過去ログ名勝負集 「ダラ・シンの迷宮」 パート9

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ターバン  投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2009年 4月12日(日)11時43分34秒
  ミック博士様、申し訳ありません、言葉足らずでした。

小生が申し上げたかったのは、一部のインディアン部族の方にとってのターバンの重要性で、リング・コスチュームとしての「ターバンもどき」のことではありません。

S30年のダラ・シンは無帽か、せいぜいネール帽をかぶるくらいで、リング・コスチュームとしての「ターバンもどき」など絶対に使用しなかっただろうと思いこんでいましたところ、まいてぃ様のご指摘で、S30年のダラ・シンもシッカリこうしたショーマン・シップを備えていたことを知り、驚いた次第なのです。

小生が一緒に仕事をしていた某国の刑務所の副所長はこの部族の方で、人前では絶対にターバンを取らず、所長以下全看守が着用する制帽を被ることも免除されていました。

つまり、小生、S30年のダラ・シンは絶対に「ターバンもどき」など使わないと勝手に思い込んでいたものですから、コングと向き立った写真のインディアン・レスラーは別人だと思った次第なのです。

元より、だからと言って、S30年のダラ・シンがKillerだという証拠をいまだ全く見出せないでいますから、「3人説」と「2人説」の間を大きく揺れ動いている次第なのです・・。 言葉足らずで説明不足で、申し訳ありませんでした。

写真家の方のご意見に期待しております!!
 

>ダラ・シンのコスチュームについて  投稿者:ミック博士  投稿日:2009年 4月12日(日)09時06分14秒
  いやいや、コスチュームで同一人物と判断するのは危険ですよ。
アラビアン・ギミックのレスラーであれば、シーク・アドナン、ワディ・アヨブ、グレート・メフィストト云ったあたりが似たようなコスチュームをつけていますからね。

それと写真の件ですが、知り合いの写真家の方に、「同一人物でこれがけ身長が違ってうつろ事がありえるのか?」意見をいただこうと思っています。
 

>ダラ・シンのコスチュームについて  投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2009年 4月12日(日)06時48分18秒    編集済
  まいてぃ様、ミック博士様、何と、S30年のダラ・シンも「ターバンもどき」のリング・コスチュームを着けていたのですね!!

してみますと、やはり、Killerは、このS30年のダラ・シン(CHOTA)だったのではないかと思います。

コングと向き合った写真ですが、角度・立ち位置の問題はありましょうが、単純にこの写真の両者の踵から目までの長さ(高さ)を測ってみましても2〜3mmしか変わらず、実際の身長差は10cm以内なのではないでしょうか・・?

沖さんの2m説も、砧道場様のご指摘どおり、強豪はたいてい大きく見えるものですし、インド記者やマレーのファンの記述は伝聞でしょうし、何よりも、アジアのそれだけの巨人・強豪が今まで全く日本のマスコミ・ファンたちに知られなかったこと自体に大きな疑問を感じます。

また、沖証言を信じるとすれば、身長が馬場並みで体重が猪木並み・・ということになりますが、これでは一流のプロレスラーとしては余りに細すぎましたでしょう・・?

さらに、その沖さん自身も、力道山を散々苦しめたのは、この2mの(?)ダラ・シンと思いこんでいますね・・?

揺れに揺れながらも、この時点では、やはり、KillerはS30年のダラ・シン(CHOTA)のことではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか・・?
 

ダラ・シンのコスチュームについて  投稿者:ミック博士  投稿日:2009年 4月11日(土)23時17分34秒
  まいてぃさん、こんばんわ

まぁ、コスチュームは、合わせて作れますしねぇ。
2メートルの身長については、インドの記者、マレーのファン、沖識名が証言していますし、KILLERは2メートルあったんでしょう。

やはりKILLERとCHOTAは別人と思います。
CHOTAと42年版の違いですが、CHOTAのほうが頭(額から上)が長いのが特徴のように思えます。
 

ダラ・シンのコスチュームについて  投稿者:まいてぃ  投稿日:2009年 4月11日(土)22時43分44秒
  Aokiさんが「ターバン」について書かれていますが、写真は昨日書かせてもらった
ビデオから取り込んだのですが、S30年のダラ・シンは入場時のコスチュームで
「ターバン」を巻いています。(キングコング戦は、入場時の映像が無いですが、
力道山とのタッグ戦、シングル戦ではターバンを巻いて入場しています。)

ビデオの実況では「ピンクのターバン、錦のガウン」と説明されています。
入場時のコスチュームは最新のファイル56にアップされていた「キングコングと
ダラ・シン(?)がレフェリーをはさんで向き合っている写真」と似てると思うので、
自分の見解は、KILLER=CHOTA(30年版)ではないのかと思うんです
よねぇ。(写真では、キングコングが少し膝を曲げているかしてて、極端な身長差が
あるように見えるのではないでしょうか?)

で、2メートルを超えるという話は、写真とは全く別のダラ・シン、もしくは
S30年のダラ・シンが大きく見えていたのでは...



写真はいずれも力道山とのシングル戦のもので、左が入場前のダラ・シン、右が
試合開始前の力道山とダラ・シン。
 

>S30年シンのプロフィール  投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2009年 4月11日(土)18時47分12秒    編集済
  S30年のダラ・シンとS42年のダラ・シンについては、ゴング誌(発刊は確かS43年でしたでしょうか?)では、一貫して「別人説」を採っていたもののようで、増刊「日本プロレス40年史」の中の「来日レスラー全リスト」の中でも、S30年のダラ・シンは初来日、S42年のダラ・シン(別人)も初来日・・と、あっさりと割り切って書かれています。

問題のKillerですが、パキスタンのぺールワン側の記録を調べてみますと、あのゴーラ・シンは400ポンドを超す肥大漢で実力はさほどではなかったようですので、このKillerとは別人のようですが、依然、このkillerは実際には198cmまではなく、身長188cmと言われたS30年のダラ・シンのことなのではないか・・?との疑問が消えません・・。
(プロレス特有の「2インチ・サバ読み」の公称と考えれば、実際には183cmほどだったように思います。)

しかし、問題は「ターバン」です。
「プロレス」ならではの一種のリング・コスチュームと考えれば、それはそれでいいのでしょうが、小生が過去にお会いした大勢のインディアンの方々の中でも「ターバン」を巻かれていたのは実は極めて限られた特定の部族の方のみで、我々日本人も含めて他国人が何となく思っているほど「ターバン」はインディアンの方々の中でも一般的ではないのです・・。

してみますと、ミック博士様のご紹介くださった「キングコングとダラ・シン(?)がレフェリーをはさんで向き合っている写真」のダラ・シン(?)は、やはり、S30年のダラ・シンでなく、それとは別人の「巨人」Killerだった・・とも思えます・・。

因みに、S42年のダラ・シンは、来日時のホテルでの調印式などでは「ターバンもどき」を付けてお洒落しており、明らかにS30年のダラ・シンとは別人のように見えます。
 

S30年シンのプロフィール  投稿者:砧道場  投稿日:2009年 4月11日(土)16時49分55秒    編集済
  あまりにも面白すぎる展開ですね。
沖識名の発言について個人的な感想を書かせて下さい。

沖識名がMSGで見たダラ・シンは、「二代目=CHOTA(30年版)」だと思います。
身長「2m」説について勝手に推測すると・・・

1.気力体力が充実したレスラーは、リング上で一回り大きく見える。
(ペドロ・モラレスは、馬場とのPWF戦や坂口とのワールドリーグ決勝戦の時、そんなに小さく感じられませんでした。)
2.もしMSGでターバン着用でリングインしていたとしたら、さらに大きく見える。
3.沖さんが20年以上の前の記憶をたどって語ったので、思い過ごしがあっても当然。

S50年別冊ゴング9月号には、「特別企画 アジア選手権大会」が掲載。
モノクログラビアと田鶴浜弘先生のレポートでかなり正確にこの大会が再現されています。
本文中に書かれたダラ・シンのプロフィールをそのまま転記してみます。

ダラ・シン
1955年インド・チャンピオン。アメリカにもしばしば遠征し、その最高のテクニックは高く評価されている。
インドの首都ニューデリーでキング・コングの持つ”バラト”と呼ぶタイトルに挑戦してこの年、タイトルを奪った。
スライディング・レッグシザースとかフライング・ヘッドシザーズの鋭さは圧巻だが、いわゆる大げさな身ぶりやどぎつさは無く理詰めの手堅いホールドは確実で威力があり、ことにインディアン・デスロックは必殺の決めわざであった。
188センチ 125キロ
(ここまで)

沖識名は、シンの「太腿のみごとさ」についてもコメントしてます。
このゴングのモノクログラビアでは、多くのダラ・シンの写真が掲載されています。
たしかに太腿の両側の筋肉が見事に発達しています。
(私のPCではキャプチャ画像をjpg変換できず、画像添付ができないのが残念です。)
 

ダラ・シン兄弟の写真  投稿者:ミック博士  投稿日:2009年 4月11日(土)07時46分43秒
  マーシャルヒューズ様

初代=KILLER、二代目=CHOTA(30年版)ですね?
この辺、読み名を統一しておかないと、混乱しそうですね。

ガンジー一家と映っているのはCHOTA(30年版)だと思います。
それにKILLERが未来日というのは同意見です。

サーダラはCHOTAの実弟という事だとおもいます。しかし昭和42年には、いわば「ニセモノ」と来日したという事になりそうですが、そのあたりは「ビジネス」と割り切ったんでしょうね。まぁ、このあたりの見解で30年版42年版の同一人物説というのも再浮上しかねないのですが。
 

ガンディーファミリーとダラ・シン兄弟の写真  投稿者:ヘラクレス・マーシャルヒューズ  投稿日:2009年 4月11日(土)00時32分52秒    編集済
  沖識名証言! また凄いものが出てきました。
広げても訳がわからなくなるので、この話題の検証の中でaokiさんが発見された興味深い写真に改めて絞り、そこからわかる事をちょっと考えてみたいと思います。
http://www.showapuroresu.com/file/filep7/54-8.jpg

向かって左から4番目の婦人はインディラ・ガンディー女史。ネルー首相の娘で父死後の1966年に首相となります。その左隣が長男ラジーヴ氏(1944年生)、左端が次男マハトマ氏(1946年生)。右端がインドを代表する俳優となるアミターブ・バッチャン氏(1942年生)。
そしてダラ・シンとその弟のRandhawa(サー・ダラ・シン)。

撮影年代ですが、私は年少のマハトマ氏の幼さから、1958年頃かと見ています。ガンディー母子はいわば当時のインドのロイヤルファミリー。その母子と写真に収まったシン兄弟もかなりの名声を得ていたと思われます。

さて、この写真のダラは55年来日のダラと同一人物という事でいいですよね。来日時の私服でキング・コングらと並んでいる写真のにこやかなダラと顔・表情が酷似しています。今回の件で、写真の比較で同一人物か否かを判断するのが難しいのはよくわかりましたが、これは間違いないでしよう。

ではこのダラは“初代”のkiller、それとも“二代目”のactorでしょうか。
Randhawaとの兄として写っているのだから、二代目と考えるのが妥当でしょう。身長も、女性や少年と並んでいるので体格は立派に見えますが、2m近くはないでしょう。

二代目は1950年代にも映画にカメオ出演した記録がありますが、本格的な映画出演は1962年以降です。となると、ロイヤルファミリーと共に写真に収まる程の名声はレスリングによって得たものという事になります。年代的に、1957年の旧宗主国イギリスでの実績などが思い当たります。

つまり55年に日本に来た二代目ダラは58年頃には“プロレスで”大きな名声を得、その後は70年代までレスラーも続けながら、俳優としても大成功し、政界にも進出した。この輝かしいキャリアに入れ替わりが入り込む余地はないでしょう。

ただし、67年に日本に来たダラが初代でも二代目でもない、現時点でまったく正体不明の別人だった可能性はあると思います。おそらく流智美氏などはその見方なのでしょう。私は周辺事情から同一人物かと思ってますが。

いずれにしろ、初代の存在は衝撃的でまた劇的な発見で、更に興味深い記録が出てくる可能性はあるかとは思います。年代が微妙ですが、沖識名氏の証言もそのひとつかも知れません。
しかし、初代は二度の来日には無関係ではないか・・・と思ってます・・今のところ(笑)
 

>やっぱりおかしいですね  投稿者:ミック博士  投稿日:2009年 4月10日(金)22時18分23秒    編集済
  ルーター電子レンジさん、ありがとうございます。
オキさんのコラム、要点を付いていますねぇ!

1.30年版と42年版は別人
2.MSGに登場したダラ・シンは身長2メートル

惜しむらくはオキさんが昭和30年のダラ・シンを実際に見ていないことですね。オキさんがアジア選手権の時、日本にいれば、すべての問題は解決していたのに!

S49年1月号の別冊ゴングは私も所有していますので、画像をファイルにアップさせていただきます。