火の玉小僧よ永遠なれ!吉村道明追悼グラフ
昭和26年相撲で国体優勝 |
昭和32年駿河海から日本ジュニア・ |
日本プロレス移籍後は力道山のパートナーとしても活躍。 | 豊登とのコンビでアジアタッグ初戴冠。 |
馬場とはアジア、インターの |
マツダともアジア・タッグを獲得 |
キム・イルとのベルト姿 | 猪木の日プロ初戴冠は吉村と組んでの |
最後のパートナー坂口と |
この表情を見よ! |
最後のアジアタッグ選手権で付き人 |
引退試合では回転エビ固めでルーベン・ファレスを丸め込んだ。 |
吉村道明(本名同じ=よしむら・みちあき) 大正15年9月19日岐阜県岐阜市鍵屋東町出身。14歳で海軍志願兵となりシンガポールに駐留。上等兵曹で終戦を迎える。復員後近畿大学に入学、相撲部に所属し学生横綱となり、国体でも優勝。昭和29年に全日本プロレス協会に入門。昭和31年の階級別日本選手権のジュニア・ヘビー級部門で準優勝。その実力を力道山に買われて日本プロレスに移籍。昭和32年4月には念願の日本選手権を獲得。以後力道山、豊登、ジャイアント馬場、アントニオ猪木といったその時代のエースたちのタッグパートナーとして活躍。流血しながらも相手に特攻する姿から「火の玉小僧」「闘将」と呼ばれる。そのレスリングテクニックとセンスは卓越しており、昭和36年に初来日したカール・ゴッチと唯一レスリングで互角に渡り合ったほどの実力者であった。アジア・タッグは豊登、マツダ、馬場、猪木、キム(大木)、坂口とパートナーを変えながら通算7年間に渡って保持した。昭和48年3月3日に母校近畿大学記念館で引退。当時は袂をわかっていた豊登、猪木も激励に駆けつけたことからも判るように誰からも慕われた人格者であった。引退後は近畿大学相撲部顧問として後輩の指導に当たった。平成15年2月15日死去。享年76歳。 |