ファイル54 ダラ・シン別人説を追え!

2009.3.27
2009.4.4増補

 

 このサイトのメイン・コンテンツである「来日全外国人レスラー名鑑」の作成に関しては、多くの「疑問」にぶつかる。「昭和プロレスマガジン18号」はワールド大リーグ戦特集号なのだが、その前段として日本初の国際リーグ戦である昭和30年に開催された「アジア選手権大会」について調査を開始していた.。この時、昭和30年「アジア選手権大会」に来日したダラ・シンと、昭和42年「ゴールデン・シリーズ」に来日したダラ・シンに別人説があることを思い出した。別人説の代表的な記述を、ゴングが発売した「ザ・レスラー・ベスト100」から引用する。

「昭和42年6月に日本プロレスのゴールデン・シリーズ後半戦に弟のサー・ダラ・シンとのコンビでダラ・シンを名乗るインド人レスラーが来日しているが、そのダラ・シンは全くの別人」

 が、別人説の根拠はなんだろうか? 別人だとすれば、昭和42年のダラ・シンを名乗って来日したレスラーは何者なのか? という疑問にぶつかった。書籍にも同一人物説、別人説を採っているものがある。

同一人物説・・・「プロレス&ボクシング」67/8号、「馬場と猪木」原康史=桜井康雄著

別人説・・・ベースボールマガジン社、日本スポーツ出版が発行の「プロレス**年史」の来日外人レスラーリスト
       「世界レスラー1000人名鑑」

 別人説がやや優勢。

 もちろん筆者はリアルタイムで、30年版と42年版のダラ・シンを見比べてはいない。残された写真を見る限りでは、別人と断定できないほどよく似ている。さらに、42年来日時の「プロレス&ボクシング」では、12年ぶりを懐かしむダラ・シンのインタビューが掲載されている・・・。このような要素から考え、果たして本当に別人なのか? という疑問がわいたのであった。そこで私は、昭和プロレス掲示板でこの疑問をぶつけた。

 「昭和30年に来日したダラ・シンと、昭和42年に来日したダラ・シンは別人と言う説がありますが、写真を見るとそっくりです。別人説の根拠をご存知の方おられますか?」

 すると、すぐにリアクションが寄せられた。そのほとんどが別人説支持で、同一人物説は少数であった。しかし、別人説を裏付ける根拠はなかったのである。

 それではここで、昭和30年に来日したダラ・シンと、昭和42年に来日したダラ・シンの画像を比較してみよう。

 

   

   

宣伝用写真

 

昭和30年に来日したダラ・シン

 

     

昭和42年に来日したダラ・シン

 

 いかがだろうか? 切れ長の目、割れたあご(笑)・・・しかし、別人だと言われれば、そのような気もするし、同一人物だと言われれば、そのようにも見える・・・。

 09/4/4追記:初稿アップ後、さらに多くの画像を収集し比較したところ、やはり似てはいるが別人のように思える・・・。

 Odabeさんが投稿いただいた、東京スポーツ(九州スポーツ)に掲載された、流智美氏の記事に寄れば、ダラ・シンは映画俳優を経て現在はインド人民党顧問の座にあると言う。しかし、「別人」に関する記述はない。

 そこで、流さんご本人にメールで問い合わせてみた。その返事を要約するとこのようになる。

【引用開始】昭和30年のダラは THESZさんの 親友だったので、私も何回か手紙のやりとりを させてもらいましたが、力道山の招きで一回だけ日本にいけたことを、いつも「生涯最高の思い出」だといっていました。

 THESZさんは、30年のDARAをCHOTA DARA SINGHと呼んでいました。42年のダラは、かれはかれなりに有名なDARA SINGHでした。たしかMANDOUWA DARA SINGHとかなんとかいう名前だったとおもいますが これは確認します。

 30年のDARAは42年より顔が面長で、眉毛がつながっているようなしょうゆ顔。42年のはインド人というよりイタリアンという感じのハンサムな顔で、胸毛が ふさふさしてました。夏のシリーズのごくわずかの期間の特別参加だったので、当時のマスコミは「30年のDARA」とかいたところもかなりありました。トースポはちゃんと暴いたと記憶。【引用終了】

 「1回だけ日本にいけた」というのがポイントである。流さんに寄れば、ゴングの竹内宏介さんも、別人を主張していたとの事。上記の「ザ・レスラー・ベスト100」の記述も、竹内さんの筆によるものだろう。

 この「MANDOUWA」に筆者はピンと来た。というのも、ダラ・シンを検索した際、wikipediaにその本名がDARA SINGH RANDHAWAと記載されていたのを覚えていたからである。そのRANDHAWAの写真がこちら。ちなみにRANDHAWAとは、ヒンズー語で「勇敢な兵士」の意味だそうである。

 

   

若き日のRANDHAWA

 

後年のRANDHAWA

 

インド政府のサイトで
紹介されているSHURI
DARA SINGH

 

どちらかと言えば、昭和42年版のダラ・シンに似ている様に思える。そんな折に、あかしかつら氏からこのような情報が。

「HOOKERの原書のほうに、ダラ・シンとの抗争が煮詰まり、弟ランダワー?と戦うことをテーズが提案したという件があるそうです」

RANDHAWAはダラ・シンの弟? この点、流さんにもう一度確認して見みた。その答えがこちら。

CHOTAとRANDHAWAは、間違いなく兄弟です。これはTHESZさんに 何度も確認しました。
そういえば高円寺のBILL ROBINSONが 2005年2月19日の「スネークピット キャラバン」(17人参加)の席で、ロビンソンのインド遠征の話になり、「DARA SINGHと名乗るレスラーは 複数いた」と語っていました。
ちなみに、THESZさんがLONDONでCHOTA DARA SINGHと 60分ドローの試合をしたのは1957年12月(CHOTAとは、これが初対面)。NWA世界王座を降りたあと、CHOTAの招きで インドに渡り、BOMBAYで CHOTA、RANDHAWAの兄弟と戦ったのは1968年。2度目は1973年でした(このときもCHOTAと戦った)。だから 2代目DARAと初代DARAは 同時期にインドでプロレスラーとして実在していたことになりますね。

DARA SINGH RANDHAWAをキーワードにさらに検索してみると、インド政府のサイトの国会議員紹介にページにRANDHAWAと同一人物と思われる男性がSHRI DARA SINGHとして紹介されていた。そのプロフィールは・・・

・1928年11月29日生まれ
・配偶者の名前 Shrimati Surjit Kaur Randhawa
・1953年 インド・チャンピオン
・1959年 カナダ・チャンピオンのジョージ・ゴーディエンコに勝ってコモンウェルス・チャンピオン
・1968年 ルー・テーズを破り世界チャンピオン
・映画「JAGGA」で最優秀男優賞獲得
・アメリカ・ニュージャージー市の名誉市民

RANDHAWAというのは、奥さんの苗字だったのか!
→ 4/5 ヘラクレス・マーシャルヒューズ氏の書き込みで、これは奥さんの苗字ではないことが判明。

「英語版Wikipediaには『Randhawa』の項目もあります。英語が不得手な私には難解ですが、これは個人ではなくclan(一族)の名称のようで、この一族の著名人の一人としてDara Singhも紹介されています」

1968年にテーズと戦ったと言うのは流氏情報と一致している(世界王座を獲得したかは別として)。

ここまでの情報を整理すると・・・

・ダラ・シンを名乗るレスラーは複数いた
・CHOTAとRANDHAWA(SHRI)は兄弟である
・しかも二人は同時期にインドで活躍していた
・CHOTAは流氏との文通の中で「力道山に呼ばれ一度だけ日本に行った」と書いている
・RANDHAWA(SHRI)は映画スターとして成功
・CHOTAとRANDHAWA(SHRI)共に政治家になっている

以上の情報からの現時点での推測・・・

・昭和30年に来日したのは兄?のCHOTAではないか?
・昭和42年に来日したのは弟?のRANDHAWA(SHURI)ではないか?

SHURI DARA SINGH氏のメールアドレスを確認できたので、現在ご本人に事実を確認中! 果たして連絡を下さるか?
こうご期待!

後編に続く!