ファイル31 サソリ固め第一号は意外な人物だった!
2003.3.17
これは紛れもなくサソリ固め! |
先日、当ホームページのビジターである宇治金時さんから、月刊ゴングを大量に提供していただいた。これで昭和51年までのゴングはコンプリートになったのだが、頂いたゴングをめくってみるとグラビアよりも本文の写真に目を引かれることが多い。なかでも必殺技マニアの私の目に飛び込んできたのが上の写真である。これは昭和47年12月号本誌ゴングに掲載されたもので、「サムソンへ夢燃やす轡田 練習嫌いを返上してハッスル」というキャプションがついている。サムソン・クツワダのに改名し、練習嫌いだったクツワダがサムソンのような筋肉美を目指して練習に励んでいるという記事。その横に掲載されているのが練習中のクツワダの写真である。 筆者は一瞬逆エビ固めかと思ったのだが、よく見るとかけられている選手の足がクロスしている。「まさか!」と思ってよーく見ると、腰高ではあるがこれはまぐれもなくサソリ固めである。サソリ固めは当時吉田光雄の長州力がデビュー戦で使い、その後も彼を象徴する技である。サソリ固めは「カール・ゴッチが長州のために考案した必殺技」というのが定説であった。しかし長州のがデビューする2年前に練習とはいえサムソン・クツワダが使っていたのである。 オールド・ファンならご存知のようにカール・ゴッチは昭和42年から日本プロレスのコーチを勤めていた。いわゆるゴッチ道場である。このゴッチ道場の生徒の一人が轡田であった。つまりクツワダのサソリ固めも「ゴッチ直伝」だと思われるのである。もしサムソン・クツワダと改名した轡田が、この技を「サムソン・スペシャル」などと称してフィニッシュに使っていたら、長州のサソリ固めは完全な二番煎じとなっていた、もしくはサソリ固めではないフィニッシュを使う事になっていただろう。さらに考えれば、サソリ固め以外にこれといったオリジナル・ホールドを持たない長州の維新軍結成もなかったかもしれない。 |