日本人全レスラー名鑑 イ、ウ、エ

 

飯田 敏光 いいだとしみつ 
●187センチ、87キロ
●1950年9月6日 静岡県清水町出身
 
ボディビルからプロレスに転身したレスラーで、昭和45年3月25日に日本プロに入門。長身を見込まれ期待されたがすぐにプロレスを廃業してプロ野球に転向した変わり種。 プロ野球でも大洋ホーエルズから太平洋クラブライオンズに移籍して一年でクビになりあまり活躍できなかったようだ。(情報提供:あtろ氏)

 

飯塚 孝之 いいづかたかゆき 
●183センチ、105キロ
●1966年8月2日 北海道室蘭市出身
●IWGPタッグ
高校卒業後に新日本プロレスに入門し1986年にデビュー。平成に入り馳浩とともにロシアにサンボ留学し、帰国後いきなり長州力とのコンビでIWGPタッグ選手権を獲得するが、以後伸び悩む。しかし野上彰とのJJジャックスを結成し注目を浴びた。チーム解散後は、ふたたび中堅に甘んじていたものの、平成11年にUFOとの抗争で3度脚光を浴びた。若手のコーチ役もつとめたが、2008年からはスキンヘッドにヒゲをたくわえヒールに転向しようやくブレイクした。現在は飯塚高史。

 

石川 敬士(隆士) いしかわたかし フリー → 全
●180センチ、110キロ
●1953年2月5日 山形県東田川郡藤島町出身 ●相撲タックル
●WWC北米タッグ、アジア・タッグ
本名は石川孝志。元大相撲花篭部屋の大ノ海。昭和52年10月にプロレス転向。全日本プロレスのルートでプロレス入りするが、デビュー当時は全日本に加入しないフリーな立場であった。ジャイアント馬場の計らいでパット・オコーナーのコーチを受け、その後全米をサーキット。昭和53年11月の「日本リーグ争覇戦」に参加するために帰国。思い切ったファイトで注目を集めた。その後は全日本プロレスに加入。佐藤昭雄と組んでのアジアタッグ獲得など中堅の地位を確保する。輪島がプロレス転向してからはパートナーを勤めたが昭和63年12月に引退。その後、復帰しSWS旗揚げに参加している。新東京プロレスも設立したが、現在はプロレス界から離れビル管理会社を経営していると言う。 サイン

 

市川 登 いちかわのぼる 旧全
●168センチ、87キロ
●1916年2月2日 静岡県沼津市出身
山口利夫率いる旧国際プロのレス中堅で、ほかのメンバーと同じく柔道出身(5段)。昭和27年にプロレスに転向した古参レスラー。小兵であったため、大した活躍はしていない。

 

伊藤 正男 いとうまさお 日 → 全
178センチ、120キロ
●1948年12月9日 北海道樺戸郡出身
インターナショナル・ヘビー(テネシー版)
大相撲出羽の海部屋から日本プロレスに入門。日本プロレス崩壊後は全日本プロレスに合流。前座、中堅で地道に活躍するが、昭和56年に念願の長期海外遠征。西ドイツを振り出しにテネシーからカナダなどをサーキットし、テネシー地区ではインターナショナル選手権を獲得する活躍を見せた。しかしそのまま二度と日本のマットに立つ事はなく、消息が聞かれなくなった。

 

伊藤 正治 いとうまさはる 
●177センチ、86キロ
●1951年12月10日 宮城県出身
新日本プロレス創成期に入門したレスラー。グラン浜田あたりと同期に当たるが、デビューまもなく首を痛めて引退。引退後は新日本プロレスに営業部として残留。ジャパン・プロレスの旗上げにも参加している。

 

井上円蔵 → マイティ井上を見よ

 

井上末雄 → マイティ井上を見よ

 

猪木完至 → アントニオ猪木を見よ

 

 

上田 馬之助 うえだうまのすけ 日→全→フリー 
●まだら狼 ●190センチ、118キロ
●1940年6月20日 愛知県海部郡出身 ●腕固め
●NWA世界タッグ(テネシー版)、NWA世界ジュニア・ヘビー、インターナショナル・タッグ(日本プロレス、全日本プロレス)、IWA世界ヘビー(国際プロレス)、NWA認定北米タッグ、アメリカスタッグ
本名:上田裕司。大相撲からの転向で、190センチ、118キロと体に恵まれ前座で頭角を表わす。アメリカ遠征時はグレート・イトーのリングネームで各地を転戦し悪党人気を集める。2度目の渡米ではダニー・ホッジからNWA世界J・ヘビー級選手権を獲得している。昭和45年に帰国し日本に定着するが、昭和46年のクーデターでは計画を選手会に密告したと言われている。日プロ崩壊後は全日本プロレスに参加するがすぐに脱退し、再渡米。昭和50年に馬場、猪木、木村に挑戦状を叩き付け話題を呼ぶ。頭髪の一部を染め「まだら狼」のニックネームで、タイガー・ジェット・シンとの凶悪コンビでファンの憎悪を買う。セメントには強かったと言われている。1996年に交通事故に遭い、現在は車椅子で生活している。サイン1サイン2サイン3

 

上田裕司 → 上田馬之助を見よ

 

梅田 源治 うめだげんじ 
●170センチ、82キロ
●1936年5月2日 群馬県出身
柔道の出身で、大阪を本拠にした創製期のインディー団体 東亜プロレスに入門。全日本選手権のライトヘビー級部門に出場しているが、芳の里に敗退。

 

ウルトラ・セブン
●177センチ、105キロ
●1955年6月17日 神奈川県出身
昭和57年に全日本プロレスに高杉正彦が連れてきたマスクマンだが、リングで戦ったウルトラセブンの正体は高杉であり、正体を隠すために記者会見の時には別人がマスクをかぶり一芝居うったという訳。新日本プロレスのタイガーマスクに対抗しようとしたと思われるが、ファンの熱烈な支持は得られなかった。

高杉正彦の項も見よ。

 

 

 

エル・アキ
国際プロレスの昭和46年ビッグ・ウインター・シリーズ12月11日の川崎市民会館大会に出場した覆面レスラーで、ボディビルダー温井国昭が正体。調布市にジムを経営しており、柔道5段、アマレス5段の猛者で、アマレス界とボディビル界の国際プロレスの繋がりから、一時期国際プロレスに関係者として入り、覆面を被ってエル・アキという名前で試合をしたという。(情報提供:人間台風2世様)

 

永源 遙 えいげんはるか →日→新→ジャ→全
●法界坊 ●178センチ、110キロ
●1946年1月11日 石川県鹿島郡出身 頭突き
NWA世界タッグ(カンサス版)、IWA世界タッグ(国際プロレス版)

中学を卒業後、大相撲の立浪部屋に入門するが猪木の東京プロレス旗揚げを聞き相撲を廃業して入門。東プロ崩壊後は、猪木の付き人だったこともあって、猪木の手引きで日本プロレスに入団。もみ上げを伸ばしたユニークな風貌で人気者となる。アメリカ修行時代はグレート・トーゴーを名乗り、安達(ミスター・ヒト)とのコンビで中西部タッグ選手権を獲得している。昭和48年に坂口を頼って新日本プロレス入り。デビュー戦の相手であるラッシャー木村と同じく、UWFを除く、昭和のすべての団体に出場した。後輩選手からの人望は厚い。つばパフォーマンスで人気を呼ぶ。平成18年ついに引退。

 

遠藤 幸吉  えんどうこうきち 
●180センチ、125キロ
●1926年3月4日 山形県東村山郡出身 ドロップキック
●NWA世界タッグ、太平洋岸タッグ

プロ柔道を経て日本プロレス旗揚げに参加。力道山のパートナーとして活躍しシャープ兄弟から世界タッグ選手権を獲得。ドロップキックの名手として人気を博す。しかし年を追うごとに脇役へと追いやられ、力道山と反目する。力道山の死後はトロイカ体制の一角を占め取締役経理部長のポストを堅持。多くの不正を重ねたといわれ、昭和46年のクーデター未遂の時には名指しで批判された。昭和44年からはNETの解説者となり「迷」解説を披露した。猪木−ルスカ戦をはじめとする異種格闘技戦数試合でレフェリーも務めている。現在も健在。