サンダー杉山 追悼グラフ

 

トーキョー・ジョー時代の貴重なショット

 

43年に草津とともに凱旋帰国

  豊登とのコンビで国内初戴冠。

 

45年にはIWA世界選手権を獲得しエースに

 

47年に全日本プロレスに移籍。

  馬場との同郷コンビを結成した。

 

51年には国際プロレスにUターン。

 

52年のIWAタッグリーグでは剛との
コンビで奮戦。

  53年には新日プレ日本選手権に登場。

 

 

サンダー杉山(本名杉山恒治=すぎやま・つねはる)

 昭和15年7月23日新潟県糸魚川市出身。高校時代は柔道部で活躍。明治大学時代にレスリングをはじめ、全日本学生選手権、全日本選手権で優勝。昭和39年に東京オリンピックに出場。翌40年に日本プロレスに入団。将来を有望視されたが昭和41年に国際プロレスの旗揚げに参加。そのまま初渡米、トーキョー・ジョーのリングネームで悪党人気を集める。43年にG草津とともにTBSプロレスのエースとして帰国。同年7月に豊登とのコンビでTWWA世界タッグを獲得、45年5月にはビル・ロビンソンからIWA世界へビー級選手権を獲得。翌年3月にビル・ミラーに敗れるまで9回の防衛に成功した。以後、スランプに陥るが同郷のジャイアント馬場に誘われ全日本プロレスに金銭トレードで移籍、旗揚げメンバーとなる。選手不足の全日本プロレスの貴重な戦力として活躍。テレビの子供番組にも出演するなどマルチタレントとして活躍した。全日本プロレスには50年の第3回チャンピオン・カーニバルまで参加。脱退後には「サンダー杉山エンタープライズ」を設立。51年には古巣の国際プロレスに登場しレスラー復帰。53年には新日本プロレスのプレ日本選手権に出場しトーキョー・ジョー時代を髣髴とさせる悪党殺法で暴れた。しかしこの後糖尿病が悪化、両足を切断しながらも持ち前の明るさで闘病を続けていたが、2002年11月22日、心不全で死去、62歳だった。