第1,2回優勝者 ビル・ロビンソン | 第3回優勝者 モンスター・ロシモフ | 第4回優勝者 ストロング小林 | 第5,6回優勝者 ラッシャー木村 |
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第1回 IWAワールド・シリーズ 昭和43年総当たり制。持ち点10点でスタート、アマレスのバッド・マーク・システムで行われ、負けがマイナス3点、時間切れ引き分けがマイナス1、両者リングアウトはマイナス2点で、持ち点が0になった場合は失格。勝ち残り3名で決勝リーグを行なう。組み合わせ方法は参加選手に無差別の番号を付け、番号順に対戦する。 参加選手 : 豊登、グレート草津、サンダー杉山(日本代表)、ビル・ロビンソン(英国代表)、ジョージ・ゴーディエンコ(カナダ代表)、マイケル・ネイダー(ハンガリー代表)、レイ・ハンター(オストラリア)、ピーター・メイビア(南太平洋代表)、ジョン・ダ・シルバー(ニュージーランド)、レイ・ゴールデン・アポロン(全南米代表)、ジルベール・ボワニー(フランス代表) 予選リーグ(30分1本勝負) ○勝ち(減点なし)、△時間切れ引き分け(減点1)、両者リングアウト▲(減点2)、●負け(減点3) |
決勝リーグ(60分3本勝負) 1回戦 2回戦 3回戦 ロビンソンが初優勝。 総評 : アマレスのバッドマーク・システムを導入した所は、当時の国際のヨーロッパ路線を感じさせるユニークなルール。このルールなら実力のないものは途中で振るい落とされる訳だ。参加メンバーもバラエティーに富んでいて興味深い。特にメイビアの活躍は注目を引いたようだ。ボワニーはロームマスク、グラジエイターとして来日、ネイダーはローラン・ボックのパートナーとして来日したミッシエル・ナドール、シルバーは新日本のアジアリーグに来たマジット・アクラである。 |
第2回
IWAワールド・シリーズ 昭和45年 前回優勝のロビンソンがシードされ、外人組5人、日本組5人の対抗総当たりリーグ戦を行ない、各組の最高得点者が対決して、その勝者がロビンソンと優勝を争う。 日本組 : ストロング小林、グレート草津、サンダー杉山、田中忠治、清美川 予選リーグ : 行われていなかった事が判明。 決勝戦 (東京体育館 : 60分3本勝負) ○ ロビンソン(2−1)小林 ● ●ロビンソン(15分22秒
体固め)小林○ ロビンソンが二連覇達成。 総評 : 2年ぶりのワールド・シリーズだったが、メンバーはご覧のとうりの低調で、ロビンソンの2連覇は当初から予想できていた。しかしロビンソンはリーグ戦終了後にサンダー杉山の挑戦を受けロープに逆さ釣りになったままカウントアウトとなり、IWA世界王座から転落するというおまけが付いた。予選については、「昭和プロレス・マガジン12号」製作中の調査で、開催されていなかったことが判明した。 |
第3回
IWAワールド・シリーズ 昭和46年 総当たり制。組み合わせ方法は参加選手に無差別の番号を付け、番号順に対戦する。 持ち点7点でスタート、アマレスのバッド・マーク・システムで行われ、負けがマイナス3点、時間切れ引き分けがマイナス1、両者リングアウトはマイナス1.5点で、持ち点が0になった場合は失格。上位3名で決勝リーグを行なう。決勝リーグも予選と同じ減点法を採用。 参加選手 : サンダー杉山、グレート草津、ラッシャー木村(以上日本)、ビル・ロビンソン、シーン・リーガン(以上英国)、カール・ゴッチ(ドイツ)、モンスター・ロシモフ(フランス)、ジャック・クレインボーン(東南アジア)、ドクター・デス(カナダ)、マグナ・クレメント(モナコ)、黒潮太郎(トリニダードトバコ)、バスター・マシューズ(アメリカ) 予選リーグ(30分1本勝負) ○勝ち(減点なし)、△時間切れ引き分け(減点1)、両者リングアウト▲(減点1.5)、●負け、◆不戦敗(減点3) |
決勝リーグ
(60分3本勝負) △ロシモフ(3.5点)[1−1]ロビンソン(2点)△ △ロシモフ(2.5点)[1−1]ゴッチ(2点)△ △ゴッチ(1点)[1−1]ロビンソン(1点)△ 最終的に持ち点の多いロシモフが優勝。 総評 : ゴッチ、ロビンソン、ロシモフの3強の対決が見所だった。予選リーグではゴッチがロシモフをジャーマンで投げきったがメインレフリーが失神しており、サブレフリーが3カウント。しかしこれが認められず呆然とするゴッチをロシモフが一気にフォールした。このレフリーの不手際がなければゴッチが優勝していた。ロシモフの優勝は多分にラッキーだったといえる。 |
第4回
IWAワールド・シリーズ 昭和47年 参加選手を3つのブロックに分けての総当たりリーグを行ない、各ブロックの1位3名と各ブロックの2位による敗者復活の1名で決勝トーナメントを行なう。 参加選手 : ストロング小林、ラッシャー木村、サンダー杉山(以上日本)、ドン・レオ・ジョナサン(アメリカ)、バロン・フォン・ラシク、ホースト・ホフマン(以上ドイツ)、モンスター・ロシモフ(フランス)、ジョージ・ゴーディエンコ(ドイツ)、アリババ・マルスターニ(レバノン)、ティト・コパ(ポーランド)、レイ・ゴールデン・アポロン(トリニダードトバコ)、イワン・バイテン(ベルギー) 予選リーグ (20分1本勝負) ○勝ち(2点)、△引き分け(1点)、●負け(0点) 名前の後の☆は決勝進出、★は敗者復活戦へ |
準決勝戦(20分1本勝負) △ロシモフ(時間切れ引き分け)ラシク△ △小林(時間切れ引き分け)ジョナサン△ 優勝決定戦(60分3本勝負) ○ 小林 (2−1) ロシモフ ● ●小林(体固め)ロシモフ○ 小林が初優勝。 総評 : 第1回以来の強力メンバーを揃えた。特に初来日のホフマンのテクニックは評判を呼んだ。小林が念願の初優勝を遂げたが、決勝戦の内容は完全にロシモフ・ペースで小林はいい所が全くなかった。準決勝と決勝はビデオで見たがジョナサンといいロシモフといい小林を優勝させるためにかなり苦労しているといった感じだ。 |
第5回
IWAワールド・シリーズ 昭和48年 8人づつをA、B両ブロックに分けて総当たりリーグ戦を行ない、各ブロックの最高得点者で優勝決定戦を行なう。 参加選手 : ストロング小林、ラッシャー木村、グレート草津、マイティ井上、寺西勇、アニマル浜口、田中忠治、大磯武、ブラック・ジャック・マリガン、ラーズ・アンダーソン、ムース・ショーラック、ウィリアム・ホール、デール・ルイス、B・ブラッガーズ、グレッグ・ガニア、フリッキー・アルバーツ ○勝ち、☆判定勝ち、□反則勝ち、◇不戦勝(1点)、●★■◆負け、▲両者リングアウト(0点)、時間切れの時はジャッジによる判定。 |
決勝トーナメント (長崎国際体育館 60分1本勝負) ▲草津(両者KO 20分8秒)アンダーソン▲ ○木村(体固め 25分3秒)マリガン● 木村が初優勝。 総評 : それまでのヨーロッパ勢中心のブッキングからAWAルートの外人を集めた第5回は、小林の予選落ち、ラッシャー木村の初優勝など波乱に富んだシリーズとなった。過去5回の中でももっとも日本勢が充実しており、日本人同志の対決も見ごたえ十分だった。決勝戦の草津−アンダーソン戦にマリガンが乱入するなど昭和ならでわの展開であった。このシリーズの後に小林はフリー宣言し、猪木、馬場に挑戦するのである。 |
第6回
IWAワールド・シリーズ 昭和52年 参加者16人をA、B両ブロックに分けて総当たりリーグ戦を行ない、各ブロックの最高得点者で優勝決定トーナメントを行なう。 参加選手 :ラッシャー木村、グレート草津、マイティ井上、寺西勇、アニマル浜口、鶴見五郎、大位山勝三、剛竜馬、マッドドッグ・バション、ジプシー・ジョー、ジョニー・クイン、クルト・フォン・ヘス、キューバン・アサシン1号、2号、ジャック・クレインボーン、稲妻二郎 |
Aブロックは ラッシャー木村が決勝進出。Bブロックは1位のジョーと2位の井上が負傷で決勝進出放棄のため、同率2位のバションが決勝進出 優勝決定戦 (60分1本勝負) 蔵前国技館 観衆8200人 ○ 木村 (逆エビ固め 16分9秒) バション ● 木村が2連覇達成。 総評 : ファンの要望に応え、実に4年ぶりに開催されたIWAワールド・シリーズだが、メンバーはかなり地味。外人はすべてラフファイターで、テクニシャン・タイプがいない為、試合の変化がなかったようだ。この現象は50年代の国際の最大の欠点であった。Aブロックでは、エースの木村が見事全勝で決勝に進出。Bブロックは大混戦となり、ジョーと井上が棄権(これは前回の草津−アンダーソンと同じパターン)というハプニング。しかしこの試合は、なぜか優勝決定戦の日に組まれており、以前から指摘されていた、国際プロフロントのマッチメークのまずさが露呈した。 |