2006年10月26日正午過ぎ、ソウル市内の病院で、大木金太郎こと金一(キム・イル)が、77歳の生涯を終えた。
「キム・イル死去!」の第一報は、「昭和プロレス・マガジン」の人気コーナー「人間発言所」でおなじみの存英雄氏からの携帯メールで知った。前日の10月25日には、危篤状態に陥り瞳孔も開いた状態であるとのニュースが流れていたため、そう長くはないかもしれないとは思っていたが、やはり訃報を聞くと悲しいものである。
大木についてはこれまで何度も書いたが、日本のプロレス史を語る上で、欠かせないキーパーソンである。パッと思いつくだけでも、「グレート東郷襲撃事件」の引き金になった「国際プロレス移籍未遂事件」、力道山襲名騒動、バーナード戦での「耳そぎ事件」、日本プロレス崩壊の要因になった新日本プロレスとの合併反対騒動、猪木との涙の蔵前決戦、坂口とのケンカ試合、大山倍達への挑戦騒動、ソウルでの全日本プロレスへの電撃移籍、交通事故に遭い包帯を巻いての激闘、国際プロレス登場そして電撃退団、インター選手権返上涙の記者会見・・・などなど、大木のかかわった「事件」「騒動」は多い。文字通り激動のプロレス人生を歩んだといっても良かろう。
大木は日本プロレス、全日本プロレス、新日本プロレス、再び全日本プロレス、国際プロレス、三度び全日本プロレスと、日本では各団体を転々をした大木は、時にはベビーフェイス、時にはヒールとして活躍、日本のファンに声援を送られたこともあれば、罵声を浴びた時期もあった。そんな大木の日本でのプロレス人生の中でも、語り草になっているのは、なんといっても猪木との蔵前決戦であろう。大木は猪木に頭突きを乱発。猪木はそれに耐え抜き、渾身のバックドロップで大木をフォール。試合が終わった両者は互いに向き合い、見つめあい、抱き合い、そして人目をはばからずリングの上で号泣した。プロレス界の残酷さ、そしてレスラーの友情など、様々な要素が混ざり合った名勝負であった。力道山追善興行でアブドーラ・ザ・ブッチャーと頭突き合戦でブッチャーに悲鳴を上げさせた大木、新日本版第2回ワールド大リーグ戦での坂口との記憶を失うほどの死闘を繰りひろげた大木、キム・ドクとのコンビで馬場&鶴田を窮地に追い込んだ大木・・・あの大木が逝ってしまった。
晩年は頭突きを乱発した後遺症で長期間病床に伏していたことは知っていた。今年2月にはアントニオ猪木、田中敬子未亡人、張本勲氏を代表発起人に都内で行われた「大木金太郎を囲む会」に車椅子ながら姿を見せていたので、まだまだ健在だと安心していたのだが・・・。この時、猪木は「この来日が最後にならないように、こうして出てくることで元気になれば」とコメントしたが、この来日が最後になってしまった。
レスラーの訃報に接するのはいつも辛い。しかし、日本のプロレス界に君臨したリーダーたちの思惑で、日本を追放され、力道山襲名を反故にされた大木の訃報は、一層辛い思いを私に抱かせる。今夜は猪木との蔵前決戦を見ながら、追悼の酒をあおろう。
韓国の虎よ、安らかに眠れ
2006年10月26日記す
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