ファイル44 タイガー変身前の佐山がロスに出現?
2004.10.19
今のマスクマンとは違って、昭和時代のマスクマンの正体は、専門誌でさえ分からぬものが多かった。マスクド・スーパースターも正体はチャック・オコーナー(=ビッグ・ジョン・スタッド)だといわれていたこともあるぐらいだ。となれば、海外で活躍していた覆面レスラーに関しては、さらに誤報が多かったのである・・・。 |
トーキョー・ジョー・・・果たしてその正体は? |
ここに紹介した一枚の写真。ロスに登場したトーキョー・ジョーなるレスラーのポーズ写真だ。当時のロスはチャボ・ゲレロを筆頭に、ロディ・パイパー、ツイン・デビルス、ロン・バス、ドクター・ヒロ・オオタ、パク・チュー(木村健吾)、剛竜馬、ゴリアス&ゴールドマンの泥棒コンビ、さらにWWWFからペドロ・モラレス、スーパースター・ビリー・グラハムらが、ゲスト出演するという、最後の繁栄期にあった。そこに現れたのがトーキョー・ジョーという怪覆面である。 トーキョー・ジョーとモラレスの試合のビデオが現存している。そのファイト振りを見ると、グラン浜田のような体格で、あきらかにメキシコ仕込みの空中殺法。力負けしてモラレスには完敗を喫するのだが、途中で掌からくもの巣をモラレスに投げつけるなど、なかなか「日本」を意識したギミックが印象的であった。 このトーキョー・ジョーについて、月刊ゴング昭和53年10月号の「海外ニュース」に以下のような紹介記事が掲載されている。 「ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムに“トーキョー・ジョー”と名乗る覆面レスラーが登場、プロフェッサー・イトウ(上田馬之助)とのタッグチームでイキのいい暴れっぷりをみせた。 熱心なファンの方ならお気づきと思うが、佐山サトルは山口県下関出身で、九州ではない。この時点で佐山説は間違いであることが分かる。当時、メキシコに遠征していた日本人といえば、グラン浜田だが、浜田は群馬県出身。だとするとトーキョー・ジョーの正体は誰か?九州出身でメキシコで修行を積んだ男といえば、肥後繁久である。この肥後は昭和54年に国際プロレスに入団し、人気を博したマッハ隼人との人である。当時、肥後の存在を知る関係者が非常に少なかったのも無理はない。 しかし、後に、マスコミに同一人物とされた佐山と肥後がUWFで同じ釜の飯を食うことになろうとは・・・これもプロレス因縁話のひとつである。 |