ファイル43 独立愚連隊〜鶴見五郎造反事件!

  2004.4.17

 

 懐かしの国際プロレス。末期には全日本プロレス、新日本プロレスに大きく水を開けられた感が否めなかった国際プロレスは、話題づくりには余念がなかった。その中でも末期国際を語る上で欠かせないのが鶴見五郎造反事件である。

 

試合後もなじりあう二人!

 

 事の発端は、昭和54年11月3日の越谷大会。その日、鶴見は所要のために会場入りが遅れると事務所に連絡していた。第1試合が始まった頃に会場入りした鶴見は取り組み表に自分の名前がないのを見て驚いた。当時の国際プロレスは試合に出なければギャラが出ないシステムだったこともあってか、鶴見はエキサイト。会場の隅で試合を眺めていた吉原社長に噛み付く。ファンも驚くほどの剣幕だったという。これを見咎めたのが鶴見の親友で、吉原社長を「オトーサン」と慕う稲妻二郎(ジェリー・モロー)であった。鶴見は「社長に向かってその態度はなんだ!」と鶴見を突き飛ばす。興奮した二人は殴り合いを始めてしまう。

 

 
試合後押さえつけられる鶴見   よってたかって丸坊主に!一種のイジメ?

 

 この顛末を聞いた選手会長のラッシャー木村は鶴見の選手会からの除名を決定。フロントも鶴見の減俸を発表する。これで怒り心頭の鶴見は6日の後楽園大会で本部席にいた吉原社長を殴打。国プロの選手が鶴見を押さえつけて吉原社長を救出。稲妻二郎は鶴見に頭突きを連発、鶴見の額は見る見るうちに真っ赤に染まった。吉原社長は鶴見の試合出場停止を決定した。

 しかし鶴見は髪の毛をかけての稲妻二郎との対戦を要求。鶴見が勝った場合は契約を解除してフリーにしろという要求を突きつけた。そして7日の弘前大会で両者は対戦。レフェリーはラッシャー木村。この試合はテレビでも放送されたが、試合自体は因縁の対戦であるにもかかわらず、荒れない試合になり、両者ともに流血することもなく稲妻二郎の勝利に終わった。カウントスリーが入る瞬間に鶴見の脚がロープにかかったこともあって、鶴見は丸坊主になることを拒否。しかし国プロの若手に抑えられて、遂に丸坊主に。さらに稲妻に胸についていた日の丸マークをもぎ取られ、それ以降、鶴見のコスチュームは青から黒に変わり、胸にはどくろマークがつくようになる。鶴見は「独立愚連隊」となり、外人サイドに加わることとなった。

 以上が、造反事件の一部始終である。愚連隊はこの後、マネージャーにミスター珍、引退していた大位山勝三が加入。日本人ヒール軍団となるわけである。しかしこの鶴見の造反事件はどういう意図があったのか?団体内の活性化ということかもしれないが、造反するのが鶴見ではあまりにも地味すぎた。まぁ、他に派手な選手がいたというわけでもないのだが・・・。それに鶴見を制裁する役になった稲妻二郎もこれを機会にブレイクするかと思われたが、デスマッチの試合内容がこれまた地味で、強烈なインパクトを残すことなく、ブレイクしそこなったのである。結局、誰も得のすることがない結果に終わったのであった。

(この項情報提供:私の彼は左ト全氏)