第7回優勝者 アブドーラ・ザ・ブッチャー   第8回優勝者 ジャンボ鶴田

 

 

第6回 チャンピオン・カーニバル 昭和53年

参加選手全員による総当たりリーグ戦で、得点上位2名により決勝戦を行なう。公式戦は30分1本勝負。

参加選手
ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、グレート小鹿、大熊元司、ロッキー羽田、ザ・デストロイヤー
大木金太郎、キム・ドク
アブドーラ・ザ・ブッチャー、ドン・レオ・ジョナサン、キング・イヤウケヤ、テッド・デビアス、ブラック・テラー、ルーク・グラハム、フランク・モレル

○ フォール・ギブアップ勝ち 、☆ リングアウト勝ち 、□ 反則勝ち 、◇ 不戦勝・・・ (2点)
△ 時間切れ引き分け ・・・ (1点)、▲両者リングアウ 、●★■◆あらゆる負け ・・・(0点)

 

 

※ 大木−ドクはドクが棄権、大木が不戦勝

優勝決定戦 : 60分1本勝負 (宮城県スポーツセンター 観衆5000人)

☆ 馬場 ( リングアウト 11分59秒)ブッチャー ★

馬場が2年連続、5回目の優勝。

解説
 春の本番、チャンピオンカーニバルも回を重ねる事6回目を迎えたが、メンバーはブッチャー、イヤウケヤ、デビアスと以前参加した選手が多く、初参加のジョナサン、テラー、グラハムにしても日本には何度も来ているし、初来日のモレルはご覧のような木偶の坊で、全くのフレッシュさに欠け、マンネリ化が目立ってきてしまっている。
 さらに決勝での馬場VSブッチャーというカードは2年前の第4回と同じカード。前年の準決勝もこのカードだった。
 日本側に目をむけると、当時売り出しの羽田が初参加で期待を持たせたが、2勝どまりという不振。極道コンビは相変わらずの白星配給係。デストロイヤーも失点が多く衰えを見せはじめた。鶴田はまだ詰めの甘さが目立った。

 

第7回 チャンピオン・カーニバル 昭和54年

参加選手全員による総当たりリーグ戦で、得点上位2名により決勝戦を行なう。公式戦は30分1本勝負。

参加選手ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、グレート小鹿、大熊元司、ロッキー羽田、ザ・デストロイヤー、大木金太郎、石川隆志
アブドーラ・ザ・ブッチャー、キラー・トーア・カマタ、ディック・スレイター、ドス・カラス、マリオ・ミラノ、ビリー・フランシス、ドン・ミラノ、ビッグ・レッド

○ フォール・ギブアップ勝ち 、☆ リングアウト勝ち 、□ 反則勝ち 、◇ 不戦勝・・・ (2点)
△ 時間切れ引き分け ・・・ (1点)、▲両者リングアウト 、●★■◆あらゆる負け ・・・(0点)

 

優勝決定戦 : 60分1本勝負 (秋田県立体育館 )

▲ 鶴田 ( 両者リングアウト 23分45秒)ブッチャー ▲

延長戦
○ ブッチャー(体固め 2分11秒)鶴田 ●

ブッチャーが2回目の優勝。

解説
 この年のカーニバルはなんと言っても鶴田の大活躍が目を引く。馬場を抑えブッチャーと同点で決勝進出。しかしながらブッチャーの壁は厚く、両者リングアウトの後の再試合であっさりフォールされて涙をのんだ。
 ほかには最後のカーニバル参加となったデストロイヤーの活躍が目を引く。一方、大木は両者リングアウトを連発、一時期はエースであったカマタはまったくの不調であった。

資料提供 : 池田 祐介様

 

 

 

第8回 チャンピオン・カーニバル 昭和55年

参加選手全員による総当たりリーグ戦で、得点上位2名により決勝戦を行なう。公式戦は30分1本勝負。

参加選手
ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、タイガー戸口、グレート小鹿、大熊元司、ロッキー羽田
アブドーラ・ザ・ブッチャー、テリー・ファンク、ディック・スレイター、レイ・キャンディ、テッド・デビアス、ミステリアス・アサシン、カール・ファジー

○フォール、☆リングアウト、□反則=各2点、△時間切れ=1点、▲両者リングアウト、●★■◆あらゆる負け=0点

  

 

優勝決定戦 : 60分1本勝負 (福岡九電記念体育館 )

○ 鶴田 ( 原爆固め 23分45秒)スレーター ●

鶴田が初優勝。

解説
 テリー率いるファンク軍団とブッチャー軍団の全面抗争で人気を呼んだ。熾烈なデットヒートの結果、第2世代の鶴田とスレーターが同率で首位となり、スレーターを下した鶴田が念願の初優勝を果たした。世代交代と騒がれたが、馬場はエースの座を鶴田に譲ったのはずっと先のことであった。

 

 

第9回 チャンピオン・カーニバル 昭和56年

参加選手全員による総当たりリーグ戦で、最高得点者が優勝。公式戦は30分1本勝負。

参加選手

ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、タイガー戸口、プリンス・トンガ、石川隆志、ロッキー羽田、グレート小鹿、大熊元司
アブドーラ・ザ・ブッチャー、ブルーザー・ブロディ、ジャック・ブリスコ、キラー・ブルックス、ジ・アベンジャー、ウェイン・ファリス

○フォール、☆リングアウト、□反則、◇不戦勝=各2点、△時間切れ=1点、▲両者リングアウト、●★■◆あらゆる負け=0点

 

 

馬場が6回目の優勝

解説
 ブッチャーは第4回から6年連続の参加。ブロディー、ブリスコの初参加も注目を集めたが、なんといっても焦点は2年連続で優勝を逃した馬場の盛り返しであった。
 最終戦でブロディをフライング・ボディ・シザーズで沈め、馬場健在をアッピールした。シリーズ終了後にインターナショナル選手権王座決定トーナメントが行われた。

 

 

第10回 チャンピオン・カーニバル 昭和57年

参加選手全員による総当たりリーグ戦で、最高得点者が優勝。公式戦は30分1本勝負。

参加選手

ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、阿修羅原、石川隆志、佐藤昭夫、マイティ井上、プリンス・トンガ、ロッキー羽田、グレート小鹿、大熊元司、
ブルーザー・ブロディ、ビル・ロビンソン、モンゴリアン・ストンパー、テッド・デビアス、アレックス・スミルノフ、バック・ロブレイ、ビル・ハワード

○フォール、☆リングアウト、□反則、◇不戦勝=各2点、△時間切れ=1点、▲両者リングアウト=0点

 

 

馬場が7回目の優勝

解説
 10回目を記念してかやたら参加者が多かった。外人ではブロディーが連続参加。ロビンソンは遅すぎた初参加。日本勢ではメインエベンターに成長した天龍に注目が集まった。
 下馬評ではブロディと鶴田にデビアス、ロビンソン、馬場、天龍がどう絡むかが注目されたが、最後は馬場が1点差で優勝。世代交代の道は遠いことをファンに感じさせた。
注目すべきはデビアスがようやく大物の扱いを受けるようになったことと、天龍の急成長である。ロビンソンは衰えを隠せなかった。
 大熊と小鹿、石川と佐藤はタッグパートナー同士ということで対戦を放棄。全日本プロならでわの処置であった、原は前半はケガで欠場。途中から試合には出ていたが、リーグ戦は全試合放棄している。この年でリーグ戦形式のカーニバルはいったん終了した。

資料提供:プロレスアワー様、JOE HOOKER SR様