アジア選手権大会 (昭和30年 11月8日〜22日)
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シングル部門 参加選手 力道山(日本)、キング・コング(シンガポール)、ダラ・シン(インド)、タイガー・ジョキンダー(マレーシア)、サイド・サイプシャー(パキスタン) ルール 7分6ラウンド3本勝負。場外10カウント、反則5カウント、投げて身体が離れた相手には攻撃を加えてはいけない(ヨーロッパ・スタイル)。
力道山が全勝優勝。アジア・ヘビー級初代選手権者となる。 タッグ部門 参加チーム 力道山&ハロルド坂田組、キング・コング&タイガー・ジョキンダー組、ダラ・シン&サイド・サイプシャー組、東富士&遠藤幸吉組、駿河海&豊登組 ルール 61分3本勝負。その他はシングルに同じ。
コング&ジョキンダー組が初代アジア・タッグ選手権者チームとなる。 解説 日本で開催された初めての国際リーグ戦である。日本プロレスを設立してわずか2年でこの様なリーグ戦を開くまでに至った力道山のプロモーターとしての手腕と情熱には驚かされる。そもそもこのリーグ戦は一度本決まりになったルー・テーズの保持する世界選手権への挑戦が中止になったため、その埋め合わせのために行われたとも、世界選手権挑戦への格付けのため力道山が自らアジア王者になるために開催されたとも言われている。 シングル部門は星取り表をご覧になればお分かりのように力道山が全勝で優勝し、予定通り(門氏的表現ですが・・・)アジア・ヘビー級の初代王者となった。ちなみにこのタイトルはNWAは全く認めていなかった、言わばお手製のタイトルであった。 タッグ部門は後のワールドリーグ戦と同じくリーグ戦なのに総当たり制ではなく、優勝チームの決定基準が不明瞭である。星取り表をみて頂ければ解るが、同点のコング組とシン組が闘っていない。通常ならこの両チームが闘ってシン組が勝ちなら同点決勝となるべきである。それ以前に各チームの試合数もバラバラである。いくら日程がきついとはいえ、これは如何なものか。この悪しき伝統はワールドリーグ戦に移行してもしばらく続くのである。 |