昭和プロレス熱く語ろう!!

ジョナサン〜マードック 3


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更新情報 投稿者:ミック博士  投稿日:11月25日(日)19時57分43秒

来日全外人レスラー名鑑「ホ1」の解説をリニューアルしました。
また私は誰でしょうクイズも更新。
「KKクラップのブロンズクローの餌食になっているこの男はずばり誰?」

グレート・牟田悌三さんはじめまして
ケンちゃんのお父さんですか?(笑)
夢の日本選手権ですが、ちゃんと読んだことないんですよ。
どなたかフォローお願いします。

http://members.tripod.co.jp/drmick/home.htm


ジョナサンねた。ゴッチさんとの試合。 投稿者:火の玉小僧  投稿日:11月25日(日)19時54分42秒

 ジョナサンが旧AWAのチャンピオンでゴッチとタイトルマッチをしていましたね…。
オハイヨの話でしたかね。
1961〜2年頃の話かな。馬場さんの著書にも見出ていない様だし。
 後、あのミラーがからんでいたんですね。
ゴッチさんとミラーさんはWリーグのスパーリングなんかで、手が合うのが判っているんですが。

ジョナサンさんとゴッチさんの試合は、ちょっと想像がつきませんね。

ゴッチさん、ハイジャックバックブリーカーなんか受けてくれるだろうか。

でも、ゴッチさんから猪木さんに継承された、ボーアンドロー、あれは、ジョナサンさんのセコ・バックブリーカーに似ているし。元祖は案外ジョナサンさんだったりして。

ゴッチさんとジョナサンさん。水と油。剛と柔。努力家と一代の天才。
見たかったな〜。


初めまして&教えてください 投稿者:グレート・牟田悌三  投稿日:11月25日(日)15時37分38秒

初めまして。 ミック博士のHPを拝見し、懐かしさに浸っている昭和プロレスファンです。

昭和プロレス関連で、以前から気になっていることがあり、この掲示板をご覧になっている方に伺えば解決できるのではないかと思い、書き込みをさせて頂きます。

73〜75年頃、月刊ゴングに「夢の日本選手権」という連載小説が掲載されていました。
日本、国際、新日本、全日本の各団体とフリーのメーンイベンタークラスの選手が出場する日本選手権がトーナメント方式で開催されることになったという設定で、1回戦から決勝まで、毎月1試合ずつ小説で書かれていました。

準決勝進出者が馬場、猪木、坂口、マイティ井上で、決勝は、足四の字固めで馬場を破った猪木と井上を破った坂口の間で争われ、猪木が勝ち初代王者になったところは覚えています。
しかし、それ以外の部分についてはあまり覚えておらず、このトーナメントの参加メンバー、1回戦から決勝までの全対戦カードとその勝敗(どんな内容かもわかると嬉しいです。)を知りたいと、かねがね思っていました。

ミックさんとこの掲示板の常連の皆様の中で、ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
(既に、この掲示板で話題になっている際には、ご容赦いただき、掲示板のいつ頃の過去ログを見ればよいかを教えていただければ幸いです。)


ほんと凄いですね 投稿者:ミック博士  投稿日:11月25日(日)10時17分51秒

雑誌を調査することほどしんどいもはない!
よく探されましたねぇ。
私ももしやと思い「16文が行く」をチェックしましたが、リフトアップの記述はありませんでした。「ジョナサンはやさしすぎて真価を発揮できなかった。」とありましたね。


ミータさんの調査力に脱帽! 投稿者:存 英雄  投稿日:11月25日(日)02時14分13秒

>ミータさん
デラックス・プロレスに馬場さん自身の証言があったのですか!いやぁもうミータさんのリサーチPOWERには感激です。ジョナサン信者を自称する私も知らないエピソードでした。
実は、この件については「まさか馬場リフトは無理かも?」と確信が持てぬまま、ROMしておりました。ジョナサンの怪力というかナチュラルパワーをもってしても“ワンハンド・ネックハンギングをやる時は、さりげなくもう一方の手で相手のタイツをつかんでいた”という記憶が有ったもので「まさか」意識が出ていたのです。そんな胸のつかえも無くなり、ホッとしているところです。
さてジョナサンについて「日本で実現しなかった幻の名勝負」の話しをさせてください。オープン選手権の合間の「力道山・13回忌追悼興行IN武道館」ではジョナサンはH・レイスと対戦の予定だったのです。ところがその前日の試合でブッチャーと戦ったレイスが、鎖骨を脱臼。レイス欠場のため、この対決は流れ幻に終わりました。で、ここまでは、まだ良しとしましょう。なんとこの大興行で、レオ様の代わりの対戦相手はサムソン・クツワダ!いくら何でもこれは気の毒でしょう(クツワダのファンの方、ゴメン)。井上VSマツダ、大木VSブッチャーなどの対戦が観客を熱狂させるなか、ジョナサンとサムソンのカードは専門誌にも写真の一枚すら載りませんでした。腕を包帯で吊って私服姿で欠場のお詫びをするレイスが、ブッチャーに飛びかかられて背広をビリビリに引き裂かれるシーンは、ちゃんと報道されていたのに…。
ついでにもう1つ(長くてすいません)。国際プロWシリーズでは、ジョナサンは準決勝で小林に勝ちを譲り、決勝ではロシモフが小林に負けてやり(小林のファンの方、ゴメン)、その後の3位決定戦が「ジョナサンVSラシク」。まーレオ様には、こんな3位決定戦は勝ちに行く意欲の出ないカードだったのでしょうが、1本目をハイジャックで取ったあと2本目はBクローでギブアップ。3本目はクローで流血したジョナサンを、ブレイクを無視してラシクが掴みつづけたためレオ様の反則勝ち!値打ちの無い3位やなあ〜と、TVの前で口惜しがっていた“子供時代からジョナサン信者だった純情な少年”が大阪にいたことを、私は彼にいま伝えた〜い(オイオイ)。「ハイジャックBBという、彼にしか出来ない派手な見せ技を披露すれば、そこで“あー今日の仕事は終わった”と思ってしまうジョナサン」反省しなさい!国際プロよ、もういちど彼をWシリーズに呼んでくれぇ〜(あかん。もはや妄想が…今は平成やのに)。


ミータさん、どうも 投稿者:プロレス・アワー  投稿日:11月25日(日)00時00分51秒

ジョナサンがG馬場を、キーロックで決められたまま
リフトした話の出典調査、お疲れ様でした。
そうですか?「デラプロ」はノーフォローでした。
つくづく、写真が残っていないのは残念ですね。
思うに、マスコミも「写真」=「証拠」が無い以上、
派手に記事にすることもできない→語り草にならなかった。
というのが真相ではないでしょうかね?

しかし、馬場をリフトするとは凄い!

実は、ジョナサンが全日の、懐かしいレスラーをゲストに呼ぶ企画
「オールディーバット、グッドディー」の第一回に来た興行
(89年、1月28日)に私は、行っているんです。
ハイジャック・バックブリーカーの公開の時、
「(技の相手に)テンタ!」コールが
起きまして(笑)結局は菊地に落ち着いたんですが、
その時の週プロを、持っているんで、私も「キーロック」
の件が載っているか調べたんですが、
見当たらず、その代わりG馬場がジョナサンを評して
「ハンセンみたいにガムシゃラに向かって
来ることが無かった、もし彼にトップに立つ欲があったら、
僕でも太刀打ちできなかった」
と潜在能力は評価しながらも、『欲』がない。
ということを評していますね。

でもね。トップを目指して、シャカリキに頑張っている
姿も美しいけれど、無理なく、マイペースで自分の道を
歩んでいる人を見ると、ふと「ホっと」することも
ありますね。相撲でいえば、蔵間(将来の「横綱」を期待させたが関脇止まり)
70年、アイドルでいえば南沙織さんですね。


わかりました! 投稿者:ミータ  投稿日:11月24日(土)22時38分13秒

デラプロ83年9月号、G馬場の「忘れ得ぬ人たち」第16回 D・L・ジョナサン
「・・・42年5月の日本プロレス、ゴールデン・シリーズに彼が来日、初めて対決した時だった
(中略) 私はジョナサンの動きを止めようとキーロックをかけたのだが、その、当時138キロだった私を、ジョナサンはヒョイとかつぎ上げて、コーナーポストまで運んでしまったのだ。私の23年におよぶレスラー生活の中で、キーロックをかけたまま軽々と持ち上げられてしまったのは、後にも先にもこれ1度だけだ。
(中略) 彼に「人を押しのけてでも」というガメツさがあって、ハンセンのようにガムシャラに突っ走れる性格だったら、これはおそろしいレスラーになっていたと思う。それこそ、テーズをもしのいだかもしれない。 」
・・・お待たせしました! これが真相でしょう 「史上最高のキーロックあげ」ではないでしょうか? ジョナサンを調べていたら、驚くべきエピソードが次々と出てきました!
山本隆司さんの「ザッツ・レスラー PART2」第10回 ジョナサンは神よりの使者
「・・・場外で鶴田にキーロックをかけられたままかつぎあげ、そのままエプロンからリング内に運んでいった。・・・」
デラプロ82年11月号 「土肥良一 れすらーマメ単辞典」 31 ジョナサン
「国際プロレス時代、ロシモフをハイジャック・バックブリーカーに担ぎ上げて振り回してみせた。」
プロレス激本 ジミー鈴木さん「ゴッチがシュートを仕掛けて、でも関節が決まらなかったのがD・L・ジョナサン。」
・・・恐ろしく強い男だ!! ビル・ミラーと武藤をあわせたような選手だったのでしょうか?


調査の途中経過報告 投稿者:ミータ  投稿日:11月24日(土)18時56分07秒

HIさん、こんばんは! 私はその一件を知りませんでした・・・ ありがとうございます!
私が読んだのは、週プロのモノクロページだと思います 書いたのは宍倉さんか、浜部さんか、菊池さんか・・・?
プロレス・アワーさんが指摘されたように、これが事実なら語り草になっているはず・・・
しばらくお待ち下さい! 時間がかかりそうですが、はっきりさせたいと思います


馬場リフト 投稿者:HI  投稿日:11月24日(土)17時41分00秒

ミータさんこんばんは。この件、なんとなく覚えています。たしかこんな感じだったと思いま
すが・・・。

オールディーズバットグッドディーズにジョナサンがゲストで招かれた際に、TV中継でその
模様と過去の映像を流しました。その時(か、ブルドッグス×マレンコ兄弟)に解説の馬場さ
んが「全盛期のジョナサンはもっとあっさりキーロックをリフトした」と、持ち上げた相手を
あやふやに答え、それを実況の若林さんが勘違いし、「馬場さんの巨体を持ち上げたんですか!!」と興奮し、馬場さんが(わかっていなかったのか、知らん振りをしたのか)「そぉで
すねぇ。」なんて答えていたと記憶しています。当時の私も「そこんとこハッキリさせてほし
いな。」とTVを見ながら思っていました。この一件じゃないですか??


ジョナサンのリフト 投稿者:BI砲  投稿日:11月24日(土)15時55分18秒

「激録 馬場と猪木」を読んだ限りでは、日本プロレス時代
にジョナサンがキーロックをかけた状態の馬場をリフトした
形跡はないようですね。
もし、あるとすれば全日本に移ってからの
73年「新春ジャイアントシリーズ」か
74年「ジャイアントシリーズ第2弾」あたりで
タッグマッチという可能性も?


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