FILE35 : 華麗なるレスラー一族!パート2

  2007/5/4

 

 レスラー名鑑を製作する際に「あれ?このふたりは兄弟だったの?」などという驚きが多々ありました。そこで「華麗なるレスラー一族!」のリアル、ギミックも含めて紹介します。

家系図の見方

黒実線・・・血縁、破線・・・いとこ、甥、赤色・・・ギミック、青色・・・真偽不明

注意 :現時点で「本物」が定説であってもビジネス兄弟である可能性がありますのでお知りおきください。またメキシコ系のレスラーは親子が多いので、一部のみに限定しました。

 

 

 WWFでマネージャーとして活躍したアーノルド・スコーラン。息子のジョージもレスラーとなったが、父親同様、泣かず飛ばずに終わった。

 

 

 「フライング・スコッツ」の名前でランキングのトップの常連だった兄弟コンビ。弟のサンディーは全日本プロレスに登場したが、ジョージは未来日に終わった。

 

 

 太平洋岸を中心に活躍したスタイガー兄弟は、血のつながりのないギミック兄弟であった。クルトの本名はアーノルド・パストリッヒ、カールの本名はローン・コーレット。

 

 

 怪力レスラーとして有名なミロ・スタインボーンとその息子ディックのスタインボーン一家。ディックが一度来日しただけで、日本にあまりなじみはない。

 

 「ミスター・アメリカ」と呼ばれ、MSGで人気を博したジーン・スタンレーを頂点とするスタンレー兄弟。ジーンとスティーブは実の兄弟(本名はジゴウィッツ)だったが、ボブ(ボブ・メリル)は赤の他人。

  

 

 リッキー・スティンボートはハワイ出身のサム・スティンボートの甥(当初は息子)として売り出したが、実は赤の他人。しかしリッキーの弟として一時期リングに上がったヴィックは、リッキーの実弟であった。

 

 

 兄弟として売り出したストロハイム兄弟だが、実は兄弟ではなくいとこ同士だったという。カールの本名はウォルター・ナンバーグ。クルトの本名はウィリー・ルトコワスキー。

 

 

 ザ・ケンタッキアンズの片割れジェーク・スミスの息子はザ・スネーク・ジェイク・ロバーツ。そして再婚相手の息子がサム・ヒューストン、娘がロッキン・ロビンとしてリングに登場している。

 

 

 プエルトリコ出身のソト兄弟。WWWFエリアでは人気を獲得したが、日本では全くふるわず。ロベルトはマスクをかぶってインベーダーを名乗り、プエルトリコでは絶対的な人気を獲得した。

 

 

 アラバマなどで活躍したリップ・タイラーの弟としてデビューしたのがランディ・タイラーだったが、ランディ本人が来日の際に血縁関係がないことを暴露している。

 

 

 日本ではザ・UFOとして有名なボブ・ダラセーラ。UWFに来日したロッキー・ダラセーラは実弟だと言われている。

 

 

 ダルトン兄弟に関しては非常にややこしい。オリジナルはドン・ファーゴのジャック・ダルトンと、ジーン・スティーブンスのフランク・ダルトンのコンビ。フランクが抜けてジム・バーガスのジム・ダルトン。さらにドン・ファーゴが脱退して、2代目ジャック・ダルトンとして実弟のジャック・バーガスが加入。日本に来たのはこのバーガス兄弟。さらに2代目ジャックが引退してランディー・コーレイ(ムーンドッグス)がランディー・ダルトンとして加入。このコンビも国際プロレスに来日が決定していたが、ランディーの負傷でジムが単身で来日した。

 

    

 

 メキシコでマスクマン「ヘメロス・ディアブロ」としてデビューし、素顔になってからはロスで活躍したアルフレッドとホセのサントス兄弟。チーム名のとおり双子である。

 

 弟のジョーはラッシャー木村との日本で人気を博したが、兄のデビッドは非常に影が薄かった。

 

 

 有名なデビアス親子だが、実は血のつながりはなくテッドはマイクの結婚相手の連れ子である。 

 

 

 太平洋岸や中西部で活躍したトーレス3兄弟。ラモン以外は来日経験があり、いずれも高い評価を得ている。なぜか跡継ぎは出なかった。

  

 

 東海岸一帯で名をとどろかせたトロス兄弟だが、チーム解散後は弟のジョンのほうが圧倒的に有名になった。新日本プロレスで兄弟タッグが再現されかかったが、クリスが途中帰国し充分な活躍は出来なかった。

 

 

 日本ではカリプス・ハリケーンで有名なサイクロン・ニグロの実弟として紹介されていたバディ・モレノ(オマール・アトラス、オマール・ニグロ)だが、実は異母兄弟で、ハリケーンの本名はラモン・エドラルド・ロドリゲス、モレノの本名はオマール・ミハレスである。

 

 

 1960年代に活躍したネルソン兄弟は赤の他人。スタン・ネルソンのスタン・ホーレックはスタン・リソワスキーと同一人物。リソワスキーとも血縁はなかった。

 

 

 カナダのカルガリーを本拠にするハート一家。スチュを頂点にその7人の息子、2人の娘婿とその息子と娘、さらに甥がレスラーという超巨大勢力を誇っている。

   

 

 ブラック・タイガーとしてブレイクしたローラーボール・マーク・ロッコの父親はイギリスの名選手ジム・ハジー。ロッコも一時期はジム・ハジー・ジュニアとしてリングに上がっていた。

 

 

 「狂犬」モーリス・バションと弟ポール(ブッチャー)のコンビはAWA世界タッグを獲得した名コンビ。その妹のヴィヴィアンもプロレスラーとして活躍。兄とは似つかない美人だった。そのヴィヴィアンと結婚したのがバディ・ウォルフ(レス・ウォルフ)であった。ポールの娘もルナ・バションとしてリングに上がっている。

  

 

 パーシー、ウッドロー、フレッド(=サム写真左)、ボビー(左から2番目)、ドン(右から2番目)、ロン(写真右)のバス5兄弟はテネシー、アラバマ一帯で誕生したビジネスブラザーズで4兄弟というのはビジネス・ブラザーズにおける最多記録ではないだろうか?この兄弟は弟になるにしたがって実力が上がっていった。

   

 

 1960年代前半にニューヨークで活躍したルートレッドのバスチェン兄弟は風貌はよく似ていたものの、血縁関係はなかったようだ。ルーはルー・クレインのリングネームで来日している。

 

 

 初代ザ・アサシンズの正体として有名なロッキー(日本ではラリー)とジョーのハミルトン兄弟は、素顔ではじめてそろって来日した。日本にやってきたザ・アサシンズは、ジョーとジミー・バーグ、トーマス・リネストウのコンビであった。国際プロレスにやってきたビリーはハミルトンの名声にあやかった偽兄弟であろう。

  

 

 WWWFやWWAで活躍したバリアント兄弟は3人とも赤の他人。ジョニーはジョン・L・サリバン、ラリーはガイ・ミッチェルの変身である。

  

 

 ジャッキーとドンのファビュラス・ファーゴ・ブラザーズがオリジナルのファーゴ兄弟。ジャッキーはテネシーでサニー・ファーゴ、ジョーイ・ファーゴ(ルイ・チレ)と、ドンはNWFでグレッグ・バレンタインをジョニー・ファーゴに改名させて、それぞれファーゴ・ブラザーズを名乗った。ジャッキーの息子ランディもレスラーとなり親子コンビを組んでいる。またレイ・スチーブンスはジャッキー・ファーゴの弟であると、「ゴング世界レスラー1000人名鑑」に明記されているが、海外サイトではそのような記述は見られない。

2009年追記 : ジャッキー・ファーゴとサニー(ソニー)・ファーゴは本名が同じファーガットで本当の兄弟の可能性がある事が分かった。

     

 

 日本のファンがレスリング一家と聞いてパッと思い浮かぶのはこのファンク一家だろう。父はジュニア・ヘビーで、2人の息子はヘビー級で世界王座を制した。三男と称して登場したジミー・ジャックは、ジェシー・バーの変身で血縁関係はない。
   

 

 イギリス出身で後にカルガリーで活躍したジョン・フォーリーの弟は、高田伸彦とカルガリーで戦ったモヒカン頭のオーソル・フォーリーである。

 

 カナダ出身のブルドッグ・ボブ・ブラウンとルーク・ブラウンはいとこと言われたが、これはビジネス上の設定だったようである。またボブの息子として売り出したケリー・ブラウンはいとこ。ボブ・ブラウン・ジュニアというレスラーがいるようだが、これは赤の他人とのこと。

  

 

 賢兄愚弟のサンプルと言われるブラジル兄弟だが、兄弟であることを公表していたのは日本だけのようで、アメリカでは敵味方に分かれて抗争を展開している。

 

 

 ハワイのドンと言われたエド・フランシスの息子ビリーもレスラーとしてデビュー、全日本プロレスに2度来日したが大成せずに終わった。

 

 

 オクラホマの麒麟児といわれたブリスコ兄弟は、兄はヘビー級、弟はジュニア・ヘビー級でNWA世界王座を制覇したサラブレッド兄弟である。跡継ぎが出なかったのが残念。

 

 

 AWA地区で活躍したラリー・ヘニングの息子はカート・ヘニング。父親がなしえなかったAWA世界王座を制覇したが、そのときにはAWAの価値は下落していた。

 

 

 日本遠征中に死亡したルイス・ヘルナンデスの遺志をついでレスラーになった息子のジノも志半ばにして病死。エリック一家同様悲劇の一家である。

2009年追記 : ジノはルイスの妻の連れ後であることが判明。