ファイル10 : 知られざる外人勢による猪木潰し!( 昭和46年第13回ワールド・リーグ戦 )
昭和46年の第13回ワールドリーグ戦の優勝決定戦は、ご存知のように馬場、猪木、デストロイヤー、ブッチャーによるワールドリーグ史上2度目の四つ巴による戦いとなった。しかしこの裏に外人勢による「猪木潰し」が行われていた事はあまり知られていない・・・。 まず昭和46年における日本プロレスの内情について説明しておく必要があるだろう。東京プロレスの崩壊により出戻ってきた猪木が加わり馬場、猪木の2枚看板になったのが昭和42年。猪木が初参加した43年の第10回ワールド・リーグ戦では馬場が優勝。44年の11回では馬場、猪木、ブラジル、マルコフ四つ巴の決勝で、馬場とブラジルが引き分け、猪木がマルコフを卍固めに屠り初優勝。この頃から「馬場と猪木では、どちらが強いか?」という世論が高まる。45年の12回では馬場が再び僅差で優勝するものの、決勝戦で馬場が完勝出来なかったジョナサンに猪木は予選で完勝している事などから「人気の馬場、実力の猪木」という世論が定着、UNタイトル、NWAタッグリーグ優勝と勢いに乗った猪木がNETの後ろ盾も受けて必勝を期して臨み、一方の馬場もエースの座を守るべくして臨んだのが第13回ワールドリーグ戦だった訳である。 |
四の字をかけたまま猪木を場外に持ち込むデスト |
さて、この13回ワールドリーグ戦の優勝候補を見てみると、外人勢がデストロイヤー、キラー・カール・コックス、アブドーラ・ザ・ブッチャーの3人、日本勢は馬場と猪木のマッチレースという様相を呈していた。公式戦も大詰めになるとまずコックスが脱落、優勝争いは馬場、猪木、デストロイヤー、ブッチャーの4人に絞られてきた。当然馬場と猪木もライバル意識をむき出しにする、そんな中で某記者がコックスとデストロイヤーの密談を耳にした。その話題は「馬場か、猪木か?」ということだった。デストロイヤーの優勝ではなく、馬場か猪木か?なのである。つまり常連の二人は日本プロレスのエースには猪木よりも馬場のほうにメリットを感じ、猪木の足を引っ張る事を考えたのである。 まず最初の猪木潰しは5月17日の姫路大会、猪木VSコックス戦で行われた。この試合で猪木が勝てば馬場と同点で決勝進出という大一番だった。コックスははじめからプロレスをする気はなかった。試合が始まると異様な雰囲気に馬場も通路まで出てきた。試合開始から10分間両者は技を出さずに派手な殴り合いを続ける。13分過ぎコックスは急所蹴りでダウンした猪木にエルボードロップから足をロープにかけて反則の体固め。気付かぬレフェリーのトルコはカウント3!優勝を逃しうな垂れる猪木。しかし次の瞬間コックスの手を挙げていたトルコはコックスの手を振り落とすと、猪木の手を挙げた。セコンドの木戸のアピールで、コックスの右足がロープにかかっていた事を認めて試合再開、猪木はコックスをコブラツイストでギブアップさせ、九死に一生を得る。この裁定にデストロイヤーが飛び込んできてトルコにつかみ掛かり異様な雰囲気となった。 一日置いて19日大阪府立体育会館での決勝戦。ファンは当然馬場と猪木の同点決勝を期待したが、長谷川代表が発表したカードは「猪木−デストロイヤー、馬場−ブッチャー」であった。記者の「この組み合わせは厳選な抽選の結果ですか?」と聴くと「・・・フロント、コミッションと協議した結果です。」長谷川氏の答えはあいまいだった。後に長谷川氏に当時の事を尋ねると「・・・外人と日本人のトップが優勝を争うのが原則だから、馬場−猪木、ブッチャー−デストをそれぞれ戦わせ、その勝者同志が優勝を争わせるのが筋ではないかという意見もあったが、正直なところ、まだこの時点では馬場と猪木を戦わせたくはなかった。どちらも日本プロレスの財産なんだから二人の対決はぎりぎりまで避けたいというのが本音だった。それぞれ外人と戦えばどちらかが負けるのではと思ったんです。」と語ったという。しかし実際には決勝進出者4人のうちデストロイヤーだけを呼び出し、芳の里は手に握った紙切れを引かせたという。デストロイヤーが引き当てた紙には猪木の名が。その場に立ち会っていた沖識名が「もう一枚の紙も見せろ」と芳の里に迫ると、芳の里は顔を引き攣らせ「その必要はない!」とその場を立ち去ったという。芳の里はブッチャーよりシュートなデストを猪木潰しの刺客に選んだのである。 いよいよ決勝。ファンは馬場、猪木がそれぞれ勝ち進んで決勝で顔を合わせる事を期待している。まず決勝戦第一試合は猪木−デストロイヤー。デストロイヤーは異常に張り切っていた。試合開始からデストは一貫して首四の字とショートアーム・シザースを狙う。ペースをつかめない猪木。ようやく猪木がコブラツイストで反撃に出るとデストは場外へ誘う。両者リングアウトを狙ったのだ。リングに上がる猪木の足にしがみつくデスト。「勝たなければならない!」猪木はデストをイスで殴り付け、必死でリングに戻る。ふらふらと上がってきたデストにブレンバスター!しかしデストもしぶとい。立ち上がるとマスクに凶器を入れてのヘッドバット。猪木が倒れるとすかさず足四の字固め!猪木は必死でロープに逃げる。レフリーがブレークした瞬間、デストが体をひねって両者場外に転落。レフリーのカウントが始まる。がっちり決まった足四の字は解ける事なく、両者リングアウトのゴング。22分19秒・・・猪木の優勝の夢、ジャイアント馬場との決戦の夢はこの瞬間に消えたのである。控え室に戻った猪木は記者を集めて馬場への挑戦を表明する。「おれはUN、あの人はインターのチャンピオン。どちらが強いかはっきりさせるのはファンに対する義務だ。」その時リング上では馬場がブッチャーを押さえ、5度目の栄冠を手にしていた。一方引き上げるデストの目に櫻井氏は「してやったという感情を見て取った」という。 櫻井氏は「この時、アントニオ猪木をワールド・リーグ戦で包囲し、徹底的に痛めつけたデストロイヤー、コックス、ブッチャーがその後、馬場とどういうつながりを持ち、現在に至っているかを見れば、改めてこの時の猪木包囲作戦の凄みを窺い知る事が出来る。」と書いておられるが、この時の猪木の状況は、後に前田明が猪木の元で味わった「前田潰し」と良く似ていると思うのである。その時点でのプロレスの枠を広げようとする若者を潰そうとするマットの掟・・・歴史はまさに繰り返すのである。
( 別冊ゴング 52年4月号掲載櫻井康雄氏による「日本プロレス名勝負列伝」を再編・加筆したものです。) |
2006年5月4日付記 実はこの試合、DVD[アントニオ猪木闘魂伝説」に収録されております。私も購入し、期待に胸膨らませてこの試合を見ましたが・・・緊張感はあるものの、「ピストル・マッチ」と呼べるほどのものではない・・・というのが私の印象でした。 |