ファイル22 76年アマリロで行われたインター選手権で使われたベルトの謎

 

   インターナショナル選手権といえば、日本では力道山が鉄人 ルー・テーズから奪取したといわれるNWA認定のインターナショナル選手権か、力道山の死後に日本プロレスが復活させたインターナショナル選手権を思い浮かべる方が多いであろう。しかし、筆者の知るだけでもインター選手権と呼ばれるタイトルは複数存在した。WWWF設立以前のNY地区でアントニオ・ロッカが保持していたもの、カナダカルガリー地区認定のものは特に有名である。

 日本ではあまり紹介されていなかったが、ファンク一家の本拠地であるアマリロでもインターナショナル選手権なる名称のタイトルを認定しており、ジュニアやサイクロン・ニグロが王者に君臨していた。このタイトルに76年2月12日、遠征中のジャンボ鶴田が挑戦した試合が月刊プロレス4月号にカラーグラビアで紹介されている。キャプションには「テキサス州、カンサス州等隣接諸州認定のインターナショナル選手権」と紹介されており、試合はジュニアがローリング・クレイドルでジャンボから48分29秒にフォール勝ちを収めたという。

 しかしグラビアを見ていると、おかしなことに気が付いた。ジュニアがしっかり握っているベルトをご覧いただきたい。間違いなく、ジャイアント馬場が力道山家より贈与されたインターナショナルのベルトを加工して作られたPWF選手権ベルトである。竹内宏介氏の著書「プロレス雑学簿」に「・・・伝説のPWFベルトだが76年にこれとまったく同じベルトがフロリダ地区認定のインターナショナル・ヘビー級選手権のチャンピオン・ベルトとして使われたことがあった。」との記述があり、ラリー・レーンがこのベルトをまいた写真が掲載されている。竹内氏によれば、予備のタイトルを馬場が作り、アメリカ国内で防衛戦を行う時のために、ジュニアに預けていたものをジュニアが無断で使用したを言うことである。この件について不審に思った竹内氏は馬場に写真を見せいったいどうなっているのかと聞いてみたところ、馬場は苦笑いし、ジュニアに連絡をいれベルトを回収したという。

 

 馬場に預けられたベルトを無断で使用するジュニアの能天気な性格もかなりのものだが、竹内氏のベルトに対するこだわりもかなりのもの。おそらくアメリカより、日本人のほうがベルトに対するこだわりは強いのではないだろうか?日本に根付いたタイトルのベルトはめったにデザインを変更されることがなかったことを見てもそのことはわかる。しかもPWFという全日本プロの看板タイトルが、流用されていたとあって、コアなファンはすぐに不信感を持ったことであろう。まぁ、ジュニアがこのベルトをウェスタン選手権などではなく、インターナショナルという準世界タイトルに使用していたことがせめてもの救いか?

 しかし、こんなことはありえないことだが、この試合でジャンボがジュニアを破っていたら、馬場が全日本設立に際し泣く泣く返上したインター選手権と同じ名称で、馬場がインターの代わりに作ったPWFのベルトとまったく同じベルトを巻いて凱旋帰国! なんてことになっていたら、日本のファンは相当混乱したことであろう。