シリーズ 日プロ崩壊への軌跡 3 「ジャイアント台風 前編 : 馬場独立の真相」

 

「裏切り者」の猪木を追放した日本プロレスは、猪木に変わるエースに坂口を抜擢し、「猪木の穴をうめるに坂口の人気は充分」と公言して憚らなかった。しかし猪木の新日本プロ旗揚げには大いに危機感を感じ、グレート小鹿、永源遙などを新日本プロのオープンしたばかりの事務所に向かわせ、女性事務員を脅すという蛮行におよんでいる。外人招聘ルート確保への妨害もかなり手厳しいものであった。

「猪木追放により被る被害はわずか!」と高を括っていた日本プロレスに抗議する意外な組織が出現する。中継番組のエースを失ったNET(現在のテレビ朝日)である。「坂口、大木では視聴率が伸びない。ぜひ馬場を出演させよ!」と迫ったのである。NETのテレビ放映参入に際し、独占放映をしていた日本テレビは3つの条件付きでNETの参入を認めていた。それは・・・。

1. ワールドリーグの公式戦は放映させない。
2. 坂口征二は日本テレビ専属とする。
3. 同じくジャイアント馬場も日本テレビ専属とし、NETには出演させない。

しかし47年の時点で1、2の条件はすでにNETのごり押しで破られていた。日本テレビも1、2の条件に関しては、一歩譲りNETと日本プロ幹部の身勝手を黙認していたが、馬場のNET出演だけは断固として厳しい姿勢を見せ、「もし馬場がNETに出演するようなことがあれば、我が社は日本プロレスの放映を打ち切る!」と正式に日本プロに通告している。しかし日本プロの幹部連中は「ワールドのときも、坂口のときも大丈夫だった。今回も脅しに他ならない。日本テレビがプロレス中継を打ち切ることなどありえない…」と、何とも緊張感のない姿勢をとっていた。日本テレビの関係者も馬場に「もし馬場さんがNETに出るようなことになれば、うちとしては日本プロレスの放映から手を引きますよ。」と警告を発している。3月某日に行われた役員会議でNETへの馬場の登場が議題にかかった。日本テレビから忠告を受けていた馬場は自分のNET出演に断固反対したが、多数決により馬場のNET出演はついに可決されてしまう。そして日本プロ幹部の承認の元、NETは馬場の試合を放映する。これには日本テレビも激怒。馬場のNET出演の停止を東京地裁に申請するが、却下される。怒りの収まらぬ日本テレビは契約違反で日本プロを告訴するが、これも話し合いで解決するようにという裁決が下った。5月12日の放送を持って日本テレビは伝統の日本プロレス中継を打ち切った。「日本プロの幹部は常識のある社会人かと思ったが・・・馬鹿負けしました!」といった松根日本テレビ運動部長の言葉がこの紛争のすべてを物語っている。

 

 
遂にNETのブラウン管に登場、三浦アナのインタビューを受ける馬場

 

一般には日本テレビとスポンサーの三菱電機に恩義を感じた馬場が重い腰を上げて独立…という美談になっているが、実際には日本テレビによる馬場への心理作戦が、慎重派の馬場を独立せざるをえない精神状態に追い込んだのであった。日本テレビは馬場の独立を画策するのであるが、馬場へ直接独立交渉する一方で、何と猪木にもテレビ放映の話を持ち掛け、企画書まで提出しているのである。しかし日本テレビには新日本プロ放映の意志はほとんどなかった。新日本プロ放映の噂を立てることにより、馬場を心理的に動揺させるのが目的であったといわれている。後に馬場は親しい記者に非公式とはいえ「猪木を日本テレビに出演させない為に独立した!」と明言しているのである。

日本テレビの全面支援の確約を受け、ついに独立を決意した馬場はサマー・ビッグ・シリーズ中に辞表を提出、独立記者会見を開き関係者を大いに驚かせたのであった…。

日プロ崩壊への軌跡3 後編につづく・・・