ファイル53 新日本プロレス 広島暴動事件!
2008.11.22
昭和プロレスマガジン16号掲載の緊急対談で、HARU一番さんが言及された新日本プロレスの「広島暴動事件」の様子を撮影した写真が、HARU一番さんのフォトライブラリーよりついに発見された。今回はこの写真をもとに「広島暴動事件」を紹介したい。 この暴動事件は、新日本プロレスが引き起こした暴動の中でも、ほとんど語られたことがないといっていい。当時の雑誌を検証しても、暴動に関する記述はない。もしかしたら、新日本プロレスがマスコミに対し隠蔽を依頼したということもあったかもしれない。 しかし、ネットで「広島暴動」と検索してみたら、なんと、新日本プロレスのリングアナウンサーであるケロちゃんこと、田中秀和氏のブログ「ケロぐ」がヒットした。この「広島暴動事件」について田中氏は以下のように書いている。 短時間で、アンドレがリングアウト勝ちしたんですよ。するとね、満員のお客さんが怒りだしちゃって。 07年6月12日付ブログより さて、広島暴動事件とはどのようなものだったのか? 写真を元に検証していこう・・・。 ■生放送時間がなくなり・・・ 暴動が起こったのは、昭和57年3月26日。場所は広島県立体育館。「第5回MSGシリーズ」の第21戦、7500人の超満員であった。この日の試合はテレビ朝日が生中継。メインで猪木VSアンドレ、セミで藤波VSキラー・カーンのMSGシリーズ公式戦、タイガーマスクVSコロソ・コロセッティのシングル戦が組まれていた。街頭に張り出された捨て看板では、「アントニオ猪木対アンドレ・ザ・ジャイアント」が大きな文字で書かれ、この試合が興行の目玉として宣伝され、ファンのお目当てにもなっていた。 さて、試合のほうは、タイガーマスクがコロセッティに勝利を収めた。続いては、セミの藤波とカーンの公式戦。藤波とカーンは、第1回カール・ゴッチ杯争奪戦以来の対決である。ゴッチ杯の決勝では藤波がカーン(当時は小沢)に勝利を収め、ゴッチ杯の初代優勝者となった。その後両者は海外に遠征し、メインエベンターに成長したのである。そんな背景のあった藤波とかーンの試合は、この年のベストバウト候補になる名勝負となり、30分戦い抜いて時間切れの引き分け。広島のファンは大いに熱狂。メインへの期待は固まった。しかし、セミの試合が長引いた為に、放送時間がほとんどなくなってしまった。 |
広島市内に設置された捨て看板 |
にらみ合う両者 | 奇襲をかけるアンドレ |
強烈なバックドロップ! |
ここで生中継は終了 |
■ファンがリングを占拠! そしてメインの猪木VSアンドレ戦。放送時間は残りわずかだ。猪木は真っ赤なガウンで入場。セレモニーの前にアンドレが猪木に襲い掛かる。試合開始早々アンドレが猪木に強烈なバックドロップ。猪木は場外にエスケープしたが、アンドレが場外まで猪木を追いかけ、猪木を場外フェンスに逆さづり。猪木は身動きをとれずリングアウト負け! さらに膝を負傷して、谷津に背負われて退場。試合時間はかわずか1分41秒! 生放送は場外カウントが終わると同時に終了した。 あまりにもあっけない試合に、「生放送に間に合わせる為に八百長したな!」「金返せ!」とファンが騒ぎはじめた。そして、紙くずがリングに投げ入れられる。さらに、一人、二人とリングに上り始めると、他のファンもリングに殺到、そのうちリングはファンに占拠されてしまったのであった。 写真を見る限り、後の暴動のように火をつけたり、イスを破壊したりという混乱はなかったように見える。おそらく、破壊行動や怪我人が出なかったので、マスコミには取り上げることがなかったのではないだろうか。しかし、その後の新日本プロレスの度重なる暴動誘発を予感させるような、広島暴動事件であった。 (撮影、写真提供=HARU一番氏) |
谷津に背負われ退場する猪木 |
リングは完全にファンに占拠された | ファンが去った後のリングは荒れ放題 |