ファイル58 「ダラ・シンの迷宮」からの脱出!

2013..5.25 

 2009年、「昭和プロレス研究室」および「昭和プロレス・マガジン」において、ダラ・シン別人説についての検証を行なった。

 当研究室の暫定結論と要約すると・・・
 ・ダラ・シンを名乗るレスラーは3人いたのではないか?
 ・日本に来たのはそのうちの2人。

 3人のダラ・シンの経歴は以下のとおり。

 1.KILLER DARA SINGH
 1922年(?)DULCHIPURIA村出身。身長は198cm前後。幼少時代からレスラーとなるが、1951年に殺人罪で逮捕、1955年に釈放された。
 1963年に世界王者になるが引退。80才の時(2002年ごろ)、故郷で逝去。

 2.ダラ・シン(昭和30年版)
 本名はSHRI DARA SINGH。通称CHOTA DARA SINGHもしくはDARA SINGH RANDHAWA。1928年 DHRAMUCAHKIA村出身。身長は185〜188センチ。
 KILLERの投獄中に有名になった。シンガポールで東南アジア遠征中の力道山と対戦。秋には「アジア選手権大会」参加のため、キングコングらと来日を
 果たした。テーズとは親友でレスラーから映画俳優、政治家に転身した。映画に多数出演、インド政府のサイトに紹介されている。
 流氏との文通の中で「力道山に招かれ一度だけ日本に行った」との記述あり。

 3.ダラ・シン(昭和42年版)
 昭和42年にサーダラ・シンと来日。CHOTAによく似ているが別人であることは、多くのファンの証言から間違いはなさそう。経歴は不明。
 1974年頃にトロントに登場したダラ・シンによく似ている。

 この暫定結論を発表する時、筆者が気にかけていたのは、3人目(昭和42年版)のダラ・シンの経絡がまったく不明である点である。
 しかし、研究室の「昭和プロレスファイルNo.46」で、この推論を発表した後に、ユセフ・トルコ氏への電話取材で、「あれは別人」という証言を得られたため、「昭和プロレス・マガジン18号」誌上で、「完結編」と銘打って、3人説を結論としたのであった。
 ここで押さえておいていただきたいのは、KILLERは2メートル近い巨人、昭和30年版はCHOTAの愛称で呼ばれているインドにおける2代目。ちなみにCHOTAとは小さいという意味で、2メートルのKILLERに対比する愛称である。で、昭和42年版は昭和30年版に似ているがトルコ氏の証言などから別人と判断したものの、その経歴は不明という点である。

 2012年7月12日 ダラ・シン逝去(享年83歳)。
 「レスラーの経歴は、訃報で紹介されるの情報が一番正確である」というのが定説である。そこで、youtubeなどで、ダラ・シンの訃報ニュース映像を確認してみた。すると、昭和30年版、昭和42年版・・・つまり、研究室で別人と結論した「二人のダラ・シン」の写真が使われているのである。

http://www.youtube.com/watch?v=8nz_rwE2fFQ

・昭和30年版の外見上の特徴は・・・額はやや広い、眉毛は濃く太い、どんぐり目、唇は分厚い、あごが割れている、胸毛は目立たない
・昭和42年版の外見上の特徴は・・・額は禿げ上がり広い、眉毛は濃いが整っている、目は切れ長、唇は薄い、あごが割れている、胸毛が目立つ

 「似ているが別人」と結論した昭和30年と、昭和42年のダラ・シンだが、前述の通り、インドのニュースではいずれも使われていたのである。考えてみれば、昭和30年と昭和42年といえば、12年の隔たりがある。享年から逆算すると、昭和30年当時26歳前後、昭和42年当時38歳である。 昭和42年来日時は太っていたとあるが、26歳の体型を38歳まで維持するのは難しいであろう。目も経年で細くなる? 額が禿げ上がったのは筆者自身が経験している(苦笑)。

 ここで、もう一度、2009年時点で30年、42年別人説の根拠とした情報をチェック、再検証する。

 ●CHOTAは「力道山に招かれ一度だけ日本に行った」と流氏宛ての手紙に書いていた
 → 流さんい確認した所、原文はone time, I was invited by Rikidozan ,you knowなので、 「力道山に招かれて来日したのは一度だけ」ともとれる?

 ●沖識名氏のコラムで30年と42年に来たのは別人と記載
 → 沖氏はいずれの来日時も日本にはいなかった。30年版をKILLERと思っていたような記述

 ●ユセフ・トルコ氏の証言
 → 本人がブッキングしていないので、本当に別人かどうかは不明?

 もう一度、09年以降に入手したものも含め、30年と42年のダラ・シンの写真を並べてみると・・・

    

     

昭和30年に来日したダラ・シン

     

昭和40年に来日したダラ・シン

     

ダラ・シン死去のニュース(映像、ホームページ)で使用されていた写真

 

 いかがだろうか? 下段左端の写真を基準に考えると、昭和30年来日時と、昭和42年来日時の変化は、12年の歳月が生んだ経年変化と考えるのが自然のような気がする。昭和30年に来日したときは、寡黙な印象がある(ほとんど歯を見せて笑っていない)のだが、昭和42年来日時はかなりサービス精神旺盛になって、笑顔を振りまいている。これは映画俳優としての仕事が増え、また年を取って性格が丸くなったと考えればどうか?

 以上の検証から、昭和30年に来日したダラ・シンと昭和42年に来日したダラ・シンは、やはり当初の研究室の見解どおり「同一人物」だったと結論させていただきます! 

PS:万が一、昭和42年版が別人であるという確固たる証拠(42年版の経歴、本名など)をお持ちの片は、情報連絡お願いします。


【補足】

身長2メートル近いキラー・ダラ・シンの訃報記事を、シンガポールの新聞閲覧サイトでJumboAoki氏が発見されましたので紹介いたします!
こちら