来日全外国人レスラー名鑑  ハ1

 

ハーディ・クルスカンプ HARDY KRUSKAMP 1回
●アリゾナの毒蛇 ●181センチ、108キロ
●1913年 米・アリゾナ州出身 1994年11月12日没
●インターナショナルTVタッグ(ロス版)
30 7 (日) プロレス国際試合

力道山の日本プロによる3度目の国際試合シリーズに、プリモ・カルネラ、ジェス・オルテガらと共に来日したレスラーだが、かなりの老齢でレスラーとしては完全に峠を越えており、プリモ・カルネラのマネージャーとしての来日だった様だ。当時のフィルムが残っているが、これを見た限りでは物凄いオーバーアクションのレスラーでだった。後に、ミスター・クリーンに変身したとされているが・・・。

 

バート・ベイル BART VALE 1回
●190センチ、118キロ ●1957年5月4日 アメリカ出身
63 11 (U) 11・10 FlGHTlNG NETWORK

新生UWFに来日し最初は全くついてこれなかったが、ラストの方はそれなりのファイトはしていた。解散後、藤原組に戦場を移したのが最後のハレ舞台で、後にK1とリングスに来日したが全然駄目だった。元”エクアドル”のキックのチャンピオンで本業は空手とキックの先生(日本の空手ではなく、いわゆるアメリカン空手。テコンドーに近い。)で門下生も多いが、はっきりいって空手&キックの実力はB級。(解説:TMKID氏)

 

ハートフォード・ラブ HARTFORD LOVE 1回
●地獄の天使 ●187センチ、115キロ
●生年月日不明 カナダ・ニューファウンドランド州出身
●NWF世界タッグ、インターナショナル・タッグ(トロント版)、北米ヘビー(プエルトリコ版)、セントラルステーツ・タッグ
49 7 (新) サマー・ファイト・S

本名はウェス・ハッチンス。「兄」のレジナルドとのラブ・ブラザーズとして活躍したベテランで、タッグの世界ランキングにも名を連ねた強豪であったが、なぜか日本ではレジナルドとのタッグをマッチメイクしてもらえなかったために、期待通りの活躍は出来なかったようだ。ヒッピースタイルの派手なコスチュームが売り物。NWFやIWAといった新興団体で活躍した。レジナルド以外にもジェリー・ブラウンとのコンビでも活躍した。引退後はタクシー会社を経営。

 

ハードボイルド・ハガティ HARDBOILED HAGGERTY 2
●喧嘩狂 ●186センチ、118キロ
●1925年4月2日 米・ウィスコンシン州出身(カリフォルニア州出身説もあり) 2004年1月27日没 ●凶器攻撃
●NWA世界タッグ(シスコ版、ミネアポリス版)、パシフィックコースト・タッグ(シスコ版)、インターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、AWA世界タッグ、AWA・USヘビー、ハワイ・ヘビー、ハワイ・タッグ、WWA世界タッグ(ロス版)
38 7 (日)【特】夏の国際試合、 38 9 (日) 秋の国際試合
本名はドナルド・スタンソーク。「喧嘩狂」のニックネームの通り、喧嘩が原因で二つの退学から放校処分を受けた上、プロフットボール転向後も、追放処分を食らった根っからの喧嘩好き。「夏の国際試合」に参加した際には、バットで力道山の膝を滅多打ちにするという、桁外れの暴挙に出て、契約を1週間で打ち切られている。しかし執念で「秋の国際試合」に再来日を果たした。私生活では、ケネディ大統領とも親交が深く、社交界にも顔が利いたという。引退後は映画俳優として活躍、「ダーティー・ハリー」や、バーン・ガニア製作の「ザ・レスラー」にも出演した。

 

バーナード・ライト BERNARD RIGHT 1回
60 1 (旧U) サンライズ・ウイークス
スティーブ・ライトの実弟。来日当時はカナダのカルガリーを主戦場としていた。1983年月にカナダ・カルガリーで高田とWWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦出場権を争ったモヒカン頭のレスラー、アーサー・フォーリーと同一人物だとする説もあるが別人の可能性が高い。パンフレットには紹介されていないので、開幕直前に参加が決まったのではないだろうか?(情報提供:黒い一羽鷹氏)

 

ザ・バーバリアン THE BARBARIAN 1回
●野生の狂神 ●198センチ、138キロ
●1959年10月18日 米・モンタナ州ボーズマン出身 ●カウンターキック
60 11 (新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦
大学アマレス全米選手権4位、卒業後アメフトの選手になったジョン・ノードの変身。後に「バーン・ガニア」の「AWAレスリングキャンプ」に参加してデビュー。当時新日本プロレスと提携していたMSWA入りの時の名前が「ザ・バーバリアン」だった。後にWWF移籍し、「バーザーカー」(北欧の伝説人物)のギミックに転向。はっきりいってブルーザー・ブロディのコピーで木偶の坊タイプのレスラー。得意技はカウンターキックだったが、同時期にブロディが来日していたため気を使って試合をしていた。(解説:TMKID氏)

 

ハーリー・レイス HARLEY RACE 33回
●美獣 ●185センチ、115キロ
●1943年4月11日 米・ミズーリ州メアリービル出身 ●ブレンバスター、ダイビング・ヘッドバット
●NWA世界ヘビー、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、AWA世界タッグ、セントラルステーツ・ヘビー、WWA世界ヘビー(インディアナ版)、ジョージア・ヘビー、ミズーリ・ヘビー、PWFヘビー、UNヘビー、カリビアン・ヘビー
43 2 (日) ダイナミック・S、44 11 (日) NWAシリーズ、45 11 (日) インター・チャンピオン・S、47 2 (日) ダイナミック・S、48 2 (全) ジャイアント・S結集戦、48 8 (全)【特】ワールド・チャンピオン・S、49 1(全)【特】新春NWA・S、50 1 (全)【特】新春ジャイアント・S、50 12 (全)【特】オープン選手権大会、51 4(全)【特】第4回チャンピオン・カーニバル、 52 6(全)【特】NWAチャンピオン・S、 53 1(全)【特】新春ジャイアント・S、54 5 (全)【特】スーパー・パワー・S、54 10 (全)【特】ジャイアント・S、55 5 (全)【特】スーパー・パワーS、55 8 (全)【特】第2次サマー・アクション・S、56 2 (全)【特】エキサイト・S、56 10【特】(全) ジャイアント・S、56 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、57 4(全) グランド・チャンピオン・S、57 7(全)【特】サマー・アクション・S、57 10 (全)【特】ジャイアント・S、 57 11 (全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦、58 3 (全)【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT、58 9 (全)【特】ジャイアント・S、59 5 (全)【特】グランド・チャンピオン・カーニバルU、59 10 (全)【特】ジャイアント・S、 59 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、60 6 (全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ、60 8 (全) 85決戦!ダイナマイト・ウォーズ、60 11 (全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦、61 2 (全) エキサイティング・ウォーズ 86、61 5 (全)【特】スーパー・パワー・S
本名も同じ。巨漢レスラー、ハッピー・ハンフリーの実弟だといわれていたが、どうやら血縁関係はないようだ。新人の頃はジャック・ロングを名乗りジョニー・ロングとのロング・ブラザーズで暴れていたこともある。ファンク一家の一員だったが、皮肉な事にファンク兄弟をそれぞれ世界王座からひきづり降ろした。ルー・テーズと並ぶ世界王座返り咲き記録を持つが、日本プロレスに来ていた若手の頃は、この男が世界チャンピオンになるとは、誰にも想像できなかったという。レスリングスタイルはスケールが大きくいかにも全日本プロレス向きのレスラーだったという印象がある。晩年はWWFに鞍替えし、ファンを驚かせた。引退後はプロレスラー養成所を設立し後進の指導に励んでいる。(写真左撮影:花園えびす様) サイン

 

バーン・ガニア VERNE GAGNE 6回
●AWAの帝王、ミネソタの虎 ●182センチ、112キロ
●1926年2月26日 米・ミネソタ州ロビンスデール出身 ●スリーパー・ホールド、ドロップキック、ローリング・クレイドル
●USヘビー(シカゴ版)、AWA世界ヘビー、AWA世界タッグ、NWA世界ジュニアヘビー、NWA世界タッグ(シカゴ版、ミネアポリス版)、IWA世界ヘビー(国際プロレス)
45 2 (国) 【特】新春チャレンジ・S、48 9 (国) 【特】第5回lWA・ワールド・S、49 11 (国) 【特】ワールド・チャンピオン・S、51 2 (全) 【特】エキサイト・S、54 11 (国) 【特】デビリッシュ・ファイト・S、56 1 (全)【特】新春ジャイアントS
本名はラヴァーン・ガニエ。ご存知AWAの帝王。元々はNWAで活躍しジュニア・ヘビー級の世界チャンピオンにもなっているが、NWAに反旗を翻し、ミネアポリスでAWAを設立。長く同世界王者に君臨した。ブッカーとしては国際プロレス、全日本プロレスと提携していたが、吉原社長をして「ガニアにはケツのまで毟り取られた」と言わしめたほど、ビジネスに関してはシビアだった。AWA崩壊後には自己破産したといわれている、悲劇のプロレス貴族。

 

バイオレンス・ウォーロード VIOLENCE WARLOAD 1回
●筋肉武将 ●191センチ、125キロ
●1962年3月28日 米・フロリダ州ポンパノビーチ出身(ミネソタ州ミネアポリス出身説もあり)
●セントラルステーツ・タッグ。NWA世界6人タッグ、WAR世界6人タッグ
62 6 (新) ビッグ・サマー・ファイト・S
本名はテリー・スコット・スピンスキー。用心棒をしていたところをロード・ウォーリアーズの育ての親であるエディー・シャーキーにスカウトされてプロレス入り。中西部地区を中心に活躍し、日本でも粗削りながら豪快な暴れぶりを見せた。コンガ・ザ・バーバリアンと「パワーズ・オブ・ペイン」を結成し活躍するが、チーム解散後は伸び悩み、結局は大成しなかった。引退後はレフェリーに。

 

ザ・バイキング THE VIKING 1回
●北海の獅子王 ●178センチ、107キロ
●エルサルバドル出身
51 2 (国) スーパー・ファイト・S
国際プロレスの「スーパー・ファイト・シリーズ」に来日が予定されていたバッド・サモアンの代打で来日したレスラー。バイキングといえば北欧系と相場が決まっているが、この男はどう見ても南米系である。体が小さくほとんど活躍できなかった。昭和54年に全日本プロレスに参加が決定していたが、これは来日をキャンセルしている。

 

バイキング・ハンセン VIKING HANSEN
●北海の野獣  ●190センチ、148キロ
●1934年8月1日 デンマーク・オーフス出身 1978年11月没 ●ベアハッグ
●NWF北米ヘビー、プエルトリコ・ヘビー、フロリダ・タッグ
40 9 (日) ハリケーン・S
エリック・ザ・アニマルの前身。シリーズ終了後に大木金太郎らと共に韓国に遠征し5カ国対抗トーナメントに出場した。

詳細はエリック・ザ・アニマルの項を参照のこと。

 

バグジー・マグロー BUGSY McGRAW (マイティ・ブルータス*、ザ・ブルート** ) 5回
●鮮血の荒熊 ●190センチ、137キロ
●1945年 米・ノースカロライナ州シャーロッテ出身 ●ボディスプラッシュ
●パシフィックノースウエスト・タッグ、パシフィックコーストヘビー(バンクーバー版)、USヘビー(シスコ版)、北米ヘビー(トライステート版)、フロリダ・ヘビー、フロリダ・タッグ、ブラスナックル・ヘビー(テキサス版)
47 3 (日) 第14回ワールドリーグ戦 *、49 3 (国) チャレンジ・S **、53 4 (新) 第1回MSGシリーズ、 56 5 (全) スーパー・パワー・S、59 3 (全)【特】 グランド・チャンピオン・カーニバルT
本名はマイケル・デーヴィス。元々はテキサス地区でビューティフル・ブルートの名で活躍していたベテラン・レスラーで、日本へはマイティ・ブルータス、ザ・ブルートと名を変えて来日。バグシー・マグローでは新日本プロレスのMSGシリーズと全日本プロレスに参加。MSGシリーズでは決勝リーグに進出とまずまずの活躍。昭和59年の来日時はスタン・ハンセンのPWFヘビー級選手権に挑戦するなど、なぜか高待遇を受けた。引退後は看護師をしているという。

 

ハクソー・ジム・ドゥガン HACKSAW JIM DUGGAN 3回
●豪獣 ●182センチ、125キロ
●1954年1月14日 米・ニューヨーク州ニューヨーク ●タックル
●ルイジアナ・ヘビー、ミッドサウス・タッグ、北米ヘビー(トライステート版)、WCW/USヘビー
56 8 (新) ブラディ・ファイト・S、61 1 (新)【特】 ニューイヤー・ダッシュ 86、61 8 (新) チャレンジ・スピリット 86
本名はジェームス・ドゥガン。フットボール出身のレスラーで、長い下積みの後、MSWA地区でスターとなる。昭和56年の初来日では、野人ギミックの木偶の坊との印象しかなかったが、昭和61年の再来日ではエースとしての扱いを受け、猪木を大いに苦しめた。その後は、労働者ギミックでWWFで大ブレイク。ギミックに重点を置くあまり、ろくな試合をしない様になってしまったのが惜しまれる。

 

ハクソー・ヒギンズ HACKSAW HIGGINS 5
●のこぎり男 ●192センチ、127キロ
●1957年 米・ミズーリ州セントジョセフ出身 ●バックフリップ
●セントラルステーツ・ヘビー
60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第1弾、60 8 (新) チャレンジ・スピリット85、60 11 (新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦、61 7 (新) バーニングスピリット・イン・サマー、62 5 (新) 87 lWGPチャンピオン・S
アメリカの新興団体UWFを中心に活躍した大型レスラーで、当時UWFと提携していた新日本プロレスに初来日。知名度は低かったが、来日第一戦のアントニオ猪木とのシングル・マッチで、豪快なバックフリップで猪木を失神させ(デビッド・シュルツの乱入&ミスター高橋の不可解な裁定により反則負け)日本のファンの度肝を抜いた。しかし、来日するたびにトーンダウン。知らぬまに来日しなくなった。一説には盗みぐせが出世を阻んだという。使い方次第では第2のハンセンになり得た素材だけに惜しい。

 

バジル・リッキー BASIL RIKEY 1回
●英国の刺青男 ●183センチ、108キロ
●イギリス・ケント州アシュフォード出身
46 10 (国) ビッグ・チャレンジ・S
イギリス出身のレスラーで高校時代からアマレスでは知名度が高かったが、高校卒業後はスカウトされてテレビタレントになる。しかし足の引っ張り合いの多い芸能界に嫌気がさし、気に食わない連中を片っ端から殴りつけてプロレス界に飛び込んだという。イギリスではダニー・リンチとコンビを組んでいたが、リッキーは正統派ファイトで通していた。日本では「ロビンソン2世」といわれ、注目されたが結局は一度だけの来日に終わった。セーラー・ホワイト張りに全身に彫った刺青がトレードマーク。イギリスではロマニー・ライリー(Romany Riley)のリングネームを使用していたようである。

 

バズ・ソイヤー BUZZ SAWYER 6回
●無双の虎 ●183センチ、118キロ
●1959年6月14日 米・フロリダ州セントピータースバーグ出身 1992年2月7日没 ●パワースラム
●アメリカス・タッグ、北米ヘビー(マリタイム地区)、AWA南部タッグ、英連邦ミッド・ヘビー(カルガリー版)、南部TV、パシフィックノースウエスト・タッグ、ナショナル・ヘビー、ナショナル・タッグ(ジョージア版)、ミッドアトランティック・タッグ、WCWAテキサス・ヘビー
59 10 (全) 【特】ジャイアント・S、62 1 (新) ニューイヤー・ダッシュ 87、62 6 (新) ビッグ・サマー・ファイト・S、63 1 (新) 88 新春黄金・S、 63 7 (新) サマー・ファイト・S、 63 11 (新) 88 ジャパンカップ・S
本名はブルース・アレン・ウォエン。テリー・ソイヤーのリングネームでテネシー地区でデビュー。当時はガリガリでジュニア・ヘビー級の体格しかなかったが、ステロイドで肉体を改造しヘビー級の体格に膨れ上がる。ジョージア地区でバズ・ソイヤーに改名してから、オレイ・アンダーソンとのコンビでナショナル・タッグ王者となり売り出す。183センチと小柄ながら、クレイジーなラフファイトで人気を博した。正統派転向後はブレッド(ハック)・ソイヤーが実の弟であることを公表し、タッグも結成するようになる。日本ではマニー・フェルナンデス(レイジング・ブル)とのコンビで人気を呼んだが、薬物の副作用により急死。ファンを悲しませた。

 

バズ・タイラー BUZZ TYLER 2回 
●雪崩男 ●183センチ、135キロ
●1946年 米・テネシー州ノックスビル出身 ●アバランシュホールド
●ミッドアメリカ・タッグ、セントラル・ステーツ・ヘビー、セントラルステーツ・タッグ、ミッドアトランティック・タッグ
58 8 (全) スーパー・パワー・S、59 5 (全) グランド・チャンピオン・カーニバルU
1966年にノースカロライナでデビュー。カンサスに転戦してからは引退するまでカンサスを中心としたセントラル・ステート地区で活躍したローカル・ヒーロー。スタイルとしては地味なラフ・ファイターだった。WWFの台頭により、彼のようなローカル・ヒーローは、あっという間にアメリカ・マット界から駆逐されてしまった。日本ではハーリー・レイスのパートナーに起用された。ボビー・ジャガースとはいとこだという説もある。

 

バスター・マシューズ BUSTER MASHUES
●人間起重機 ●187センチ、125キロ
1946年 カナダ・ケベック州ジョンケベール出身  ●スープレックス
●インターナショナル・タッグ(モントリオール版)、GWA世界タッグ、北米ヘビー(カルガリー版)
46 3 (国) 第3回IWAワールド・S
フランス系のギル・ポアゾンの変名。来日前は素顔の写真が雑誌に掲載されたが、マスクを付けて来日していた。

ギル・ポアゾンの項参照。

 

バスター・ロイド BUSTER LLOYD
●黒い重戦車 ●185センチ、124キロ
●1933年7月4日 カリフォルニア州ディロン出身(1944年 米・サウスカロライナ州クリオ出身説もあり) 1993年10月13日没
●北米タッグ(セントラルステーツ版)、NWA世界タッグ(セントラルステーツ版、ミッドアトランティック版)、ミッドアトランティック・タッグ、アラバマ・ヘビー、ジョージア・タッグ、バハマ・ヘビー、ミッドアトランティック・ヘビー、セントラルステーツ・ヘビー
44 1 (日) 新春チャンピオン・S

本名はカーリー・ロイド。黒人レスラーの実力者ルーファス・ジョーンズの前身。トム・ジョーンズとのコンビで、コミカルな動きで人気を博したという。

詳細はルーファス・ジョーンズの項参照。

 

バック・ズモフ BUCK ZUMHOFE 1回
●狂乱のロックンローラー ●180センチ、108キロ
●1951年3月21日 米・ミネソタ州ハンブルグ出身(カナダ・ケベック州モントリオール出身説もあり)
●AWA世界ライトヘビー、アメリカン・タッグ(ダラス版)
55 5 (全) スーパー・パワーS

本名はユージン・ズモフ。AWAで活躍した選手で長く下積みをしていたが、学生時代からロックバンドを結成していた事もあり巨大なラジカセを片手に入場するギミックを取り入れ、「ロックン・ロール」を名乗るようになってからは人気爆発。AWA世界ライト・ヘビー級王者にもなっているが、実力の方はもうひとつだった。AWA崩壊後は、WWFでTVマッチに出場していたが、すぐに消息を聞かなくなった。現在はミネソタで「ロックンロール・レスリング・クルー」なる団体を率いて活動中という。

オリジナルサイトはこちら http://rocknrollbuckzumhofe.com/

 

バック・ラムステッド → ボブ・ラムステッドを見よ。

 

バック・ロブレイ BUCK ROBLEY(フィル・ロブレイ*) 4回
●悪の仕掛け人 ●185センチ、115キロ
●1942年 米・インディアナ州インディアナポリス(ルイジアナ州出身説もあり)
●ウエスタンステーツ・タッグ、NWA世界タッグ(セントラルステーツ版)、セントラルステーツ・ヘビー、ルイジアナ・タッグ、USタッグ(トライステーツ版)、アラバマ・ヘビー、ミッドサウス・タッグ
45 2 (日) ダイナミック・S*、45 2 (日)アイアンクロー・S(残留)*、47 5 (日)第一次 ゴールデン・S、56 10 (全) ジャイアント・S、57 3 (全) 第10回チャンピオン・カーニバル
本名はフィリップ・ロブレイ。デビュー当時はフィル・ロブレイのリングネームで活躍。1971年に交通事故に遭い、再起不能といわれたが、カムバック。しかし、レスラーとしては大成せず、マネージャーを兼業するようになる。全日本プロレス来日時は、ブルーザー・ブロディのマネージャーの役割もかね、ブロディとハンセンのドッキングを成功させた。当時としては珍しくTシャツを着用して試合に臨んだ。チャンピオン・カーニバルではビル・ロビンソンの足を引っ張り優勝戦線から脱落させた試合がひかる。