ファイル15 : 「幻の猪木世界ジュニアヘビー級王座挑戦計画」( ゴング 昭和44年12月号 )

 

本日筆者は会社からの帰宅途中、Sというオープンして間もない中古CDや雑誌を扱うショップに立ち寄った。当然プロレス雑誌があるかどうかの市場調査の為に出向いたのである。店に入って直ぐのショウケースに力道山時代の「プロレス&ボクシング」が飾ってあった。価格も梅田にある「Mだらけ」よりかなり良心的であった。
始めはあまり期待していなかったのだが、「これはもしかして・・・」と淡い期待を胸に、店内をうろつくと「プロレス」のコーナーがあった。近付いて見ると、あるわあるわ昭和43年・・・つまり創刊間もないゴングと30年代のプロ&ボク。高いんだろうなぁ、とおもって価格を見ると800〜1500円という、超良心的なお値段。内容の面白そうなのを4冊かって、電車の中でパラパラとめくっていると、ダニー・ホッジの来日を知らせるグラビアに気になる文句が目に入った。「ウエイトを落としてホッジのJヘビー級王座に挑戦しようとしている猪木に大いに期待する。」・・・あぁ、これは初めて知ったなぁ、と思いいつ発売のゴングか確認してみると、44年12月号とある。つまり猪木が涙のワールド・リーグ優勝を決めたその年である。マニアの方ならご存知だろうが、このシリーズ(NWAシリーズ)にはドリー・ファンク・ジュニアが初来日し、馬場と猪木の挑戦を受けているのである。

 

猪木が減量してジュニアヘビーに挑戦?

 

しかしこのゴングには何処を見ても、猪木が世界王座に挑戦するなどと書いていない。この44年12月号の巻頭特集は「ジュニアVS馬場」・・・つまり猪木の世界挑戦は話題にも上らず、ウエイトを絞ってジュニア・ヘビー級に挑戦が内定していると報じているのである。ここに当時の馬場と猪木に対する微妙な評価の差を感じ取れるのだ。ワールドリーグに優勝したとは言え、猪木はまだまだ世界王者に挑戦する器ではないと評価されていたのではないか?しかし結局はご存知の通り、大阪府立体育会館でジュニアの世界王座に挑戦。60分ノーフォールの引き分けに持ち込み、その実力を改めて誇示したのである。しかし猪木に対する評価は常に準エースの座であり、この様な不当な評価を打破する為に、猪木は胸に秘めていた馬場への挑戦を改めて口にしたのではなかったか?猪木は本気でジュニア王座に挑戦を考えていたのであろうか?興味深い歴史の一齣である。