日本人全レスラー名鑑 ワ行

 

 

若松 市政 わかまついちまさ 
●180センチ、95キロ
●1942年1月1日 北海道芦別市出身
本名同じ。中学卒業後に電気技師の資格を取り技術系の仕事に8年間勤務していたが、突然「体を鍛える」と港湾荷役夫となる。昭和48年に国際プロレスの資材部に入社。ここで業務の傍らトレーニングに参加し、昭和48年10月にレスラーとしてデビューしたという変わった経歴の持ち主。レスラーとなってからもレフェリー、リング輸送など進んで会社の為に尽力したという人格者。国際プロレス崩壊後はカルガリーでマネージャーとなる。まじめなレスラーという印象があったので、マシーン軍団をあやつる将軍KYワカマツに変身した時には非常に驚いた。現在は芦別市の市会議員。

 

輪島 大士 わじまひろし 
黄金の左 ●185センチ、125キロ
●1948年1月11日 石川県七尾市出身 ●ゴールデン・アームボンバー
本名は輪島博。日本大学相撲部で2年連続学生相撲で横綱となり、昭和45年にスカウトされて花籠部屋に入門。わずか3年で学生相撲出身者初の横綱となる。14回の優勝など輝かしい成績を残して昭和56年に引退し花籠親方を襲名するが、年寄株をめぐる金銭トラブルで廃業。昭和61年に全日本プロレスに入団しファンを驚かせた。プロレス転向後も格闘家としての才能の片鱗を見せNWA世界選手権にも挑戦するチャンスを与えられたが、やはり年齢的なハンディもありタイトル獲得はならず。昭和63年12月に突然引退。ボクシングの元世界チャンピオンでいとこの輪島功二とともにユニークなキャラクターでテレビタレントとしても人気を呼んでいる。しかし相撲協会との確執もあるだろうが、やはり偉大な横綱としての再評価に期待したい。

 

渡辺 貞三 わたなべていぞう 
●168センチ、93キロ
●1930年11月29日 東京都出身
柔道からの転進組。創成期の日本プロレスでは貴重な戦力として活躍したが、昭和30年ごろに単身メキシコに渡り、後に木村政彦、清見川らと合流。中南米をサーキットした後、モロッコにわたり外人部隊の教官となって柔道を教えたという。