ファイル No3 : 遂に解明!ヘラクレス・ローンホークの経歴

 

 

力道山が日本にプロレスを紹介して以来多くの外人選手が来日して日本のファンを沸かせてきた。しかしその外人選手のレベルはピンからキリで、いわゆるショッパイレスラーも多くやってきてしまった。中でも昭和世代の印象に残っているのがここに紹介するヘラクレス・ローンホークだ。この正体は長年謎のままだったが、筆者の思っていた彼の正体を確証する資料を手に入れたのでここに紹介する。その資料と言うのは当HPのビジターであるmoonlightさんから送っていただいた週間プロレスのローンホークに関する記事のコピーである。以下要約して抜粋する。

 

 

ロスで活躍していた頃

 

待望の?来日時

 

「前評判のトニー・アトラス以上のレスラーではないか・・・のファンの夢と希望も第1戦で立ち消えた。ボディーサイズは超一流だが、レスリングの面ではテクニック、スピード、ガッツと見事三拍子欠けているレスラーである。しかしデビュー戦(72年4月デトロイト)では、フレッド・カーリーをベアハッグで破り大物怪物レスラー出現と話題になった。それ以後はマグニフィセント・ズールーの名で五大湖地区を暴れまくり、有望な黒人レスラーとして関係者の期待は大きかったが、ある時期からプッツリと消息が途絶えた。そして、昨年あたりから西海岸のリング(アントン・レオーネ派)に姿をあらわしホソボソとマット生活を送っていた。今回の活躍ぶりを見ると、メーン・テリトリーから離れた理由がうなずけるが・・・。」

と、まぁ散々な書かれ様である。どうして当時ブーム絶頂の新日本がわざわざこんなローカルレスラーを来日させたのか首をかしげたくなる。しかし熱心なマニアなら彼の前身がズールーだと聞けば、膝頭をポーんと叩いて納得するはずだ。実はこのズールーと言う男、新日本プロレスが50年ビッグ・ファイト・シリーズに呼びそこなった幻の強豪だったのである。別冊ゴング50年3月号からズールーの記事を抜粋してみよう。

「まだ見ぬフレッシュな強豪・・・と言えばビッグファイト・シリーズに参加するマグニフィセント・ズールはその典型的な例だ。この187センチ107キロの黒人レスラーは、今アメリカ・マットで華々しく売り出している最大の黒いホープだ。若い・・・まだ23歳と言う若さで、しかもその黒豹を思わせるしなやかな肉体は、前身にばねを埋めているような弾力がある。」

かなり大袈裟な宣伝記事だが、実際この当時のズールーの活躍ぶりは目覚しく、ロス恒例の新春バトルロイヤルに出場し、最後まで残って優勝をアンドレと争っている。記事を続けよう。

「この男の本名はジェームス・サタング。サタングと言うのはズール族の言葉で“獅子の子”だ。南アフリカ共和国のナタールの出身・・・生っ粋のズール族でその家系は代々の酋長という名門。11歳で英国に留学して電子工学を学んだというインテリだが、英国でレスリングの魅力にとりつかれ、3年前、南アのヨハネスブルグでデビューした。昨年夏に突如カナダのマットに登場したのは、プロモーターのフランク・タニーが英国訪問中にこの男のファイトを見てすっかり惚れ込み、契約をしたからだ。」

週プロの記事ではデトロイトでデビューとなっていたが、ここではヨハネスブルグでデビューとなっている。それよりも不思議なのは彼が電子工学を学んだエリートだったという件だ。ミスター高橋の著書には本当に頭の中が空っぽだったと評され、別のコラムでは「1000円札と1万円冊の区別が付かなかった・・・。」と暴露されていたが、これはどういう事だろうか?もしやステロイドの副作用で頭がおかしくなってしまっていたのだろうか?

「あれはただの黒人ではない、とアメリカでもカナダでも畏敬の目で眺められるこの男、そのレスリングは巧妙、しかも戦闘意欲は果敢。ヘッドバットは強力な破壊力を持ち、英国流のスープレックスやコブラツイスト、ドロップキックなど多彩なテクニックを見せる。カナダマットに登場して暴れまくるズールを見て、タイガー・ジェット・シンが、ぞっこん惚れ込んでしまったのは当然と言える。」

いくら宣伝用記事とは言えこれは少し誇張がすぎるのではないだろうか?ズールーことローンホークがスープレックスの使い手だったなんて信じられますか・・・?もし昭和50年当時はこの記事のように素晴らしい選手だったとしたら、いったいローンホークの身に何が起こったのだろうか?一説には昭和50年の来日中止は暴行事件を起こし逮捕されたのが原因と言われているが・・・。昭和プロレスの大きな謎のひとつである。

補足 : 50年の来日中止はこれまたトラブルメーカーとして有名なフランキー・レインを大喧嘩をやらかし、レインの知人にケガをおわせて逮捕されていたことが、その後の調査で判明した。