ファイル52 馬場VSローデス 6.25タンパ決戦の謎

2007.10.6

 

 昭和プロレス掲示板には様々な情報が寄せられ、サイトのネタ探しの強力な味方となっている。

 今回も、王者の魂さん、N.M.タダヒコさんから寄せられた情報が、昭和プロレスマガジン3号(オリジナル版)に掲載した謎を解く鍵となった・・・。

 先ずは、昭和プロレス・マガジン第3号に掲載した「馬場VSローデス 6.25タンパ決戦の謎」を全文転載するので、お読みいただきたい。

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 昭和49年6月14日から28日に行われた馬場のアメリカ・サーキットで気になる事件が起こっている。25日に行われたタンパの試合で事件は起こった。この試合は3本勝負で行われ、一本目は16分17秒に馬場が体固め、二本目は5分11秒にローデスが馬場を体固めでそれぞれ破り、迎えた決勝の3本目は7分2秒馬場が反則負けを喫している。しかしこの馬場の反則負けの原因がなんと、猪木に敗れアメリカに再修業に来ていたストロング小林の乱入だったというのである。小林は第一回ワールド・リーグ戦視察のために来日していたWWWF会長のビンス・マクマホンに直談判し、ニューヨーク地区遠征の約束を取り付け5月29日にニューヨークに向かって飛び立って、WWWFエリアをサーキット、6月24日のMSG定期戦への出場も予定されていた。

 しかし馬場もこの定期戦に出場することが決まった事を聞いた小林はMSG出場を拒否し、マクマホンにフロリダへの転戦を志願したのである。小林はこの理由についてインタビューに答えている。

 「今は馬場さんとは会いたくないのです。実は猪木さんと戦った後、馬場さんから全日本プロレス入りを誘われているんです。しかし自分としてはサンマルチノにも挑戦したいし、猪木さんとももう一度やりたいので馬場さんの誘いは断ったんですが、その後も何度も誘われている。だから馬場さんにはニューヨークで会いたくないんです。」

 つまり小林は馬場に勧誘されることを避けるためにフロリダに遠征したのだが、馬場は「小林フロリダにあり」の情報をキャッチし、小林に会うために当初予定にはなかったフロリダ遠征をスケジュールに組み込んだと思われるのである。

 とにかく6月25日馬場はタンパで小林を捕まえることが出来たようだ。別冊ゴング8月号の「ストロング小林の最新アメリカ情報」には「一部には馬場が小林に莫大な金額を提示して全日プロ入りを交渉、小林に断られたと言う噂もある」との記述がある。果たして小林は誘いを断った馬場に負い目を感じ、馬場を救援するためにローデスをイスで襲ったのだろうか?それとも一時的に小林が馬場の説得に折れ、全日本プロレスへの参加を快諾してしまい、デモンストレーションのために、馬場の試合に乱入したのだろうか?

 この試合にはもうひとつ謎がある。「ストロング小林の最新アメリカ情報」で小林の乱入を報じた別冊ゴング8月号のグラビアには、小林乱入の写真がない。果たしてこのようなシャッター・チャンスをカメラマンが撮りそこなうだろうか?また海外情報網を総動員して作成したという「馬場の米マット界サーキット・レポート」なる記事では、小林の乱入には一切触れておらず、「馬場のチョップがレフェリーに誤爆して」反則負けになったとある。さらに先に紹介した「ストロング小林の最新アメリカ情報」には「ロープ越しにローデスを一撃した小林」と言う解説のついた写真が掲載されているが、小林と言われる人物の顔はイスを振り上げた腕に隠れて見えない。

 この男はローデスよりもかなり身長が高く、ローデスの頭がこの男の肩のあたりまでしかない。おそらく190センチ台後半だろうと思われる。当時の小林は猪木戦の写真を見てもわかるように、パーマをあてていたが、写真の人物はヘア・スタイルもポマードでテカテカのオール・バック。この外見にぴったりの人物がいる。フロリダをサーキットしていたパク・ソンである。この写真でイスを振り上げている男はパク・ソンと断定することは出来ないが、筆者には小林には見えないのだ。この写真を紹介している「ストロング小林の最新アメリカ情報」という記事は無記名になっている。どうも不自然な気がしてならない。

 この写真を掲載した「ストロング小林の最新アメリカ情報」では、馬場は「そういえば誰かが飛び込んできて、がたがたしているようだったが、俺のチョップがレフェリーに誤爆したのが反則負けの原因」だと言っているが、それは小林に全日本プロレス入りを断られたために、小林の事を口にしたがらないのではないか?と推測している。小林からの手紙には「ローデスが汚い事をやるので思わず飛び出してしまった、馬場さんに悪い事をしてしまった」と書いていると紹介しているが・・・。

 ちなみに月刊プロレスは、この試合については一切報じていない。これほどセンセーショナルな話題を報じてはまずい理由でもあったのだろうか?まさかとは思うが特派員を派遣していなかったのか?それとも乱入自体がなかったのか?筆者は現段階では乱入したのはパク・ソンで小林はかかわっていないと推測している。一体、タンパのリングで何が起こったのであろうか?皆様の情報提供をお願いいたします!(川口浩探検隊のような結末ですみません。)

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別冊ゴング8月号掲載の写真。
「ロープ越しにローデスを一撃した小林」と明記されている。

  フロリダではコリアン・アサシンをとして
リングに上がっていた小林。

 

 この後、ストロング小林のファンサイト「ストロング・クラブ」の管理人であるKさんに、ストロング小林自身に、このフロリダでの出来事について聞いてもらった。そのときの答えは

「この時期にフロリダにいたのは事実だが、この試合には乱入していないし、試合も見ていない。フロリダには馬場さんを避ける為ではなく、ビンス・マクマホンの指示で遠征した。当時、フロリダの試合がWWFエリアで放送されていたためだ。 馬場とは食事をした。アレンジをしたのはデューク・ケオムカさんだった」というものであった。

 当時、小林はゲーリー・ハートの元で、デストロイヤーそっくりのマスクをかぶり「コリアン・アサシン」を名乗り、パク・ソンとのコンビで発約していた。この事実は、小林自身が最近のインタビューで語っているので、いまさら隠し立てする事実ではない。

 これらの予備知識を頭に入れていただいてから、この動画を見ていただこう。

http://www.youtube.com/watch?v=pxImmp4fNh4

 馬場とローデスの試合にレスラーが数人乱入し、馬場に加勢してローデスを袋叩きにし、試合がぶち壊されているのが良くお分かりだろう。その中にしろ覆面の男が。マニアの方なら気付かれただろうが、ストンピングのモーションがストロング小林そっくりである。そう、この白覆面こそ、ストロング小林である。

 試合もゴングで紹介された「水平打ちのレフェリーへの誤爆」ではなく、レスラーの乱入でぶち壊しとなったのであった。また、筆者がパク・ソンでは? と推測したスーツの男は、どうやらゲーリー・ハートだったようである。

 ストロング小林は、馬場とローデスのタンパ決戦に間違いなく乱入していたのである。しかし、ストロング小林としてではなく、白覆面のコリアン・アサシンとして。しかし、なぜ小林は乱入の事実を否定したのか? 筆者も小林にこの件を直接聞いたが、その答えはやはり記憶にないというものであった。3号を増刷する際、小林の「記憶にない」とのコメントを付記したいと申し出たが、逆に「あの記事は自分を盛上げようとして、ゴングの記者さんが書いてくれたもの。それを暗に否定する内容の記事はあまりありがたくない」という趣旨の連絡を受け、この記事は改訂版では封印したのであった。

 小林はなぜ、この一件を封印したのか? 彼の性格からして、この試合で「ヒール」を演じた馬場に配慮したのではないか? というのが筆者の推測である。動画を見ていただければ分かるように、馬場は完全なるヒールをして、乱入者とともにローデスを袋叩きにしている。アメリカに行けば、日本のテレビ局が試合を収録していない限り、いくら馬場とはいえヒールを演じざるを得ない。これはある意味、日本のプロレスファンの夢を壊す事になる。こういった点を、小林は配慮したのではないだろうか? 小林という人は、そういう人なのだ。その性格が災いして、小林はプロレス界で様々な苦渋を味わったのだともいえよう。