ファイル28 ホセ・ベンチュラ別人説を検証

  2010/5/29 remix

 当昭和プロレス研究室の目玉は「来日全外人レスラー名鑑」である。この名鑑を作る上でもっとも苦労するのが、同じレスラーが名前を変えて来日したり、逆に違うレスラーが同じ名前で来日していたケースである。もちろん判る範囲でフォローしているのだが、次々に新情報が出で、過去の資料が間違っていたということが多い。最近では各社の年史もので別人として紹介されていた、日本プロレスに登場したイワン・カメロフと新日本プロレスに登場したイワン・カマロフが実は同一人物であることが判明している。

 今回の検証対象はホセ・ベンチュラである。この男は1953年カナダ・モントリール出身で、当時グランプリ・レスリングで活躍しおり、月刊ゴングの昭和51年7月号に「まだ見ぬ強豪」にジョー・ベンチュラとして紹介されていた若手レスラーである。ホセ・ベンチュラと名乗るレスラーは2回来日しているが、ゴングが32周年記念として出版した「日本プロレス50年史」の「団体別全外人リスト」をみると以下のように紹介されている。

昭和51年4月 ダイナマイト・シリーズ   ジ・インフェルノ(=ホセ・ベンチュラ) 初
昭和51年7月 ビッグ・サマー・シリーズ  ホセ・ベンチュラ(兄) 初
昭和53年1月 新春パイオニア・シリーズ ホセ・ベンチュラ 2

 つまり51年に来日したインフェルノの正体はホセ・ベンチュラであり、51年に素顔で来日したホセ・ベンチュラと53年に来日したホセ・ベンチュラは別人でしかも兄弟だというのである。筆者もこれには以前から引っかかっていたのだが、先日とある場所で邂逅した高校時代の友人にもこの「兄弟説」を指摘された。そこで今回は当時の雑誌を元にこの兄弟説を検証してみようと思う。

 まず下の写真を見ていただこう。

 

   

ホセ・ベンチュラの宣伝写真

  51年4月に来日したインフェルノ

 

 まず、左にあるのがホセ・ベンチュラの宣伝用写真である。そして真ん中と左がゴングの年表では弟版ホセ・ベンチュラが正体だといわれるジ・インフェルノの写真である。確かにポーズ写真の体型は良く似ている。ホセ・ベンチュラのプロフィールは身長178センチ(「まだ見ぬ強豪」のプロフィルでは172センチ)、96キロ、しかしインフェルノのファイト写真を見ると腹のだぶつき具合が非常に気になる。それに結構毛深い。当時のゴングの選手紹介を確認したところ身長体重は記載されていないが、カナダ東部出身であることは明記されている。

 つぎに51、53年に素顔で来日したベンチュラの写真をご覧頂こう。

 

   
51年当時のファイト写真   53年当時のファイト写真   来日をキャンセルした弟のサンザ

 

 左が51年に来日したゴングでは「兄」と但し書きがついているホセ・ベンチュラ。真ん中の写真は53年に来日した「弟」のホセ・ベンチュラ(この時はジョー・ベンチュラ名義で来日)である。この写真はともにダイビング・ボディプレスを敢行している写真であるが、表情も両手を上げたフォームもほとんど同じ。これはどう考えても同一人物ではないか?つまり兄弟が同名で来日したのではなく、正真正銘のホセ・ベンチュラが二度来日していたのである。ゴングの兄弟説はどうやら間違いだといえそうである。

 では、ホセ・ベンチュラに弟は存在したのか? 実は弟がいたのである。ホセ・ベンチュラが参加した53年の新春パイオニアシリーズに続いて行われたビッグ・チャレンジ・シリーズに入れ替わりで参加が予定されていた、ティト・サンザである。彼のプロフィールを見ると、「1954年カナダのモントリオール出身。ジョー・ベンチュラの実弟。180センチ、115キロ」とある。上の右の写真がサンザの宣伝用写真である。この胸毛の濃さ。見覚えがおありだろう。そう、ジ・インフェルノである。しかし胸毛で断定するのはいかにも強引だ。そこで色々資料をくっていると、別冊ゴングの昭和55年10月号の綴じ込み付録「国際プロレスシリーズの歴史第4弾」に興味深い記述を発見した。「インフェルノは最終戦における金網戦で、寺西に覆面を脱がされた。正体はティト・アレクサンドロ・プレセンザという新人レスラー。」どうだろうか?ファーストネームは同じティト。ファミリーネームもサンザ(SANZA)とプレサンザ(PRESANZA)・・・ティト・サンザ=ティト・アレクサンドロ・プレセンザとは考えられないだろうか?つまり「インフェルノ=ホセ・ベンチュラの弟」だったのである。

 つまり・・・

昭和51年4月 ダイナマイト・シリーズ   ジ・インフェルノ(=ティト・サンザ) 初
昭和51年7月 ビッグ・サマー・シリーズ  ホセ・ベンチュラ 初
昭和53年1月 新春パイオニア・シリーズ ホセ・ベンチュラ 2

が正解だったわけである。


【2010年5月22日付記】

「月刊ゴング」昭和51年7月号の記事で下記のような記述があった。

「本名はティト・アレクサンドロ・プレセンザといい、1954年8月モントリオール生まれのスペイン系カナダ人だという」


そこでベンチュラとセンザの誕生年を調べてみると、ベンチュラは1953年、センザは1954年であった。インフェルノ=ティト・センザであることはますます間違いなさそうである。


【2010年5月28日付記】

「月刊ゴング」昭和51年8月号掲載の「ゴング・ゴシップ」にさらに決定的な記事を発見! 以下抜粋する。

ハンサムなテクニシャンで人気を集めたホセ・ベンチュラは、本名がジョセフ・ビンセント・プレセンザというとお気づきの方もいられよう。ダイナマイト・シリーズに参加し、最終戦で覆面を剥がされたザ・インフェルノの正体がティト・アレクサンドロ・プレセンザ(21歳)だった。ベンチュラはインフェルノの二歳上の実の兄だったのである。(抜粋終わり)

もうこれで間違いない。現在ゴングの「日本プロレス50年史」などで通説になっているジ・インフェルノ=ホセ・ベンチュラ説は間違いであったことが、奇しくもゴング誌の記事で実証されたのであった。