孤狼仮面 エル・ソリタリオ出身地不明 |
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オールド・ファンならご存知の通り、70年代前半にマスカラスのライバルとして日本でクローズアップされたレスラーだから、キャリアは古い。マスカラスとはロスで世界ライトヘビー級の防衛戦という形で対決。反則勝ちを収めたものだから、ゴングあたりの雑誌が特集記事などを組み、多いに人気を煽った訳だ。 そして72年のサマーシリーズに初来日。怨敵マスカラスのコンビで、本格的ルチャを日本のファンの前に披露するが、相手が馬場や坂口といったスーパーヘビー級相手では、これと言った成績も残せず帰国した。しかしこの時期が彼の全盛期であった事は間違いない。 そのソリタリオが日本のファンに健在をアピールしたのが、79年4月、メキシコシティのエル・トレオで藤波のジュニア・タイトルに挑戦した試合だ。当時飛ぶ鳥を落とす勢いの藤波と両者KOの熱戦を繰り広げた。その余勢を駆って新日本の第2回MSGシリーズに7年ぶり、2度目の来日をはたす。またしても怨敵のカネックを帯同しての来日。この時は日本にも軽量級のジャンルが確立されつつあり、高い評価を受けたものの、藤波のタイトルへの挑戦はならなかった。一度ジュニア路線を確立途上の全日本に移籍の噂も流れたが、義理を守って新日本に最後の来日。伝説の田園コロシアムで、藤波との熱戦を繰り広げた。筆者は最後の来日の時の印象しか残っていない。タイガーマスクと組んでの来日第一戦は非常に動きが悪かったが、田園コロシアムでのタイトル戦ではそれなりに仕上げていたのだから、さすがはベテランだった。 プロフィールの欄で「出身地不明」としたが、当時のゴングを呼んでいると、「カナダ生まれの白人レスラーが正体」という説がかかれており、ジョー・ルジェなる本名まで公開されているからである。ま、これは当時のプロレスマスコミの創作だと思うが、ソリタリオ白人説は当時は真剣に唱えたれていたようである。しかし来日して解ったように彼は英語が全く喋れない。間違いなくメキシコ人であった。当時のゴングではソリタリオが「ブリッジして3人の観客を腹に乗せそのままでリングを一周歩いた」なんて事も書かれてたのだから、カナダ人説なんか可愛いものだろう。そころでそんな誇張の多い当時の記事のなかに「リング下からダイレクトでリング内の相手にアタックをかける・・・」という信じられない件があるが、どうやらこれだけは本当だったらしい。全盛期のソリタリオの跳躍力は凄まじく、リング下から本当にダイレクトでリング内に飛び込めたようである。一説には坂口とのシングルマッチでこれを披露したというのだが・・・。もしこれが事実であれば、全盛期のソリタリオと佐山タイガーの対決・・・またプロレス的夢を見てしまうのであった。 |