弟の典型。兄は名レスラーのマッドドッグ・バション。日本プロのワールドリーグ戦に初来日。国際プロレスへは兄とのタッグでエース級の扱いで招聘されたが、新日本プロレスの「第3回ワールド・リーグ戦」に参加した時は、かなり衰えていた。しかし、ハングマンズ・ホールドというプロレス史上に残る必殺技を得意としていたことは特筆に価する。昭和60年にはジャイアント・グスタブのマネージャーとしても来日している。サイン 公式サイトはこちら http://www.butchervachon.com/index.html |
ブッチャー・ブラニガン BUTCHER BRANNIGAN ●放浪の暗殺者 ●193センチ、125キロ ●1948年 米・ニュージャージー州 出身 ●ベアハッグ ●パシフィックコースト・タッグ(バンクーバー版) |
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50 5 (国) ビッグ・チャレンジ・S | |
キラー・ジョー・ノボとして初来日した大型パワー・ファイター。ブラニガンとしては国際プロレスに来日、ジェフ・ポーツとの禿げ頭コンビでIWA世界タッグ王者決定戦に出場したが、善戦むなしく敗退している。 詳細はキラー・ジョー・ノボの項参照。 |
ブッチャー・リンチ BUTCHER RINCH 1回 ●流血兄弟 ●188センチ、125キロ ●イギリス・ヨークシャー出身 |
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50 1 (国) 新春パイオニア・S | |
イギリスの流血王ダニー・リンチとの兄弟コンビで来日。風貌は瓜二つだったが実の兄弟ではなく、ダニーがヨーロッパ巡業中に自分に似たスティーブ・ハガティを発見し、弟に仕立て上げたというのが事実のようである。実力の方もダニーに比べると一枚落ちた。2000年9月に逝去。サイン |
ブライアン・アダムス
BRIAN ADAMS (ミッドナイト・ソルジャー*)
2回 ●粉砕戦士 ●200センチ、133キロ ●1964年4月14日 米・ハワイ州出身 2007年8月13日没 |
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63 2 (新) 88 ビッグ・ファイト・S*、 64 1 (全) 89 新春ジャイアント・S | |
元在日米軍勤務(横須賀)の米国兵。除隊後、新日本プロレスに留学生(練習生)として入門するも、新日ではビザの関係でデビューはしていない。米国で正式にデビューを飾り、マスクをかぶってミッドナイト・ソルジャーとして再来日。後に全日本プロレスに本名で2回目の来日を果たしたが、共に芳しい印象は残せなかった。その後、WWFにみこまれデモリッションズの一員クラッシュとして活躍後、当時チームを解散していたウォリアーズ(WWF名リージョンオブドーム)の片割れのアニマルとコンビを画策されるが果たせず。その後、NWOのメンバーとして活躍。平成に入ってからは全日本プロレスで世界タッグを獲得している。2007年8月13日に急死。(解説協力:TMKID氏) |
ブライアン・ブレアー
BRIAN BLAIR
3回 ●青き閃光 ●185センチ、105キロ ●1954年1月12日 米・インディアナ州ゲーリー出身(フロリダ州タンパ出身説もあり) ●ドロップキック ●フロリダ・ヘビー、フロリダ・タッグ、南部タッグ(フロリダ版)、アメリカン・タッグ(バンクーバー版)、トライステーツ・ジュニアヘビー |
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58 7 (新) サマー・ファイト・S、58 10 (新) 闘魂S、59 10 (新) 闘魂S | |
フロリダ出身で、ヒロ・マツダに師事し20歳でプロレスラーとしてデビュー。オクラホマ地区に転戦して着実に力を付け、当地のプロモーターであるレロイ・マクガークの娘と結婚、マクガークの寵愛を受ける。マクガークがブレアーにタイトルを握らせたい一心で、「遠征が多すぎる」という理由でレス・ソントンの王座を剥奪しようとしたという事件もあった。これに嫌気が差したか、ダラス、フロリダを転戦した後、WWFに移籍。ジム・ブランゼルとのキラー・ビーズとして人気を得た。2001年に来日し元気な姿を見せた。 |
フライング・ヤンキー FLYING YANKEE 1回 | |
31 4 (旧国) プロレス国際試合 | |
国際プロレス団のシリーズ途中から飛び入り。駐留外国人の腕自慢でドロップキックが得意なことからフライングのリングネームで出場。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様) |
ザ・プラウボーイ → ザ・コンビクトを見よ
ブラソ・デ・オロ
BRAZO DE ORO
3回 ●金腕戦士 ●166センチ、83キロ ●1959年10月7日 メキシコシティ出身 ●UWA世界トリオ、CMLL世界トリオ |
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56 8 (新) ブラディ・ファイト・S、60 1 (全) 85激突!オールスター・ウォーズ、 63 7 (新) サマー・ファイト・S | |
本名ヘスス・アルバート・ニエベス。戦後の名レスラー、シャディト・クルスの長男。1977年にプロ・デビューを果たす。翌年、弟のプラタがデビューして、ロス・ブラソスを結成。1980年にはもう一人の弟、エル・ブラソを加えてトリオを結成。ロス・ミショネロスあたりと激しい抗争を続けた。1987年に新設されたUWA世界トリオ王座となり、同年ウルトラマンのマスクもはいでいる。サイン |
ブラソ・デ・プラタ
BRAZO DE PLATA
3回 ●銀腕戦士 ●165センチ、86キロ ●1963年3月19日 メキシコシティ出身 ●CMLL世界ヘビー、UWA世界トリオ、CMLL世界トリオ |
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56 8 (新) ブラディ・ファイト・S、60 1 (全) 85激突!オールスター・ウォーズ、 63 7 (新) サマー・ファイト・S | |
本名ホセ・アルバラード・ニエベス。シャディド・クルスの三男。兄のオロとのコンビで、メキシコ州タッグ、メキシコ連邦区タッグなどを獲得。次男のエル・ブラソを加えてのトリオでエル・トレオ認定のトリオ王座やナショナル・トリオ選手権を獲得した。来日時はスリムな体型であったが、年を追うごとに肥大化し、3度目の来日時には、体重が120キロを超え、最終的には135キロに。それでも動きが鈍っていなかったのはさすがであった。リング外のけんかもめっぽう強かったという。サイン |
ブラッキー・ゴールドマン → ブラック・ゴールドマンを見よ
ブラック・アサシン BLACK ASSASIN 1回 ●182センチ、112キロ ●1960年 米・ジョージア州メイコン出身 |
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63 1 (全) 88 新春ジャイアント・S | |
TNTの後釜としてアブドーラ・ザ・ブッチャーがパートナーとして連れてきた黒人レスラー。オレイ・アンダーソンにスカウトされジョージアでデビュー。当時ジョージアで活躍していたブッチャーに素質を見込まれての来日であった。 |
ブラック・キャット → 外国人留学生名鑑を見よ
ブラック・ゴールドマン
BLACK GORDMAN (ザ・アジアン・テローズ1号
*)5回 ●黄金の男 ●180センチ、105キロ ●1936年10月5日 メキシコ・グアダラハラ出身 ●バックワードダイブ、DDT ●メキシコ・ナショナル・ヘビー、アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、NWA世界タッグ(シスコ版、カンサス版)、プエルトリコ・ヘビー、テキサス・タッグ、ジョージア・タッグ |
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44 9 (日) ダイヤモンド・S、46 5 (日) ゴールデン・S、47 8 (日) 第2次サマー・ビッグ・S、51 2 (新) ビッグ・ファイト・S、52 6 (新) アジア・チャンピオン・S * | ||
本名 ビクトル・バハーラス。メキシコ人とアパッチ・インディアンのハーフ。同じアパッチインディアンの血を引くブル・ラモスのパートナーとしてアメリカにデビュー。ロスを始めとする全米各地でエル・ゴリアスとのコンビで活躍し、各地区のタッグ選手権を総なめにした。初来日のシリーズではアジア選手権、インター・タッグ選手権に挑戦する抜擢を受けている。ミル・マスカラスとは犬猿の仲で抗争がエスカレートしてナイフで腹を切りつけた事件は有名。マスカラスのこの傷は現在でも残っている。メキシコではマスクを付けてベスティア・ロハのリング・ネームで活躍。 |
ブラック・ジミー BLACK JIMMY 1回 | |
32 1 (日) 力道山渡米壮行プロレス大会 | |
詳細、経歴などまったく不明。情報募集中。 |
ブラック・シャドー
BLACK SHADOW 1回 ●黒影仮面 ●180センチ、107キロ ●フランス領マルチニク島出身 |
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52 6 (国) ビッグ・チャレンジ・S | |
メキシコのブラックシャドーとはまったくの別人。なぞの黒人覆面レスラー・・・という触れ込みで参加したが、正体は留学生の稲妻二郎ことジェリー・モロー。モローはザ・ワイルド・ヌーとしても覆面をかぶらされた経験があり、これが初めてではなかったとはいえ、国際プロレスのこの安易な外人選手の水増しはいただけない。 |
フラッグ・ジョール FLAG JOLE 1回 | |
30 12 (旧全) 日米対抗厚生大臣賞争奪試合 | |
キングストン・ケリーらと来日。カナダで3年間ボクサー生活を送っていただけにパンチは強烈。エキサイトするとレスリングよりボクシングを始めてしまう。キングストン・ケリーらと来日。カナダで3年間ボクサー生活を送っていただけにパンチは強烈。エキサイトするとレスリングよりボクシングを始めてしまう。 |
ブラック・タイガー BLACK TIGER (マーク・ロッコ*)14回 ●暗闇の虎 ●178センチ、95キロ ●1951年5月11日 イギリス・マンチェスター出身 ●ツームストン・ドライバー ●イギリス認定世界ヘビーミドル、WWFジュニアヘビー |
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54 9 (国) ダイナマイト・S*、57 4 (新) 4・21特別興行、57 4 (新) ビッグ・ファイト・S( 残留 )、57 8 (新) ブラディ・ファイト・S、58 1 (新) 新春黄金・S、 59 1 (新) 新春黄金S、59 10 (新) 闘魂S、60 1 (新) 新春黄金S、60 6 (新) バーニング・スピリット・イン・サマー、61 1 (新) ニューイヤー・ダッシュ 86、61 8 (新) チャレンジ・スピリット 86、62 4 (新) ブレイジング・チェリー・ブロッサム・ビガロ 87*、63 8 (新) 88 戦国S | |
「暗闇の虎」として、初代タイガーの最大のライバルとして登場したマスクマン。大体この様なギミックのレスラーは期待外れが多いのだが、緒戦でタイガーを後一歩まで追い込み、その実力でファンを唸らせた。正体はイギリスの中量級最強の男といわれたローラーボール・マーク・ロコ(ジム・ハジー・ジュニア)であり、強いのも当然であった。ライバルのタイガーマスクが新日本プロレスを離脱した後も来日しているが、明らかにトーンダウンしていた。マーク・ロコの項も見よ。 |
ブラック・デビル THE BLACK DEVILL ●ニセ黒い悪魔 ●180センチ、105キロ ●1946年 プエルトリコ・サンファン出身 ●ドロップキック ●アメリカス・タッグ |
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50 5 (全) ブラック・パワー・S | |
ザ・デストロイヤーの覆面10番勝負の第7戦の相手として来日したが敗戦後覆面をはがされ、正体がサイクロン・マヌエル・ソトである事を暴露された。しかし全日本プロはソトが偽者であるとして、この第7戦は無効となった。正体が割れて、偽者と断定するのも変な話ではないか? マヌエル・ソトの項も見よ。 |
ブラック・デビル THE BLACK DEVIL ●黒い悪魔 ●187センチ、112キロ ●1952年 米・コロラド州デンバー出身 ●ネックハンギング |
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50 8 (全) 第2次サマー・アクション・S | |
「偽者」のマヌエル・ソトが帰国してから3ヶ月後に来日した「本物」のブラック・デビル。しかしその正体は偽者よばわりされたマヌエル・ソトよりも明らかに格下の新人レスラー、ブラックジャック・モースであった。当初全日本プロレスが招聘しようとしていたブラック・デビルの正体はブル・ラモスであった。 ブラックジャック・モースの項も見よ |
ブラック・テラー BLACK TERROR ●暗黒仮面 ●195センチ、127キロ ●1946年3月23日 米・テキサス州コパクリスティー出身(バージニア州出身説、1949年カンサス州出身説もあり) 1998年12月31日没 ●タックル ●セントラルツテーツ・ヘビー、北米ヘビー(トライステーツ版) |
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53 3 (全) 第6回チャンピオン・力ーニバル、55 5 (全) スーパー・パワーS | |
全日本プロレスが2回招聘した巨漢マスクマン。カーニバル開幕戦でアブドーラ・ザ・ブッチャーと引分ける活躍を見せたが、結局6勝5敗3引き分けという成績に終わっている。正体はセントラルステーツ地区で活躍したタンク・パットンであった。 タンク・パットンの項も見よ。 |
ブラック・バート BLACK BART (リック・ハリス*)
2回 ●野獣牧童 ●185センチ、125キロ ●1955年 米・テキサス州フォートワース出身 ●アラバマ・ヘビー、USタッグ(フロリダ版)、ナショナル・ヘビー(ジョージア版)、ミッドアトランティック・ヘビー、WCCW世界ヘビー、CWAヘビー |
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58 8(全)スーパーパワーS*、62 1 (新) ニューイヤー・ダッシュ 87 | |
デトロイト地区でザ・ワイルドマンとしてデビュー。その後リック・ハリスとして来日するが、帰国後ジム・デュロンのアイディアでブラック・バート(西部開拓時代の強盗の名前)に改名し、ロン・バスとのザ・ロングライダースとして活躍。チーム解散後はシングル・プレイヤーとして、ジョージア、テキサスあたりで暴れた。 |
ブラック・ロッキード
BLACK
LOCKHEED ●灰色高官 ●188センチ、128キロ ●生年月日不明 カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身 |
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51 7 (国) ビッグ・サマー・S | |
全日本プロレス、国際プロレスにそれぞれ一度づつ来日経験のある
レン・シェリーが正体。ちょうど来日時、ロッキード事件が社会問題となっており、日本向けにつけたリングネームであることは明らか。そのリングネームが話題となったが、正体が正体だけにそれほどの活躍もなく帰国した。 レン・シェリーの項も見よ。 |